「あると思います!」の決め台詞と、詩吟に下ネタを組み合わせた「エロ詩吟」で一世を風靡したお笑い芸人・天津木村。2009年には新語・流行語大賞にノミネートされ、テレビで見ない日はないほどの人気を集めた時期もあった。
そんな天津木村は、2021年に活動拠点を東京から岩手県盛岡市へ移し、現在は地方テレビ番組のMCや地域情報の発信、ラジオ、イベント出演など幅広く活動している。2026年には50歳を迎え、岩手朝日テレビの情報番組『Go!Go!いわて』や青森朝日放送の『ハレのちあした』など、東北を中心とした仕事で存在感を発揮している。
かつてのブレイクから仕事が激減した時期、ヒロミの言葉をきっかけにした岩手移住、そして現在の充実した仕事ぶりまで。本人への2026年のインタビューやテレビ局の公式情報をもとに、その経歴と現在地を整理する。
【結論】「あると思います芸人」の正体は天津木村!本名やプロフィールを紹介

「あると思います芸人」と呼ばれているのは、お笑いコンビ天津の木村卓寛(きむら・たくひろ)だ。
ピンク色の着物や羽織を身につけ、「吟じます!」という掛け声から詩吟を披露する独特の芸風で知られる。男女の恋愛や日常の男女関係を題材にした少し刺激的な内容を、伝統芸能のような節回しで表現するギャップが人気を集めた。
プロフィールは次のとおり。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 天津木村 |
| 本名 | 木村卓寛(きむら・たくひろ) |
| 生年月日 | 1976年5月22日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 50歳 |
| 出身地 | 兵庫県 |
| 所属事務所 | 吉本興業 |
| コンビ名 | 天津 |
| 相方 | 天津飯大郎(旧芸名・向清太朗) |
| 芸歴 | 1999年から |
| 代表的な芸 | エロ詩吟 |
| 代表的な決め台詞 | 「あると思います!」 |
| 現在の主な活動地域 | 岩手県・青森県など東北地方 |
吉本興業の公式プロフィールによると、木村はNSC大阪校21期生。1999年2月に相方と天津を結成している。
また、詩吟は単なる芸のために身につけたものではない。木村は幼い頃から詩吟に親しんでおり、その経験が後のエロ詩吟につながった。
つまり、天津木村の芸風は伝統的な詩吟の技術と現代的なお笑いを組み合わせたものだった。
「吟じます!」から「あると思います!」が生まれた理由エロ詩吟の基本的な構成は、まず「吟じます!」と宣言し、男女の恋愛や思わず共感してしまうようなシチュエーションを詩吟調で表現するというもの。
最後に「なんだか今日いけそうな気がする~」と盛り上げ、「あると思います!」で締めくくる。
この決め台詞は、単なるネタの締め言葉を超えて、日常会話でも使いやすいフレーズとして広まった。
特に印象的だったのは、内容の面白さだけでなく、詩吟という格式のある表現と下ネタの組み合わせだ。予想外の組み合わせによる笑いが、幅広い視聴者に受け入れられた。
【ブレイクから現在まで】天津木村の経歴と人生の転換点を年表で整理
天津木村の芸能人生は、順風満帆な一本道ではない。
10年近い下積み、エロ詩吟による全国的なブレイク、人気の急落、アルバイトや運転手の仕事、そして岩手移住による再出発という大きな変化を経験している。
主要な出来事を時系列で整理した。
| 年代 | 出来事 | 内容・意味 |
|---|---|---|
| 1998年 | NSC大阪校21期生 | 吉本興業の芸人養成所で経験を積む |
| 1999年2月 | 天津を結成 | 向清太朗とコンビ活動を開始 |
| 2007年 | エロ詩吟が注目される | 『オールザッツ漫才』などをきっかけに人気が広がる |
| 2008年 | 全国的にブレイク | 「吟じます!」の芸風がテレビで話題に |
| 2009年 | 流行語大賞にノミネート | 「あると思います」が候補語に選ばれる |
| 2010年代前半 | 人気が落ち着く | テレビ出演や収入が減少 |
| 2016年 | 運転手の仕事にも挑戦 | 大型二種免許を取得し、ロケバス運転手としても活動 |
| 2020年前後 | ヒロミの運転手を経験 | 仕事観や人生観を見つめ直す機会となる |
| 2021年3月 | 岩手移住を決断 | 盛岡市を新しい生活・活動拠点にする |
| 2021年4月 | 『Go!Go!いわて』MC就任 | 岩手朝日テレビの地域情報番組で活躍 |
| 2021年 | いわて暮らしアンバサダー就任 | 岩手の暮らしや魅力を発信 |
| 2022年 | 冠番組がスタート | 『天津木村のへぇ~ 岩手、それ あると思います』 |
| 2023年 | 『KICK OFF! IWATE』MC | 岩手のサッカー情報にも活動を広げる |
| 2024年 | 天津結成25周年 | 相方とのコンビ活動も継続 |
| 2025年 | 青森での活動を拡大 | 『ハレのちあした』の火曜MCに就任 |
| 2026年 | 東北を中心に活動 | テレビ、ラジオ、イベントなどで活躍 |
この年表で注目したいのは、2009年のブレイクと2021年の岩手移住が、どちらも木村のキャリアにおける大きな節目になっていることだ。
2009年の流行語大賞では受賞した?「あると思います」は2009年の新語・流行語大賞にノミネートされたが、年間大賞やトップテンには選ばれていない。
年間大賞は「政権交代」。トップテンには「こども店長」「草食男子」「歴女」などが選ばれた。
この点は誤解されやすい。
ノミネートされたことと、トップテンに入ったことは別である。天津木村の場合、正式な受賞者というより、2009年を象徴する芸人の決め台詞として広く認知された存在だ。
ブレイクのきっかけは2007年の詩吟ネタ木村のエロ詩吟が広く知られるようになったきっかけの一つが、関西のテレビ番組『オールザッツ漫才』だった。
2007年末に披露された詩吟と下ネタを融合させた芸が注目を集め、翌2008年には全国区の人気へと発展する。
2008年9月には『天津 木村のエロ詩吟、吟じます。』を刊行。出版記念イベントでも決め台詞を披露し、流行語大賞を狙う意欲を見せていた。
その翌年に実際にノミネートされたことからも、当時の勢いがうかがえる。
【人気低迷と再起】天津木村はブレイク後に何をしていた?
一時期、全国的な人気を獲得した木村だったが、その勢いが長く続いたわけではない。
2026年4月の東洋経済オンラインの本人インタビューでは、2009年の流行語大賞ノミネート後、2010年頃から仕事が急激に減少した経緯が語られている。
ブレイク時には月収が3桁万円だったものの、仕事が減った時期には1桁万円にまで落ち込んだという。
本人にとっては、芸人としての自信や将来への不安が交錯する時期だった。
「一発屋芸人」と呼ばれる時期の苦悩木村は、人気が落ち着いた後も芸人を続けようと努力した。
しかし、以前のようにテレビ出演の機会が得られず、家族を養うためにアルバイトなどを経験することになる。
2026年のインタビューでは、当時の自分について、ブレイクによって周囲への気遣いが足りなくなっていたことにも触れている。
スタッフや応援してくれる人の立場を考える余裕がなかったという反省は、その後の仕事に対する姿勢を変えるきっかけになった。
また、木村は芸人以外の仕事にも挑戦している。
2016年には大型自動車第二種免許を取得し、ロケバス運転手としても活動。後にはタレントのヒロミの専属運転手も経験した。
2026年の本人インタビューでは、人気低迷後にテレアポ営業の仕事にも取り組んでいたことが明かされている。
芸人以外の仕事で評価される一方、「自分は芸人なのに、この仕事で成功してしまうのではないか」と複雑な気持ちを抱いた時期もあったという。
ヒロミとの出会いが仕事観を変えた木村の人生を語るうえで欠かせない人物がヒロミだ。
ヒロミの運転手を経験したことで、木村は仕事における気遣いや人との向き合い方を学んだ。
特に大きかったのは、相手の立場に立って考えることの大切さだった。
その考え方は、後の岩手移住にもつながっていく。
単に東京で仕事が減ったから地方に移ったという話ではない。新しい土地で自分を必要としてくれる人たちと向き合い、ゼロから仕事を作るという決断だった。
【なぜ岩手に移住した?】天津木村が盛岡を選んだ理由とヒロミの助言
2021年、木村は岩手朝日テレビの新番組『Go!Go!いわて』のMCに起用された。
番組は2021年4月3日に放送を開始。岩手の魅力や県内の旬な情報を届ける地域密着型の情報番組だ。
当初、木村は週1回の出演なら東京から通うことも考えていたという。
しかし、ヒロミに相談したことで考えが変わった。
ヒロミから伝えられたのは、番組MCという重要な仕事を任せてくれた岩手のテレビ局に対して、木村自身も覚悟を示すべきだという考え方だった。
週末だけ岩手に通うのではなく、実際に住んで同じ土地で生活することが、地域の人たちに受け入れてもらうための第一歩になるという助言だった。
木村はこの言葉を受け、2021年3月中旬に岩手へ移住する決断をした。
「移住して成功したというより、岩手に救ってもらったという感覚です」
この言葉は、2026年4月の東洋経済オンラインのインタビューで語られたものだ。
移住後の木村は、岩手の飲食店や地域の人々、観光スポットなどを積極的に紹介するようになった。
本人による情報発信も仕事につながり、岩手の郷土料理を扱うテレビ番組や地域イベント、講演会などへ活動の幅が広がった。
いわて暮らしアンバサダーにも就任2021年9月には、岩手県の「いわて暮らしアンバサダー」に就任した。
この役割は、岩手に住む著名人がSNSなどを通じて地域の暮らしの魅力を発信し、移住や定住を促進することを目的としたものだ。
木村は単にテレビに出演するだけでなく、岩手で暮らす一人の住民として地域の魅力を伝える立場になった。
また、岩手県の「いわて幸福白書2024」では、次のような地域関連の活動も紹介されている。
- 岩手県「いわて暮らしアンバサダー」
- JA全農いわて「純情産地いわて応援団長」
- 山田町観光ふるさと大使
- もりおか魅力発信大使
こうした活動からも、岩手での仕事が単なるテレビ出演にとどまらないことが分かる。
岩手移住後にエロ詩吟は封印した?移住後の木村について、もう一つ話題になったのがエロ詩吟の扱いだ。
2022年7月のスポーツニッポンの報道では、岩手ではエロ詩吟を求められることが少なく、現在は穏やかな内容の詩吟を披露していると紹介された。
地域情報番組では、過激な下ネタよりも岩手の食や歴史、文化、人々の魅力を伝えることが求められる。
そのため、活動の中心が自然に変化していった。
ただし、エロ詩吟を完全にやめたわけではない。
2026年4月の東洋経済オンラインのインタビューでは、企業の忘年会でリクエストを受けて久しぶりに披露したところ、内容が少し過激になりすぎた経験も明かしている。
現在は年に1回あるかないかという頻度で披露しているという。
【2026年最新】天津木村の現在の仕事と出演番組を解説
2026年11月現在、天津木村は芸人としての活動を続けながら、テレビ番組のMCや地域情報の発信を中心としたタレント活動を展開している。
特に岩手県と青森県での仕事が大きな柱になっている。
2026年10月の本人インタビューでも、岩手でのレギュラー番組や青森でのテレビ出演、ラジオ、イベントなど、幅広い仕事に取り組んでいることが紹介された。
1. Go!Go!いわて:岩手朝日テレビのメインMCGo!Go!いわては、天津木村の岩手移住を象徴する番組だ。
岩手朝日テレビが制作する地域密着型の情報番組で、2021年4月3日にスタートした。
2026年10月31日の放送情報でも、木村がMCとして掲載されている。
番組では、岩手県内の観光地、飲食店、地域の人々、季節の話題などを紹介。県内各地を訪問する企画も多い。
特に「天津木村のどっかええトコありますか?」は、地元の魅力を掘り起こす人気コーナーの一つだ。
2026年も放送内容には、地域の農業、食文化、観光、歴史など幅広いテーマが並んでいる。
単なる芸人のローカル出演ではなく、岩手の情報を届ける番組の顔として定着している点が特徴だ。
2. KICK OFF! IWATE:サッカー番組のMC岩手朝日テレビでは、サッカー情報番組『KICK OFF! IWATE』にもMCとして出演している。
岩手のサッカーを応援する番組で、いわてグルージャ盛岡をはじめ、県内のサッカー情報を取り上げている。
地域のスポーツを扱う番組への出演は、エロ詩吟時代とは異なる新しい仕事の一つだ。
3. ハレのちあした:青森朝日放送でも活躍岩手だけでなく、青森県でも仕事を広げている。
2025年4月からは、青森朝日放送の夕方情報番組『ハレのちあした』の火曜日MCを担当。
同番組の公式出演者ページにも、火曜日のMCとして天津木村の名前が掲載されている。
青森県内の飲食店や地域の話題、生活情報などを扱う番組で、東北地方での知名度をさらに広げる機会になっている。
4. 天津木村のへぇ~ 岩手、それ あると思います2022年6月に始まった『天津木村のへぇ~ 岩手、それ あると思います』も、木村の代表的な冠番組だ。
岩手朝日テレビが制作する人情紀行バラエティーで、岩手県民でも意外と知らない歴史や文化、風土などを取り上げてきた。
地元の人との交流を通じて、地域の魅力を再発見する内容になっている。
加えて、2026年10月21日には岩手朝日テレビの開局30周年特別番組として、その特別編『義経は生きていた!?』が放送された。
木村が岩手から青森、北海道へと続く義経北行伝説を追いかける内容で、岩手の歴史や伝説を掘り下げる企画だった。
これは、木村が地域の歴史や文化を伝えるタレントとしても活動していることを示す新しい実績だ。
5. ラジオ・イベント・講演会などテレビ出演以外にも、ラジオや地域イベント、講演会などで活動している。
岩手での生活経験や移住の経緯を話す講演会では、地方での新しい働き方や地域との関わり方もテーマになる。
また、岩手の食や観光、文化を紹介するイベントなどにも参加している。
2026年4月の東洋経済オンラインの取材では、現在の仕事について、芸人としてネタを披露するよりもMCを中心にしたタレント業が中心になっていると説明している。
つまり、現在の天津木村は、エロ詩吟一本で活動する芸人ではない。
地域密着型の情報発信者、番組MC、タレントという複数の役割を持つ芸能人へと変化している。
【相方・天津との関係】向清太朗から天津飯大郎へ改名後もコンビは継続
天津木村について調べると、相方との関係やコンビ解散の噂が気になる人もいる。
結論からいえば、岩手移住によって天津が解散したわけではない。
相方は、かつて向清太朗(むかい・せいたろう)という芸名で活動していた人物だ。
2024年2月18日、TBSラジオ『川島明のねごと』への出演を通じて、天津飯大郎(てんしん・はんたろう)への改名を正式発表した。
吉本興業の公式プロフィールでも、現在は天津木村と天津飯大郎のコンビとして掲載されている。
木村と相方はそれぞれ別の分野で活動岩手に移住した木村は地域テレビのMCとして活動する一方、天津飯大郎はアニメ関連の仕事や声優・ナレーションなど、自身の趣味や得意分野を生かした活動を展開している。
そのため、以前のように常に二人でテレビに出演する形ではなく、個人活動が中心になっている。
しかし、2024年2月のラジオ関西の取材では、コンビ活動を継続していることが確認されている。
同記事によれば、二人は月1回のリモート配信「天津定例報告会」を実施し、毎年単独ライブも開催していた。
木村自身も、漫才を続けたいという意欲を語っている。
天津の関係者・活動相関表| 人物・組織 | 関係 | 主な活動 |
|---|---|---|
| 天津木村 | コンビのメンバー | 岩手・青森のテレビ番組MC |
| 天津飯大郎 | 相方・旧向清太朗 | アニメ関連・芸人活動 |
| 吉本興業 | 所属事務所 | コンビのマネジメント |
| ヒロミ | 木村の仕事上の恩人 | 運転手時代から移住決断まで影響 |
| 岩手朝日テレビ | 主な活動先 | Go!Go!いわてなど |
| 青森朝日放送 | 活動先 | ハレのちあした |
二人の距離が離れたことは、コンビとしての活動がなくなったことを意味しない。
それぞれの得意分野で仕事をしながら、必要に応じてコンビとして活動するという形に変わっている。
【プロの結論】天津木村の再ブレイクはなぜ成功した?地方移住から学べること
天津木村の2021年以降の活動を振り返ると、単純な地方移住による再ブレイクとは少し違う側面が見えてくる。
注目すべきなのは、過去の知名度を利用するだけでなく、新しい土地で自分の役割を作り直したことだ。
1. 過去のキャラクターに依存しなかった木村はエロ詩吟で全国的な人気を獲得した。
しかし、岩手移住後の仕事では、その芸風を無理に前面へ押し出していない。
地域の情報を伝えるMCとして、地元の人々との会話や取材を重ねることを優先している。
過去の代表ネタを完全に捨てたのではなく、必要な場面で活用しながら、現在の仕事に合わせて表現を変えているのだ。
2. 地域に住むことで仕事の信頼を築いたヒロミから受けた助言の中心にあったのは、現地に住むことの意味だった。
地方番組の仕事を週1回こなすだけなら、東京から通う方法もあった。
しかし、木村は盛岡に生活拠点を移し、地域の人々と日常的に接することを選んだ。
その結果、番組出演だけでなく、地域のイベントや観光関連の仕事、講演会などにも活動が広がっていった。
これは地方で活動する芸能人にとって、単なる知名度よりも地域との継続的な関係が重要になることを示している。
3. 全国区への復帰よりも自分の居場所を選んだ2026年4月の東洋経済オンラインのインタビューでは、木村は全国区で再び成功することを現在の目標にはしていないと語っている。
岩手での生活に大きな充実感を得ており、今後も東北を盛り上げていくことに意欲を示している。
また、青森でのテレビ出演に加え、今後は秋田でも仕事をしたいという展望も明かしていた。
これは芸人としての夢を諦めたということではない。
全国ネットのテレビに出演することだけを成功と考えず、自分の得意分野を生かせる場所で仕事を続けるという選択だ。
天津木村の現在から分かる、仕事選びの判断基準木村のキャリアから読み取れる要点は、次の3つだ。
- 過去の成功体験だけに頼らず、環境に合わせて仕事の形を変える。
- 自分を必要としてくれる場所で、継続的な信頼関係を築く。
- 他人との比較より、自分が充実感を得られる働き方を優先する。
一方で、地方移住が誰にとっても最適な選択になるわけではない。
生活環境、家族の事情、収入、仕事の機会など、考えるべきことは多い。
木村の場合は、岩手朝日テレビからのMCオファーという具体的な仕事があり、ヒロミの助言もあった。加えて、本人が現地での生活を積極的に楽しみ、地域の情報発信に取り組んだことが大きい。
その意味で、天津木村の再出発は、地方移住そのものよりも、新しい環境で自分の価値を作り直した事例として見るべきだろう。
【よくある質問】あると思います芸人・天津木村に関するFAQ
Q1:あると思います芸人は誰ですか?
A1:お笑いコンビ天津の木村卓寛です。詩吟と下ネタを融合したエロ詩吟で知られ、「吟じます!」と「あると思います!」が代表的な決め台詞です。
Q2:天津木村の本名は何ですか?
A2:木村卓寛(きむら・たくひろ)です。1976年5月22日生まれで、2026年11月現在50歳です。
Q3:天津木村は2026年現在どこに住んでいますか?
A3:2021年に岩手県へ移住し、盛岡を生活・活動の拠点にしています。岩手や青森のテレビ番組などで活動しています。
Q4:天津木村の現在の仕事は何ですか?
A4:岩手朝日テレビの『Go!Go!いわて』や『KICK OFF! IWATE』、青森朝日放送の『ハレのちあした』などのMCを中心に、ラジオ、イベント、講演会などにも出演しています。
Q5:天津木村はなぜ岩手に移住したのですか?
A5:岩手朝日テレビの情報番組『Go!Go!いわて』のMCに起用されたことが直接のきっかけです。ヒロミから、現地に住んで地域の人々と向き合う覚悟を持つよう助言されたことも大きな理由です。
Q6:天津木村はエロ詩吟をやめたのですか?
A6:完全にやめたわけではありません。現在は地域情報番組のMCなどが活動の中心で、エロ詩吟を披露する機会は年に1回あるかないか程度と、2026年の本人インタビューで説明しています。
Q7:天津は解散したのですか?
A7:解散していません。相方は2024年に向清太朗から天津飯大郎へ改名しています。個人活動が中心ですが、コンビ活動も継続しています。
Q8:天津木村は流行語大賞を受賞したのですか?
A8:「あると思います」は2009年の新語・流行語大賞にノミネートされました。ただし、年間大賞やトップテンには選ばれていません。
「あると思います芸人」として知られる天津木村は、2008年のエロ詩吟ブームと2009年の流行語大賞ノミネートを経て、人気低迷という厳しい時期も経験した。
しかし、2021年の岩手移住をきっかけに活動の方向性を大きく転換。ヒロミの助言を受けて盛岡に生活拠点を移し、岩手朝日テレビの『Go!Go!いわて』でMCを務めるようになった。
2026年現在は、岩手の番組だけでなく青森の『ハレのちあした』などでも活躍。『天津木村のへぇ~ 岩手、それ あると思います』の特別編が岩手朝日テレビの開局30周年企画として放送されるなど、地域の歴史や文化を伝える仕事にも取り組んでいる。
また、相方の天津飯大郎とのコンビ活動も続いており、芸人としての原点を失ったわけではない。
全国的な知名度を再び追い求めるのではなく、自分を必要としてくれる地域で仕事を続け、岩手や東北に恩返しをしていく。そんな生き方を選んだ天津木村の今後にも注目したい。
かつて日本中に広まった「あると思います!」という言葉は、2026年の現在、岩手や東北の魅力を発信する活動の中でも新しい意味を持ち続けている。