相撲の起源を考える際、最初に押さえておきたいのは、現在のような競技としての相撲が、ある日突然誕生したわけではないという点です。
その源流には、人間同士の力比べ、神々の争いを表現した神話、稲作と結びついた農耕儀礼、古墳時代の身体表現など、複数の文化的要素が存在します。
相撲の起源には大きく3つの考え方がある歴史資料や民俗学、考古学の知見から整理すると、主な起源説は次の3つです。
1.神話に由来する力比べ説
『古事記』の国譲り神話や『日本書紀』の野見宿禰と当麻蹶速の伝承を、相撲の原型と考える説です。神々や英雄の力比べが、後世の相撲文化を象徴する物語として伝えられました。
2.農耕儀礼に由来する神事説
稲作を営む集落で、豊作や凶作を占うために力比べを行ったという考え方です。勝敗によって神意を占い、五穀豊穣を願う儀式として相撲が行われた可能性が指摘されています。
3.古代の身体競技・武芸に由来する説
古墳時代の力士埴輪や須恵器に表現された相撲人形などから、古代日本ですでに組み合いや力比べに近い行為が行われていたと考える説です。
この3つは必ずしも互いに対立するものではありません。身体を使った力比べが祭祀や社会的儀礼に取り込まれ、さらに宮廷行事や武芸として発展したという複合的な理解が、相撲の歴史を読み解くうえで有効です。
相撲の起源を考えるうえで重要な年代日本相撲協会の歴史解説や、島根県立古代出雲歴史博物館の展示資料を整理すると、次のような流れが見えてきます。
- 古墳時代:力士を表現した埴輪や相撲人形が登場する。
- 642年:『日本書紀』に宮廷で相撲を行った記録が登場する。
- 719年:奈良時代の宮廷で相撲人を選抜する役職が設置される。
- 734年:聖武天皇が相撲を観覧した記録が『続日本紀』に残る。
- 平安時代:相撲節会が宮廷の重要な年中行事として整備される。
- 1684年:江戸で勧進相撲の興行が公許される。
- 18世紀後半:江戸を中心に興行相撲が発展し、大相撲の基礎が確立される。
この年表からも分かるように、神話に描かれた力比べと、文献や考古資料によって確認できる相撲の歴史には違いがあります。
【神話の真相】古事記と日本書紀に登場する相撲の起源説話

日本の相撲の起源を語る際、必ず登場するのが『古事記』と『日本書紀』です。どちらも奈良時代に編纂された歴史書で、日本の神話や天皇の系譜、古代の政治や社会を知る重要な資料です。
ただし、両書に記された力比べは、現在の大相撲の取組をそのまま描いたものではありません。神話や伝承のなかに、古代の人々が力比べに与えていた意味が表れています。
『古事記』の建御雷神と建御名方神の力比べは712年に成立した歴史書です。その上巻に登場する国譲り神話には、相撲の源流と関連づけられる有名な力比べが描かれています。
登場するのは、建御雷神(たけみかづちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)です。
物語の舞台は、出雲の国譲りです。高天原から派遣された建御雷神は、大国主神に国を譲るよう求めます。
大国主神の子である建御名方神は、この要求に対して力比べを申し出ます。両者は互いの手を取り合い、勝負をすることになりました。
ところが、建御雷神が建御名方神の手を握ると、その手は若い葦を握りつぶすように扱われてしまいます。力の差を悟った建御名方神は逃走し、最終的に降伏しました。
この神話で重要なのは、単純にどちらが強かったかという話にとどまらないことです。
力比べの結果によって国の支配権が移るという展開は、古代社会における武力や権威、服属関係を象徴していると解釈できます。
國學院大學の古典文化学事業が公開する神名データベースでも、建御名方神の物語は国譲り神話の一部として整理されています。また、二神の力比べを農耕儀礼に由来する相撲神事と関連づける解釈も紹介されています。
なお、建御名方神は現在の長野県にあるの祭神として知られています。
『日本書紀』の野見宿禰と当麻蹶速の勝負相撲の起源説話として、より直接的に知られているのが、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の勝負です。
は720年に成立しました。その垂仁天皇の時代の記事に、二人の力比べが記録されています。
伝承によると、当麻蹶速は大和国の強者として知られ、自分と互角に戦える者はいないと豪語していました。
その評判を聞いた垂仁天皇は、出雲国から野見宿禰を呼び寄せ、二人を対戦させます。
勝負は現代の相撲のような押し出しや投げ技を中心とするものではありませんでした。『日本書紀』には、両者が向かい合って立ち、それぞれ足を上げて蹴り合ったと記されています。
最終的には野見宿禰が当麻蹶速の脇骨を蹴り折り、腰を踏み折って勝利したと伝えられています。
この物語は、現在の相撲のルールとは大きく異なる、古代の激しい格闘を伝えるものです。
野見宿禰はなぜ相撲の神様と呼ばれるのか?野見宿禰は、この勝負に勝った人物として、後世に相撲の祖と考えられるようになりました。
日本相撲協会の相撲博物館関連資料によると、野見宿禰は出雲国の人物と伝えられ、相撲の神様として信仰されています。
また、宿禰には埴輪を考案したという伝承もあります。古墳の造営や埴輪づくりに関係した土師氏の祖とされることから、相撲と古墳文化の双方に結びつけられてきました。
東京都墨田区亀沢には、野見宿禰を祭神とする野見宿禰神社があります。相撲との関係が深い場所として、相撲関係者からも崇敬を集めています。
ただし、野見宿禰と当麻蹶速の決闘を、現代の歴史学で確認された実際の試合として扱うことはできません。『日本書紀』に記された起源伝承として理解することが適切です。
【考古学と歴史資料】古墳時代の力士埴輪と642年の相撲記録
相撲の歴史を神話だけで説明することはできません。古墳時代の出土品や、飛鳥時代の文献には、相撲に似た行為や宮廷での力比べを考える手がかりが残っています。
古墳時代の力士埴輪が示すもの相撲の古い姿を考えるうえで注目されるのが、力士を表現した埴輪です。
文化庁の文化遺産オンラインに掲載されている「男子立像(力士像)埴輪」は、和歌山市の井辺八幡山古墳から出土した資料です。
その特徴は、腰につけた褌、前に突き出した両腕、力強さを感じさせる下半身です。こうした造形から、力士の姿を表現した埴輪と考えられています。
また、和歌山県立紀伊風土記の丘には、大日山35号墳から出土した力士埴輪が収蔵されています。こちらは古墳時代の6世紀前半に位置づけられる資料です。
これらの埴輪は、少なくとも古墳時代に、力士を思わせる身体表現が重要な意味を持っていたことを示しています。
ただし、埴輪だけから当時の勝敗の決め方や競技規則まで復元することはできません。埴輪は競技規則を記録した資料ではなく、古代の人々が表現した人物像や儀礼文化を知る考古資料です。
642年の相撲記録は何を意味するのか?相撲の歴史を語る際、特に重要なのが642年(皇極天皇元年)です。
この年の『日本書紀』には、百済から来た使者をもてなすため、宮廷の健児(こんでい)に相撲を取らせたという記録があります。
これは神話や伝説とは性質が異なる、宮廷で実際に行われた行事を伝える文献記録です。相撲が古代の宮廷において、外交的な接遇や儀礼の一部として取り入れられていたことが分かります。
つまり、642年は相撲が誕生した年ではありません。あくまでも、相撲の存在を具体的な歴史記録からたどる際の重要な年代です。
神話に登場する力比べ、古墳時代の考古資料、642年の宮廷記録を並べることで、相撲文化が長い時間をかけて形成されたことが理解できます。
【神事相撲の原点】農耕儀礼と五穀豊穣にはどんな関係がある?
相撲の起源を考えるうえで、神話と並んで重要なのが農耕儀礼です。
古代日本では、稲作を中心とした農業が人々の暮らしを支えていました。天候や水の量、病害虫などによって収穫が左右されるため、豊作を願う祭りや神事が生活のなかで大きな役割を果たしていました。
そのような社会背景のなかで、力比べが神に奉納する儀礼として行われたという説があります。
勝敗によって豊作を占う神事相撲農耕儀礼としての相撲は、単なる娯楽ではありません。勝敗を通じて、その年の農作物の出来や神の意志を占うという意味があったと考えられています。
民俗学的な解釈の一つでは、異なる集落の代表者が力比べを行い、その結果から豊作になる地域や神の恵みを受ける側を占ったとされます。
また、民俗学者の折口信夫は、田の行事における神と田の精霊の争いという観点から、相撲の農耕儀礼的な意味を論じています。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された北海道立図書館の調査回答でも、『日本相撲大鑑』や『相撲の誕生』などを参照し、農作物の豊凶を占う儀礼としての相撲が紹介されています。
ただし、弥生時代に現在の相撲と同じ競技が行われていたことを直接示す記録があるわけではありません。農耕儀礼説は、後世に残された民俗行事や神事、歴史資料を比較して構築された起源の解釈です。
五穀豊穣と相撲が結びついた理由五穀豊穣とは、米や麦、粟、豆、黍などの作物が豊かに実ることを願う考え方です。
農業を中心とした社会では、豊作は集落全体の生存に直結する問題でした。そのため、祭りや奉納行事を通じて神に祈り、翌年の収穫を願う習慣が育まれていきました。
相撲のように勝敗が目に見える形で決まる力比べは、神意を表す儀礼として受け入れられやすかったと考えられます。
こうした背景を踏まえると、現在の相撲に残る礼儀や所作にも、神事とのつながりを見いだせます。
例えば、土俵入りや四股、塩をまく所作などは、相撲の神聖な空間や清めの文化と関係しています。現在の競技としての相撲にも、神事として発展してきた歴史の名残が見られます。
726年から727年に伝わる神事相撲の記録相撲の神事としての性格を示す伝承には、聖武天皇の時代の出来事もあります。
百科事典の『改訂新版 世界大百科事典』を掲載するコトバンクの解説では、726年の旱魃に際して、聖武天皇が伊勢を含む諸社に勅使を派遣して神の加護を祈り、翌727年の豊作を受けて神前で相撲を奉納したという経緯が紹介されています。
ここで重要なのは、相撲が人々の娯楽にとどまらず、神への感謝や祈願を表現する儀式としても位置づけられていたことです。
全国各地の神社や地域の祭礼に残る奉納相撲も、こうした神事相撲の文化を考えるうえで重要な存在です。
【奈良時代から平安時代】相撲節会が宮廷文化として発展した理由
古代の相撲が大きく変化したのは、宮廷行事として制度化された時代です。
奈良時代になると、各地から相撲人を集めて天皇の前で競技を行う機会が増えていきます。そして平安時代には、相撲節会(すまいのせちえ)という宮廷の重要な年中行事へと発展しました。
奈良時代に始まった宮廷相撲の制度化奈良時代の相撲を知る資料として重要なのが、『続日本紀』です。
同書によると、719年には相撲人を選抜する役職である「抜出司」が初めて設置されました。
さらに734年(天平6年)7月7日には、聖武天皇が相撲を観覧した記録が残っています。この日は七夕にあたり、相撲と宮廷の年中行事が結びついていたことを示しています。
当時の相撲は、地方の有力者や郡司などを通じて選ばれた相撲人を都へ集める形で行われました。各地の力自慢が宮廷に集まることは、地方社会と中央政府をつなぐ機会でもありました。
相撲節会とは?東西に分かれて競った宮廷行事相撲節会は、宮中で行われた公式の相撲行事です。
平安時代の弘仁年間(810~824年)には、独立した宮廷儀式として発展しました。全国から集められた相撲人を左右に分け、対抗形式で取組を行うのが特徴です。
その背景には、農耕儀礼としての豊作祈願だけでなく、地方の有力者や人々を天皇のもとに集める服属儀礼としての意味もありました。
相撲節会は、単なるスポーツ大会ではなく、国家の秩序や権威を示す重要な宮廷行事だったのです。
相撲の歴史を年代別に比較!主要人物・行事・史料一覧ここまで登場した人物や出来事を整理すると、相撲が神話から宮廷文化、さらに興行へと発展した流れが分かります。
| 時代・年代 | 人物・関連要素 | 相撲との関係 | 史料・位置づけ |
|---|---|---|---|
| 神話時代 | 建御雷神・建御名方神 | 国譲りに伴う力比べ | 『古事記』の神話 |
| 伝承上の垂仁天皇時代 | 野見宿禰・当麻蹶速 | 相撲の起源説話となった勝負 | 『日本書紀』の伝承 |
| 古墳時代 | 力士埴輪・相撲人形 | 古代の力比べを思わせる身体表現 | 考古資料 |
| 642年 | 百済の使者・宮廷の健児 | 使者をもてなすための相撲 | 『日本書紀』の記録 |
| 719年 | 抜出司・相撲人 | 相撲人を選抜する制度の整備 | 『続日本紀』 |
| 734年 | 聖武天皇・相撲人 | 七夕の宮廷相撲を天皇が観覧 | 『続日本紀』 |
| 平安時代 | 左右近衛府・相撲人 | 相撲節会として制度化 | 宮廷年中行事 |
| 1684年 | 雷権太夫・勧進元 | 江戸で相撲興行が公許される | 江戸時代の興行史 |
| 18世紀後半 | 谷風・小野川・雷電 | 職業相撲の人気と組織が発展 | 江戸勧進相撲 |
この表で注目したいのは、相撲の発展に関わる人物や制度の役割が時代によって異なることです。
神話の神々は力比べを通じて国の支配を象徴し、野見宿禰は相撲の祖として信仰されました。奈良・平安時代の相撲人は宮廷儀式を担い、江戸時代の力士は観客を集める職業的な存在へと変化していきました。
相撲節会は平安時代後期には次第に行われなくなりますが、相撲人やその流れをくむ人々は寺社の祭礼などで相撲を奉納するようになります。
こうして、宮廷文化としての相撲が衰退した後も、地域の祭礼や芸能として相撲の伝統は受け継がれていきました。
【江戸時代の大相撲成立】神事から職業的な興行へ変わった理由
現在の大相撲に直接つながる大きな転換点は、江戸時代です。
それまで相撲は、神事や宮廷行事、武士の武芸、地域の祭礼など、さまざまな形で行われていました。江戸時代になると、観客から料金や寄付を集めて試合を開催する興行相撲が発達します。
江戸時代の勧進相撲とは?勧進相撲とは、神社や寺院の建設・修繕などに必要な資金を集めるために行われた興行です。
観客を集めて相撲を見せ、その収益や寄付を寺社のために役立てる仕組みでした。
当初は浪人や力自慢の人々が中心となって相撲集団を形成していましたが、次第に専門的な力士集団へと発展していきます。
江戸時代以前から相撲を職業とする人々は存在していましたが、定期的な興行や組織運営が整備されたことが、現在の大相撲につながる大きな特徴です。
1684年、江戸の相撲興行が公許される江戸の相撲史で重要な年が1684年(貞享元年)です。
平凡社『改訂新版 世界大百科事典』の相撲解説によると、江戸市中の相撲興行は一時期中止されていましたが、相撲集団を率いた雷権太夫らが寺社奉行に願い出て、公許を得ました。
興行の場所となったのは、現在の東京都江東区にある富岡八幡宮の境内です。
この公許によって、江戸の相撲興行は新たな発展段階に入ります。
18世紀後半に大相撲の基礎が確立江戸時代中期から後期にかけて、相撲の組織や興行の仕組みが整えられていきます。
宝暦・明和年間(1751~1772年)には相撲会所の制度が整い、年寄による力士の育成や興行運営が本格化しました。
加えて、天明・寛政年間(1781~1801年)には江戸を中心に勧進相撲が黄金期を迎えます。
この時代を代表する力士が、谷風、小野川、雷電です。
谷風と小野川は強豪力士として人気を集め、雷電も圧倒的な実力で相撲界を盛り上げました。
1789年には谷風と小野川に横綱免許が与えられ、1791年には将軍徳川家斉による上覧相撲が開催されます。
力士の人気は浮世絵にも表れ、相撲は歌舞伎と並ぶ江戸庶民の娯楽として定着しました。
現在の土俵や番付につながる仕組みも江戸時代に発展江戸時代の相撲で見逃せないのが、競技のルールと会場の整備です。
古代の相撲節会には、現在のような円形の土俵がありませんでした。相撲を行う場所を人垣で囲む形式や、四角形の競技場などが使われていたとされています。
現在につながる円形の土俵は、近世にかけて形づくられました。江戸時代には、相手を土俵の外に出すことも勝敗の判定に取り入れられるようになります。
番付も力士の実力や序列を示す仕組みとして発達しました。木版による番付の発行や相撲会所の整備によって、興行としての相撲は次第に組織化されていきます。
つまり、江戸時代に成立したのは、単なる人気競技ではありません。力士を育成する仕組み、興行を運営する組織、観客を集める文化、勝敗を判定するルールなど、現在の大相撲につながる基盤そのものだったのです。
【よくある誤解を検証】相撲の起源について知っておきたいポイント
相撲の歴史には神話、伝説、考古資料、文献記録が混在しています。そのため、年代や人物の位置づけを取り違えやすい部分があります。
誤解1:野見宿禰が日本で最初に相撲を取った人物である野見宿禰は相撲の祖として広く知られていますが、日本で最初に相撲を取った人物だと証明されているわけではありません。
『日本書紀』の勝負は起源説話であり、古墳時代の埴輪などは、さらに古い時代から力比べに関係する文化が存在した可能性を示しています。
誤解2:642年が相撲の誕生した年である642年は『日本書紀』に宮廷相撲の記録が残る重要な年です。しかし、相撲そのものがこの年に誕生したという意味ではありません。
考古資料や神話に登場する力比べを考えれば、相撲に似た行為はそれ以前から存在したと考えられます。
誤解3:相撲は最初から現在のような土俵で行われていた古代の相撲には、現在の円形土俵や明確に統一された競技規則がありませんでした。
土俵の形や勝敗の決め方は長い時間をかけて変化し、江戸時代に現在につながる形式が整っていきました。
相撲の歴史を調べるときの判断基準相撲の起源に関する情報を見極めるには、資料の種類を意識することが大切です。
- 神話・伝承:古代の人々が相撲や力比べにどのような意味を与えていたかを知る手がかり。
- 考古資料:埴輪や土器などから、当時の身体表現や文化的背景を考える材料。
- 歴史書:宮廷行事や相撲人の活動など、文献上の具体的な記録を確認する材料。
- 民俗資料:各地に残る奉納相撲や祭礼から、神事としての相撲の意味を考える材料。
この4つを区別して読むことで、伝説を史実と混同せず、相撲の歴史をより立体的に理解できます。
【相撲の起源】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:相撲の起源は何年前までさかのぼることができますか?
A1:明確な誕生年は分かっていません。神話では『古事記』の国譲り神話などに力比べが登場し、考古資料では古墳時代の力士埴輪などが確認されています。文献上の具体的な宮廷相撲の記録としては642年の『日本書紀』の記事が重要です。
Q2:相撲の起源とされる野見宿禰と当麻蹶速は実在した人物ですか?
A2:二人は『日本書紀』に登場する人物ですが、伝承された勝負を歴史上の事実として証明することはできません。野見宿禰は相撲の祖として信仰され、当麻蹶速との勝負は日本の相撲の代表的な起源説話として受け継がれています。
Q3:相撲はもともと五穀豊穣を願う神事だったのですか?
A3:農作物の豊凶を占い、豊作を祈る農耕儀礼として相撲が行われたという説があります。神社での奉納相撲などにも神事としての性格が残っています。ただし、相撲の起源を農耕儀礼だけで説明できるわけではありません。
Q4:相撲の語源は何ですか?
A4:古語の「すまう(争う)」に由来するという説が有力です。「すまい」はその連用形に由来する古い呼び方で、古代の力比べや争いを表す言葉と関係しています。
Q5:現在の大相撲が成立したのはいつですか?
A5:現在の大相撲につながる職業的な興行相撲は、江戸時代に大きく発展しました。1684年の江戸での勧進相撲の公許や、18世紀後半の相撲会所の整備、力士の人気上昇などが重要な転換点です。
相撲の起源は、特定の人物や一つの出来事だけで説明できるものではありません。
『古事記』に描かれた建御雷神と建御名方神の力比べ、『日本書紀』に記された野見宿禰と当麻蹶速の伝承、古墳時代の力士埴輪など、さまざまな資料が古代日本の力比べの文化を伝えています。
加えて、農耕儀礼として五穀豊穣を願う神事相撲が行われ、奈良時代には宮廷行事として発展。平安時代には相撲節会として制度化され、武士の時代を経て、江戸時代には職業的な興行文化として大きく花開きました。
【プロの結論】相撲は神事・武芸・娯楽が融合して成立した文化相撲の歴史を理解するうえで最も重要なのは、神話と史実、祭祀と競技、伝統と興行をそれぞれ切り離さず、時代ごとの役割の変化として捉えることです。
古代には神々や人々の力比べとして語られ、農耕社会では豊作を願う儀礼と結びつきました。宮廷では国家的な行事となり、武士の時代には武芸として受け継がれ、江戸時代には多くの観客を集める興行へと変わりました。
現在の大相撲に見られる土俵入り、四股、塩まき、力士の所作などには、こうした長い歴史の積み重ねが息づいています。
相撲の起源を知ることは、日本人が力比べにどのような意味を見いだし、神への祈りや社会の秩序、娯楽へと発展させてきたのかを知ることでもあります。
2026年に相撲を観戦する際も、勝敗だけでなく、その一つひとつの所作に込められた古代からの文化的背景に目を向けると、大相撲の楽しみ方はさらに深まります。