ホーム スポーツ 吉田一将の現在は?マルハンGIVERSで挑む社会人野球とオリックス時代の実績を徹底解説

吉田一将の現在は?マルハンGIVERSで挑む社会人野球とオリックス時代の実績を徹底解説

如月 七海 如月 七海 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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吉田一将(よしだ・かずまさ)投手は、2026年11月現在、マルハン北日本カンパニーの硬式野球部「マルハンGIVERS」に所属する社会人野球選手です。1989年9月24日生まれの37歳。かつてオリックス・バファローズで中継ぎや先発として活躍し、2013年のドラフト1位でプロ入りした実績を持っています。

2021年のオリックス退団後も現役続行を選び、新潟アルビレックスBC、オイシックス新潟、台湾プロ野球の台鋼ホークスを経て、2026年1月11日付でマルハンGIVERSに加入しました。社会人野球への復帰は、かつてJR東日本で都市対抗野球を沸かせた投手が、再び全国大会を目指す新たな挑戦でもあります。

【2026年最新】吉田一将の現在はマルハンGIVERS!社会人野球に復帰した理由

吉田一将

吉田一将の現在の所属先は、マルハン北日本カンパニーの硬式野球部「マルハンGIVERS」です。

株式会社マルハン北日本カンパニーが2025年12月15日に公表したニュースリリースによると、吉田は元阪神タイガースの佐藤蓮とともに、2026年1月11日付でチームに加入しました。

同チームは2024年2月14日に発足した企業の硬式野球部です。仙台市を拠点とし、野球競技と会社の仕事を両立する実業団スポーツチームとして活動しています。

吉田の加入時には、元東京ヤクルトスワローズの館山昌平氏が監督を務めていました。プロ野球経験者が複数加わることで、チームの競技力や選手層を強化する狙いもあります。

マルハンの発表では、2026年の目標として都市対抗野球大会と社会人野球日本選手権への出場を掲げていました。吉田にとっては、かつてJR東日本で実績を残した社会人野球の舞台に戻り、再び全国大会を目指すシーズンとなりました。

吉田一将がマルハンGIVERS加入時に語った目標

マルハンの公式発表には、吉田本人のコメントも掲載されています。

「都市対抗出場を目指し、今後も努力を重ねていきます。」

このコメントから読み取れるのは、単に現役生活を続けるだけでなく、チームの一員として社会人野球の大舞台を目指す姿勢です。

マルハンGIVERSでは、選手が野球だけに専念するのではなく、社業にも携わります。プロ野球のように野球競技を中心とした雇用形態とは異なり、競技と仕事の両立が活動の基本です。

吉田にとっても、プロ野球、独立リーグ、台湾プロ野球で積み重ねてきた経験をチームに還元しながら、競技を続けられる環境といえます。

【プロフィール・経歴】吉田一将はどんな投手?JR東日本からドラフト1位でオリックスへ

吉田一将は、191cmの長身から角度のあるボールを投げ込む右投左打の投手です。奈良県橿原市出身で、高校・大学・社会人野球を経てプロ入りしました。

青森山田高校時代には甲子園に2度出場。その後、日本大学で投手として成長し、JR東日本では社会人野球を代表する投手として評価を高めています。

特に注目したいのは、プロ入り前から全国大会で個人賞を獲得していたことです。吉田は社会人野球で十分な実績を残したうえで、2013年のドラフト会議でオリックスから1位指名を受けました。

吉田一将の基本プロフィール
項目 内容
名前 吉田一将(よしだ・かずまさ)
生年月日 1989年9月24日
2026年11月現在の年齢 37歳
出身地 奈良県橿原市
身長 191cm
体重 98kg(2025年12月のマルハン発表)
投打 右投左打
ポジション 投手
出身高校 青森山田高校
出身大学 日本大学
社会人時代の所属 JR東日本
ドラフト 2013年オリックス1位
2026年の所属 マルハンGIVERS

吉田一将の所属先とキャリアの変遷

吉田の経歴を理解するうえでは、プロ入り前、オリックス時代、独立リーグ、台湾、そして2026年の社会人野球復帰という流れを押さえることが大切です。

時期 所属・出来事 主な実績・転換点 高校時代 青森山田高校 甲子園に2度出場 大学時代 日本大学 東都大学野球で投手として成長 2012~2013年 JR東日本 都市対抗で久慈賞・若獅子賞を同時受賞。2013年社会人ベストナイン 2014~2021年 オリックス・バファローズ 2013年ドラフト1位。NPB通算226試合に登板 2022年 新潟アルビレックスBC 独立リーグで地区最多セーブを獲得 2023~2024年 新潟アルビレックスBC・オイシックス新潟 新潟に復帰し、2024年は投手キャプテンを担当 2024年8月~2025年 台鋼ホークス 台湾プロ野球に挑戦 2026年~ マルハンGIVERS 社会人野球に復帰し、都市対抗などの全国大会を目指す

JR東日本時代に獲得した全国レベルの評価

吉田のキャリアを語るうえで欠かせないのが、JR東日本時代の実績です。

社会人1年目の2012年、吉田は第83回都市対抗野球大会でチームの準優勝に貢献しました。この大会では、投手としての活躍が評価され、久慈賞(敢闘賞)と若獅子賞(新人賞)を同時受賞しています。

加えて、同年の第36回社会人野球日本選手権大会でも準優勝に貢献し、敢闘賞を獲得しました。

2013年には社会人ベストナインの投手部門にも選出されています。JR東日本での実績は、単なるドラフト候補という枠を超え、社会人野球の有力投手として高い評価を受けていたことを示しています。

なお、吉田は2012年と2013年に年間最多勝利投手の実績も残しています。こうした評価が、オリックスによるドラフト1位指名につながりました。

【オリックス時代の成績】ドラフト1位・吉田一将はプロでどれほど活躍した?

2013年のドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受けた吉田は、2014年にプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせました。

入団後は先発、中継ぎ、抑えと複数の役割を経験しています。191cmの長身を生かした投球が持ち味で、特に救援投手としてチームを支えた時期がありました。

NPB通算成績

オリックス時代の通算成績は、球団発表やNPB関連の選手記録で確認できます。


オリックス時代・NPB通算


226


登板試合数


18勝


通算勝利数


55


ホールド


3.74


通算防御率


敗戦
20


セーブ
2


投球回
341回1/3


奪三振
269

出典:オイシックス新潟アルビレックスBC公表のNPB通算記録

特に輝いた2016年・2018年

吉田のオリックス時代を振り返ると、2016年と2018年が大きな節目になります。

2016年は救援投手として54試合に登板し、チーム最多の21ホールドを記録しました。試合終盤を支える投手として、チーム内で重要な役割を担っていた時期です。

2017年9月にはプロ初完封勝利を達成。リリーフだけでなく、先発投手としても力を示しました。

そして2018年には、自己最多となる58試合に登板しています。年間を通してブルペンを支えた実績は、吉田のプロ野球キャリアを評価するうえで外せないポイントです。

NPB通算226試合という数字からも分かるように、吉田はドラフト1位として入団した後、複数年にわたって一軍の戦力として起用されていました。

2021年に戦力外通告を受けた理由とその後

吉田は2021年10月5日、オリックスから来季の選手契約を結ばない旨の通告を受けました。

当時はプロ入り後初めて一軍登板がないシーズンとなっており、チームの投手陣の編成や競争の中で契約更新に至りませんでした。

ただし、戦力外通告は選手としての引退を意味するものではありません。吉田は現役続行を希望し、同年12月の12球団合同トライアウトにも参加しています。

トライアウトでは打者3人に対して無安打、1四球という内容でした。その後もNPB復帰を視野に入れながら、野球を続ける道を模索していました。

この時点でキャリアが終わらなかったことが、その後の新潟、台湾、そしてマルハンGIVERSへの移籍につながっていきます。

【退団後の歩み】新潟アルビレックスBCから台鋼ホークスへの移籍

オリックス退団後の吉田は、NPB復帰だけに選択肢を限定せず、独立リーグや海外でのプレーも視野に入れていました。

その最初の新天地となったのが、新潟アルビレックスBCです。ここから吉田のキャリアは、プロ野球とは異なる環境で新たな可能性を探る段階に入ります。

2022年:新潟アルビレックスBCに入団

2022年3月4日、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブは吉田の入団を発表しました。

当時のチームはルートインBCリーグに所属する独立リーグ球団です。NPBを離れた吉田にとって、実戦の場を確保し、現役を継続するための重要な移籍でした。

新潟での2022年シーズンには、地区最多セーブのタイトルを獲得。NPBで主に中継ぎとして培った経験を生かし、独立リーグでも結果を残しました。

この時期のNPB通算実績だけでなく、独立リーグでタイトルを獲得したことも、吉田が新しい環境に適応できる投手であることを示しています。

2023年:一度離れた新潟に再入団

2023年2月16日、新潟アルビレックスBCは吉田の再入団を発表しました。

吉田は2022年シーズン終了後、海外を含めてさまざまな可能性を模索していたことを明かしています。そのうえで、最終的に後悔しない選択として新潟で再挑戦する道を選びました。

再入団時の球団発表によると、当時のBCリーグ通算成績は36試合登板、1勝0敗、13セーブ、防御率2.48でした。

NPB時代の経験を持つ投手が独立リーグで再びプレーすることは、若手選手にとっても刺激になります。吉田は単に試合に出場するだけでなく、経験をチームに還元する役割も担っていきました。

2024年:オイシックス新潟で投手キャプテンを担当

2024年には新潟のチームがNPBファームリーグのイースタン・リーグに参加し、オイシックス新潟アルビレックスBCとして新たな段階に入りました。

このシーズン、吉田は投手キャプテンとして36試合に登板。若手投手陣を引っ張る立場としても活動しました。

独立リーグからNPBファームリーグへと競技環境が変わったことは、吉田にとっても新しい挑戦です。プロ経験を持つ投手として、実戦を通じてチームに貢献する機会が広がりました。

そして2024年8月1日、オイシックス新潟は吉田が台湾プロ野球の台鋼ホークスと契約合意に至ったことを発表します。

約2年半を過ごした新潟を離れ、再び海外でプロ野球選手としてプレーする道を選びました。

2024年8月~2025年:台湾プロ野球の台鋼ホークスへ

台鋼ホークスは台湾プロ野球(CPBL)の球団です。吉田は2024年8月に移籍し、同年8月25日に台湾プロ野球で初出場を記録しました。

新潟でのプレーを経て台湾球団からオファーを受けたことは、吉田にとって現役続行の選択肢が国内だけではなかったことを示す出来事です。

台湾での活動は2025年シーズンまで続きました。所属するマネジメント会社RIGHTS.の選手プロフィールによると、吉田は2025年シーズン終了をもって台鋼ホークスを退団しています。

つまり、2026年現在の吉田は台鋼ホークスの選手ではありません。台湾での経験を終えた後、マルハンGIVERSへの加入によって日本の社会人野球に戻っています。

【2026年の実戦成績】都市対抗野球と日本選手権への再挑戦はどうなった?

2026年の吉田一将を語るうえで重要なのが、マルハンGIVERSとして挑んだ社会人野球の主要大会です。

加入発表時にチームが掲げた目標は、都市対抗野球大会と社会人野球日本選手権への出場でした。実際に2026年シーズンは、それぞれの東北地区予選に出場しています。

都市対抗野球:TDKにサヨナラ勝ちするなど健闘

2026年6月19日の第97回都市対抗野球東北二次予選では、マルハン北日本カンパニーがTDKと対戦しました。

吉田は先発投手を務め、チームは序盤に3点を先制されながらも反撃。6回に同点とし、延長10回に5対4でサヨナラ勝ちを収めました。

日本野球連盟の公式コラムでも、創部2年目のマルハン北日本カンパニーが前年の代表チームであるTDKを破った試合として紹介されています。

その後の予選では、日本製紙石巻に5対9で敗れた一方、6月26日のトヨタ自動車東日本戦では7対2で勝利しました。しかし、6月27日の七十七銀行戦では3対7で敗れ、都市対抗本大会への出場権獲得には届きませんでした。

社会人野球日本選手権:10対0の勝利も代表権には届かず

もう一つの目標だった社会人野球日本選手権でも、マルハンGIVERSは東北地区の最終予選に挑みました。

2026年10月1日、マルハン北日本カンパニーはJR盛岡と対戦し、10対0の7回コールド勝ちを収めています。チームとして勢いを感じさせる勝利でした。

しかし、10月3日の日本製紙石巻との試合では4対7で敗戦。吉田は先発投手を務めましたが、相手に本塁打を許すなど、チームは準決勝で敗れる結果となりました。

東北地区の代表権はJR東日本東北が獲得しており、マルハン北日本カンパニーは日本選手権への出場を逃しています。

したがって、2026年11月1日時点では、都市対抗野球と日本選手権のいずれも本大会出場には至っていません。ただし、プロ経験者を迎えた新しい社会人野球チームが、主要大会の予選で勝利を重ねたことは、今後のチームづくりを考えるうえで注目すべき点です。

【プロの結論】吉田一将のキャリアから見える社会人野球復帰の意味

吉田一将の経歴を振り返ると、単純にプロ野球を退団して独立リーグに移り、海外へ渡ったというだけではありません。

JR東日本で全国的な評価を受け、オリックスで7年間プレーし、戦力外通告後も独立リーグでタイトルを獲得。その後、台湾プロ野球にも挑戦し、2026年には企業チームの一員として社会人野球に復帰しました。

このキャリアには、野球選手が競技を続けるための複数の選択肢が表れています。

1. 戦力外通告は競技人生の終わりではない

NPBで戦力外通告を受けた選手には、引退、独立リーグへの移籍、海外挑戦、社会人野球への復帰など、さまざまな道があります。

吉田はその中で、独立リーグで結果を残し、台湾プロ野球でもプレーする道を選びました。NPB時代の226試合という実績を持ちながら、新しい環境で再び自分の力を試したことが特徴です。

2. 社会人野球は経験を生かせる再挑戦の舞台

社会人野球は、企業や団体に所属しながら競技を続ける仕組みです。プロ野球とは異なり、競技と仕事の両立が求められる一方、企業チームで高いレベルの試合に出場する機会があります。

吉田はJR東日本時代に都市対抗野球で賞を獲得した経験を持っています。その経験を2026年のマルハンGIVERSで生かすことには、競技面だけでなく、若手選手への影響という意味もあります。

3. 2026年は目標達成ではなく、新しい挑戦の土台を築いたシーズン

2026年は都市対抗野球と日本選手権の本大会出場には届きませんでした。しかし、TDKを破る試合や、JR盛岡に10対0で勝利した試合など、チームとしての可能性を示す場面もありました。

吉田個人の評価を、プロ時代の通算成績だけで判断するのは十分ではありません。現在は企業チームの投手として、チームの勝利にどう貢献するかが重要です。

今後注目したいのは、先発・救援のどちらで起用されるか、若手投手との連携、そしてチームが次の都市対抗や日本選手権の予選でどこまで勝ち進めるかという点です。

吉田一将に関するよくある質問(FAQ)

Q1:吉田一将は2026年現在、どこのチームに所属していますか?

A1:マルハン北日本カンパニーの硬式野球部「マルハンGIVERS」に所属しています。2026年1月11日付で加入し、社会人野球の投手として活動しています。

Q2:吉田一将はオリックスでドラフト何位でしたか?

A2:2013年のドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受けました。2014年から2021年まで在籍し、NPB通算226試合、18勝20敗、2セーブ、55ホールド、防御率3.74を記録しています。

Q3:吉田一将がオリックスを戦力外になったのはいつですか?

A3:2021年10月5日です。同年は一軍登板がなく、来季の選手契約を結ばない旨の通告を受けました。その後も現役続行を選び、独立リーグや台湾プロ野球でプレーしました。

Q4:吉田一将は新潟アルビレックスBCに所属していましたか?

A4:はい。2022年に新潟アルビレックスBCへ入団し、2023年には再入団しました。2024年はオイシックス新潟アルビレックスBCで投手キャプテンを務め、36試合に登板しています。

Q5:吉田一将は台鋼ホークスを退団したのですか?

A5:はい。2024年8月に台湾プロ野球の台鋼ホークスへ移籍し、2025年シーズン終了をもって退団しました。2026年からはマルハンGIVERSに所属しています。

Q6:吉田一将は2026年の都市対抗野球に出場しましたか?

A6:都市対抗野球の東北二次予選にマルハン北日本カンパニーの選手として出場しました。TDKに5対4で勝利するなど健闘しましたが、本大会への出場権は獲得できませんでした。

Q7:吉田一将は現在何歳ですか?

A7:1989年9月24日生まれで、2026年11月1日時点では37歳です。

吉田一将は、2013年ドラフト1位でオリックスに入団し、NPB通算226試合に登板した実績を持つ投手です。

2021年の戦力外通告後は、新潟アルビレックスBCで独立リーグに挑戦。2024年にはオイシックス新潟から台湾の台鋼ホークスへ移籍し、2025年シーズン終了まで海外でプレーしました。

そして2026年1月、マルハンGIVERSへの加入によって社会人野球に復帰しています。

2026年の都市対抗野球と日本選手権では本大会出場を逃したものの、予選での勝利やプロ経験者としての存在感は、チームにとって貴重な財産です。

吉田一将の現在を理解するうえで大切なのは、オリックス時代の実績だけでなく、戦力外後も独立リーグ、台湾、社会人野球と舞台を変えながら競技を続けてきた歩みです。

2026年のマルハンGIVERS加入は、吉田一将にとってキャリアの終着点ではなく、新たな目標に向かう再出発です。今後の社会人野球でどのような投球を見せるのか、引き続き注目されます。

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如月 七海

スポーツ報道9年。連盟の公式記録、試合結果、会見の書き起こしで数値と経歴を確認しています。

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