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【2025〜2026年】抗がん剤治療を続けた山田五郎さんに起きた変化

藤森 綾 藤森 綾 • 更新: • 公開: • 読了約 14 分
目次

がんを公表した後も、山田さんはすぐに表舞台から姿を消したわけではありません。

むしろ、2025年には大きな賞を受賞し、2026年1月には専門医との対談記事にも登場しています。しかし、その後の病状は厳しいものとなりました。

2025年10月、第17回伊丹十三賞を受賞

2025年10月7日・テレビ朝日報道

2025年10月7日、山田さんは都内で開催された第17回伊丹十三賞の贈呈式に出席しました。

受賞理由は、YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」で展開してきた、美術を対話形式で掘り下げる斬新な番組づくりと、その面白さでした。

伊丹十三記念館の公式発表にも、同チャンネルの独創性が評価されたことが記されています。

この日の山田さんは抗がん剤治療を続けていることを明かしながら、食事もできていると報告しました。

体重についても、がんの影響で約10キロ減少した後、受賞の喜びなどもあって、この1か月で約3キロ増えたと説明しています。

本人はユーモアを交えながら、食事ができていることを喜んでいました。

2026年1月、希少がん専門医との対談に登場

2026年1月31日、集英社オンラインは山田さんと希少がん専門医による対談記事を掲載しました。

記事のテーマは、原発不明がんの治療と、患者によって異なる病状や治療経過です。

山田さんはこの時点でも抗がん剤治療を続けながら、テレビ出演やYouTubeの活動を行っていました。

記事では、同じ原発不明がんでも、患者によって経過が大きく異なることが取り上げられています。

専門医との対談は、原発不明がんが一律の病気ではなく、個々の状態に応じた診断や治療が必要になることを理解するうえでも意味のある内容でした。

2026年3月の昏睡と、7月に明かされた深刻な病状

2026年7月17日に公開された公式YouTube動画では、山田さん自身が病状の悪化について説明しました。

本人によると、2026年3月に昏睡状態になり、その後、歩行が難しくなって車いすを使用するようになったといいます。

加えて、次のような変化があったことも明かしました。

- 腹水がたまり、お腹に水がたまる状態になった。
- 胸水がたまり、呼吸が困難になった。
- 鼻に医療用チューブを装着して酸素吸入が必要になった。
- 固形物を食べられなくなった。
- それまで続けていた喫煙もできなくなった。

動画の中で山田さんは、自分自身の状態について、立って歩くことも食事をすることも難しくなったと率直に話していました。

それでも、動画内では新刊『光の西洋絵画史 金の闇篇』を紹介しています。

体調が厳しい状況でも、自分が伝えたい知識や作品を届けようとする姿が印象に残る発信でした。

なお、この動画は7月14日の死去後、7月17日に公開されたものです。公開日と収録日を混同しないことが大切です。

山田五郎さんの死因は何だったのか?

2026年7月22日公式発表

2026年7月14日火曜日の夕方、山田五郎さんは67歳で亡くなりました。

所属事務所の公式発表は、7月22日にYouTubeチャンネルで担当マネジャーから伝えられました。

マネジャーは20年以上にわたって山田さんと仕事をしてきた人物で、治療にもすべて立ち会っていたと説明しています。

発表では、がんと診断された時期が2024年7月であり、約2年間の闘病生活だったことも明かされました。

山田さんは、がんに勝ってまだまだ仕事をしたいと話していたそうです。

死因について、TBS NEWS DIGなどの報道は原発不明がんによる死去と伝えています。一方、担当マネジャーの公式発表では、最終的な直接死因や臓器ごとの詳しい医学的経過までは公表されていません。

そのため、肝不全や呼吸不全など、特定の臓器の機能障害を直接の死因として断定することはできません。

マネジャーは発表の中で、病院の駐車場に咲く桜を見ながら、山田さんと「来年も一緒に桜を見ような」と話した思い出も紹介しました。

意思疎通ができるようになること、再び話せるようになることなど、日々小さな目標を立てながら治療に向き合っていたといいます。

その言葉からは、病気と闘いながらも、仕事や日常を取り戻したいという本人の思いが伝わってきます。

【最後の動画】山田五郎さんが残した「メメント・モリ」の講義

山田五郎がん

山田五郎さんの闘病を語るうえで、特に大きな意味を持つのが、2026年7月31日に公開された動画です。

タイトルは、

「【メメント・モリ】山田五郎、最後の授業。伝えたい言葉。【皆様へのメッセージ】」

でした。

この動画は、山田さんが亡くなる5〜6日前に収録されたものです。TBS NEWS DIGの取材に対し、関係者が収録時期を明らかにしています。

メメント・モリとは何を意味するのか

「メメント・モリ」はラテン語で「死を想え」という意味を持つ言葉です。

西洋美術史では、人間の死や人生の有限性を表す重要なテーマとして扱われてきました。

山田さんは最後の講義で、ドクロを描いた絵画などを取り上げ、このテーマを美術史の観点から解説しました。

鼻に医療用チューブを装着し、息を整えながら講義する姿は、これまでの軽妙な語り口とは異なる印象を残しました。

約20分の講義を終えた後、スタッフから、体調がつらい中で収録に臨んだ理由を尋ねられています。

それに対して山田さんは、メメント・モリと対になる言葉として「カルペ・ディエム」を紹介しました。

今できることは今やる。

本人は、明日にはできなくなるかもしれないから、今できることを今やるという思いを語っています。

また、5年半にわたってスタッフと一緒につくってきたチャンネルについても、感謝を伝えました。

動画の概要欄には、本人から「このかたちで収録ができるのはたぶん最後だから」との言葉があり、できるだけ普段どおりに撮影したことが記されています。

最後まで美術を伝えようとした理由

この講義が印象的なのは、単なる闘病報告や別れのメッセージではなかったことです。

山田さんは最後まで、美術作品の背景や歴史を解説するという、自分が長年続けてきた仕事に向き合っていました。

美術評論家としての専門知識を、難しい専門用語だけで説明するのではなく、ユーモアを交えながら視聴者に伝える。

それが「山田五郎 オトナの教養講座」の魅力でした。

最後の講義でも、その基本姿勢は変わっていません。

動画の終盤では、視聴者への感謝とともに、チャンネルを通じて学んでほしいことを語っています。

山田さんの最後の講義は、死をテーマにした美術史の授業であると同時に、本人が最後まで大切にした仕事の姿勢を伝える記録にもなりました。

【人物・活動】山田五郎さんはどんな評論家だったのか

山田五郎さんの闘病が多くの人に関心を持たれた背景には、長年にわたる幅広い活動があります。

単なるテレビタレントではなく、雑誌編集者としての経験を持ち、西洋美術や時計、ファッション、街づくりなど、多様な分野に精通した人物でした。

上智大学から講談社へ、編集者としてのキャリア

山田五郎さんは1958年12月5日、東京都生まれ。

上智大学文学部で学び、在学中にはオーストリアのザルツブルク大学に留学して西洋美術史を学びました。

卒業後は講談社に入社し、若者向け情報誌『Hot-Dog PRESS』の編集長などを歴任しています。

その後、2004年に講談社を退社して独立。フリーの編集者、評論家として活動の幅を広げました。

テレビ番組で親しまれた博識とユーモア

山田さんの名前を広く知らしめた番組の一つが『タモリ倶楽部』です。

そのほか、テレビ東京系の『出没!アド街ック天国』や、BS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』などにも出演しました。

特に美術に関する解説では、画家の人生や作品の背景を分かりやすく説明する能力が高く評価されていました。

専門的な内容を難解な知識として提示するのではなく、視聴者が楽しみながら理解できるように伝えることが、山田さんの持ち味でした。

「山田五郎 オトナの教養講座」が人気を集めた理由

2021年に始まったYouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」は、西洋絵画や画家の生涯、作品にまつわる逸話などを取り上げる教養番組です。

美術館で名画を見るだけでは分かりにくい時代背景や、画家の人間関係、作品に込められた意味などを、対話形式で紹介してきました。

このチャンネルの功績は、専門家だけが楽しむと思われがちな美術史を、幅広い視聴者に開いたことです。

2025年には、この番組の斬新さと面白さが評価され、第17回伊丹十三賞を受賞しました。

そして2026年7月31日、最後の講義が公開されました。

【プロの結論】山田五郎さんの闘病から知っておきたい4つの事実

山田さんの病気については、検索結果の見出しや短い動画だけを見ると、事実関係を取り違えやすい部分があります。

特に、次の4点は区別して理解する必要があります。

1.肝臓がんと原発不明がんは同じではない

山田さんは肝臓に多数のがん病変が見つかったと説明しました。

しかし、肝臓が原発巣だとは確認されていません。

肝臓への転移が見つかったことと、原発性肝がんと診断されたことは異なります。

2.ステージ4Bは本人の公表時の説明に基づく

本人は、複数の部位に転移していることからステージ4B相当と説明しました。

これは報道でも広く紹介されましたが、一般公開された詳細な診断書による独立した確認とは区別する必要があります。

3.2025年に元気そうだったことは、病状が軽かったことを意味しない

2025年の受賞式では、食事ができていることや体重が増えたことをユーモアを交えて語っていました。

一方、2026年1月の対談記事でも抗がん剤治療は続いていました。

外見や一時的な体調の変化だけで、がんの進行や治療効果を判断することはできません。

4.7月17日の動画と7月31日の最後の講義は別の発信

7月17日公開の動画は、病状の悪化を本人が説明したものです。

7月31日公開の「メメント・モリ」は、亡くなる5〜6日前に収録された最後の講義です。

この2本は内容も役割も異なります。

こうした日付と発信内容を区別すると、山田さんが最後までどのように活動していたのかが理解しやすくなります。

【山田五郎のがん】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:山田五郎さんのがんは何という病気でしたか?

原発不明がんです。2024年10月4日に本人が公表しました。最初にがんが発生した臓器を特定できず、肝臓、リンパ節、骨などに病変が見つかっていました。

Q2:山田五郎さんは肝臓がんだったのでしょうか?

肝臓にがんの病変が見つかったことは本人が説明しています。ただし、肝臓が原発巣とは判明しておらず、正式に公表された病名は原発不明がんです。

Q3:山田五郎さんの死因と亡くなった日はいつですか?

2026年7月14日の夕方に67歳で亡くなりました。報道各社は原発不明がんによる死去と伝えています。所属事務所の公式発表は7月22日で、約2年間の闘病生活だったことが明かされました。

山田五郎さんは、2024年7月に原発不明がんと診断され、同年10月にステージ4B相当の病状を公表しました。

肝臓、リンパ節、骨への転移、腰椎の圧迫骨折という厳しい状況の中、抗がん剤治療や放射線治療を受けながら、テレビ出演や執筆、YouTubeでの活動を続けてきました。

2025年には第17回伊丹十三賞を受賞。2026年1月にも専門医との対談に登場しましたが、同年3月には昏睡状態を経験するなど、病状は次第に悪化していきました。

そして2026年7月14日、67歳で死去。

亡くなる5〜6日前に収録された最後の講義「メメント・モリ」は、7月31日に公開されました。

その中で伝えられた「今できることは今やる」という言葉は、最後まで美術を伝えようとした山田さんの姿勢を象徴しています。

山田五郎さんが残したものは、病気の闘病記録だけではありません。

『タモリ倶楽部』『出没!アド街ック天国』などでの活動、膨大な美術知識、そして「山田五郎 オトナの教養講座」を通じて伝えてきた教養と好奇心です。

病気と闘いながらも、最後まで自分の仕事を続けようとした評論家・山田五郎さん。その知識とユーモアは、これからも残された著書や映像を通じて、多くの人に受け継がれていきます。

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コンテンツディレクター 藤森 綾
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