歌手・坂本九さんには、妻で女優の柏木由紀子さんとの間に、2人の娘がいます。長女はシンガーソングライターの大島花子さん、次女は元宝塚歌劇団の舞坂ゆき子さんです。1985年8月12日、日本航空123便墜落事故によって坂本九さんが43歳で亡くなった当時、2人の娘はまだ11歳と8歳でした。
それから41年が経過した2026年現在、2人はそれぞれの道を歩みながら、父が残した音楽や家族の記憶を大切にしています。大島花子さんは歌手として父の楽曲を歌い継ぎ、舞坂ゆき子さんは宝塚での経験を経て、女優・歌手としての活動や犬との暮らしに関わる分野で歩みを重ねてきました。
坂本九さんと柏木由紀子さんの結婚、娘2人のプロフィールと現在、父娘の思い出、そして日航機事故後の家族の歩みまで、公開されている経歴や本人のインタビューをもとに整理します。
【家族構成の真相】坂本九の娘は何人?妻・柏木由紀子との関係を解説

坂本九さんの娘は、長女と次女の2人です。妻は女優の柏木由紀子さんで、1971年12月8日に結婚しました。
坂本九さんは歌手としてだけでなく、俳優やテレビ番組の司会者としても活躍した人物です。1961年に発表した「上を向いて歩こう」は、1963年にアメリカで「SUKIYAKI」のタイトルで発売され、ビルボードHot 100で3週連続1位を獲得しました。
世界的な成功を収めた坂本九さんですが、家庭では妻や娘たちと過ごす時間を大切にする父親でもありました。柏木由紀子さんのインタビューによると、子どもの体調が悪くなったときの対応など、育児に関わる細かなことも自然にこなしていたそうです。
坂本九と柏木由紀子の結婚は1971年12月8日2人が結婚したのは1971年12月8日。結婚式は、茨城県笠間市の笠間稲荷神社で挙げられました。
笠間は坂本九さんにとって、幼少期に疎開して過ごした思い出深い土地です。母親の実家があったことから縁が深く、結婚後も大切にしていた場所でした。
結婚後、柏木由紀子さんは女優としての活動を続けながら、2人の娘を育てました。夫婦でテレビ番組やCMに出演することもあり、家庭と芸能活動の両方で知られる存在でした。
坂本九さんの音楽事務所公式プロフィールでも、柏木由紀子さんが妻、長女が大島花子さん、次女が舞坂ゆき子さんであることが紹介されています。
坂本九の家族構成一覧坂本家の家族関係を整理すると、次のとおりです。
- 父:坂本九(歌手・俳優・タレント)
- 母:柏木由紀子(女優)
- 長女:大島花子(歌手・シンガーソングライター)
- 次女:舞坂ゆき子(元宝塚歌劇団・女優・歌手)
なお、坂本九さんの本名は大島九(おおしま・ひさし)です。長女の大島花子さんという姓も、坂本家の家族関係を調べる際に知っておきたいポイントです。
2023年に放送されたテレビ番組での柏木由紀子さんの発言を紹介したMANTANWEBの記事では、長女と次女の双方に男の子の子どもが1人ずついることも伝えられています。現在の家族は、母と娘2人だけでなく、孫世代にもつながっています。
【長女・大島花子のプロフィール】歌手として父・坂本九の楽曲を継承
大島花子さんは、坂本九さんと柏木由紀子さんの長女で、歌手・シンガーソングライターとして活動しています。
2003年に歌手デビュー。「見上げてごらん夜の星を」が出発点大島花子さんは、東洋英和女学院大学に入学すると同時にミュージカル「大草原の小さな家」のオーディションに合格し、舞台デビューを果たしました。
その後、役を演じるだけでなく、自分自身の言葉や思いを音楽で表現したいと考え、歌手を志すようになります。作詞や作曲にも取り組み、会社員や塾講師などの仕事をしながら、ライブハウスで歌い続けました。
転機となったのが2003年です。父・坂本九さんの代表曲「見上げてごらん夜の星を」でメジャーデビューしました。
父の名前を前面に出すだけではなく、自身の歌声や表現を通して音楽を届ける道を選んだことが、その後の活動につながっています。
父の作詞・作曲による「親父」も歌い継ぐ大島花子さんの活動で特に注目されるのが、坂本九さんの残した楽曲を次の世代に伝える取り組みです。
2015年には、坂本九さんが作詞・作曲した「親父」をNHKの歌番組で歌唱。反響を受けて2016年2月にシングルを発売し、同年3月のUSEN歌謡・演歌チャートで1位を記録しました。
また、2010年からはギタリストの笹子重治さんとのデュオライブも開始。父の楽曲だけに限定せず、さまざまな音楽を自身の世界観で表現しています。
大島花子の現在は?2026年もコンサートやメディア出演2026年現在、大島花子さんは歌手活動に加え、命の尊さや家族の絆をテーマとする講演活動にも取り組んでいます。
2025年には母校の東洋英和女学院中高部でコンサートを開催しました。坂本九さんの最後のレコーディング曲として知られる「心の瞳」を合唱部の生徒たちと歌い、父の音楽を通して命や愛について考える機会をつくりました。
同校のインタビューでは、父が学校を選んでくれたことや、運動会を見に来てくれたこと、家庭で音楽に囲まれて育ったことなどを振り返っています。
2026年も公式サイトには活動情報が掲載されています。4月には石川テレビへの生出演や能登支援コンサートの報道が紹介され、8月にはBSフジの「HIT SONG MAKERS」出演情報も掲載されました。
加えて、2026年11月13日には東京・六本木のBIRDLANDで、笹子重治さんとのライブが予定されています。11月2日時点で確認できる、直近の具体的な公演予定です。
父の曲を歌い継ぐだけでなく、被災地や学校、福祉施設などにも歌を届ける活動が、大島花子さんの現在の大きな特徴です。
【次女・舞坂ゆき子のプロフィール】元宝塚の経歴と現在の活動
次女の舞坂ゆき子さんは、元宝塚歌劇団の雪組に所属していた女優・歌手です。姉の大島花子さんとは異なる芸能活動の道を歩み、犬との暮らしや動物に関わる分野でも活動してきました。
1996年に宝塚歌劇団へ入団、雪組で舞台経験を積む舞坂ゆき子さんは高校卒業後の1996年、宝塚歌劇団に入団しました。第82期生として雪組に所属し、同年3月の宝塚大劇場公演「CAN-CAN/マンハッタン不夜城」で初舞台を踏んでいます。
宝塚での芸名「舞坂ゆき子」には、父の坂本九さんから「坂」、母の由紀子さんから「ゆき子」を取り入れたという由来があります。両親への思いを芸名に込めた点も、坂本家の家族関係を知るうえで興味深いエピソードです。
2002年に宝塚歌劇団を退団。その後は女優・歌手として活動しました。
犬との暮らしをテーマにした活動にも取り組む舞坂ゆき子さんの特徴は、芸能活動に加えて動物に関わる仕事にも取り組んできたことです。
ドッグセラピストやドッグライフコンシェルジュの資格・肩書を持ち、2009年には自身のドッグウェアブランド「chuche(クーチェ)」を立ち上げました。
犬との暮らしや動物と人間の関係をテーマにしたオリジナル曲「ボクものがたり」も発表しています。歌手としての経験と、動物への関心を組み合わせた活動でした。
こうした経歴から、舞坂さんは単に「坂本九の娘」「元宝塚」という肩書だけでは語れない人物です。
舞坂ゆき子の結婚と子どもについて舞坂ゆき子さんは2013年11月1日、1歳年下の一般男性と結婚することを自身のブログで発表しました。
報道によると、2人は8年前のハロウィンに出会ったとされています。結婚発表では、父と母のように互いを尊重し、思いやりを忘れない家庭を築きたいという思いを明かしていました。
2015年4月には妊娠5カ月であることを公表。出産に向けた準備を進めていることも報告されています。
本人の公式ブログでは、現在も息子との日常や母・姉を含めた家族との時間が紹介されています。プライベートを過度に公開するのではなく、家族との生活を大切にしている様子がうかがえます。
2026年の舞坂ゆき子は何をしている?2026年7月には、ORICON NEWSが元宝塚歌劇団82期の同期との集まりを報道しました。元宝塚の遼河はるひさんが公開した写真に、舞坂ゆき子さんや紺野まひるさんらが写っていたことが紹介されています。
また、本人の公式ブログでは母、姉、甥、息子との外出など、家族との近況が発信されています。
2026年11月2日時点では、宝塚退団後の女優・歌手としての経歴や、犬に関わる活動がプロフィール上で紹介されています。ただし、現在のドッグウェア事業の営業状況や、継続的な舞台出演の具体的な予定については、最新の公表情報だけでは判断できません。
大島花子さんが音楽活動を中心に現在の仕事を展開しているのに対し、舞坂ゆき子さんは舞台経験や動物に関する活動など、異なる分野で自分の道を築いてきたことが分かります。
【人物相関・年表】坂本九と妻・娘2人の関係を一覧で比較
ここでは、坂本九さんと柏木由紀子さん、2人の娘の関係を一覧にまとめます。家族の続柄だけでなく、それぞれの経歴や現在につながる活動を比較すると、坂本家の歩みが分かりやすくなります。
| 人物 | 家族内の関係 | 主な経歴・活動 | 2026年時点の情報 |
|---|---|---|---|
| 坂本九 | 父・夫 | 歌手・俳優・司会者。「上を向いて歩こう」などのヒット曲 | 1985年の日航機事故で43歳で死去。楽曲が現在も歌い継がれる |
| 柏木由紀子 | 妻・母 | 女優。1971年12月8日に坂本九と結婚 | 女優・タレントとして活動。坂本九の楽曲や記憶を伝える活動も続ける |
| 大島花子 | 長女 | 歌手・シンガーソングライター。2003年メジャーデビュー | コンサート、講演、父の楽曲の継承活動を継続 |
| 舞坂ゆき子 | 次女 | 1996年宝塚入団、2002年退団。女優・歌手・ドッグセラピスト | 元宝塚の経歴を持ち、家族との日常や近況を発信 |
坂本九さんの家族を語るうえで欠かせないのが、母と娘2人によるユニット「ママエセフィーユ」です。
フランス語の「maman et ses filles」は「母と娘たち」という意味。柏木由紀子さん、大島花子さん、舞坂ゆき子さんの3人が、2004年から音楽活動を開始しました。
同年にはファーストミニアルバム「心の瞳」をリリース。坂本九さんの声を交え、KYU'S FAMILY名義で制作した楽曲も収録されています。
アルバムタイトルにもなった「心の瞳」は、坂本九さんが最後にレコーディングした楽曲です。現在では合唱曲としても知られ、全国の中学生に歌われています。
2006年12月からは、坂本九さんの映像や音声も交えたファミリーコンサートを開催。2008年には日本テレビ系「誰も知らない泣ける歌」に坂本九ファミリーとして出演しました。
ただし、2025年8月の日刊スポーツのインタビューでは、母娘ユニットの活動は新型コロナウイルス流行以降、中断していると報じられています。柏木由紀子さんは再開への希望を語っていましたが、2026年11月2日現在、再開日程が確定したという情報は確認できません。
このユニットの意味は、単に有名歌手の家族が一緒に歌うことではありません。父親を亡くした3人が、それぞれの時間を経て音楽を通じて再びつながり、家族の記憶を共有してきた点にあります。
【父親との関係】坂本九は娘たちにどんな父親だった?
坂本九さんと娘たちの関係を知るうえで重要なのが、長女・大島花子さんが2025年に受けたインタビューです。日航機墜落事故から40年を迎えるにあたり、父との思い出を詳しく語っています。
大島花子が語った父との日常大島花子さんによると、坂本九さんは仕事で忙しく、一般的な家庭の父親より一緒に過ごす時間が短かったかもしれないそうです。
それでも、一緒にいるときは家の前でテニスをしたり、自宅でカラオケを楽しんだりしていました。学校も父が選び、運動会を見に来てくれた思い出が残っています。
特に印象的なのは、坂本九さんが歌を聴く際に大切にしていた価値観です。大島さんは、父が歌のうまさや声量だけでなく、歌声にある温かさや優しさを重視していたことを記憶しています。
その感覚は、現在の大島花子さん自身が歌に向き合うときの大切な基準にもなっているそうです。
事故前日に一緒に庭掃除をした記憶大島花子さんが特に鮮明に覚えているのが、1985年8月11日、事故の前日に坂本九さんと自宅の庭掃除をしたことです。
暑い中で一緒に作業した父の姿は、何気ない日常の風景として現在も心に残っているといいます。
このエピソードは、坂本九さんが国民的スターであったという側面だけでなく、家庭の中で娘と過ごしていた一人の父親としての姿を伝えています。
東洋英和女学院の2025年のインタビューでは、父を亡くした後、先生や友人が自然に接してくれたことが心の支えになったとも振り返っています。
次女・舞坂ゆき子も父の最後の言葉を記憶していた次女の舞坂ゆき子さんについても、2025年8月のスポニチの報道で、事故当日の父とのやり取りが紹介されています。
舞坂さんは、事故当日の朝、坂本九さんが天候を気にして飛行機に乗ることへの不安を口にしたことを覚えていたそうです。
普段は娘の前で弱い部分をあまり見せなかった父だったため、その言葉が長く心に残っていたと報じられています。
このように、長女と次女はそれぞれ異なる思い出を持ちながら、父親との関係を現在まで大切にしています。
父の音楽を歌い継ぐ大島花子さんと、家族との日常を大切にする舞坂ゆき子さん。2人の歩みには違いがありますが、どちらにも父親との記憶が深く結び付いています。
【1985年の日航機事故】坂本九の死と残された家族の歩み
坂本九さんの家族にとって、人生を大きく変えた出来事が1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故です。
当時43歳だった坂本九さんは、東京から大阪へ向かう日本航空123便に搭乗していました。この事故によって命を落とし、妻の柏木由紀子さんと2人の娘が残されました。
日本航空123便墜落事故の経緯日本航空の安全啓発センターが公開している事故記録によると、123便は1985年8月12日18時12分、羽田空港を離陸しました。
乗客509人、乗員15人の合計524人が搭乗していました。18時24分35秒ごろ、伊豆半島東岸付近で機体後部に重大な異常が発生。その後、機体は操縦が極めて困難な状態となり、約32分間飛行を続けました。
そして18時56分ごろ、群馬県多野郡上野村の山中に墜落しました。
- 発生日:1985年8月12日
- 便名:日本航空123便
- 出発地:東京・羽田空港
- 目的地:大阪・伊丹空港
- 搭乗者:524人(乗客509人・乗員15人)
- 犠牲者:520人
- 生存者:4人
- 坂本九さん:43歳で死去
運輸省航空事故調査委員会が1987年6月に公表した事故調査報告書では、事故の原因は、機体後部の圧力隔壁に対する不適切な修理に起因すると推定されています。
事故機は1978年に大阪空港で着陸時の尾部接触事故を起こし、その後、後部圧力隔壁の修理を受けていました。
修理部分に疲労亀裂が発生し、飛行中に圧力隔壁が破壊。機体後部や垂直尾翼、油圧操縦系統に重大な損傷が及び、操縦機能を失う結果となりました。
国土交通省の運輸安全委員会が公開している事故調査報告書の解説資料でも、この事故原因と機体の損傷について詳しく説明されています。
事故の原因や救難活動をめぐっては、その後もさまざまな疑問が提起されてきました。しかし、記事やネット上の個人的な推測と、航空事故調査委員会による正式な調査結果は区別する必要があります。
坂本九の身元確認につながった笠間稲荷のペンダント坂本九さんの身元確認に関わったものとして知られるのが、笠間稲荷神社の名前が刻まれたペンダントです。
坂本九さんは笠間に特別な思いを持ち、柏木由紀子さんとの結婚式も同神社で挙げていました。日刊スポーツの2025年の報道によると、このペンダントは身元確認の決め手となり、柏木さんは現在も大切なお守りとして保管しています。
家族にとって大切な場所とのつながりが、事故後の身元確認にも関わったことは、坂本家の歴史を語るうえで忘れられない出来事です。
事故当時、娘たちは11歳と8歳だった坂本九さんが亡くなった当時、長女の大島花子さんは11歳、次女の舞坂ゆき子さんは8歳でした。
柏木由紀子さんは後年のインタビューで、事故後の娘たちが精神的に不安定になったことや、学校の始業式の日に報道陣が娘たちを取り囲んだことを明かしています。
母親自身も深い悲しみの中にあり、娘たちの心のケアまで十分にできなかったと振り返っています。
当時は家族で坂本九さんの話題を口にすることもなく、テレビに父の名前が出ても娘たちは画面を見ようとしなかったそうです。
3人は、まるで父親が仕事で一時的に家を離れているかのように、普通の日常を取り戻そうと必死に過ごしていました。
その後、母娘は少しずつ前を向き、音楽や仕事を通じて家族の新しい時間を築いていきました。
【2026年の坂本家】柏木由紀子と娘2人が受け継ぐ家族の絆
事故から41年が経過した2026年現在、柏木由紀子さんと娘2人は、それぞれの生活や仕事を大切にしながら、坂本九さんの思い出を共有しています。
柏木由紀子は現在も夫の記憶とともに活動柏木由紀子さんは、坂本九さんの死後、女優としての活動を再開しました。
事故の翌年には、夫が担当していたクイズ番組の司会を引き継いだことも、仕事復帰の大きな転機となりました。本人は当初、夫の代わりを務めることに不安を感じていたものの、周囲の励ましを受けて仕事に復帰したと語っています。
その後も芸能活動や執筆活動を続け、2025年にはファッションや生き方をテーマにした著書「YUKIKO STYLE」を出版しました。
2025年8月の日刊スポーツのインタビューでは、夫が生きられなかった年月を自分も大切に生きたいという思いを語っています。また、坂本九さんの存在だけでなく、日航機事故そのものを風化させたくないという願いも明かしました。
娘たちの結婚と新しい家族長女の大島花子さんは2006年12月に結婚し、2009年2月に長男を出産したことが報道されています。
次女の舞坂ゆき子さんは2013年11月に結婚を発表し、2015年には妊娠を公表しました。
2023年に放送された「徹子の部屋」での柏木由紀子さんの話では、娘2人にはそれぞれ男の子の子どもがいます。
家族の構成は、坂本九さんと柏木由紀子さんの夫婦から始まり、娘2人、そして孫世代へと広がっています。
家族の中心にある「心の瞳」坂本九さんが残した「心の瞳」は、家族にとって特別な意味を持つ楽曲です。
この曲は、事故の直前に坂本九さんがNHKの公開収録で歌った最後の歌唱として知られています。大島花子さんは、父がこの曲を家に持ち帰ったとき、家族みんなで聴いて感動した思い出を語っています。
当初、大島さんはこの曲をピアノで伴奏し、父に歌ってもらうつもりで練習していました。しかし、父の死によって、その夢は実現しませんでした。葬儀では、自身がピアノで演奏することになったそうです。
その後、全国の中学生から合唱で歌ったという手紙やカセットテープが家族に届きました。母と娘たちにとっても、この曲は大切な存在になっていきました。
2025年には、父の没後40年を機に、大島花子さんが母校の合唱部と「心の瞳」を歌う企画を実施。父の残した音楽を、次の世代へ届ける取り組みにつなげています。
「上を向いて歩こう」が今も家族をつなぐ坂本九さんの代表曲「上を向いて歩こう」は、1963年に「SUKIYAKI」のタイトルでアメリカのビルボードHot 100で3週連続1位を獲得しました。
この楽曲は日本の音楽が世界に広く知られるきっかけとなった歴史的な作品です。没後40年となった2025年にも、柏木由紀子さんは夫の功績を伝える活動に関わり、ベストアルバムの制作にもスーパーバイザーとして参加しました。
坂本九さんの音楽は、単なる過去のヒット曲ではありません。家族にとっては父親の声や思い出を感じられるものであり、ファンや若い世代にとっては世代を超えて共有できる文化的な財産でもあります。
娘たちがそれぞれの立場から父の作品を伝え続けることは、坂本九という歌手を記憶に残すだけでなく、一人の父親としての存在を次の世代につなぐ役割も果たしています。
【よくある誤解を整理】坂本九の家族構成や娘についての疑問
坂本九さんの娘や家族については、名前や経歴、事故当時の年齢などが混同されることがあります。ここでは、特に検索されやすい疑問を整理します。
娘は3人いるという情報は本当?公表されている家族構成では、坂本九さんと柏木由紀子さんの間に生まれた娘は2人です。長女が大島花子さん、次女が舞坂ゆき子さんです。3人目の娘がいるという家族構成は、公式プロフィールでは確認されていません。
大島花子と舞坂ゆき子はどちらが年上?大島花子さんが長女、舞坂ゆき子さんが次女です。したがって、年上は大島花子さんです。舞坂ゆき子さんは1976年11月10日生まれです。
坂本九は娘たちと仲が良かった?柏木由紀子さんや大島花子さんのインタビューからは、娘たちと一緒にテニスやカラオケを楽しみ、学校行事にも参加する父親だったことが分かります。仕事で忙しい中でも、家族との時間を大切にしていました。
大島花子は現在も歌手として活動している?はい。2026年も歌手・シンガーソングライターとして活動しています。父の楽曲を歌い継ぐほか、コンサート、講演、学校や被災地での活動にも取り組んでいます。
舞坂ゆき子は現在も宝塚歌劇団に所属している?いいえ。舞坂ゆき子さんは2002年に宝塚歌劇団を退団しています。その後は女優・歌手として活動し、ドッグセラピストやドッグライフコンシェルジュとしての活動にも取り組んできました。
柏木由紀子と坂本九の結婚はいつ?1971年12月8日です。茨城県笠間市の笠間稲荷神社で結婚式を挙げました。1985年8月12日に坂本九さんが亡くなるまで、約14年間の結婚生活を送りました。
坂本九の娘たちは事故当時何歳だった?1985年8月12日の事故当時、長女の大島花子さんは11歳、次女の舞坂ゆき子さんは8歳でした。2人とも小学生で、幼い時期に父親を突然失いました。
坂本九さんの娘は、長女の大島花子さんと次女の舞坂ゆき子さんの2人です。妻は女優の柏木由紀子さんで、1971年12月8日に結婚しました。
長女の大島花子さんは、2003年に歌手としてメジャーデビューし、父の楽曲を歌い継ぐとともに、命の尊さや家族の絆をテーマにした音楽活動や講演活動を続けています。
次女の舞坂ゆき子さんは、1996年に宝塚歌劇団へ入団し、2002年に退団。その後は女優・歌手として活動し、犬との暮らしや動物に関わる分野にも活動の幅を広げてきました。
1985年の日航機墜落事故は、家族にとって計り知れない悲しみをもたらしました。当時11歳と8歳だった娘たちは、父親との日常を突然失いました。それでも、母娘3人は少しずつ生活を取り戻し、2004年には「ママエセフィーユ」を結成。音楽を通じて父の記憶を伝えてきました。
2026年現在、坂本九さんが残した「上を向いて歩こう」や「心の瞳」は、今も多くの人に親しまれています。大島花子さんと舞坂ゆき子さんの人生は、それぞれ異なる道を歩みながらも、父親から受け取った思いや家族の記憶とつながっています。
坂本九さんの功績を知ることは、世界的な歌手の歴史を知ることだけではありません。その歌を愛し、記憶を守り続けてきた妻と娘たちの歩みを知ることでもあります。家族が大切にしてきた音楽と絆は、これからも世代を超えて受け継がれていくはずです。