世界的な音楽家として知られた坂本龍一さんは、2014年に中咽頭がんを公表し、治療を経て寛解した後、2021年には新たに直腸がんを患っていることを明らかにしました。その後、自身の連載『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で、がんがステージ4に進行していたことや、両肺への転移、複数回にわたる手術など、壮絶な闘病の実情を語っています。
そして2023年3月28日、71歳で逝去。療養中も音楽制作を続け、亡くなる直前まで創作への情熱を失わなかった坂本さん。2026年現在、改めて注目されているのは、病気の経緯だけでなく、最期まで音楽と向き合ったその生き方です。2014年の最初のがん公表から死去までの出来事、死因をめぐる情報、最後のアルバム『12』について詳しく整理します。
【2014年】坂本龍一が中咽頭がんを公表した経緯と寛解まで

坂本龍一さんが最初にがんを公表したのは、2014年7月10日です。当時62歳だった坂本さんは、同年6月末に中咽頭がんと診断されたことを、自身の公式発表を通じて明らかにしました。
6月末に診断、7月10日に治療専念を発表2014年当時、坂本さんは音楽活動だけでなく、札幌国際芸術祭2014のゲストディレクターも務めていました。長い時間をかけて準備してきた芸術祭への参加が予定されていましたが、病気の治療を優先するため、関連イベントやコンサートへの出演を見合わせることになりました。
公表時の本人のコメントには、仕事への責任感と健康を優先する決断が表れていました。
「自分の身体あっての仕事です」
この言葉は、当時の公式コメントに含まれていた一節です。坂本さんは仕事への影響を謝罪しながらも、治療に専念することを選択しました。
札幌国際芸術祭の公式発表でも、中咽頭がんの判明と治療への専念が伝えられています。
中咽頭がんの治療を経て寛解中咽頭は、口の奥から喉にかけて広がる部分です。ここに発生するがんが中咽頭がんで、口腔内や喉に関係する重要な器官に生じる悪性腫瘍です。
坂本さんは治療のため活動を休止し、療養生活に入りました。後年の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』などでは、2014年の中咽頭がんについて放射線治療を受け、寛解に至った経緯が振り返られています。
そして2015年12月公開の映画『母と暮せば』の劇中音楽を担当し、音楽活動への復帰を果たしました。
2021年の直腸がん公表時にも、坂本さん自身が2014年の中咽頭がんについて、6年を経て寛解したと説明しています。最初のがんを克服したという安堵の後に、再び別のがんと向き合うことになったのです。
【2020~2022年】直腸がん公表からステージ4・肺転移の告白まで
坂本龍一さんの闘病における大きな転換点は、2020年6月に直腸がんが見つかったことでした。2014年の中咽頭がんが寛解してから数年後のことです。
この段階では、病状の詳細は一般には公表されていませんでした。2021年1月の発表と、2022年から始まった本人の連載によって、当時の状況が少しずつ明らかになっていきます。
2021年1月21日、直腸がんを正式公表2021年1月21日、所属レーベルcommmonsを通じて、坂本さんが新たに直腸がんを患ったことが発表されました。
発表によれば、直腸がんは前年に発見され、手術はすでに終えており、治療を継続している状況でした。
坂本さんは本人のコメントで、次のように記しています。
「これからは『がんと生きる』ことになります。」
加えて、もう少しだけ音楽を作りたいという思いも伝えていました。
この発表では、がんのステージや転移の詳細までは明らかにされていませんでした。そのため、当時の報道と、後に本人が明かした病状には情報量の違いがあります。
肝臓・リンパ節への転移と約20時間の大手術2022年に始まった『新潮』の連載では、坂本さん自身が直腸がんの発見から手術までの経緯を詳しく振り返っています。
本人の回顧によれば、2020年11月には肝臓やリンパ節への転移が判明。治療方針を検討するなかで、病状の深刻さと向き合うことになりました。
2021年初頭には、直腸の原発巣と肝臓、リンパ節に転移した腫瘍を摘出する大規模な手術を受けています。
この手術は当初の予定を大きく超え、約20時間に及びました。新潮社が連載開始時に公表した情報でも、直腸の原発巣と複数の転移巣を摘出する手術だったことが説明されています。
加えて、坂本さんは直腸がんの治療に関連して、この約1年間に大小合わせて6回の手術を経験したことも明かしました。
2021年10月・12月には両肺の転移がんを摘出直腸がんの治療は、最初の手術だけで終わりませんでした。
本人の連載によると、2021年1月には肺にも転移が確認され、その後、同年10月と12月に両肺に転移した腫瘍を摘出する手術を受けています。
つまり、直腸の原発巣だけでなく、肝臓やリンパ節、肺にも病変が広がっていたのです。
こうした経緯から、坂本さんの病状はステージ4に該当する状態として本人から説明されました。
2022年6月、ステージ4であることを公表2022年6月7日発売の月刊誌『新潮』7月号で、坂本さんは新連載『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を開始しました。
この連載で初めて、ステージ4のがんであることや、両肺への転移、複数回の手術など、これまで詳しく語られていなかった闘病の実情が明かされました。
本人は、病気と向き合う日々のなかで、残された時間を意識しながらも音楽を作り続けたいという思いを示しています。
「最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています」
これは連載開始に際して伝えられた本人の思いです。病状を隠すことなく語りながらも、創作への意欲を失っていなかったことが伝わります。
【完全時系列】坂本龍一のがん闘病と人生の主な出来事
坂本さんの闘病経緯を正確に理解するには、病気が見つかった時期と、世間に公表された時期を分けて見る必要があります。特に直腸がんは、2020年に発見され、2021年に公表され、2022年にステージ4の詳細が明かされました。
| 時期 | 出来事 | 詳細・ポイント |
|---|---|---|
| 2014年6月末 | 中咽頭がんの診断 | 治療に専念するため活動を休止 |
| 2014年7月10日 | 中咽頭がんを公表 | 札幌国際芸術祭などの出演を見合わせる |
| 2015年12月 | 音楽活動に復帰 | 映画『母と暮せば』の劇中音楽を担当 |
| 2020年6月 | 直腸がんが発見される | 後年の本人の回顧と所属事務所の発表で判明 |
| 2020年11月 | 転移が判明 | 肝臓やリンパ節への転移を本人が後に説明 |
| 2021年1月 | 直腸がんを公表 | 手術を受け、治療を継続していると発表 |
| 2021年初頭 | 大規模な手術 | 原発巣と転移巣を摘出。約20時間に及ぶ |
| 2021年10月・12月 | 肺転移の手術 | 両肺の転移腫瘍を摘出 |
| 2022年6月 | ステージ4を公表 | 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』連載開始 |
| 2022年12月11日 | ピアノソロ公演を配信 | 『Playing the Piano 2022』を世界配信 |
| 2023年1月17日 | アルバム『12』発売 | 闘病中に制作した12曲を収録 |
| 2023年3月28日 | 71歳で逝去 | 所属関係者が4月2日に発表 |
| 2026年7月29日 | 『DISCORD』再発売 | CD再発売と初のアナログ盤発売 |
この年表から分かるのは、直腸がんの公表からステージ4の告白までに約1年半の時間があったことです。また、2021年に複数の手術を受けながら、翌年以降も作品制作や演奏活動に取り組んでいました。
【死因と病状の真相】肺転移・手術・ステージ4を正しく理解する
坂本龍一さんのがんについて調べる際、特に混同されやすいのが、2014年の中咽頭がんと2020年に見つかった直腸がんの関係、ステージ4の意味、そして死因に関する情報です。
中咽頭がんと直腸がんは同じ病気だったのか2014年の中咽頭がんと2020年の直腸がんは、発生した部位が異なるがんです。
坂本さんは2021年の直腸がん公表時に、2014年の中咽頭がんは6年を経て寛解していたと説明しています。その後、新たに直腸がんが見つかったという経緯です。
したがって、2014年の中咽頭がんがそのまま直腸に転移したと解釈するのは正確ではありません。公表された経緯では、寛解した中咽頭がんとは別に、新たな直腸がんが発見されています。
ステージ4とはどのような状態だったのかがんのステージは、病気の進行度を示す分類です。一般にステージ4は、がんが発生した場所から離れた臓器などに転移している状態を含む、進行した段階を指します。
坂本さんの場合、本人の連載や当時の報道によって、直腸の原発巣に加えて肝臓、リンパ節、肺への転移が明らかになりました。
ただし、ステージ4という言葉だけで、個々の患者の余命や治療経過を一律に判断することはできません。坂本さんの病状については、本人が明かした当時の状況と、その後の実際の経過を分けて理解する必要があります。
肺転移の手術は何回受けたのか坂本さんは2021年10月と12月に、両肺に転移したがんの摘出手術を受けています。
これらの手術は、2021年初頭に受けた直腸の原発巣や肝臓・リンパ節の転移巣を摘出する手術とは別のものです。
新潮社の連載紹介や本人の回顧によると、坂本さんは1年間に大小合わせて6回の手術を経験しました。治療を続けるなかで、身体的にも大きな負担を抱えていたことが分かります。
坂本龍一の死因は直腸がんだったのか坂本龍一さんは2023年3月28日に71歳で亡くなりました。所属事務所などが同年4月2日に訃報を発表しています。
ただし、所属関係者による公式の訃報には、亡くなった日と年齢、療養中の創作活動について記載されている一方、具体的な医学的死因は明記されていません。
そのため、直腸がんや肺転移などの闘病歴は確認できても、特定の病状を直接の死因として断定することはできません。
坂本さんの逝去と闘病の経緯を考えるうえでは、公式発表に記された事実と、本人が生前に語った病状を区別することが大切です。
【最期の音楽活動】『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』とアルバム『12』
坂本龍一さんの晩年を語るうえで欠かせないのが、病気と向き合いながらも続けた音楽活動です。
特に、本人が闘病生活を振り返った『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』と、2023年1月に発売されたアルバム『12』には、人生の残された時間と音楽に対する考え方が色濃く反映されています。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』に込められた意味『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』は、2022年6月から月刊誌『新潮』で連載された坂本さんの自伝的なインタビュー連載です。
聞き手を務めたのは、編集者の鈴木正文さん。過去の音楽活動や人生観、闘病の現実などが、本人の言葉で記録されました。
タイトルにある「満月」は、毎月訪れる自然の節目です。あと何回その満月を見ることができるのかという問いには、残された時間を意識しながら生きる坂本さんの心境が重なっています。
この連載は2023年2月号まで全8回にわたって掲載され、同年6月には書籍として刊行されました。
単なる闘病記ではなく、音楽家としての歩みや死生観を振り返る記録としても大きな意味を持っています。
最後のオリジナルアルバム『12』はどのように生まれたのか2023年1月17日、坂本さんのオリジナルアルバム『12』が発売されました。
これは2017年のアルバム『async』以来、約6年ぶりのオリジナルアルバムです。約2年半にわたる闘病生活のなかで制作した音楽のスケッチから、12曲を選んでまとめた作品でした。
各曲のタイトルには制作日が付けられており、日記を書くように記録した音楽が、そのまま作品として形になっています。
坂本さんはアルバムの制作について、2021年3月に大きな手術と長い入院を経て帰宅した後、少しずつシンセサイザーやピアノに触れるようになったことを説明しています。
最初からアルバムを作るという明確な目的があったわけではありません。音に触れたいという気持ちから始まり、日々のスケッチを録音するようになったのです。
この作品の特徴は、完成された大規模な音楽作品というよりも、日々の生活のなかで生まれた音の記録に近い点にあります。
2022年12月の『Playing the Piano 2022』坂本さんは2022年12月11日、ピアノソロコンサート『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』を世界配信しました。
映像は同年9月に収録されたもので、複数日にわたって演奏を撮影し、約60分のコンサートとして編集したものです。
坂本さんは、がん闘病によって長時間のライブをやりきる体力がないことを説明し、この形式で演奏を見てもらうのは最後になるかもしれないという趣旨のコメントを寄せていました。
この公演は、単なるオンラインコンサートではありません。体力的な制約があるなかで、演奏を映像として残し、世界中の聴き手に届けるという選択でした。
最期まで続いた創作活動2023年4月2日に発表された所属関係者の訃報には、坂本さんが治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動を続けていたと記されています。
また、2023年には映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』につながる演奏映像も、2022年9月に撮影されていました。
この作品は坂本さん自身が選曲した20曲で構成され、代表曲から晩年の作品までをピアノソロで演奏するコンサート映画です。闘病中の坂本さんが最後の力を振り絞って収録に臨んだ記録として、重要な意味を持っています。
病気によって活動の形は変わっても、音楽家として表現を続ける姿勢は最後まで失われませんでした。
【2023年3月28日】坂本龍一の逝去と2026年現在に受け継がれる作品
坂本龍一さんは2023年3月28日、71歳で亡くなりました。訃報は4月2日、所属する関係者から発表されました。
2014年の中咽頭がん公表から約9年、2021年の直腸がん公表から約2年。長期にわたる闘病生活のなかでも、坂本さんは創作を続けていました。
訃報で伝えられた最後の日々2023年4月2日の公式発表では、治療を受けながら、体調の良い日は自宅のスタジオで音楽制作を続けていたことが明らかにされました。
また、本人の強い遺志によって、葬儀は近親者のみで執り行われたことも報告されています。
発表の最後には、坂本さんが好んだ言葉として、次の一節が紹介されました。
「Ars longa, vita brevis.」
芸術は長く、人生は短し。
この言葉は、坂本さんの音楽家としての人生を象徴するものとして、多くの人の記憶に残りました。
2026年現在、坂本龍一の音楽はどう受け継がれているのか2026年11月現在、坂本さん本人は2023年に逝去しているため、現在の健康状態や新たな本人の音楽活動という意味での「現在」はありません。
一方で、作品の再発売や映像作品、展覧会などを通じて、その音楽と表現は引き続き紹介されています。
2026年7月29日には、1997年に発表されたオリジナルアルバム『DISCORD』がCD再発売され、初めてアナログ盤としてもリリースされました。
これは新作アルバムではなく、過去の作品を新たな形で届けるリマスター・リイシューです。坂本さんの長い音楽活動を振り返るうえで、2026年の重要な動きの一つです。
また、晩年の演奏を記録した『Ryuichi Sakamoto | Opus』や、最後のオリジナルアルバム『12』も、坂本さんの音楽を知るうえで重要な作品となっています。
2026年現在の坂本龍一さんを理解するには、病気や逝去のニュースだけでなく、作品がどのように残され、紹介され続けているかにも目を向ける必要があります。
【よくある質問】坂本龍一のがんに関するFAQ
Q1:坂本龍一さんは何のがんを患っていたのですか?
A1:2014年に中咽頭がんを公表し、治療を経て寛解しました。その後、2020年6月に直腸がんが見つかり、2021年1月に公表しています。後年には肝臓、リンパ節、肺への転移も明らかになりました。
Q2:坂本龍一さんのがんはステージ4だったのですか?
A2:はい。2022年6月に始まった『新潮』の連載『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で、本人がステージ4であることを明かしました。両肺への転移や、2021年10月・12月に受けた肺の腫瘍摘出手術についても説明しています。
Q3:坂本龍一さんの死因は何ですか?
A3:2023年3月28日に71歳で亡くなりました。直腸がんの闘病や肺転移などは本人が生前に公表していますが、所属関係者による訃報には具体的な医学的死因は記載されていません。
坂本龍一さんのがん闘病は、2014年の中咽頭がんから始まり、2020年に発見された直腸がん、ステージ4への進行、肝臓・リンパ節・肺への転移、そして複数回の手術へと続きました。
2014年の中咽頭がんは治療によって寛解しましたが、2021年には新たな直腸がんの治療を公表。2022年には『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で、これまで詳しく語られていなかった病状や死生観を自らの言葉で伝えました。
そして2023年3月28日、71歳で逝去。最後のオリジナルアルバム『12』や『Playing the Piano 2022』などには、闘病中も音楽を作り、演奏し続けた坂本さんの姿が残されています。
【プロの結論】病歴だけでは語れない坂本龍一の本質坂本龍一さんの闘病を振り返るうえで、特に大切なのは、病気の進行と音楽活動の継続を切り離さずに捉えることです。
2014年には仕事を休止して治療に専念し、2015年には復帰。2021年には大きな手術を経験しながら音楽のスケッチを録音し、2023年にはアルバム『12』を世に送り出しました。
そこには、病気によって以前と同じ活動が難しくなっても、表現の方法を変えながら創作を続ける音楽家の姿があります。
また、本人の発表、公式の訃報、本人の連載という複数の記録を照らし合わせることで、診断時期と公表時期、転移の判明と手術の時期を正しく整理できます。特に2020年の直腸がん発見と2021年の公表を混同しないこと、死因について公式発表以上の断定をしないことが、情報を正しく理解する判断基準になります。
2026年現在も、坂本龍一さんが残した音楽は新たな形で届けられています。『12』や『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を通じて伝わるのは、単なる闘病の記録ではありません。人生の限られた時間のなかで、最後まで音楽と向き合い続けた一人の芸術家の生き方です。
主な事実確認資料
- 2014年の中咽頭がん公表:札幌国際芸術祭公式発表。
- 2021年の直腸がん公表:commmons公式発表。
- ステージ4・肺転移・手術の経緯:新潮社の連載発表、本人の回顧に関する報道。
- アルバム『12』:エイベックス公式ディスコグラフィー。
- 逝去に関する発表:所属関係者による公式報告。
- 2026年の『DISCORD』再発売:フォーライフミュージック公式情報。