毎日の食卓に当たり前のように並ぶ醤油。その歴史をたどると、古代中国の発酵食品「醤(ジャン)」に行き着きます。日本では701年の大宝律令に大豆を原料とする醤の記録が残り、鎌倉時代には禅僧・覚心(法燈国師)が伝えた径山寺味噌が、現在の醤油につながる重要な転機を生みました。
現在のような醤油が形づくられたのは室町時代末期。紀州湯浅での醸造、江戸時代の濃口醤油の普及、1666年に兵庫県龍野で誕生した淡口醤油など、地域の風土や食文化と結び付きながら発展してきました。2026年現在、JAS(日本農林規格)では醤油を5種類に分類しています。その違いを理解するには、歴史だけでなく、原料や発酵方法にも目を向ける必要があります。
【醤油の起源】古代中国の「醤」と701年の大宝律令に記された日本の醤

醤油の歴史を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが「醤(ひしお)」という言葉です。
醤は、食材を塩とともに発酵・熟成させてつくる保存食品や調味料の総称です。古代中国では「醤(ジャン)」と呼ばれ、肉や穀物など、さまざまな材料を使った発酵食品がつくられていました。
中国の発酵文化が日本に伝わり、日本独自の食材や製法と結び付いたことが、醤油の歴史の出発点とされています。ただし、中国の醤が日本に伝来した正確な年代は明らかになっていません。
しょうゆ情報センターの歴史資料では、古代中国の農業書『斉民要術』に、6世紀前半の黒大豆を使った醤の製法が記されていることも紹介されています。大豆を発酵させて調味料をつくる技術が、東アジアの食文化に深く根付いていたことが分かります。
日本の醤は「草醤・肉醤・穀醤」の3種類日本に伝わった醤は、原料によって大きく3種類に分けられていました。
- 草醤(くさびしお):野菜などを原料とする発酵食品。現在の漬物に近いもの。
- 肉醤(ししびしお):肉や魚などを塩で発酵させた食品。塩辛類に近いもの。
- 穀醤(こくびしお):米・麦・大豆などの穀物を原料とする発酵食品。現在の醤油につながる重要な系統。
特に注目したいのが穀醤です。穀物や大豆のたんぱく質を発酵によって分解し、うま味を引き出す技術は、後の味噌や醤油の製造にもつながっていきました。
つまり、味噌と醤油はまったく別々に生まれた調味料ではありません。古代の醤をめぐる発酵文化を共通の背景として、それぞれ異なる製法や用途へ発展した食品なのです。
701年の大宝律令に登場する「醤院」とは?日本における醤の歴史を示す重要な記録が、701年に制定された大宝律令です。
大宝律令では、宮内省の大膳職に醤を扱う「醤院(ひしおつかさ)」という役所が設けられていました。宮廷で使用する食材や調味料を管理・製造する仕組みの中に、醤が組み込まれていたのです。
この記録は、奈良時代の日本で大豆を原料とする醤が製造されていたことを示す重要な手掛かりです。ただし、この時代の醤を現代の透明な液体醤油と同じものと考えるのは正確ではありません。味噌に近いペースト状の発酵食品や、複数の種類の調味料を含む概念だったと考えられています。
さらに927年に完成した『延喜式』には、平安京の東市・西市で醤や味噌を扱う店が存在したことが記録されています。醤は宮廷だけの特別な食品から、都市の市場で流通する食品へと広がっていきました。
農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑」や、しょうゆ情報センターの歴史資料でも、大宝律令と醤院は日本の醤油文化を考えるうえで重要な歴史的記録として紹介されています。
【鎌倉時代の転機】覚心と径山寺味噌から紀州湯浅の醤油が生まれた
1249年に宋へ渡った禅僧・覚心(法燈国師)日本の醤油の発展を語る際に欠かせない人物が、鎌倉時代の禅僧・覚心です。法燈国師(ほっとうこくし)の名でも知られています。
日本遺産ポータルサイトの「最初の一滴 醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」によると、覚心は1249年(建長元年)に宋へ渡り、1254年(建長6年)に帰国しました。
宋で修行していた覚心は、中国浙江省にある径山寺などで修行する中で、径山寺味噌の製法を習得したと伝えられています。
帰国後は紀州由良の興国寺に関わり、そこで学んだ味噌の製法を人々に伝えたとされています。この製法が和歌山県の郷土食品である金山寺味噌の起源につながりました。
径山寺味噌と金山寺味噌はどのような食品?径山寺味噌は、現在の味噌汁に使う一般的な味噌とは少し異なります。
米・麦・大豆を麹にし、瓜や茄子、生姜、紫蘇などの野菜を加えて発酵・熟成させる「なめ味噌」の一種です。そのままご飯のおかずとして食べられる食品であり、調味料として使う味噌とは用途が異なります。
この製法が日本に伝わり、湯浅周辺で受け継がれたものが金山寺味噌へとつながっていきました。現在も和歌山県の郷土食として親しまれています。
農林水産省の「うちの郷土料理」でも、金山寺味噌は覚心が中国から製法を持ち帰ったとされる食品として紹介されています。
味噌の桶にたまった汁が醤油の原形になった覚心と醤油を結び付ける最も有名な話が、金山寺味噌の製造過程で生まれた液体に関する伝承です。
野菜を漬け込んで味噌をつくると、野菜から水分が染み出し、桶の底や表面に液体がたまります。この液体には、原料や発酵によって生じたうま味が含まれていました。
紀州湯浅の人々が、この液体の風味に着目し、調味料として利用するために工夫を重ねたことが、醤油の誕生につながったと伝えられています。
この液体は、現在の醤油の中でも大豆を主体とするたまり醤油に近いものだったと考えられています。
ただし、覚心が帰国した瞬間に現在の醤油が完成したという話ではありません。味噌づくりから得られた液体を調味料として利用し、製造方法を改良する長い過程があったと理解するのが適切です。
紀州湯浅はなぜ醤油発祥の地として知られるのか和歌山県有田郡湯浅町は、日本の醤油醸造の歴史を語るうえで特に重要な地域です。
湯浅で醤油づくりが発展した背景には、良質な水や醸造に適した環境、港町としての流通の利便性がありました。味噌づくりの技術が地域に広がったことで、醤油の製造も盛んになったと考えられています。
日本遺産ポータルサイトによると、湯浅では1535年(天文4年)に醸造家の赤桐三郎四郎が100石余りの醤油を漁船に積み、大坂へ出荷した記録が残っています。
この記録は、湯浅で醤油が単なる家庭内の調味料ではなく、商品として生産・流通していたことを示す重要な資料です。
その後、湯浅の醤油は船によって全国へ広まり、紀州藩の保護も受けながら醸造業が発展しました。文化年間(1804~1818年)には、醤油醸造業者が92軒あったと紹介されています。
したがって、湯浅は単に醤油の誕生を伝える伝承の土地というだけではありません。中世から近世にかけて、醤油を産業として発展させた歴史的な地域でもあるのです。
【室町時代から江戸時代へ】醤油の製法と名称が確立した歴史年表
室町時代には現在の醤油に近い調味料が登場醤油は、鎌倉時代の味噌づくりの伝承だけで完成したわけではありません。
室町時代になると、寺院を中心に発酵食品の製造技術が受け継がれ、醤油に近い液体調味料が発達していきました。
しょうゆ情報センターの歴史資料によると、1487年の『四条流包丁聞書』には「垂味噌」や「薄垂れ」など、現在の醤油に近いと考えられる調味料が登場します。
また、16世紀には公家の日記などにも醤油に関係する記述が現れます。1559年の『言継卿記』には「しようゆう」を使用した記録があり、1568年の『多聞院日記』にも醤油に関する記述が残されています。
これらの資料から、室町時代後期には醤油に近い調味料が実際に利用され、製造技術も発達していたことが分かります。
1597年の『易林本節用集』に「醤油」の名称が登場醤油という名称を考えるうえで重要なのが、1597年(慶長2年)の『易林本節用集』です。
これは当時の言葉を集めた辞書で、「醤油」という漢字表記と読み方が掲載されています。醤油という言葉が文献上で確認できる重要な資料です。
ただし、1597年に醤油そのものが初めて発明されたという意味ではありません。1559年の日記など、より早い時期に関連する記録が存在しています。
つまり、1597年は醤油の発明年ではなく、名称が辞書に記載された歴史的な節目として理解する必要があります。
醤油の歴史を年代順に整理古代中国から室町時代、江戸時代に至るまでの主要な出来事を整理すると、次のようになります。
| 年代 | 人物・資料・地域 | 歴史的な出来事と関係 |
|---|---|---|
| 6世紀前半 | 古代中国・『斉民要術』 | 黒大豆を使った醤の製法が記録される。 |
| 701年 | 大宝律令・醤院 | 宮内省の大膳職に醤を扱う役所が設けられる。 |
| 927年 | 『延喜式』 | 平安京の市場で醤や味噌が販売されていたことが記録される。 |
| 1249年 | 覚心・宋 | 覚心が宋へ渡り、径山寺味噌の製法を学ぶ。 |
| 1254年 | 覚心・興国寺 | 覚心が帰国し、径山寺味噌の製法を日本に伝えたとされる。 |
| 1487年 | 『四条流包丁聞書』 | 垂味噌や薄垂れなど、醤油に近い調味料が記録される。 |
| 1535年 | 紀州湯浅 | 赤桐三郎四郎が100石余りの醤油を大坂へ出荷。 |
| 1559年 | 『言継卿記』 | 醤油に関する記述が登場する。 |
| 1597年 | 『易林本節用集』 | 辞書に「醤油」という名称が記載される。 |
| 江戸時代前期 | 関東・野田・銚子 | 関東の醤油醸造が発展し、濃口醤油の生産が拡大する。 |
| 1666年 | 兵庫県龍野 | 円尾孫右衛門が淡口醤油の製法を開発したとされる。 |
| 江戸時代後期 | 江戸の食文化 | 濃口醤油が普及し、寿司・そば・蒲焼きなどの料理を支える。 |
この年表から分かるのは、醤油の歴史が一人の発明家による単発の出来事ではなく、発酵技術、寺院の食文化、地域の醸造業、流通網の発展によって形づくられたということです。
【江戸時代の醤油革命】濃口醤油は千葉の野田・銚子、淡口醤油は龍野で発展
江戸初期は関西の「下り醤油」が主流だった江戸時代に入ると、醤油は都市の食生活を支える重要な商品へと変わっていきます。
1603年に江戸幕府が開かれた当初、江戸は急速に発展していた都市であり、生活用品の多くを関西などの上方から運ばれてくる商品に頼っていました。
醤油も例外ではありません。堺や大坂、紀州湯浅、播州龍野などでつくられた醤油が船によって江戸に運ばれました。こうした上方からの醤油は「下り醤油」と呼ばれています。
当時の江戸では、関西の醤油が品質の高い商品として評価されていました。しかし、江戸の人口が増え、都市の経済活動が活発になるにつれて、関東でも醤油の生産が盛んになっていきます。
千葉県の野田・銚子が醤油の一大産地になった理由関東の醤油産業を語るうえで欠かせないのが、現在の千葉県にある野田と銚子です。
両地域が醤油の一大産地になった背景には、原料の調達、気候、水運という3つの条件がありました。
第一は原料の調達です。関東平野には大豆や小麦を生産する地域が広がり、醤油の原料を確保しやすい環境がありました。
第二は気候と水です。醤油の醸造には麹菌や酵母などの微生物が働く環境が必要です。野田や銚子は醸造業を発展させる条件を備えていました。
第三は水運です。利根川や江戸川を利用することで、原料や製品を効率よく運ぶことができました。江戸という大消費地に近かったことも大きな強みです。
千葉県の公式資料によると、野田と銚子で生産された醤油は河川の水運を利用して江戸へ大量に運ばれ、次第に下り醤油を上回る存在になっていきました。
野田では江戸時代初期から醤油づくりが発展し、銚子でも1616年に田中玄蕃が醤油づくりを始めたと伝えられています。また、紀州出身の濱口儀兵衛が1645年に湯浅の醸造技術を銚子へ持ち込んだことも、銚子の醤油産業の歴史を語る重要な出来事です。
濃口醤油が江戸の食文化を変えた関東で発展した濃口醤油は、江戸の人々の味覚に合うように改良され、広く普及していきました。
濃口醤油は大豆と小麦をほぼ同量使うことが一般的で、深いうま味、香り、色、コクを持っています。関西の醤油とは異なる味わいが、江戸の料理文化と結び付いていきました。
特に重要なのが、かつお節やみりんとの組み合わせです。
濃口醤油の力強いうま味と香りは、そばつゆ、天ぷらのつゆ、うなぎの蒲焼き、江戸前寿司のタレなどに適していました。醤油の普及は、単に調味料が手に入りやすくなったという話にとどまらず、江戸独自の料理文化が発達する基盤にもなったのです。
1666年、兵庫県龍野で淡口醤油が誕生濃口醤油と並んで日本の醤油文化を大きく変えたのが、淡口醤油です。
農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑」によると、淡口醤油が誕生したのは1666年(寛文6年)。兵庫県たつの市の龍野で、円尾孫右衛門が製造方法を開発したとされています。
淡口醤油は、濃口醤油と比べて色が薄く、料理の素材が持つ色や風味を生かしやすい調味料です。龍野では甘酒を利用するなど、色や味を調整する工夫が取り入れられました。
龍野が淡口醤油の生産地として発展した背景には、揖保川の軟水、良質な大豆や小麦、赤穂の塩といった地域の資源も関係しています。
淡口醤油は京都や大阪の料理人に重宝され、素材の色を大切にする精進料理や懐石料理とも相性がよく、関西の食文化に深く根付いていきました。
濃口醤油と淡口醤油の違いを比較両者の違いは、単純に味の濃さだけではありません。色、塩分、香り、料理での役割が異なります。
- 濃口醤油:色が濃く、うま味や香りのバランスがよい。煮物、つけ醤油、かけ醤油など幅広く使える。
- 淡口醤油:色が淡く、塩分濃度は濃口より高い。素材の色を生かしたい煮物や吸い物に適している。
ここで注意したいのが、淡口という名前です。「薄口」と書く場合もありますが、薄いのは主に色のことです。塩分が少ないという意味ではありません。
農林水産省も、淡口醤油は濃口醤油より塩分濃度が高いと説明しています。料理の見た目や素材の持ち味を生かすために生まれた、目的の異なる醤油なのです。
【醤油の製造工程】麹・発酵・熟成によって生まれる独特のうま味
醤油づくりに使われる基本原料一般的な醤油の主な原料は、大豆、小麦、食塩、水です。
大豆はうま味のもとになるたんぱく質を、小麦は糖分や香りの形成に関わる成分を供給します。これらの原料を麹菌の働きによって発酵しやすい状態にすることが、醤油づくりの基本です。
製造工程では、麹菌だけでなく、乳酸菌や酵母も重要な役割を担います。それぞれが異なる働きをすることで、醤油特有の味と香りが形成されます。
本醸造方式による醤油の製造工程農林水産省が紹介する本醸造方式を基準にすると、醤油はおおむね次のような工程でつくられます。
- 原料処理:大豆を蒸し、小麦を炒って砕く。
- 麹づくり:大豆と小麦を混ぜて種麹を加え、醤油麹をつくる。
- 仕込み:醤油麹に食塩水を加えてタンクに仕込み、諸味をつくる。
- 発酵・熟成:麹菌、乳酸菌、酵母などが働き、うま味や香りを形成する。
- 圧搾:熟成した諸味を搾り、液体と固形分を分離する。
- 仕上げ:必要に応じて火入れやろ過を行い、品質を整えて製品化する。
農林水産省によると、本醸造方式では諸味を撹拌しながら約6~8か月熟成させます。この間に原料の成分が分解され、醤油特有の色・味・香りが生まれます。
麹菌・乳酸菌・酵母の役割とは?醤油の品質を決める重要な要素が、微生物による発酵です。
麹菌は、大豆や小麦に含まれる成分を分解する酵素をつくります。大豆のたんぱく質をアミノ酸へ、小麦などのデンプンを糖へと分解することで、醤油のうま味や甘味の基礎が形成されます。
乳酸菌は、諸味の環境を整えながら乳酸などを生成します。味に酸味や複雑さを与え、発酵環境の形成にも関係します。
酵母は、糖などを利用してアルコールや香気成分をつくります。醤油特有の芳醇な香りを生み出すうえで欠かせない存在です。
この3種類の微生物が相互に働くことによって、単なる塩味の調味料ではない、複雑な風味の醤油が完成します。
本醸造・混合醸造・混合方式の違い醤油は、発酵や原料の使い方によって製造方式も異なります。
本醸造方式は、麹と食塩水を使って発酵・熟成させる伝統的な製法です。
混合醸造方式は、諸味にアミノ酸液などを加え、さらに発酵・熟成させる方式です。
混合方式は、本醸造醤油または混合醸造醤油にアミノ酸液などを加えて仕上げる方式です。
農林水産省の製造法の解説によると、日本で生産される醤油の約8割は本醸造方式です。製造方式の違いは、原材料表示や商品の特徴を理解する際にも役立ちます。
【醤油の5つの種類】濃口・淡口・たまり・再仕込み・白の特徴を解説
現在、日本農林規格(JAS)では、醤油を5種類に分類しています。
この分類は、色の濃さだけでなく、原料の配合、製造方法、風味などに基づくものです。それぞれの特徴を理解すると、料理に合わせた使い分けがしやすくなります。
1.濃口醤油|日本で最も一般的な万能タイプ濃口醤油は、日本の醤油の中で最も一般的な種類です。
大豆と小麦をほぼ同量使用するのが基本で、塩味、うま味、甘味、酸味、苦味がバランスよくまとまっています。
つけ醤油、かけ醤油、煮物、炒め物など、幅広い料理に使えるのが特徴です。日本の醤油消費量の約8割を占めるとされ、家庭で最もなじみ深い醤油といえます。
おすすめの用途:刺身、冷奴、肉じゃが、煮魚、炒め物、そばつゆ。
2.淡口醤油|素材の色と風味を生かす関西の味淡口醤油は、濃口醤油よりも色が淡い醤油です。
料理の色合いを変えにくいため、素材そのものの見た目や味を大切にする料理に適しています。特に関西地方では、伝統的な調味料として広く使われてきました。
ただし、色が薄いからといって塩分が少ないわけではありません。濃口醤油より塩分濃度が高いのが特徴です。
おすすめの用途:お吸い物、茶碗蒸し、だし巻き卵、炊き合わせ、京料理。
3.たまり醤油|大豆のうま味と濃厚なコクが特徴たまり醤油は、大豆を主原料としてつくられる醤油です。小麦を少量使う場合もありますが、大豆の割合が高いことが特徴です。
色が濃く、とろりとした質感を持ち、深いうま味とコクがあります。刺身に合わせる醤油としても知られています。
また、照り焼きや蒲焼き、せんべいなど、濃厚な味わいを生かす料理にも適しています。
おすすめの用途:刺身、寿司、照り焼き、蒲焼き、醤油せんべい。
4.再仕込み醤油|二度の仕込みで生まれる濃厚な味再仕込み醤油は、仕込みの際に通常の食塩水の代わりに生揚げ醤油を使う製法が特徴です。
通常の醤油づくりとは異なる二段階の仕込みによって、色や味が非常に濃厚になります。「甘露醤油」と呼ばれることもあります。
うま味やコクが強く、醤油そのものの風味を楽しみたい料理に適しています。少量でも存在感があり、刺身や寿司、冷奴などのつけ醤油としても使われます。
おすすめの用途:刺身、寿司、冷奴、卵かけご飯、かけ醤油。
5.白醤油|色をほとんど付けずに仕上げる醤油白醤油は、小麦を主原料として、大豆を少量使用してつくられる醤油です。
5種類の中でも特に色が淡く、美しい琥珀色をしています。淡白な味わいの中に甘味があり、独特の香りを持っています。
愛知県碧南市を中心とする地域で発展した醤油で、料理の色をできるだけ変えたくない場合に重宝されます。
おすすめの用途:お吸い物、茶碗蒸し、だし巻き卵、炊き込みご飯、漬物。
5種類の醤油を選ぶときの判断基準醤油選びでは、色の濃淡だけでなく、料理の仕上がりや求める風味を基準にすることが大切です。
- 普段の料理に幅広く使いたい:濃口醤油。
- 食材の色をきれいに残したい:淡口醤油。
- 大豆の濃厚なうま味を楽しみたい:たまり醤油。
- 強いコクと深い味わいを求めたい:再仕込み醤油。
- 料理を淡い色に仕上げたい:白醤油。
特に覚えておきたいのは、淡口醤油と白醤油は同じものではないという点です。どちらも色が淡い醤油ですが、原料や製造方法、風味が異なります。
しょうゆ情報センターが紹介するJASの5分類を理解しておけば、商品ラベルを見たときにも、それぞれの特徴を判断しやすくなります。
【プロの結論】醤油の歴史から分かる日本の発酵文化と食生活の進化
醤油は一つの発明ではなく、長い技術の積み重ねで生まれた醤油の歴史を振り返ると、最も要点は、現在の醤油が一人の人物によって突然発明されたわけではないということです。
古代中国の醤が日本に伝わり、大宝律令の時代には宮廷で大豆を使った醤がつくられていました。その後、味噌を含む発酵食品の製造技術が発達し、鎌倉時代の覚心と径山寺味噌の伝承を経て、室町時代には醤油に近い調味料が広く知られるようになります。
さらに江戸時代には、各地域が原料や気候、流通環境に合わせて独自の醤油を発展させました。
醤油の歴史は、発酵技術が地域の生活と結び付き、食文化そのものを変えていった歴史でもあります。
「醤油発祥の地」と「醤油の名称が登場した時期」は別の問題醤油の歴史を調べると、紀州湯浅、京都、龍野、野田、銚子など、複数の地域が登場します。
それぞれの地域が異なる意味で醤油の発展に貢献しているため、発祥地を一つの場所だけで説明すると、歴史の全体像を見失いやすくなります。
例えば、湯浅は覚心と金山寺味噌の伝承に結び付く醤油醸造の重要な地域です。京都は室町時代の醤油文化や文献上の記録に関係し、龍野は1666年の淡口醤油の誕生で知られています。野田と銚子は江戸の濃口醤油の大量生産と流通を支えました。
つまり、発酵食品としての起源、醤油という名称の記録、醸造業の成立、現在の5種類への発展は、それぞれ区別して理解する必要があります。
2026年の醤油選びで意識したい3つのポイント現在の醤油は、伝統的な発酵技術を受け継ぎながら、さまざまな製造方法や商品へと発展しています。購入するときには、次の3点を確認すると選びやすくなります。
1.JASによる種類を確認する
濃口、淡口、たまり、再仕込み、白のどれに分類されるかを確認します。料理の色や味わいに合わせて選ぶことが大切です。
2.製造方式と原材料表示を見る
本醸造、混合醸造、混合方式では、原料や製造工程が異なります。原材料や製法を確認すれば、商品の特徴を理解しやすくなります。
3.塩分と料理の相性を考える
特に淡口醤油は、色が薄くても塩分濃度が高い点に注意が必要です。塩分を抑えたい場合は、色の濃淡ではなく栄養成分表示の食塩相当量を確認しましょう。
伝統的な製法だから必ず自分の料理に合う、あるいは価格が高いから優れているというわけではありません。原料、製造方法、風味、塩分、用途を総合的に見て選ぶことが、醤油を上手に使い分けるための判断基準です。
醤油の歴史に関するよくある質問(FAQ)
Q1:醤油はいつ、どこで生まれたのですか?
A1:醤油のルーツは古代中国の「醤」にあるとされています。日本では701年の大宝律令に大豆を原料とする醤の記録があります。現在のような醤油に近い調味料は室町時代末期に発達し、紀州湯浅はその醸造の発祥地として知られています。
Q2:醤油は鎌倉時代に覚心が発明したのですか?
A2:覚心が中国から径山寺味噌の製法を持ち帰り、日本に伝えたことが醤油の起源に関する重要な伝承です。味噌の製造過程で生じる液体が、たまり醤油の原形になったとされています。ただし、現在の醤油はその後の長い製造技術の発展によって成立しました。
Q3:醤油という名前はいつから使われていますか?
A3:1597年の『易林本節用集』に「醤油」という名称が記載されています。ただし、1559年の『言継卿記』など、それ以前の文献にも醤油に関係する記述が残っています。
Q4:濃口醤油と淡口醤油は何が違うのですか?
A4:主な違いは色や風味、塩分濃度です。濃口醤油は色が濃く、うま味や香りのバランスが取れています。淡口醤油は色が淡く、素材の色を生かした料理に適しています。ただし、淡口醤油のほうが塩分濃度は高いのが特徴です。
Q5:淡口醤油はいつ誕生したのですか?
A5:1666年(寛文6年)に兵庫県龍野で円尾孫右衛門が製造方法を開発したとされています。その後、京都や大阪の料理文化に取り入れられ、関西を代表する醤油として広まりました。
Q6:醤油には何種類ありますか?
A6:JAS規格では、濃口醤油、淡口醤油、たまり醤油、再仕込み醤油、白醤油の5種類に分類されています。それぞれ原料や製造方法、色、味、香りが異なります。
Q7:醤油の製造にはどれくらいの時間がかかりますか?
A7:農林水産省が紹介する一般的な本醸造方式では、諸味を約6~8か月熟成させます。ただし、種類や製造方法、蔵元の方針によって期間は異なります。
醤油の歴史は、古代中国の「醤」に始まり、日本では701年の大宝律令に記録された大豆の醤を経て、長い年月をかけて発展してきました。
鎌倉時代には覚心が伝えた径山寺味噌の製法が金山寺味噌へとつながり、紀州湯浅では醤油の醸造業が発展しました。室町時代には現在の醤油に近い調味料が登場し、1597年の『易林本節用集』には「醤油」という名称が記載されます。
江戸時代には、千葉県の野田・銚子で濃口醤油が発展し、兵庫県龍野では1666年に淡口醤油が誕生しました。それぞれの地域の気候、原料、流通、料理文化が、現在の多様な醤油を生み出す土台となったのです。
2026年現在、醤油はJAS規格で5種類に分類され、日常の料理から専門的な日本料理まで幅広く利用されています。濃口と淡口の違いを理解し、たまり・再仕込み・白醤油の特徴も知っておけば、料理に合わせた使い分けができます。
何気なく使っている一滴の醤油には、1300年以上にわたる日本の発酵技術と、各地の人々が受け継いできた食文化が詰まっています。その歴史を知ることは、毎日の食事をより深く味わうことにもつながります。