栗原類さんの発達障害を理解するうえで重要なのは、8歳で診断を受けたこと、20歳でテレビ出演を通じて広く知られるようになったこと、そして2016年に自らの経験を一冊の本にまとめたことです。
ただし、2015年のテレビ出演が、本人にとって初めての情報発信だったわけではありません。以前からブログやSNSで自身の発達障害について触れており、テレビ出演によって初めて広く認知されたという経緯があります。
栗原類の発達障害と人生の主な転換点出典:KADOKAWA、国立国会図書館、本人の2026年インタビュー、各報道記事。
2015年「あさイチ」で初めて広く知られた診断2015年5月25日、栗原さんはNHK「あさイチ」に出演し、アメリカに住んでいた8歳のころにADDと診断されたことを説明しました。
当時、担任教師は栗原さんの行動に気になる点があると感じ、母親に診察を勧めました。本人によると、周囲の人に合わせることや、決まった行動パターンを変えることに難しさがあったといいます。
放送後には、自身のブログでも視聴者に向けてメッセージを発信しました。発達障害を知ったからといって、これまで面白いと思っていた言動を笑ってはいけないと考える必要はない、という趣旨の内容でした。
ここには、栗原さんの職業観も表れています。発達障害の有無によって自分の人格や表現者としての価値が変わるわけではないという考え方です。
本人は「カミングアウト」という認識ではなかった2016年のLITALICO発達ナビのインタビューでは、栗原さんは、自分の発達障害を隠していたわけではないと説明しています。
以前からブログやSNSで自身の特性について書いており、質問される機会がなかったため、テレビ出演まで大きな話題にならなかったという認識でした。
この違いは重要です。世間から見れば2015年は発達障害の公表によって認知が広がった転換点ですが、本人にとっては、以前から自分の一部として理解していたことをテレビでも説明した機会だったのです。
【2026年2月「あさイチ」】栗原類が語った不注意・記憶障害・学習面の特性

2026年2月25日のNHK「あさイチ」では、「大人の発達障害」が特集されました。栗原類さんはゲストとして出演し、自身の発達障害によって日常生活や仕事でどのような困難が生じるのかを具体的に話しています。
この日の発言で特に注目されたのは、不注意、短期記憶と長期記憶の苦手さ、そしてSLD(限局性学習症)に関係する困難についてです。2015年の公表から約11年が経過し、より具体的な生活上の課題を説明した内容でした。
1.不注意によって同じミスを繰り返す栗原さんは、自分の特性として不注意を挙げました。
「脳の仕組み上、即忘れちゃったり」
番組での説明によると、言われた内容をその場では覚えていても、翌日になると忘れてしまい、同じミスを繰り返すことがあったそうです。
ここで注目したいのは、単純に話を聞いていないという問題ではないことです。本人はその場で情報を受け取っていても、その情報を保持して後から活用することに難しさを感じていると説明しています。
仕事では、指示を受けたときに理解できていても、時間が経過すると再確認が必要になる場合があります。周囲からは注意不足や不真面目さと誤解される可能性もありますが、本人の説明は、情報の保持に関する困難を示しています。
2.短期記憶と長期記憶が苦手2026年の「あさイチ」で栗原さんは、短期記憶と長期記憶の両方が苦手だと話しました。
短期記憶は、聞いた情報や目にした情報を短い時間保持する働きに関係します。一方、長期記憶は、情報を比較的長い期間にわたって保存し、必要なときに思い出す働きです。
この2つが苦手だと、仕事で新しい指示を覚えたり、過去に経験した内容を思い出したりする場面で負担が生じることがあります。
栗原さんの場合、俳優として台本を覚える作業もあるため、記憶に関する特性は仕事との関係でも気になる部分です。ただし、2026年の番組で語られた内容だけから、具体的な記憶障害の医学的診断や程度まで判断することはできません。
3.学習障害・SLDについても本人が言及もう一つ話題になったのが、学習障害についてです。
栗原さんは自身について、若干SLDに関係する特性があるという趣旨で説明しました。具体例として挙げたのは、台本や文字を読んでいる際、文字の配置が少しずれて見えるようなことがあるという経験です。
ここで注意したいのは、本人が学習面の困難を語ったことと、SLDの正式な診断を公表したことは同じではないという点です。番組での説明は、あくまで本人が感じている特性についての発言です。
SLDはSpecific Learning Disorderの略で、日本語では限局性学習症と呼ばれます。読み書きや計算など、特定の学習技能の習得・使用に著しい困難が生じる発達障害の一つです。
ADD・ADHD・SLDはどう違う?栗原類さんについて調べると、記事によってADDとADHDの両方の表記が見つかります。さらに2026年の「あさイチ」ではSLDにも言及したため、混乱する読者も少なくありません。
それぞれの言葉は、次のように整理できます。
- ADD(注意欠陥障害): 栗原さんが8歳で診断された際に本人が説明してきた名称。
- ADHD(注意欠如・多動症): 不注意、多動性、衝動性などの特性に関連する発達障害の名称。
- SLD(限局性学習症): 読む、書く、計算するといった特定の学習技能に困難が生じる状態。
2026年2月の報道では栗原さんをADHDと表現する記事が見られます。一方、同年10月16日に公開された本人のインタビューでは、栗原さん自身がADD、母親がADHDと診断されたと明確に説明しています。
したがって、栗原さんの診断歴を説明する際には、8歳のときの診断名はADDとするのが適切です。ADHDという表現が使われている報道と、本人が説明してきた診断歴を区別して読む必要があります。
【幼少期・学校生活】栗原類が経験した不登校と日本の教育環境
栗原さんの発達障害を理解するうえで、診断名だけでなく、幼少期から学校生活でどのような経験をしてきたかも重要です。
2026年10月16日公開のインタビューでは、ニューヨークでの生活、日本への帰国後の学校での戸惑い、中学時代の不登校などについて、本人が詳しく振り返っています。
ニューヨーク時代は多様性のある学校環境で育った栗原さんは5歳から11歳までニューヨークで暮らしました。現地の公立小学校には、さまざまな人種や文化的背景を持つ子どもたちが在籍していたそうです。
2026年のインタビューで栗原さんは、異なる個性を持つ人々が一緒に生活する環境に早い段階で触れられたことを肯定的に振り返っています。
8歳の診断時には、母親もADHDと診断されたことが本人の説明から明らかになっています。母親は診断結果をすぐに伝えるのではなく、本人にとって適切なタイミングを考えていたそうです。
その後、母親が栗原さんに説明するきっかけとなったのが、映画『ファインディング・ニモ』でした。作中のドリーの忘れやすい言動を見た栗原さんが面白いと話した際、母親は本人にも似た特性があると伝えたといいます。
日本に帰国してから経験した学校生活の難しさ11歳で日本に戻った栗原さんは、学校での学習方法や周囲とのコミュニケーションに戸惑いました。
2026年のインタビューで具体例として挙げたのが、辞書の使用方法です。手先の不器用さから分厚い紙の辞書をめくることに負担を感じていたため、アメリカでは電子辞書を使っていました。
ところが、日本の学校では周囲との平等性を理由に紙の辞書を使うよう求められたことがあったそうです。栗原さんは、視力の弱い子どもが眼鏡を使うことと同じように、自分に合った学習道具を使うことも必要ではないかと考えていました。
このエピソードは、同じ課題に取り組む場合でも、全員に同じ道具を使わせることと、それぞれが学びやすい方法を認めることは別の問題だと示しています。
中学時代には約2週間の不登校も経験栗原さんは日本の中学校に進学した後、上級生から脅されるなどのトラブルを経験しました。その結果、約2週間学校に行けなくなったことも、本人が2026年のインタビューで明かしています。
この時期に支えとなったのが主治医の存在でした。母親も、家庭では話しにくいことがあれば主治医や周囲の大人に相談してよいと伝えていたそうです。
ここで大切なのは、不登校を発達障害だけの問題として説明しないことです。本人の証言では、学校での人間関係や周囲の対応も大きな背景にありました。
学校という一つの環境で苦労したからといって、本人の能力や将来の可能性まで決まるわけではありません。栗原さんの場合、中学時代から続けていたモデル活動など、学校以外にも人と関わる場所がありました。
【書籍で分かる親子の向き合い方】栗原類と母・栗原泉の子育て
『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』
著者:栗原類/KADOKAWA/2016年10月6日発売
8歳での診断から学校生活、芸能界で自分の居場所を見つけるまでを振り返った自伝的な一冊。
栗原さんの経験をより深く知りたい人にとって、2016年に出版された『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』は重要な資料です。
同書は2015年のテレビ出演後の反響をきっかけに企画されました。栗原さんは自分自身の経験を自分の言葉で伝えたいと考え、本人のパートは自ら執筆しています。
KADOKAWAの出版情報によると、母親や主治医、友人である又吉直樹さんのインタビューも収録されています。単なる診断体験の紹介ではなく、周囲の人との関係や、自分の得意分野を生かすまでの過程を扱った構成です。
母・栗原泉が出版した『ブレない子育て』
『ブレない子育て 発達障害の子、「栗原類」を伸ばした母の手記』
著者:栗原泉/KADOKAWA/2018年6月14日発売
診断後の親子の試行錯誤や、子どもの個性を理解するための8つのマイルールを紹介。
2018年には、母親の栗原泉さんも『ブレない子育て』を出版しました。
栗原泉さんは通訳・音楽ジャーナリストとして活動してきた人物です。息子が8歳で発達障害と診断されたことをきっかけに、苦手なことや得意なことを観察し、必要な支援を考えていったと著書で説明しています。
加えて、診断を受けた際には母親自身もADHDと診断されたことが、KADOKAWAの紹介資料や本人のインタビューで明らかになっています。
同書では、子育ての実践として次の8つのマイルールが紹介されています。
1. 周囲の雑音に振り回されない知識を持つ。
2. 子どもに今何が必要なのかをじっくり観察する。
3. 頑張らせることの優先順位を決める。
4. 子どもと一緒に学び、感動を共有する。
5. 前向きな姿勢や社会常識、マナーを教える。
6. 子どもの将来を見据えて教育方針を持つ。
7. 親のエゴを抑え、子どもの意思を尊重する。
8. 子どもとの約束を守り、言葉と行動を一致させる。
特徴的なのは、苦手なことを無理に克服させるだけではなく、本人を観察し、何を優先して支援するかを考えている点です。
この考え方は、発達障害のある子どもだけでなく、個性や得意不得意が異なる子どもを育てる際にも参考になります。
【2026年最新】栗原類の現在は?俳優・モデルとしての活動と発達障害への向き合い方
2026年現在、栗原類さんは俳優・ファッションモデルとして活動を続けています。発達障害の公表後も芸能活動を継続し、映画やドラマなど幅広い作品に出演してきました。
1994年12月6日生まれで、2026年11月時点では31歳です。所属事務所のプロフィールでも、モデル・俳優としての活動や出演作品が紹介されています。
2026年はNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に出演2026年/NHK大河ドラマ
役柄:榊原康政
徳川四天王の一人として知られる武将。2026年9月放送回から登場。
2026年の大きな仕事の一つが、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」への出演です。栗原さんは徳川四天王の一人である榊原康政役を演じています。
2026年7月に出演が発表され、9月6日放送の第34回で大河ドラマに初登場しました。本人は初めての時代劇への出演にプレッシャーを感じながらも、役柄への敬意と誠意を持って演じたいという意気込みを示しています。
モデルとして培ってきた表現力を、時代劇という新しいジャンルで生かす機会にもなっています。
発達障害を公表する理由は周囲に特性を理解してもらうため栗原さんの発達障害との向き合い方を考えるうえで、2026年2月の「あさイチ」で語った公表の理由は重要です。
本人は、自分の特性が知られていない状態よりも、周囲に理解してもらった方が仕事を進めやすいと説明しています。あらかじめ苦手なことを共有することで、一緒に仕事をする人に余計な負担をかけずに済むという考え方です。
これは、発達障害を公表することを単なる自己紹介や告白ではなく、仕事上のコミュニケーションの一つとして捉えている姿勢です。
2016年のインタビューでも、栗原さんは仕事で自分の苦手なことを伝え、周囲に相談しながら工夫してきたと語っています。俳優として台本を覚える作業についても、周囲の役者に相談しながら自分に合った方法を探してきたそうです。
苦手を理解することと、可能性を狭めないこと栗原さんの歩みから読み取れるのは、発達障害を理由にすべての仕事を諦めるのではなく、自分に合った環境や方法を探してきたということです。
本人は過去のインタビューで、複数の仕事を同時に進めて負担が大きくなった経験についても語っています。仕事量やスケジュールを調整してもらうことで、働きやすさが改善したという内容です。
この経験は、職場で必要なのが一律の対応ではないことを示しています。仕事の指示を口頭だけでなく文字でも残す、重要事項を後から確認できるようにする、作業の優先順位を明確にするといった工夫は、本人の特性に応じた環境づくりにつながります。
ただし、これらは栗原さんの経験から考えられる一般的な工夫であり、2026年現在の本人の具体的な勤務条件を示すものではありません。
2026年10月のインタビューで語った今後の目標2026年10月16日に公開されたインタビューでは、栗原さんは今後の目標についても話しています。
心理学を学ぶために大学へ進学してみたいという思いや、将来的に思い入れのあるニューヨークなどアメリカに拠点を移し、アカデミー賞にノミネートされるアジア人俳優になりたいという目標を明かしました。
発達障害についての経験を公表した後も、俳優として新しい挑戦を続けていることが分かります。現在の栗原さんを理解するには、診断名だけでなく、こうした本人の仕事への意欲や将来像にも目を向ける必要があります。
【栗原類の発達障害】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:栗原類は何歳のときに発達障害と診断されましたか?
8歳のときです。当時暮らしていたアメリカ・ニューヨークの小学校で担任教師が行動面の特徴に気づき、母親に受診を勧めたことがきっかけでした。診断名はADD(注意欠陥障害)です。
Q2:栗原類が発達障害を公表したのはいつですか?
2015年5月25日放送のNHK「あさイチ」です。ただし、本人はそれ以前からブログやSNSで発達障害について発信しており、テレビ出演を初めてのカミングアウトとは捉えていませんでした。
Q3:栗原類の診断名はADDですか、ADHDですか?
本人が8歳の診断について説明してきた名称はADDです。2026年の報道ではADHDと表現される場合もありますが、2026年10月の本人のインタビューでも、自身はADD、母親はADHDと診断されたと説明しています。
Q4:栗原類には学習障害(SLD)もあるのですか?
2026年2月25日の「あさイチ」で、本人は学習障害に関係する特性が少しあるという趣旨の説明をしました。文字や台本を読む際に配置がずれて見えることがあると話しています。ただし、正式なSLDの診断を受けたと公表したわけではありません。
Q5:栗原類の母親も発達障害なのですか?
はい。本人の2026年10月のインタビューによると、栗原類さんがADD、母親の栗原泉さんがADHDと診断されています。母親は2018年に『ブレない子育て』を出版し、親子で経験したことや子育ての考え方を紹介しました。
Q6:栗原類は2026年現在も芸能活動をしていますか?
はい。俳優・ファッションモデルとして活動しています。2026年にはNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で榊原康政役を務めています。
栗原類さんの発達障害は、8歳のときにニューヨークで受けたADDの診断から始まります。2015年5月のNHK「あさイチ」で広く知られるようになり、2016年には自らの経験をまとめた『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を出版しました。
そして2026年2月25日の「あさイチ」では、不注意によるミス、短期記憶と長期記憶の苦手さ、学習面での困難を具体的に説明しました。さらに同年10月のインタビューでは、幼少期のニューヨークでの経験や日本の学校生活、不登校、将来の目標についても語っています。
栗原さんの歩みから考えたいのは、発達障害を単純に「できる・できない」で判断しないことです。
特に注目したい要点は次の3つです。
- 診断名と本人の特性を分けて理解すること。 ADD、ADHD、SLDは関連する言葉ですが、同じ意味ではありません。本人の診断歴と、本人が語った困難を区別することが大切です。
- 苦手なことに対して環境を調整すること。 学校での辞書の使用や仕事上のスケジュール調整など、本人に合った方法を探すことが生活の負担軽減につながります。
- 学校や職場以外にも居場所を持つこと。 栗原さんは学校生活で苦労した一方、モデルや俳優という別の世界で自分の能力を発揮してきました。
発達障害を公表するかどうかは、本人の意思や置かれた環境によって異なります。誰もが公表する必要はありません。一方で、必要な相手に自分の特性や困っていることを伝え、具体的な支援を求めることは、自分らしく働くための有効な選択肢になります。
2026年現在も俳優・モデルとして活動し、大河ドラマにも出演する栗原類さん。8歳での診断から現在までの道のりは、発達障害という診断名だけでは、その人の能力や将来を決められないことを伝えています。
栗原さんの経験を知る際には、診断名だけでなく、本人が何に困り、どのような工夫を重ね、どんな将来を目指しているのかにも目を向けたいところです。
主な参考資料:NHK「あさイチ」出演内容に関する2026年2月25日付報道、KADOKAWA公式書籍情報、国立国会図書館書誌情報、LITALICO発達ナビの本人・母親インタビュー、2026年10月16日公開の栗原類本人インタビュー、所属事務所プロフィール。