2026年現在も、日本映画を代表する名優として語り継がれる高倉健さん。『網走番外地』『幸福の黄色いハンカチ』『鉄道員(ぽっぽや)』など数々の名作に出演し、2013年には文化勲章を受章しました。2014年11月10日に83歳で亡くなりましたが、私生活については多くを語らなかったことでも知られています。
「高倉健の妻は誰だったのか」「現在の妻はいるのか」と検索される背景には、1959年に結婚した江利チエミさんとの離婚、そして晩年の17年間を共に過ごした小田貴月さんの存在があります。実は、小田さんは妻ではなく養女という立場で高倉さんの最期を看取り、遺産を相続した人物です。二人の関係には、一般的な夫婦関係とは異なる経緯がありました。
【結論】高倉健の妻は江利チエミ!現在の妻と晩年のパートナーは別人物

高倉健さんの結婚歴は、江利チエミさんとの一度だけです。江利さんは歌手・女優として活躍し、美空ひばりさん、雪村いづみさんとともに「三人娘」と呼ばれた昭和を代表するスターでした。
二人は1959年に結婚しましたが、1971年に離婚しています。その後、高倉さんが正式に再婚した事実はありません。
一方、晩年に長く生活を共にしたのが小田貴月(おだ・たか)さんです。高倉さんの死去まで約17年間寄り添い、最期を看取った女性として知られています。
ここで押さえておきたいのは、江利さんと小田さんでは戸籍上の関係が異なることです。
- 江利チエミさん:法律上の妻。1959年に結婚し、1971年に離婚。
- 小田貴月さん:晩年のパートナーであり、2013年に高倉さんの養女となった人物。
つまり、2026年現在の視点から整理すると、高倉さんには現在の妻はいません。江利さんが唯一の法律上の妻であり、小田さんは人生最後の17年間を支えたパートナー、そして養女という関係でした。
【1959年〜1971年】江利チエミとの結婚と離婚理由は親族トラブルだった
高倉健さんと江利チエミさんの出会いは、1956年公開の映画『恐怖の空中殺人』での共演でした。
当時、高倉さんは東映の若手俳優として活動し、江利さんは歌手・女優としてすでに高い人気を得ていました。異なる分野で活躍する二人でしたが、映画での共演をきっかけに交際へと発展します。
1959年2月16日、28歳の誕生日に結婚二人が結婚したのは1959年2月16日です。この日は高倉さんの28歳の誕生日でもありました。当時22歳だった江利さんとの結婚は、大きな話題になりました。
その後、夫婦として生活を送るなかで、1962年には江利さんが妊娠します。しかし、重い妊娠中毒症を発症し、残念ながら中絶を余儀なくされました。
日刊スポーツの当時の経緯を振り返る報道によれば、二人はその後も子宝に恵まれませんでした。高倉さんと江利さんの間に実子はいません。
離婚の原因は江利チエミの異父姉をめぐる問題二人の結婚生活に影響を与えた大きな問題が、江利さんの親族をめぐるトラブルでした。
報道によれば、江利さんの異父姉による金銭問題や横領、虚言などが表面化し、家庭生活にも深刻な影響を及ぼしたとされています。
江利さんは、親族の問題によって高倉さんにまで迷惑をかけることを避けようと考え、離婚を申し入れたと伝えられています。
そして1971年9月3日、二人は離婚しました。結婚から約12年が経過していました。
離婚理由については、単純な夫婦間の不仲だけで説明できるものではありません。親族をめぐる金銭問題や、それによって生じた生活上の負担が大きく関係していたと報じられています。
江利チエミの死去と高倉健が続けた墓参り離婚から約11年後の1982年2月13日、江利チエミさんは45歳という若さで亡くなりました。
報道によれば、死因は脳出血を起こした後の吐瀉物誤嚥による窒息でした。突然の訃報は、芸能界にも大きな衝撃を与えました。
高倉さんは江利さんの葬儀には姿を見せなかったとされています。しかし、日刊スポーツなどの報道では、離婚後も江利さんの命日には毎年欠かさず墓参りを続け、花を手向けていたと伝えられています。
また、二人の間に生まれることのなかった子供を供養する水子地蔵が、高倉さんの生前墓のそばに建てられていたことも報じられました。
離婚によって法律上の夫婦関係は終わりましたが、二人の間にあった過去まで消えたわけではありません。墓参りという行動は、長年にわたり続いた二人の関係を考えるうえで印象的な事実です。
【関係を時系列で整理】高倉健・江利チエミ・小田貴月の人物相関
高倉健さんの妻やパートナーについて混乱しやすい理由は、人生の時期によって関係する女性が異なることにあります。結婚、離婚、パートナー関係、養子縁組を時系列で整理すると、それぞれの立場が明確になります。
| 時期 | 人物・出来事 | 関係と意味 |
|---|---|---|
| 1956年 | 江利チエミ | 映画『恐怖の空中殺人』で共演し、出会う。 |
| 1959年2月16日 | 高倉健・江利チエミ | 高倉さん28歳の誕生日に結婚。 |
| 1962年 | 江利チエミ | 妊娠するが、妊娠中毒症により中絶。 |
| 1971年9月 | 高倉健・江利チエミ | 親族をめぐる問題などを背景に離婚。 |
| 1982年2月13日 | 江利チエミ | 45歳で死去。高倉さんは命日の墓参りを続けたと報じられる。 |
| 1996年 | 小田貴月 | 香港で高倉さんと出会う。 |
| 1997年以降 | 高倉健・小田貴月 | 本格的に関係を深め、生活を共にする。 |
| 2013年 | 小田貴月 | 高倉さんの養女となる。 |
| 2014年11月10日 | 高倉健 | 83歳で死去。小田さんが最期を看取った。 |
この年表から分かるように、江利さんは高倉さんの唯一の法律上の妻であり、小田さんは晩年の生活を支えたパートナーから養女へと立場が変わった人物です。
特に重要なのは、養女になったことと再婚したことは同じではないという点です。小田さんが高倉姓の戸籍上の家族になった背景には、二人の生活だけでなく、病気や看護、法的な手続きの問題も関係していました。
【17年間のパートナー関係】小田貴月はなぜ妻ではなく養女になった?
高倉健さんの晩年を語るうえで欠かせないのが、小田貴月さんです。
小田さんは1964年東京都生まれ。女優として活動した後、海外ホテルを紹介する番組のディレクターやプロデューサーなどを務めました。
文藝春秋から刊行された著書『高倉健、その愛。』やスポニチのインタビューによれば、二人が出会ったのは1996年3月の香港でした。
1996年の出会いから始まった17年間当初は文通などを通じて交流を深め、1997年に小田さんが仕事でイランへ向かった頃から、二人は本格的に向き合うようになったといいます。
小田さんは高倉さんの生活を支える存在となり、食事の用意や撮影の準備、日常生活のさまざまな場面で寄り添いました。
文藝春秋の書籍紹介では、小田さんは高倉さんのために毎日食事を作り、ロケの支度を整え、会話を重ねてきた人物として紹介されています。
また、高倉さんは俳優としての孤高のイメージを大切にしていたため、二人は外で会うことを避け、私生活を表に出さない関係を続けていたといいます。
2014年に高倉さんが亡くなるまで、二人の関係は約17年間に及びました。
なぜ高倉健は小田貴月と再婚しなかったのか小田さんは2023年6月、テレビ朝日系の『徹子の部屋』に出演し、高倉さんと結婚という形を選ばなかった理由を明かしています。
その説明によれば、高倉さんには江利チエミさんとの離婚を経験したことによる心理的な抵抗があり、婚姻という形式にこだわらず、好きな人と一緒にいられればよいという考えがあったそうです。
「紙にしばられるのは違うんじゃないか」
これは小田さんがテレビ出演時に紹介した、高倉さんの結婚観を表す言葉です。
実は、二人の間では婚姻届がまったく話題にならなかったわけではありません。小田さんの説明によると、高倉さんから長期ロケの際に役所で婚姻届を受け取るよう頼まれ、小田さん自身が署名したこともあったそうです。
しかし、最終的に婚姻届は提出されませんでした。つまり、結婚を考えたことが一度もなかったというよりも、二人が夫婦という形式を必要としなかったことが、再婚に至らなかった背景にあります。
小田さん自身も、妻という肩書にこだわらなかったと振り返っています。二人の間では、法律上の婚姻よりも、長く生活を共にすることが大切にされていたようです。
小田貴月が養女になった経緯は母親の病気だったそれでは、なぜパートナーだった小田さんは養女になったのでしょうか。
大きなきっかけは、2011年11月に小田さんの母親が脳梗塞で倒れたことでした。
小田さんは母親の入院中、病院へ通って看病を続けました。その過程で、親族でなければ医師から詳しい病状を聞いたり、病室で十分に看病したりすることが難しいという現実を知ります。
その事情を高倉さんに伝えたところ、自分自身が病気になった場合、小田さんが看病できない可能性に気づいたといいます。
スポニチが2024年12月に報じた小田さんの『徹子の部屋』での説明によれば、二人は戸籍上の関係について話し合い、養女という選択肢を検討することになりました。
そして2013年、小田さんは高倉さんの養女となります。
ここで重要なのは、養女縁組が二人の関係を解消したり、別の形の夫婦関係を成立させたりするためのものではなかったことです。小田さんの説明では、病気になったときに家族として看病できるようにするという実務的な意味が大きかったとされています。
結果として、小田さんはパートナーであると同時に、戸籍上も高倉さんの家族となりました。
【子供・遺産相続】高倉健に子供がいない理由と全財産の行方
高倉健に子供はいた?江利チエミとの間に実子はいない高倉健さんには実子がいません。
江利チエミさんとの結婚生活中、1962年に妊娠したことはありました。しかし、重度の妊娠中毒症によって中絶を余儀なくされ、その後、二人に子供が生まれることはありませんでした。
したがって、高倉さんに子供がいなかった理由を、最初から子供を望んでいなかった、あるいは意図的に子供を持たない選択をしたと説明するのは正確ではありません。
また、小田さんは養女です。法律上の親子関係は成立していますが、実の子供という意味ではありません。
高倉健の遺産は小田貴月が全財産を相続した?高倉健さんの死後、大きな関心を集めたのが遺産相続です。
2015年3月の女性自身の報道では、高倉さんの遺産について、不動産が約8億円、証券口座などの金融資産が約30億円とされ、合計40億円以上に上る可能性が報じられました。
同誌は金融機関関係者の説明として、高倉さんが生前に自筆の遺言書を作成し、全財産を養女に相続させる趣旨を記していたと伝えています。また、弁護士も相続人が養女であることを認めたと報じられました。
一方で、40億円という金額は報道機関が取材をもとに推計したものであり、確定した相続額として公表された数字ではありません。
2019年のスポニチのインタビューで、小田さんは40億円の遺産報道について質問され、自分がその金額を公表したわけではないと説明しています。具体的な相続金額についても明らかにしていません。
したがって、遺産相続について整理すると、次のようになります。
- 相続人:養女となっていた小田貴月さん。
- 遺言書:全財産を養女に相続させる趣旨だったと報道されている。
- 40億円という金額:女性自身が報じた推計額で、確定した公表額ではない。
- 相続の背景:高倉さん自身が長年生活を支えた小田さんに財産を残す意思を示していたと、弁護士の説明として報じられている。
ここで注目したいのは、小田さんが遺産を受け取った理由です。単に長年の交際相手だったからではなく、養女として法律上の親子関係が成立しており、遺言書による意思表示もあったと報じられている点です。
つまり、高倉さんの財産相続は、二人の長年の関係と、生前に行われた法的な手続きの両面から理解する必要があります。
【よくある誤解を整理】高倉健の妻・小田貴月・江利チエミに関する事実
高倉健さんの私生活については、妻、パートナー、養女という言葉が混同されやすくなっています。特に小田さんについては、長年一緒に暮らしていたことや遺産を相続したことから、妻だったと誤解されることがあります。
しかし、法律上の結婚歴と実際の生活関係は分けて考える必要があります。
誤解1:小田貴月は高倉健の再婚相手だった?小田さんは法律上の妻ではありません。婚姻届を用意したことはありましたが、最終的には提出されず、2013年に養女となっています。
誤解2:江利チエミとは夫婦仲が悪くて離婚した?離婚の背景には、江利さんの異父姉をめぐる親族問題や金銭トラブルがあったと報じられています。夫婦間の不仲だけを原因とする説明では、当時の事情を十分に捉えられません。
誤解3:高倉健の遺産40億円は確定している?40億円という数字は女性自身が報じた推計です。小田さん本人は自ら公表した金額ではないと説明し、相続額の詳細は明らかにしていません。
このように、人物の関係を正確に理解するには、結婚歴、戸籍上の続柄、本人の証言、報道された資産額をそれぞれ分けて確認することが大切です。
【高倉健の妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高倉健の妻は現在誰ですか?
A1:高倉健さんは2014年11月10日に83歳で亡くなっています。唯一の法律上の妻は江利チエミさんで、1971年に離婚しました。その後は再婚していないため、現在の妻はいません。
Q2:小田貴月は高倉健の妻だったのですか?
A2:法律上の妻ではありません。1996年に出会い、約17年間パートナーとして生活を共にした後、2013年に養女となりました。婚姻届を用意したことはありましたが、提出には至っていません。
Q3:高倉健と江利チエミの離婚理由は何ですか?
A3:江利チエミさんの異父姉をめぐる金銭問題や親族トラブルが大きな原因だったと報じられています。江利さん側から離婚を申し入れ、1971年に離婚しました。
Q4:高倉健に子供はいましたか?
A4:実子はいません。1962年に江利チエミさんが妊娠しましたが、重度の妊娠中毒症により中絶を余儀なくされました。小田貴月さんは実子ではなく養女です。
Q5:高倉健の遺産は小田貴月が相続したのですか?
A5:報道によれば、高倉さんの遺言書には全財産を養女に相続させる趣旨が記されており、小田さんが相続人となりました。ただし、40億円以上という金額は報道上の推計であり、確定額は公表されていません。
Q6:高倉健は江利チエミの墓参りを続けていたのですか?
A6:日刊スポーツなどの報道によれば、離婚後も江利さんの命日には毎年墓参りをし、花を手向けていたとされています。江利さんは1982年2月13日に45歳で亡くなりました。
高倉健さんの結婚歴を振り返ると、唯一の妻は江利チエミさんでした。1959年2月16日に結婚し、親族をめぐる問題などを背景に1971年に離婚しています。その後、高倉さんは再婚せず、江利さんは1982年に45歳で亡くなりました。
一方、1996年に出会った小田貴月さんとは、約17年間にわたって生活を共にしました。婚姻という形式を選ばなかった二人は、2013年に養女縁組という形で戸籍上の家族となり、小田さんは高倉さんの最期を看取りました。
遺産についても、養女への相続が報じられていますが、40億円という数字は報道上の推計であり、確定した相続額ではありません。
高倉健さんの人生を理解するうえで大切なのは、江利チエミさんは唯一の妻、小田貴月さんは晩年のパートナーであり養女という違いを正しく捉えることです。
銀幕では寡黙で孤高の人物を演じ続けた高倉さんですが、私生活では結婚、離婚、長年のパートナーとの生活、そして家族としての新しい関係を経験していました。その歩みは、俳優としての華やかな経歴とは異なる、一人の人間としての人生を伝えています。