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昭和のヌード写真史を徹底解説|1950〜80年代の芸術性と出版規制の全貌

小野寺 翔 小野寺 翔 • 更新: • 公開: • 読了約 27 分
目次

昭和のヌードは、単なる性的な写真や映画の一ジャンルではない。戦後の写真文化、週刊誌のグラビア市場、芸術写真の発展、映画産業の変化、そして表現の自由をめぐる社会的な議論が交差する、日本のメディア史の一部である。1950年代には芸術写真としての裸体表現が広がり、1960年代には前衛写真や若者文化と結び付き、1970年代には写真集や成人映画を通じて大衆文化に浸透した。1980年代には写真雑誌の実験的な表現が進む一方、出版規制との緊張も強まっていった。

2026年現在、昭和のヌード写真を振り返る際には、加納典明、細江英公、荒木経惟、立木義浩らの作品だけでなく、『アサヒカメラ』『カメラ毎日』『平凡パンチ』『写真時代』といった媒体の役割も見逃せない。伊藤逸平の『日本ヌード写真史』や東京都写真美術館の収蔵資料などを手掛かりに、1950年代から1980年代までの変遷を整理すると、芸術性と娯楽性が必ずしも対立していなかったことも見えてくる。

【基礎知識】昭和のヌードとは?写真・グラビア・写真集・映画の違い

昭和のヌード

「昭和のヌード」という言葉には、複数の異なる文化的な領域が含まれている。

大きく分けると、写真家が身体を芸術的な被写体として撮影した作品、雑誌の読者に向けた娯楽性の高いグラビア、写真集として構成された作品、そして映画の中で裸体や性を描写する映像表現の4つがある。

これらは同じ裸体を扱っていても、制作目的や流通経路、鑑賞者との関係が異なる。

1. 芸術写真としてのヌード

芸術写真では、人体の曲線、陰影、構図、光と影、モデルの表情などが重要になる。

裸体を単に見せるのではなく、身体そのものを造形物として捉えたり、人間の存在や生命力を表現したりすることが特徴だ。

代表的な作家として挙げられるのが、真継不二夫、細江英公、石元泰博などである。

日本カメラ博物館のJCIIフォトサロンが紹介した真継不二夫の作品展では、戦後のヌード写真が大衆化していった背景とともに、造形的な人体表現が評価されていたことが解説されている。

2. 雑誌グラビアとしてのヌード

昭和のヌードグラビアは、写真文化を一般読者に広めた重要な存在だった。

『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』などの男性向け雑誌では、ファッション、若者文化、女性のポートレート、ヌード写真が誌面を構成する要素になった。

雑誌という媒体の特徴は、写真家の作品を単独で鑑賞するだけでなく、記事や広告、時代の風俗と一緒に楽しめる点にある。

3. 写真集としてのヌード

写真集は、雑誌のグラビアよりもまとまったテーマと構成を持つ。

撮影者の意図に沿って写真を配置し、装丁、印刷、用紙、判型まで含めて作品世界を作り上げることができる。

そのため、昭和のヌード写真集には、商業出版物でありながら美術作品として評価されるものも存在する。

4. 映画におけるヌード表現

映画では、裸体そのものだけでなく、登場人物の心理、男女関係、社会的な抑圧、愛情や孤独などを描く演出の一部としてヌードが使用された。

1971年に始まった日活ロマンポルノは、その代表的なジャンルである。

ここでは写真集や雑誌とは異なり、時間の流れ、演技、音響、編集、物語が表現の意味を決定する。

つまり、昭和のヌードを理解するには、裸体が写っているかどうかだけで判断せず、どの媒体で、誰が、何を目的に制作したのかを見る必要がある。

【年代別年表】1950〜1980年代のヌード写真・グラビアの変遷

昭和のヌード写真史は、1950年代の戦後復興期から1980年代の出版表現の拡大まで、約40年間にわたって変化している。

1950年代:戦後の裸体表現と芸術写真の再出発

戦前・戦中の制約から解放された戦後の写真界では、裸体を正面から撮影する作品が広がった。

写真家の真継不二夫は、1948年に『美の生態』、1950年に『美の生態Ⅱ』を刊行。人体の曲線や自然との調和を通じて、女性の身体に宿る美しさを表現した。

1951年には尾崎三吉編『ヌード写真傑作集 裸婦芸術』も出版されている。国立国会図書館の書誌情報からも、この時期にヌード写真が独立した出版ジャンルとして成立していたことが確認できる。

1950年代のヌード写真は、現在の雑誌グラビアのような娯楽性だけでは説明できない。写真家が人体をどう解釈するかという、美術的な問題意識が強く存在していた。

1960年代:前衛写真と若者文化の融合

1960年代には、写真表現そのものが大きく変化した。

細江英公は1961年に写真集『おとこと女』を発表。舞踏家・土方巽らを被写体に、身体の動きや肉体の存在感を強烈なモノクローム表現で捉えた。

さらに1963年には、三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』を刊行。身体を耽美的かつ象徴的に表現した作品として、日本の写真史に残る重要な写真集となった。

同じ時代には、加納典明も『平凡パンチ』のグラビアなどで活動を展開した。

1969年、加納は雑誌の依頼でニューヨークを訪れ、草間彌生が関わったパフォーマンスや若者文化を撮影する。これが後の代表作『FUCK』につながっていく。

1970年代:写真集と成人映画の大衆化

1970年代は、ヌード写真が雑誌、写真集、映画を通じて広く流通するようになった時代だ。

1971年には日活ロマンポルノが始動。成人映画という枠組みの中で、若手監督や俳優が新しい映像表現に挑戦した。

写真雑誌でも、1972年5月の『アサヒカメラ』に「写真家にとって『性』とは何か」という特集が掲載されている。「ヌード」から「裸」への表現の変化を扱っており、当時の写真家が裸体と性をどう捉えていたかを考える重要な資料である。

1977年には伊藤逸平の『日本ヌード写真史』が朝日ソノラマから刊行された。

1980年代:表現の拡大と出版規制の衝突

1980年代には、写真雑誌の表現がさらに多様化した。

1981年創刊の『写真時代』は、荒木経惟、森山大道、倉田精二、北島敬三らの作品を掲載し、エロスと芸術写真が交差する独自の誌面を作った。

一方、出版物の性的表現をめぐる規制は続いていた。

1983年には雑誌『an・an』に郷ひろみのセミヌードが掲載されるなど、男性ヌードの露出も見られるようになった。

そして1988年、『写真時代』は過激なヌードをめぐって摘発され、休刊となった。

この時期の状況を理解するうえでは、芸術性を主張する表現者側と、刑法上のわいせつ性を判断する司法・社会との関係が重要になる。

年代別の主要人物・作品・媒体の関係一覧
時期 人物・代表作品 関係する媒体・資料 写真表現の特徴
1950年代 真継不二夫『美の生態Ⅱ』 写真集、写真雑誌 人体の造形美、自然との調和
1950年代 尾崎三吉編『ヌード写真傑作集』 裸婦芸術写真集 戦後の裸体写真の出版
1960年代 細江英公『おとこと女』 写真集、写真展 身体の動き、前衛的表現
1963年 細江英公・三島由紀夫『薔薇刑』 集英社 肉体と耽美的な象徴表現
1969年 加納典明『FUCK』 平凡パンチ、ニューヨーク撮影 赤外線フィルム、カウンターカルチャー
1970年代 立木義浩『イヴたち』 写真集、写真展 女性ポートレートとヌード
1972年 加納典明らのヌード論 『アサヒカメラ』 性と写真表現の再検討
1977年 伊藤逸平『日本ヌード写真史』 朝日ソノラマ 日本ヌード写真史の整理
1980年代 荒木経惟、森山大道ら 『写真時代』 私写真、エロス、実験的表現
1988年 『写真時代』休刊 白夜書房 出版規制と表現の衝突

この年表から分かるのは、昭和のヌードが特定の写真家や雑誌だけによって形成されたわけではないということだ。

写真家、モデル、編集者、出版社、映画会社、審査機関など、複数の主体が関わることで表現の幅が広がっていった。

【代表作を検証】昭和のヌード写真における芸術性と娯楽性

昭和のヌード写真を語るうえで、特に重要なのが加納典明、細江英公、荒木経惟、立木義浩らの仕事である。

同じヌードというジャンルでも、撮影目的や写真の構成は大きく異なる。

加納典明『FUCK』:1969年のニューヨークを捉えた問題作

加納典明の『FUCK』は、昭和のヌード写真史を語る際に欠かせない作品である。

1969年夏、加納は『平凡パンチ』の依頼でニューヨークへ渡った。

現地では草間彌生が関わるパフォーマンスを撮影し、アンディ・ウォーホルのファクトリーに関係するパフォーマーたちとも接点を持った。

作品の特徴は、従来の日本の商業グラビアとは異なる、当時のニューヨークのカウンターカルチャーを反映した表現にある。

特に注目されるのが赤外線フィルムの使用だ。

赤外線撮影によって通常のカラー写真とは異なる色彩表現が生まれ、人体の質感や写真全体の印象が大きく変化した。

作品の撮影年は1969年だが、写真集『Fuck/燃えるパーティー』には1970年の刊行記録がある。また、作品の流通には出版上の制約があり、写真家側の資料では、後年のカラー版が2012年に正式刊行された経緯も説明されている。

したがって、1969年の撮影、1970年の刊行記録、2012年のカラー版を同一の出来事として扱わないことが重要だ。

細江英公『薔薇刑』:肉体を芸術作品へ変えた写真集

細江英公の『薔薇刑』は、昭和のヌード写真の芸術性を考えるうえで象徴的な作品である。

1963年に集英社から刊行された同作は、三島由紀夫を被写体とし、身体と美意識、死生観を結び付けた写真表現を展開した。

単に肉体の美しさを記録するのではなく、写真家と被写体が共同で一つの世界観を構築している点に特徴がある。

大判の造本、杉浦康平による装丁、三島の序文も含め、写真集全体が一つの芸術作品として構成されている。

東京都写真美術館や東京工芸大学の資料でも、細江の作品は戦後日本写真の表現を大きく変えた仕事として紹介されている。

荒木経惟:日常とエロスを結び付けた私写真

荒木経惟は、昭和のヌード写真において独特の位置を占める写真家だ。

1972年に電通を退社してフリーランスとなり、1970年代から1980年代にかけて精力的に写真集や雑誌作品を発表した。

1981年創刊の『写真時代』では、荒木の連載が誌面の重要な要素となった。

荒木の特徴は、ヌードだけを独立した美的対象として扱うのではなく、日常生活、都市風景、男女関係、個人的な記憶などと結び付けたことにある。

そのため、作品には芸術写真と娯楽写真の両方の性格が存在する。

一方で、1988年の『写真時代』摘発・休刊は、表現の自由と出版規制の衝突を象徴する出来事となった。

立木義浩:商業写真と芸術写真の境界を広げた存在

立木義浩も昭和の写真文化を代表する写真家の一人である。

1965年には『カメラ毎日』に「舌出し天使」を発表。1969年にはフリーランスに転向し、俳優や芸能人のポートレート、ヌード作品などを手掛けた。

代表的な仕事の一つが『イヴたち』である。

1970年に開催された写真展は全国各地を巡回し、東京工芸大学の資料によると、約100万人を動員した。

立木の仕事は、写真が美術館や写真集だけでなく、広告、雑誌、展覧会、一般大衆の生活にも深く入り込んでいたことを示している。

芸術性と娯楽性を見分ける4つのポイント

昭和のヌード写真を評価する場合、裸体の露出度だけで作品の価値を判断するのは適切ではない。

次の4点を確認すると、写真の性格が理解しやすくなる。

1. 構図と光の使い方: 人体の形状や陰影をどのように表現しているか。
2. 撮影者の意図: 人体を芸術的なモチーフとして扱っているのか、娯楽的な視覚表現を目的としているのか。
3. 作品全体の構成: 一枚の写真だけでなく、写真集や雑誌の中でどのような意味を持っているか。
4. 時代背景: 当時の社会規範や出版事情に対して、どのような表現上の挑戦があったか。

特に重要なのは、芸術性と娯楽性が完全に分離できるものではないという点である。

商業雑誌に掲載された写真であっても、撮影技術や構図、社会的な意味において高い芸術性を持つ作品は存在する。

【映画と出版規制】昭和のヌード表現はどこまで許されたのか

昭和のヌード文化を理解するうえで避けて通れないのが、刑法175条と映画倫理機構(映倫)の存在である。

日本では、写真や出版物の性的表現について、わいせつ物頒布等を規制する刑法175条が関係してきた。

一方、映画では映倫による自主審査が行われ、作品の内容や観客の年齢に応じた区分が設けられてきた。

1957年のチャタレー事件と表現の自由

1950年に翻訳出版されたD・H・ロレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』をめぐる事件は、戦後日本の性的表現と出版規制を考えるうえで重要な判例である。

最高裁判所は1957年3月13日、大法廷判決で刑法175条に関する判断を示した。

この判例は、芸術的価値が認められる作品であっても、わいせつ性の判断が別途問題になることを示す歴史的な事例として知られている。

写真集やヌード雑誌においても、単に芸術作品であると主張するだけで、法律上の問題がなくなるわけではなかった。

映倫による映画の自主審査

映画の自主審査機関は1949年に発足した。

1956年の『太陽の季節』などをめぐる論争を経て、1956年には第三者性を重視した新たな映倫管理委員会が設けられた。

映画における性表現は、社会的な批判や青少年への影響という観点から審査されてきた。

この仕組みは、映画制作者の自由を守る役割と、社会的な基準を維持する役割を同時に担っていた。

1971年の日活ロマンポルノの登場

日活ロマンポルノは、1971年11月20日に公開された『団地妻 昼下りの情事』と『色暦大奥秘話』から始まった。

日活が打ち出した成人映画のレーベルであり、限られた製作条件の中で新しい映画表現を模索した。

当時の製作条件として知られるのが、約70分の上映時間と、10分に1回程度の絡みの場面を設けるというルールである。

こうした制約がありながらも、監督たちは撮影技法や演出を工夫し、作品ごとに独自の表現を追求した。

特に注目されるのは、性描写だけを前面に出すのではなく、女性の生き方や人間関係を描く作品も生まれたことだ。

神代辰巳、小沼勝、田中登、曽根中生らは、このジャンルを代表する監督として知られる。

日活の公式資料によると、ロマンポルノは1988年までの17年間に約1,100本を公開した。

これは単なる成人映画の量産ではなく、映画業界における人材育成や監督の作家性の発展にもつながった。

1980年代の出版規制と写真表現

1980年代は、写真家や出版社が性的表現の限界を探る時期だった。

『写真時代』は1981年に創刊され、荒木経惟らの作品を掲載しながら、エロスと芸術写真を結び付けた。

しかし1988年には過激なヌードをめぐる摘発によって休刊となった。

ここで押さえておきたいのは、写真表現における芸術性の評価と、法律上のわいせつ性の判断は必ずしも一致しないということだ。

写真の芸術的価値を主張することと、刑法上の規制に抵触するかどうかは、別の問題として扱われてきた。

また、昭和末期までに表現の境界が大きく揺れ動いたものの、ヘアヌードが一般的な商業出版物として大きく広がるのは平成に入ってからである。

【昭和から平成へ】1980年代のヌード写真と1990年代の転換点

昭和のヌード写真史を正確に理解するには、1980年代と1990年代を混同しないことも重要である。

昭和の終盤には、すでに写真家や編集者が従来の表現規制に挑戦していた。

しかし、現在のようにヘアヌード写真集が一般的な商業出版市場で大きく展開する状況とは異なっていた。

1980年代の写真表現

1980年代には、荒木経惟の『写真時代』での活動や、さまざまな写真家による実験的な作品が注目された。

男性向け雑誌だけでなく、女性誌にも男性の身体を被写体とした写真が登場するなど、裸体表現の対象にも変化が見られた。

1983年の『an・an』に掲載された郷ひろみのセミヌードは、その一例である。

ただし、女性の身体がヌード写真の主要な被写体であり続けたことも、昭和の写真文化に残された特徴だった。

1991年の『Santa Fe』が示した変化

平成に入ると、ヌード写真集を取り巻く出版環境は大きく変わる。

代表例が1991年11月13日に発売された、篠山紀信撮影、宮沢りえの写真集『Santa Fe』である。

朝日出版社の資料によると、同作は165万部を売り上げたベストセラーとして記録されている。

また、1991年初頭に刊行された樋口可南子の『water fruit』も、ヘアヌード写真集が一般市場に広がるきっかけとなった作品である。

この流れは、1980年代まで続いていた出版規制とのせめぎ合いが、平成初期に新しい局面へ進んだことを示している。

したがって、昭和のヌード写真を調べる際には、1980年代の挑戦的な表現と1990年代の商業出版の変化を区別する必要がある。

【2026年最新の資料調査】昭和ヌード写真史を正確に調べる方法

昭和のヌード写真に関する情報は、古い雑誌、絶版写真集、美術館の収蔵記録、映画会社の公式資料などに分散している。

ネット上の画像や中古書籍の商品説明だけでは、作品の撮影年、刊行年、初版の流通状況を正確に把握できない場合がある。

2026年に資料を調べるなら、次のような一次資料・専門資料を優先したい。

1. 伊藤逸平『日本ヌード写真史』

昭和のヌード写真を調べる際に重要な歴史資料である。

- 著者:伊藤逸平
- 出版社:朝日ソノラマ
- 刊行年月:1977年7月
- ページ数:165ページ
- 判型:約27cm

本書は、昭和52年に刊行された日本のヌード写真史に関する専門書である。

2026年の視点から見ると、単に過去を振り返る資料ではない。1970年代当時の写真文化を、同時代の編集・出版環境から考察できる点に価値がある。

CiNii Booksでは、国立新美術館、東京都写真美術館、国立民族学博物館、明治大学などの所蔵情報を確認できる。

2. 国立国会図書館の雑誌・書籍資料

国立国会図書館では、昭和期に刊行された写真集や雑誌の書誌情報を調べられる。

特に有用なのが次のような資料だ。

- 1951年刊行の『ヌード写真傑作集 裸婦芸術』
- 1963年刊行の細江英公『薔薇刑』
- 1972年5月刊行の『アサヒカメラ』
- 2016年の『芸術新潮』日本ヌード写真史特集

雑誌の刊行年月や掲載ページまで確認できるため、後年の解説記事と当時の記録を照合しやすい。

3. 東京都写真美術館の収蔵作品

写真美術館の収蔵品データベースは、写真史の調査に役立つ。

作者、作品名、制作年、技法などが整理されているため、作品の成立時期を確認できる。

細江英公の『薔薇刑』関連作品や、1950年代のヌード作品などは、昭和期の写真表現を比較する際の重要な資料となる。

4. 写真家本人・ギャラリー・出版社の公式記録

加納典明の『FUCK』のように、撮影年と刊行年、後年の再編集・再刊行の経緯が異なる作品では、写真家側の公式資料や展覧会記録も重要だ。

また、日活の公式資料はロマンポルノの公開時期、作品数、製作条件を調べる際に有用である。

こうした記録を組み合わせることで、作品の歴史的な位置付けをより正確に把握できる。

昭和ヌード写真史を調査する際の判断基準
調査対象 優先して確認する資料 注意点
写真集の刊行年 国立国会図書館、CiNii Books 撮影年と発売年を混同しない
写真家の作品 美術館収蔵品、展覧会記録 再編集版と初版を区別する
雑誌グラビア 当時の雑誌現物、NDL書誌 掲載号と後年の復刻版を区別する
映画のヌード表現 日活公式資料、映倫資料 成人映画と一般映画の区分を確認する
出版規制 最高裁判例、法律解説 芸術性と法的評価を混同しない

このように、昭和のヌード写真史は、作品そのものだけでなく、作品を取り巻く出版・流通・法制度まで調べることで立体的に理解できる。

【プロの結論】昭和のヌードは日本の写真文化と表現の自由を映す歴史資料

昭和のヌードを振り返ると、裸体表現は単なる娯楽として消費されてきたわけではないことが分かる。

1950年代には、戦後の写真文化の再出発とともに人体の造形美を追求する作品が生まれた。

1960年代には、細江英公の『薔薇刑』や加納典明の『FUCK』に代表される、従来の美意識にとらわれない写真表現が登場した。

1970年代には、雑誌グラビアや写真集、日活ロマンポルノを通じてヌード表現が大衆文化の中に広がった。

1980年代には、荒木経惟らによる実験的な写真表現が進む一方、出版規制との衝突が顕在化した。

この流れを理解するために、特に重要なのは次の3点である。

第一に、ヌード写真の価値は露出の程度だけでは決まらない。

構図、光、撮影者の思想、モデルの存在感、写真集全体の構成などが作品の評価を左右する。

第二に、芸術写真と商業グラビアは対立するだけの関係ではない。

雑誌という商業媒体が、写真家の新しい表現を一般読者に紹介する場として機能した歴史がある。

第三に、出版規制は写真文化の発展と切り離せない。

刑法175条や映倫の自主審査、出版業界の自主規制は、昭和のヌード表現の方向性に大きな影響を与えた。

昭和のヌード写真は、写真家の創造性、出版市場の変化、社会の価値観、表現の自由をめぐる議論が交差した文化史なのである。

【昭和のヌードに関するよくある質問(FAQ)】

Q1:昭和のヌード写真で代表的な写真家は誰ですか?

A1:代表的な写真家として、細江英公、加納典明、荒木経惟、立木義浩、真継不二夫などが挙げられる。それぞれ前衛写真、商業グラビア、私写真、人体の造形表現など異なる方向性を持っている。

Q2:昭和のヌード写真集で有名な作品は何ですか?

A2:細江英公の『薔薇刑』、加納典明の『FUCK/燃えるパーティー』、立木義浩の『イヴたち』などが代表例である。また、伊藤逸平の『日本ヌード写真史』は、作品そのものではなく日本のヌード写真文化を調べるための重要な歴史資料である。

Q3:昭和のヌードグラビアを掲載していた雑誌は何ですか?

A3:『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』『アサヒカメラ』『カメラ毎日』『写真時代』などが挙げられる。ただし、媒体ごとに読者層や編集方針、芸術写真と娯楽写真の比重は異なっていた。

Q4:加納典明の『FUCK』は何年の作品ですか?

A4:写真の撮影は1969年のニューヨークで行われた。写真集『Fuck/燃えるパーティー』には1970年の刊行記録があり、後年にはカラー版も刊行されている。撮影年と刊行年を区別して理解することが重要だ。

Q5:昭和のヌード写真はなぜ規制されていたのですか?

A5:主に刑法175条のわいせつ物規制や、出版業界の自主規制、社会的な性的規範が関係していた。映画については映倫による自主審査も行われていた。芸術性を主張する作品であっても、法的なわいせつ性の判断が別途問題となることがあった。

Q6:ヘアヌードは昭和時代から一般的だったのですか?

A6:昭和期にも規制の境界に挑む写真表現は存在したが、ヘアヌードが一般的な商業写真集として大きく広がったのは平成初期である。1991年の樋口可南子『water fruit』や宮沢りえ『Santa Fe』が、その転換を象徴する作品として知られている。

昭和のヌードは、1950年代の芸術写真、1960年代の前衛的な肉体表現、1970年代の雑誌グラビアと成人映画、1980年代の実験的な写真文化という流れで発展してきた。

その中心には、細江英公、加納典明、荒木経惟、立木義浩らの写真家と、『平凡パンチ』『アサヒカメラ』『カメラ毎日』『写真時代』などの媒体が存在した。

また、伊藤逸平の『日本ヌード写真史』や国立国会図書館、東京都写真美術館の資料は、こうした歴史を検証するための重要な手掛かりとなる。

2026年に昭和のヌード写真を見直す意義は、懐古的に当時の写真を楽しむことだけではない。写真家が何を表現しようとしたのか、出版社がどのように作品を世に送り出したのか、そして社会が裸体表現をどのように受け止めてきたのかを理解することにある。

昭和のヌード写真史は、日本の芸術写真史であると同時に、出版文化、映画産業、社会規範、表現の自由の変遷を映し出す歴史でもある。

主な資料照合先

- 日本カメラ博物館・JCIIフォトサロン:真継不二夫の作品と戦後ヌード写真史。
- 国立国会図書館・CiNii Books:写真集の刊行年と書誌情報。
- 東京都写真美術館・東京工芸大学:細江英公、立木義浩らの作品と経歴。
- YUKIKOMIZUTANI:加納典明『FUCK』の撮影背景と作品解説。
- 日活・映画倫理機構:ロマンポルノと映画自主審査の歴史。
- nippon.com:荒木経惟と『写真時代』の活動。
- 朝日出版社:1991年『Santa Fe』の刊行記録。

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小野寺 翔
トレンドリサーチャー 小野寺 翔
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アニメ・漫画の制作発表を担当。制作会社・出版社の公式告知と原作者コメントを確認してから記事化します。

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