丹波義隆は、1955年7月13日生まれの日本人俳優です。2026年11月現在、71歳。東京都出身で、父親譲りの存在感を持ちながら、映画やテレビドラマを中心に幅広く活動してきました。
所属事務所のカートエンターテイメントが掲載するプロフィールでは、俳優としての出演歴に加え、映画、テレビドラマ、バラエティー番組などの活動が紹介されています。
主なプロフィールは次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 丹波義隆(たんば・よしたか) |
| 生年月日 | 1955年7月13日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 71歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 職業 | 俳優 |
| 父親 | 丹波哲郎 |
| 母親 | 貞子 |
| 主な活動分野 | 映画・テレビドラマ・テレビ番組 |
| 所属先 | カートエンターテイメントのプロフィール掲載 |
生年月日と出演歴は所属事務所のプロフィール、出身地などは日本タレント名鑑を出典とする番組情報に基づいています。
特に注目したいのは、丹波義隆が父親の名前だけで知られる存在ではないことです。1970年代から映画やテレビドラマに出演し、主演作や特撮作品にも参加してきました。
[CART ENTERTAINMENTの俳優プロフィール]や映画出演記録を見ると、その活動は半世紀近くにわたっています。
【丹波哲郎の家族構成】妻・貞子との結婚と長男・義隆の関係

丹波哲郎の家族について調べると、妻の貞子さんと長男の丹波義隆という関係が確認できます。
キネマ旬報系の人物資料によると、丹波哲郎は1949年に貞子夫人と結婚。2人の間に生まれた一人息子が、俳優の丹波義隆です。
妻・貞子はどんな人物だった?貞子さんは、丹波哲郎の家庭生活を支えた人物です。
2022年7月にテレビ朝日系『徹子の部屋』で丹波義隆が父親の思い出を語った際には、母親についても紹介されました。
義隆が3歳のとき、貞子さんは小児麻痺を発症して車椅子で生活するようになりました。
番組では、豪快な人物として知られた丹波哲郎とは対照的に、貞子さんのほうが大胆な性格で、夫を支えていたことも伝えられています。
丹波哲郎の子どもは何人?人物資料では、丹波哲郎と貞子夫人の間に生まれた子どもは一人息子の義隆とされています。
つまり、丹波義隆は単に有名俳優の子どもというだけでなく、丹波家の長男として知られる存在です。
また、テレビ朝日の番組紹介では、義隆の子どもたちや孫を丹波哲郎がかわいがっていた家庭での映像も取り上げられました。
丹波哲郎は仕事で見せる豪快な姿とは別に、家庭では孫を大切にする祖父でもあったのです。
なお、義隆自身の配偶者や子どもの人数など、詳細な家族情報は公開プロフィールだけでは把握できません。
【丹波義隆の映画デビュー】『青葉繁れる』で主演を務めた経緯
丹波義隆の若い頃の代表的な出演作として知られるのが、岡本喜八監督の青春映画『青葉繁れる』です。
1974年9月21日に公開された同作で、義隆は主人公の田島稔を演じました。
『青葉繁れる』が俳優人生の転機に『青葉繁れる』は、井上ひさしの小説を原作とした青春映画です。
岡本喜八監督がメガホンを取り、丹波義隆のほか、草刈正雄、秋吉久美子、十朱幸代らが出演しています。
義隆は田島稔役で主演を務め、若手俳優として注目されるきっかけを得ました。
ここで一つ、映画デビューについて整理しておく必要があります。
所属事務所の出演作品一覧では、1973年公開の『二十歳の原点』が『青葉繁れる』より先に記載されています。
そのため、作品歴を厳密に区別すると、次のようになります。
- 1973年:『二十歳の原点』に出演
- 1974年:『青葉繁れる』で主演・田島稔役
つまり、『青葉繁れる』は映画出演の最初の作品というより、主演デビューを飾った重要作として位置づけるのが適切です。
この違いは、丹波義隆のプロフィールを調べる際に知っておきたいポイントです。
その後の主な出演作品『青葉繁れる』以降、丹波義隆は青春映画だけでなく、戦争映画、特撮、社会派作品などにも活動の幅を広げていきます。
代表的な出演作には、次のような作品があります。
- 『二十歳の原点』(1973年)
- 『青葉繁れる』(1974年)
- 『蔵王絶唱』(1974年)
- 『吶喊』(1975年)
- 『ジャッカー電撃隊』(1977年)
- 『アラスカ物語』(1977年)
- 『帰らざる日々』(1978年)
- 『関白宣言』(1979年)
- 『連合艦隊』(1981年)
- 『最後の博徒』(1985年)
- 『ひとひらの雪』(1985年)
- 『首都消失』(1987年)
- 『集団左遷』(1994年)
テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『武田信玄』や『はぐれ刑事純情派』、『HOTEL』などにも出演しています。
1977年の特撮ドラマ『ジャッカー電撃隊』では、桜井五郎/スペードエース役を担当しました。
このように、丹波義隆の俳優人生は、映画だけに限定されない幅広いものです。
【父親との共演】『アラスカ物語』と『丹波哲郎の大霊界』の関係
丹波義隆の経歴を語るうえで欠かせないのが、父親の丹波哲郎との共演です。
特に『アラスカ物語』と『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』は、父子の関係を作品から理解するうえで重要な映画です。
『アラスカ物語』では父子が同じ作品に出演1977年1月22日に公開された『アラスカ物語』は、新田次郎の同名小説を原作とした伝記映画です。
監督は堀川弘通。
日本からアラスカへ渡り、現地の人々を導いたフランク安田の波乱に富んだ人生を描いています。
主な出演者は北大路欣也、三林京子、宍戸錠、夏八木勲ら。
この作品には丹波哲郎と丹波義隆の両方が出演しています。
義隆はタカブック役を担当しました。
キネマ旬報の人物資料でも、同作は父子共演作品として紹介されています。
親子という関係を離れて、一人の俳優として同じ映画に参加した経験は、義隆のキャリアを振り返るうえでも見逃せません。
『丹波哲郎の大霊界』では義隆が主演さらに大きな転機となったのが、1989年公開の『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』です。
この作品は、丹波哲郎が自身の霊界研究を映画という形で表現した異色のエンターテインメント作品です。
丹波哲郎は、原作・企画・原案・脚本・総監督・出演という6つの役割を担当しました。
一方、主演を務めたのが息子の丹波義隆です。
共演者には岡安由美子、前田吟、若山富三郎、渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一らが名を連ねています。
父親が作品の世界観を構築し、息子が主演として物語を担うという構図は、丹波親子の映画史を象徴するものです。
1990年には続編『丹波哲郎の大霊界2・死んだらおどろいた!!』も公開されました。
| 作品・時期 | 丹波義隆 | 丹波哲郎との関係 |
|---|---|---|
| 『二十歳の原点』(1973年) | 映画出演 | 初期出演作 |
| 『青葉繁れる』(1974年) | 主演・田島稔 | 主演デビュー作 |
| 『アラスカ物語』(1977年) | タカブック役 | 父子共演 |
| 『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』(1989年) | 主演 | 父が総監督など6役を担当 |
| 『丹波哲郎の大霊界2』(1990年) | 出演 | シリーズ作品 |
| 『新幹線大爆破』(2025年) | 出演 | Netflix映画への参加 |
| 『大霊界』4K版(2026年) | 上映イベントに登壇 | 父の作品を再び紹介 |
父子の共演歴を整理すると、『アラスカ物語』では同じ映画の出演者として、『大霊界』では父が企画・製作面を主導し、息子が主演を務めるという異なる関係性が見えてきます。
【丹波義隆が語った父親の素顔】豪快なイメージとは違う繊細さ
丹波哲郎といえば、『Gメン'75』などで知られる存在感の強い俳優です。
テレビ番組では豪快な発言や独特のキャラクターでも人気を集めました。
しかし、息子の丹波義隆が語った家庭での父親像は、世間の印象とは少し異なります。
『徹子の部屋』で明かされた父の意外な一面2022年7月19日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』では、丹波哲郎の生誕100年を記念して、息子の義隆が父との思い出を語りました。
番組で紹介されたのは、父が70年以上前に作ったタキシードです。
義隆はそのタキシードを着用して出演し、父の知られざる素顔についても話しました。
特に印象的だったのが、丹波哲郎の性格についての発言です。
豪快だと言われていた父親は、本当は繊細だった。
この証言は、テレビ朝日の番組紹介や放送関連の報道でも取り上げられました。
人前で見せる豪快な姿と、家庭で息子が見てきた姿には違いがあったのです。
2026年の映画祭でも語られた父の情熱2026年10月27日、第39回東京国際映画祭で『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』の4Kデジタルリマスター版が上映されました。
上映後のトークショーに登壇した丹波義隆は、父親が映画に込めた思いについて語っています。
義隆によると、父は映画化の約10年前から霊界をテーマにした作品を作りたいと話していたそうです。
周囲の人々は当初、その話を聞き流していたものの、丹波哲郎本人は本気でした。
入院中にも病室へ霊界に関する本を何十冊も持ち込み、ハワイ旅行中も研究を続けていたといいます。
映画祭の取材では、義隆は父について豪快さだけでなく、繊細さや大胆さも持ち合わせた人物だったと振り返りました。
そして、4K版を鑑賞した感想として、次の言葉を残しています。
オヤジ、ありがとう。
この短い言葉には、作品を完成させた父親への敬意と、年月を経て改めて作品と向き合った息子の思いが表れています。
映画.comの2026年10月27日の取材記事でも、当日のトークショーの様子が詳しく報じられました。
【2026年最新】丹波義隆の現在と『大霊界』4Kデジタルリマスター
2026年の丹波義隆を語るうえで、最大のニュースが『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』の4Kデジタルリマスターです。
1989年の公開から37年を経て、作品が新しい映像技術によって蘇りました。
なぜ『大霊界』は4Kで復活したのか?今回の復活には、映画監督の三池崇史が大きく関わっています。
映画.comやシネマトゥデイなどの報道によると、作品のオリジナルネガプリントは長年倉庫に保管されていましたが、解体・処分される危機に直面していました。
その話を知った三池監督が、作品を失わせてはいけないと関係各所に働きかけ、4Kデジタルリマスター化が実現しました。
今回の修復では、当時の特撮や色彩表現が改めて再現され、音声も5.1chにアップグレードされています。
加えて、現代美術家の村上隆が新しいポスタービジュアルを描き下ろしました。
第39回東京国際映画祭でワールドプレミア上映2026年10月27日、『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』4Kデジタルリマスター版が、第39回東京国際映画祭の日本映画クラシックス部門でワールドプレミア上映されました。
上映後にはトークショーも開催されました。
登壇したのは次の5人です。
- 丹波義隆(主演)
- 岡安由美子(出演)
- 坂美佐子(プロデューサー)
- 村上隆(ポスタービジュアル担当)
- 三池崇史(司会・映画監督)
映画を観た丹波義隆は、37年前の作品を改めて鑑賞した感想を述べ、父への感謝を表現しました。
父の代表作が映画祭の大スクリーンに戻り、主演した息子がその場に立つという出来事は、単なる旧作上映とは違った意味を持っています。
丹波哲郎の没後20年という節目に、親子の映画史が改めて注目される機会となりました。
2027年以降の上映・配信にも期待2026年10月1日付のぴあ映画の報道では、4K版について、2027年のイベント上映のほか、DVD・Blu-rayの商品化や配信展開も予定されていると伝えられています。
そのため、東京国際映画祭の上映は作品復活の第一歩といえます。
ただし、2026年11月2日時点で確認できる情報では、2027年の具体的な上映日程や配信開始日は確定していません。
丹波義隆の現在の活動は?丹波義隆の所属事務所のプロフィールには、2025年のNetflix映画『新幹線大爆破』も出演作品として掲載されています。
過去の代表作だけでなく、新しい映像作品への参加も続いていることが分かります。
2026年の直近の大きな公の活動としては、10月27日の東京国際映画祭への登壇が挙げられます。
現在の活動を整理すると、次のとおりです。
- 2025年:Netflix映画『新幹線大爆破』に出演。
- 2026年10月:『丹波哲郎の大霊界』4K版のワールドプレミア上映に登壇。
- 2026年11月:俳優としての出演歴と父の代表作が改めて注目されている。
- 2027年:『大霊界』4K版のイベント上映などが予定されている。
新作出演の予定や今後のテレビ出演については、追加の公式発表が待たれるところです。
【よくある質問】丹波哲郎の息子・丹波義隆に関するFAQ
Q1:丹波哲郎の息子は誰ですか?
A1:俳優の丹波義隆です。1955年7月13日生まれで、丹波哲郎と妻・貞子の間に生まれた長男です。
Q2:丹波義隆は何歳ですか?
A2:1955年7月13日生まれなので、2026年11月2日現在は71歳です。
Q3:丹波義隆の映画デビュー作は何ですか?
A3:所属事務所の出演作品一覧では、1973年の『二十歳の原点』が先に記載されています。1974年の『青葉繁れる』では主演を務めました。
Q4:丹波哲郎と丹波義隆が共演した映画は何ですか?
A4:代表的な作品は1977年の『アラスカ物語』と1989年の『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』です。後者では義隆が主演を務めました。
Q5:丹波哲郎の妻は誰ですか?
A5:貞子さんです。1949年に結婚し、2人の間に長男の丹波義隆が生まれました。
Q6:丹波義隆は2026年現在も俳優ですか?
A6:はい。所属事務所のプロフィールには2025年のNetflix映画『新幹線大爆破』が掲載されています。また、2026年10月には東京国際映画祭の『大霊界』4K版上映イベントにも登壇しました。
Q7:『丹波哲郎の大霊界』の4K版はいつ上映されましたか?
A7:2026年10月27日、第39回東京国際映画祭の日本映画クラシックス部門でワールドプレミア上映されました。2027年のイベント上映や商品化・配信展開も予定されています。
丹波哲郎の息子は、俳優の丹波義隆です。1949年に結婚した貞子夫人との間に生まれた長男で、1973年の『二十歳の原点』から俳優としての出演歴を重ね、翌年の『青葉繁れる』で主演を務めました。
その後、『アラスカ物語』や『丹波哲郎の大霊界』などで父親と同じ作品に参加。豪快なイメージの強い丹波哲郎についても、息子の証言から繊細で家族思いな一面が伝わってきます。
そして2026年、父の代表作『丹波哲郎の大霊界/死んだらどうなる』が4Kデジタルリマスター版として復活しました。第39回東京国際映画祭で主演の丹波義隆が登壇したことは、父子のつながりを改めて感じさせる出来事でした。
丹波義隆の経歴を知る際には、父親の知名度だけで判断せず、『青葉繁れる』での主演、『アラスカ物語』での共演、『大霊界』での主演、そして2025年以降の出演活動までを一続きの俳優人生として見ることが大切です。今後の4K版の上映展開とともに、俳優・丹波義隆自身の新たな活動にも注目が集まります。