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サッカーの起源は中国かイングランドか?蹴鞠から近代ルール成立まで徹底解説

如月 七海 如月 七海 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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サッカーの起源はどこにあるのか。中国の古代球技「蹴鞠(しゅうきく)」が始まりなのか、それともイングランドで誕生したスポーツなのか。この疑問を解くには、2000年以上前の東アジアの球技と、19世紀イギリスで進んだルールの統一を分けて考える必要がある。

2026年現在、歴史的に整理されている答えは明確だ。足でボールを扱う古代の球技は中国をはじめ複数の地域に存在したが、現在のサッカーにつながる近代的な競技規則を整えた発祥地はイングランドである。1848年のケンブリッジ・ルール、1863年のThe Football Association(FA)設立、1886年の国際サッカー評議会(IFAB)設立を追うと、遊びが世界共通のスポーツへ変わった過程が見えてくる。

【先に答え】サッカーの起源は中国なのか、イングランドなのか?

サッカーの起源

サッカーの起源をめぐる議論では、「最も古い蹴球文化」と「現在のサッカーを成立させた国」を区別することが重要になる。

古代の蹴球文化なら中国、近代サッカーならイングランド

中国には、紀元前3世紀ごろまでさかのぼる蹴鞠の記録が残っている。足で球を扱い、技術を競い、複数人で得点を争う形式も存在した。現代のサッカーと共通する要素を備えていたことから、古代の蹴球文化を代表する存在として評価されている。

一方、現在のサッカーに直接つながる歴史的な転換点は19世紀のイングランドにある。当時は学校や地域によって競技規則が異なり、同じ「フットボール」という名前でも試合の進め方が統一されていなかった。

そこで、大学やクラブの関係者が共通ルールを整え、1863年にはFAが設立された。ボールを手で持って走ることを認めない方向へ競技の性格が整理され、現在のアソシエーション・フットボールの基礎が築かれた。

つまり、サッカーの起源を一つの国だけで説明するのは正確ではない。歴史的なルーツは複数存在するが、近代サッカーという競技の制度的な発祥地はイングランドなのである。【FIFAミュージアム、The FA公式歴史資料】

「世界最古の球技」と「サッカーの発祥」は同じ意味ではない

ボールを蹴る遊びは、中国だけでなく古代ギリシャやローマにも存在した。ギリシャのエピスキュロス、ローマのハルパストゥムなども、球を使う集団競技として知られている。

ただし、これらの競技が現在のサッカーに直接つながったと証明されているわけではない。似た動作や道具を使う競技が、異なる社会で独自に発展した可能性も考えられる。

歴史を整理するときは、次の3つの意味を混同しないことが大切だ。

  • 古代の蹴球文化:足でボールを扱う遊びや競技の歴史。
  • 近代サッカーの成立:共通ルールと競技団体が整った19世紀のイングランド。
  • 世界的な普及:国際組織によるルール管理と各国への競技の広がり。

【中国の蹴鞠】2000年以上前に存在したサッカーの祖先とは?

中国の蹴鞠は、サッカーの起源を調べるうえで欠かせない存在だ。現代の競技と同じものではないものの、足で球を操る技術やチームで得点を競う形式など、興味深い共通点がある。

蹴鞠の記録は紀元前3世紀ごろまでさかのぼる

蹴鞠は中国語で「蹴鞠」と表記され、英語ではCujuと呼ばれる。文字どおり、球を蹴る行為を表す名称だ。

FIFAミュージアムの歴史解説によると、蹴鞠に関する最初期の歴史的な記録は、戦国時代にあたる紀元前3世紀ごろの中国文献に登場する。斉の都だった臨淄では、蹴鞠が広く親しまれていたことが古代の歴史書に記されている。

蹴鞠は単なる娯楽にとどまらなかった。軍事訓練としても利用され、兵士の身体能力や運動技術を高める活動として取り入れられていた。

漢代には宮廷でも親しまれ、皇帝や軍人に関係する文化として発展した。球技が社会的な地位を持つようになった点も、蹴鞠の歴史を特徴づけている。【FIFAミュージアム「Origins - Cuju in China」】

蹴鞠には技術を披露する形式と得点を競う形式があった

蹴鞠の特徴は、時代によって複数の競技形式が存在したことだ。

代表的なものの一つが「白打(バイダー)」と呼ばれる形式である。地面にボールを落とさず、足や身体を使って巧みに操る技術を披露する。現代のリフティングやフリースタイル・フットボールに似た要素を持つ。

一方、競争形式の蹴鞠では、複数人がチームを組んで得点を争った。FIFAミュージアムが紹介する宋代の記録には、2チームがボールをつなぎ、指定された選手がゴールに相当する中央の穴へ蹴り込む競技の様子が記されている。

後漢時代の詩人・李尤による記述には、両側にそれぞれ6つの半月形のゴールを設けた競技場の様子も登場する。審判や主将に相当する役割が存在したこともうかがえる。

このように、蹴鞠は一つの固定されたルールで何世紀も続いた競技ではなく、時代や目的に応じて変化してきた球技だった。

蹴鞠と現代サッカーの違い

両者には足でボールを扱うという共通点がある。しかし、競技の目的やフィールドの構造、ルールには大きな違いがある。

  • 競技目的:蹴鞠には技術の披露を重視する形式と得点を争う形式があった。
  • ゴール:時代や形式によって異なり、中央の穴や複数のゴールを用いる競技もあった。
  • 競技規則:現代サッカーのような世界共通の統一規則は存在しなかった。
  • 競技構造:現代サッカーのように世界共通の競技団体が管理するスポーツではなかった。

したがって、蹴鞠はサッカーと非常によく似た古代の蹴球文化ではあるものの、現在のサッカーが中国から直接伝わったとする歴史的な証拠は確立していない。

より正確には、蹴鞠はサッカーの遠い歴史的な類似例、あるいは古代の重要な先行球技として位置づけるのが適切だ。

【イングランドで近代化】中世の球技から1848年ケンブリッジ・ルールへ

近代サッカーの成立を理解するには、19世紀より前のイングランドに目を向ける必要がある。

イングランドでは、中世から地域住民が参加する大規模なボールゲームが行われていた。これらは後世に「モブフットボール」と呼ばれるようになった。

中世のフットボールは現在の試合とは大きく異なっていた

当時のフットボールは、現在のように決められた人数の選手が整備されたピッチで試合をするものではなかった。

村と村、町と町の住民が大勢で参加し、ボールを相手側の目標地点まで運ぶ形式が存在した。手足の両方を使う場合もあり、地域によってルールは大きく異なっていた。

その激しさから、街中での試合が禁止されることもあった。イングリッシュ・ヘリテージの歴史解説では、ロンドン市長が1314年にフットボールを禁止する布告を出した記録が紹介されている。

当時の球技は、現在のサッカーとは別物に近い。しかし、地域社会のなかでフットボールが長く親しまれていたことは、近代競技が生まれる文化的な土台になった。【English Heritage「The history of football in England」】

1848年、ケンブリッジ・ルールが競技統一の出発点に

19世紀になると、イングランドのパブリックスクールや大学でフットボールが盛んに行われるようになった。

ところが、学校ごとにルールが異なっていた。ある学校ではボールを手で扱うことが認められ、別の学校では足を使ったプレーが重視されるなど、競技の考え方に違いがあった。

この問題を解決するため、ケンブリッジ大学の学生たちが共通ルールの作成に取り組んだ。1846年ごろから協議が進み、1848年にはケンブリッジ・ルールが成立したと伝えられている。

2026年5月、ケンブリッジ大学とケンブリッジ・ユナイテッドは、1848年に学生たちが11項目のルールをまとめ、パーカーズ・ピース周辺に掲示したという大学の歴史を改めて紹介した。近代サッカーの誕生を考えるうえで、ケンブリッジの歴史的役割を示す動きだ。【ケンブリッジ大学、ケンブリッジ・ユナイテッドの2026年発表】

ただし、歴史資料には重要な留保もある。ケンブリッジ大学図書館の特別コレクションによれば、1848年当時のルール原本は現存していない。その内容は1897年の書簡などを通じて伝わっており、図書館が所蔵するのは1863年に改訂されたケンブリッジ・ルールの写しである。

この違いは、1848年のルールが存在しなかったという意味ではない。歴史的に伝承されている内容と、現存する一次資料を区別する必要があるということだ。【ケンブリッジ大学図書館特別コレクション】

ケンブリッジ・ルールが近代サッカーに残したもの

ケンブリッジ・ルールの重要性は、学校ごとに異なっていた競技を共通の規則で行おうとした点にある。

異なる学校の選手が同じフィールドで試合をするには、ボールの扱い方や反則、競技の進め方を共有しなければならない。ルールを統一することは、競技の普及に欠かせない条件だった。

1863年にFAが制定した規則にも、ケンブリッジでの取り組みが大きな影響を与えた。ケンブリッジ・ルールは、古代の球技と現代サッカーを直接結びつけるものではないが、近代サッカー成立の重要な橋渡しとなったのである。

【1863年FA設立】エベネザー・モーリーが決定づけたサッカーとラグビーの分岐

近代サッカーの歴史において、最も重要な出来事の一つが1863年のThe Football Association(FA)設立である。

それまで地域や学校によって異なっていたフットボールの規則を整理し、一つの競技として普及させるための組織が誕生した。

1863年10月26日、ロンドンでFAが設立

設立の中心人物として知られるのが、法律家でありスポーツ愛好家でもあったエベネザー・コブ・モーリー(Ebenezer Cobb Morley)だ。

モーリーは1862年にバーンズFCを設立した人物で、フットボールにも共通ルールが必要だと考えていた。そこで、スポーツ紙Bell's Lifeに規則統一を提案する書簡を送り、クラブ関係者による協議を促した。

そして1863年10月26日、ロンドンのフリーメイソンズ・タバーンに約12のクラブの代表者が集まり、The Football Associationが設立された。

FAの公式歴史資料によれば、その後44日間に6回の会合が開かれ、競技規則が検討された。モーリーは最初の名誉書記を務め、規則の草案作成にも大きく関わった。

最終的な競技規則は1863年12月8日の会合で承認され、13項目の法律としてまとめられた。これが近代サッカーの制度的な出発点となった。【The Football Association公式歴史資料、National Football Museum】

FAの規則が変えたボールの扱い方

FA設立時の議論で特に大きな争点になったのが、手でボールを扱うことと、相手選手の足を蹴る「ハッキング」だった。

当時のフットボールには、ボールを手で持って走ることを認める競技形式もあった。また、相手のすねを蹴るような激しいプレーを許容する考え方も存在した。

しかし、FAの最終規則では、ボールを持って走ることやハッキングが禁止された。

もっとも、1863年のルールが現在とまったく同じだったわけではない。フェアキャッチをした選手にフリーキックを認める規定など、限定的な手の使用は残っていた。

重要なのは、ボールを持って走る競技ではなく、足を使ってボールを運び、味方へつなぐ競技へと方向性が明確になったことだ。

サッカーとラグビーはなぜ分かれたのか

サッカーとラグビーは、もともとフットボールという大きな競技文化のなかで発展してきた。現在のように別々のスポーツとして成立した背景には、1863年のFA設立時のルール論争がある。

ラグビー式のプレーを支持していたブラックヒースFCなどは、ボールを持って走ることや激しい身体接触を認める競技形式を維持したいと考えていた。

一方、FAではケンブリッジ・ルールを参考に、ボールを持って走ることやハッキングを認めない方向で規則が整えられた。

この方針に反対したブラックヒースFCは、1863年12月の規則決定をめぐる協議から離れることになった。その後、ラグビー式のフットボールも独自のルールを整え、1871年1月26日にラグビー・フットボール・ユニオン(RFU)が設立された。

つまり、サッカーとラグビーはまったく無関係な場所から生まれた競技ではない。同じフットボール文化を共有しながら、ボールの扱い方や身体接触に対する考え方の違いによって分岐したスポーツなのである。【The FA公式資料、World Rugby Museum、Blackheath Rugbyの歴史資料】

【サッカーの歴史年表】蹴鞠からIFAB設立までの重要人物と出来事

サッカーの起源を正しく理解するには、古代の蹴球文化から近代競技の成立、国際的なルール管理までを時系列で把握すると分かりやすい。

以下は、サッカーの歴史を形づくった主な出来事と、関係する組織・人物を整理した一覧だ。

年代 人物・組織・競技 歴史的な関係と意義
紀元前3世紀ごろ 中国の蹴鞠 古代の蹴球文化を示す初期の歴史的記録。
中世 イングランドのモブフットボール 地域住民による集団球技が広く行われる。
1848年 ケンブリッジ・ルール 大学生が異なる競技規則を統一しようとした初期の取り組み。
1863年10月26日 The Football Association ロンドンでFA設立。近代サッカーの組織的な出発点となる。
1863年12月8日 エベネザー・コブ・モーリー FAの13項目の競技規則が承認される。
1871年1月26日 Rugby Football Union ラグビー式フットボールの規則と組織を整える。
1872年11月30日 イングランド対スコットランド グラスゴーで最初の公式国際試合が行われる。
1886年 International Football Association Board 英国4協会によって設立。競技規則の国際的な管理を担う。
1904年 FIFA 国際サッカー連盟が設立される。
1913年 FIFAとIFAB FIFAがIFABに加わり、現在につながる国際的なルール管理体制が形成される。

この年表から分かるのは、サッカーが一人の人物によって突然発明された競技ではないということだ。

古代の球技、地域のフットボール、大学のルール統一、FAによる規則制定、国際組織の設立という複数の段階を経て、現在の競技が成立した。

特に1863年から1886年までの約23年間は、近代サッカーの制度が形づくられた重要な時期だ。

IFAB設立によってルール管理が国際化

1886年には、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの4つのサッカー協会によって、国際サッカー評議会(International Football Association Board、IFAB)が設立された。

各国で異なる競技規則を調整し、国際試合でも共通のルールを使用できるようにすることが、その大きな目的だった。

IFABは現在もサッカーの競技規則を制定・改正する権限を持つ組織である。FIFAが世界的な競技の普及や大会運営を担うのに対し、IFABは競技規則の維持と変更を担当するという役割の違いがある。

なお、FIFAは1904年に設立され、1913年にIFABへ参加した。現在のサッカーが世界共通の競技として成立している背景には、この二つの組織の役割分担がある。【IFAB公式「The IFAB Background」】

【サッカーの語源】Soccerはアメリカ発祥ではなくイギリス生まれ

サッカーの歴史には、競技そのものだけでなく、名称に関する興味深い事実もある。

日本では「サッカー」という呼び方が定着しているが、英語圏では「Football」と「Soccer」の両方が使用される。特にアメリカでは、アメリカンフットボールと区別するためにSoccerという呼び方が一般的だ。

SoccerはAssociation Footballを短縮した言葉

Soccerの語源は、イングランドの大学やパブリックスクールで使われていた学生言葉にある。

1863年にFAが設立されたことで、従来のさまざまなフットボールと区別するため、「Association Football」という名称が使われるようになった。

その後、Associationを短縮した「Assoc」に、当時の学生言葉で使われていた「-er」という語尾を付ける形で、Soccerという呼び方が生まれた。

同じ時代には、Rugby Footballを短縮した「Rugger」という言葉も使われていた。つまり、SoccerとRuggerは、同じ言語文化のなかで生まれた対になる表現だった。

1885年には「Socker」という表記の使用例が確認され、1891年ごろには現在の「Soccer」という綴りが使われていたことが分かっている。

したがって、Soccerはアメリカで作られた言葉ではない。もともとはイギリスの学生文化から生まれた言葉であり、アメリカで定着したのは、Footballという名称を別の競技と区別する必要があったためだ。【Oxford English Dictionaryを参照したWordorigins.orgの語源解説】

日本語の「サッカー」はどこから来たのか

日本語の「サッカー」は、英語のSoccerを日本語の音に置き換えた表現だ。

一方、英語のFootballは、イギリスやヨーロッパを中心に競技名として広く使用されている。日本でも「フットボール」という表現は使われるが、一般的な競技名としては「サッカー」が定着している。

世界的に見れば、FootballとSoccerのどちらを使うかは国や地域の言語事情によって異なる。どちらも基本的には同じアソシエーション・フットボールを指している。

2026年現在もIFABが競技規則を管理している

サッカーは1863年に規則がまとめられた後も、時代に合わせてルールを変更してきた。

オフサイドの解釈、選手交代、反則への対応、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)など、競技環境の変化に応じて規則は見直されている。

2026年現在も、IFABは競技規則を決定・改正する独立した機関として活動している。公式資料では、2026/27シーズンの競技規則も扱われている。

ここで押さえておきたいのは、1863年のFA設立がサッカーの完成を意味したわけではないということだ。FAは近代競技の土台を作り、IFABは国際的な共通ルールを維持する役割を担ってきた。サッカーは誕生してから現在まで、ルールを調整しながら発展を続けている。【IFAB公式資料】

【サッカーの起源】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:サッカーの発祥国はどこですか?
A1:現在のサッカーにつながる近代的な競技規則が整備された国はイングランドです。1863年10月26日にThe Football Association(FA)が設立され、同年12月8日に13項目の競技規則が承認されました。ただし、足でボールを扱う古代の球技は中国などにも存在しました。

Q2:中国の蹴鞠はサッカーの起源ですか?
A2:中国の蹴鞠は紀元前3世紀ごろまで歴史をさかのぼれる古代の蹴球文化です。足でボールを扱う点や、チームで得点を競う形式がある点でサッカーと共通します。ただし、現代サッカーが蹴鞠から直接伝わったという歴史的なつながりは証明されていません。

Q3:1848年のケンブリッジ・ルールとは何ですか?
A3:ケンブリッジ大学の学生たちが、異なる学校のフットボールのルールを統一するために作成した規則です。後のFAによる競技規則の制定にも影響を与えました。1848年の原本は現存しておらず、内容は後年の書簡などから伝えられています。

Q4:サッカーとラグビーはもともと同じスポーツだったのですか?
A4:どちらもイングランドのフットボール文化から発展した競技です。1863年のFA設立時に、ボールを手で持って走ることやハッキングを認めるかどうかで意見が分かれました。その後、1871年にラグビー・フットボール・ユニオンが設立され、それぞれ独自の競技として発展しました。

Q5:Soccerという言葉はアメリカで生まれたのですか?
A5:いいえ。Soccerは19世紀のイギリスで生まれた学生言葉です。「Association Football」のAssociationを短縮したAssocに、当時の俗語的な語尾-erを付けたものとされています。アメリカではアメリカンフットボールとの区別のために広く使われるようになりました。

Q6:IFABとFIFAの違いは何ですか?
A6:IFABはサッカーの競技規則を制定・改正する権限を持つ組織です。FIFAは国際サッカー連盟として世界各国の競技団体を統括し、国際大会や競技の普及などを担います。FIFAは1904年に設立され、1913年にIFABへ参加しました。

サッカーの起源をめぐる疑問に対する答えは、中国かイングランドかという単純な二者択一ではない。

中国の蹴鞠は、紀元前3世紀ごろまで歴史をさかのぼる古代の蹴球文化である。足で球を操る技術やチーム競技の存在は、現代のサッカーと共通する興味深い特徴だ。

一方、現在のサッカーの競技規則と組織の基礎を築いたのはイングランドだった。1848年のケンブリッジ・ルールによる統一の試み、1863年のFA設立、1886年のIFAB設立という流れが、近代サッカーの成立を支えている。

サッカーの歴史を理解するための判断基準は、次の3点に集約できる。

  • 古代の起源を知りたいなら:中国の蹴鞠を中心に、ギリシャやローマなどの古代球技も比較する。
  • 現在のサッカーの発祥を知りたいなら:1848年のケンブリッジ・ルールと1863年のFA設立に注目する。
  • 世界共通の競技になった理由を知りたいなら:1886年のIFAB設立と1913年のFIFA参加を押さえる。

サッカーは、古代から存在した人々の遊びが、そのまま現在まで残っただけのスポーツではない。異なる地域の球技文化、学校やクラブによるルールの工夫、競技団体による制度化、そして国際的な協力が積み重なって成立した。

2026年にサッカーの歴史を振り返る意味も、そこにある。中国の蹴鞠が示す古代の豊かな球技文化と、イングランドが生み出した近代的な競技制度。その両方を理解することで、世界中の人々が同じルールでボールを追いかけるスポーツが、どのように生まれたのかをより正確に理解できる。

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如月 七海

スポーツ報道9年。連盟の公式記録、試合結果、会見の書き起こしで数値と経歴を確認しています。

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