長谷部銀次は、愛知県出身。1998年7月29日生まれで、身長184センチの左投左打の投手だ。
高校、大学、社会人野球と段階的に経験を積み、24歳でプロ入りした。学生時代には故障による苦労も経験しており、プロ入りまでの道のりは決して平坦ではなかった。
中京大中京高校時代:2015年夏の甲子園に出場長谷部は中京大中京高校に進学し、野球部で力を磨いた。
スポーツニッポンの2022年ドラフト関連記事によると、1年春から背番号20でベンチ入り。2年夏には第97回全国高校野球選手権大会に出場した。
チームは3回戦まで進出したが、長谷部自身に甲子園での登板機会はなかった。
高校時代から全国大会を経験したことは、その後の野球人生における重要な経歴の一つだ。
慶応大学時代:腰の故障を乗り越える高校卒業後は慶応大学に進学し、東京六大学野球の舞台に挑戦した。
しかし、大学時代は腰痛分離症に苦しみ、手術も経験。スポニチの報道によれば、大学通算のリーグ戦登板は7試合にとどまった。
一方、4年秋には4試合に登板し、5回1/3を投げて被安打1、無失点という好成績を残している。
大学時代の数字だけを見ると目立つ存在ではなかったが、故障から復帰して結果を残した経験は、社会人野球への進路につながっていった。
トヨタ自動車時代:社会人野球で評価を高める2021年にトヨタ自動車へ入社。社会人野球の強豪チームで実力を伸ばした。
2022年の都市対抗野球大会では、チームのベスト4進出に貢献。最速149キロの直球を投げる左腕として評価を高めた。
スポニチのドラフト報道では、直球だけでなく多彩な変化球も特徴として紹介されている。
大学時代の登板機会の少なさを考えると、社会人野球での成長は大きな転換点だった。
2022年ドラフト6位で広島東洋カープへ2022年10月20日のドラフト会議で、広島東洋カープから6位指名を受けた。
当時24歳。大学を卒業して社会人野球を経験した、いわゆる社会人出身の即戦力候補だった。
広島が期待したのは、左腕としての球威と救援投手としての適性だった。プロ入り時点で完成された投手というより、社会人で培った経験を生かして一軍の中継ぎに定着することが期待されていた。
【杉田玄白の子孫は本当?】長谷部銀次の意外な家系

長谷部銀次を語る際、野球の経歴と並んで注目されるのが、江戸時代の蘭学者・杉田玄白との血縁関係だ。
杉田玄白は、医学書『解体新書』の翻訳に携わった人物として知られる。日本の近代医学史を語るうえで欠かせない存在だ。
実は長谷部は、この杉田玄白につながる家系の出身として、2022年のドラフト指名時に話題になった。
杉田玄白から数えて9代目スポニチが2022年10月20日に掲載したドラフト関連記事では、長谷部は杉田玄白を初代と数えて9代目に当たると紹介されている。
ただし、重要なのは血縁関係の経路だ。
同報道によれば、杉田玄白につながるのは母方の家系であり、本家ではなく分家筋に当たる。
中学時代の歴史の授業で先祖について学んだ際には、クラスメートが長谷部の顔を見たというエピソードも紹介された。
野球選手としての実績とは別に、歴史上の著名人物につながる家系という点で珍しいプロフィールを持っている。
家系の話題と野球選手としての評価は別杉田玄白の子孫という話題は、長谷部の知名度を高めた要素の一つだ。
ただし、プロ野球選手として評価されるのは、あくまで本人の技術と実績である。
高校時代の甲子園出場、慶応大学での故障からの復帰、トヨタ自動車での都市対抗ベスト4、そして広島からのドラフト指名。こうした経歴こそ、選手としての長谷部を理解するうえで重要になる。
【長谷部銀次の年俸はいくら?】2023〜2026年の推移と背番号39
長谷部の年俸は、公開されているプロ野球選手の年俸データによると、2025年に一度上昇した後、2026年には減額されている。
| 年度 | 推定年俸 | 前年比 |
|---|---|---|
| 2023年 | 800万円 | ― |
| 2024年 | 800万円 | ±0万円 |
| 2025年 | 1,000万円 | +200万円 |
| 2026年 | 800万円 | −200万円 |
これらは報道や公開資料を基にした推定額で、球団が公表した確定金額ではない。
2025年の年俸が1,000万円に上がった背景には、二軍での安定した投球や、2024年の一軍デビューがあったと考えられる。
一方、2026年は前年の一軍防御率15.19という結果を受け、推定年俸は800万円となった。
背番号39を背負った4年間長谷部が広島で着用していた背番号は39。
左投左打の救援投手として、広島の投手陣に加わった。
背番号39は、広島時代の選手プロフィールや球団関連資料にも掲載されている。2026年10月24日の契約終了に伴い、今後は同番号の扱いも変わる可能性がある。
【プロの結論】長谷部銀次が一軍に定着できなかった本当の課題
長谷部の4年間を振り返ると、単純に二軍で結果を残せなかった選手ではないことが分かる。
2024年は一軍で7イニング無失点。2025年は二軍で23試合連続無失点を記録するなど、能力を示した時期もあった。
それでも一軍通算10試合という結果に終わった。
この経緯から考えられる要点は3つある。
1.ファームでの好成績を一軍で再現できなかった
2025年の二軍防御率2.18に対して、一軍は15.19。登板数が少ないとはいえ、打者のレベルが上がったときに安定感を維持できなかった。
2.決め球と直球の強さが課題だった
2024年の週刊ベースボールの取材で、本人は一軍で生き残るには狙って三振を取る能力が必要だと話していた。直球の強さと決め球の精度を磨くことが課題だった。
3.2026年は二軍成績も大きく悪化した
2025年に防御率2.18だった二軍成績が、2026年には9.86まで悪化。21イニングで36安打を許したことも、一軍昇格を難しくした要因と考えられる。
ただし、プロ野球の戦力外は単一の数字だけで決まるものではない。球団の投手編成、年齢、将来性、ポジションの競争なども関係する。
長谷部の場合、28歳という年齢で社会人野球を経験した即戦力候補だったことも、球団側が求める結果の水準を高くしていた可能性がある。
今後、他球団が評価するポイント11月17日のトライアウトに向け、長谷部がアピールすべき要点は明確だ。
- 最速149キロの直球を生かした球威
- 左打者だけでなく右打者にも通用する変化球
- 打者から空振りを奪える決め球
- 短いイニングで安定して抑える制球力
- 2024年に一軍で見せた無失点投球の再現性
左腕リリーフという特徴は、チーム編成上の選択肢になり得る。ただし、過去の実績だけで契約が決まるわけではない。
長谷部自身が語った「必要としていただけるチーム、環境」という言葉には、現役続行に対する現実的な考え方が表れている。
【長谷部銀次に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:長谷部銀次は現在、どこの球団に所属していますか?
A1:2026年10月24日に広島東洋カープから来季の契約を結ばないと通告されています。11月1日現在、新所属球団は発表されていません。11月17日のトライアウト受験に前向きです。
Q2:長谷部銀次は戦力外通告を受けて引退したのですか?
A2:引退を発表したわけではありません。本人はトライアウトを受ける意向を示しており、現役続行の可能性を探っています。
Q3:長谷部銀次の2025年の二軍成績は?
A3:35試合に登板し、1勝1敗2セーブ、防御率2.18でした。シーズン初登板から23試合連続無失点という記録も残しています。
Q4:長谷部銀次の年俸はいくらでしたか?
A4:2026年度の推定年俸は800万円です。2025年度は推定1,000万円でした。いずれも公開情報を基にした推定額です。
Q5:長谷部銀次は杉田玄白の子孫ですか?
A5:はい。スポニチの報道では、母方の分家筋で、杉田玄白を初代と数えて9代目に当たると紹介されています。
Q6:長谷部銀次の一軍初登板はいつですか?
A6:2024年7月21日の阪神戦、甲子園球場です。7回から登板し、1イニングを無安打無失点に抑えました。
長谷部銀次は、中京大中京高校、慶応大学、トヨタ自動車を経て、2022年ドラフト6位で広島東洋カープに入団した左腕投手だ。
2024年には一軍デビューを果たし、7イニング無失点、防御率0.00という成績を残した。2025年も二軍では防御率2.18と安定していたが、一軍では防御率15.19と苦戦。2026年には二軍でも防御率9.86となり、10月24日に戦力外通告を受けた。
しかし、本人は引退を決めたわけではない。11月17日のトライアウトに前向きで、必要としてくれるチームがあれば現役を続けたいという意思を示している。
杉田玄白の子孫という珍しい家系も話題になった長谷部だが、プロ野球選手としての本当の勝負はこれからの進路にある。広島での4年間をどのような形で次につなげるのか。トライアウトでの投球と、新天地が決まるかどうかに注目したい。
主な参考資料: 日本野球機構(NPB)個人年度別成績、日刊スポーツ(2026年10月24日)、RCC中国放送(2026年10月24日)、デイリースポーツ(2026年10月28日)、週刊ベースボールONLINE、スポーツニッポン、J SPORTS。