百合子さまは2023年6月4日に100歳の誕生日を迎えられました。大正生まれの皇族として、昭和、平成、令和の三時代を超えて公務や社会福祉活動に携わり、2024年には皇室最高齢の101歳を迎えられていました。
2024年3月から入院、11月に薨去
2024年3月、百合子さまは軽い脳梗塞の症状と誤嚥性肺炎のため、東京都中央区の聖路加国際病院に入院されました。その後も療養を続けられましたが、11月7日の検査では心臓や腎臓など全身の機能が低下していることが明らかになりました。
宮内庁は2024年11月15日、百合子さまが同日午前6時32分に亡くなられたと発表しました。享年101歳でした。医務主管による説明では、死因は老衰とされています。
ここで区別したいのは、入院のきっかけとなった脳梗塞や誤嚥性肺炎と、最終的に発表された死因です。脳梗塞や肺炎は療養に至った病状であり、宮内庁が公表した死因は老衰でした。
百合子さまは明治以降の皇族の中でも最長寿となり、101歳で薨去されました。夫の三笠宮崇仁親王も2016年に100歳で亡くなられており、ご夫妻そろって長寿を全うされたことも特筆されます。
11月26日に豊島岡墓地で斂葬の儀
薨去後の葬儀は、2024年11月26日に東京都文京区の豊島岡墓地で営まれました。宮内庁が公式に記録している儀式名は「斂葬の儀(れんそうのぎ)」です。
喪主を務められたのは、孫にあたる彬子女王です。天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻は慣例により本葬には参列されず、使者を通じて拝礼されました。愛子さまをはじめ皇族方や政府関係者なども参列し、百合子さまとの最後のお別れが行われました。
斂葬の儀の後、百合子さまは夫の崇仁親王と同じ墓所に納骨されました。すでに亡くなられていた3人の息子たちの墓も近くにあります。ご家族が同じ墓所に眠ることになった点は、三笠宮家の家族の歴史を象徴する出来事となりました。
なお、日本赤十字社の広報資料では葬儀を「殯葬の儀」と説明する表記も見られますが、宮内庁の日程記録で確認できる正式な儀式名称は「斂葬の儀」です。
2026年11月現在、百合子さまは薨去から約2年を迎えています。現在も皇室の公務に携わられているわけではなく、宮内庁の記録や日本赤十字社などの団体資料に、その生涯と功績が残されています。
【プロの結論】三笠宮妃百合子さまの功績は長期的な社会貢献にある

百合子さまの生涯を振り返ると、皇族としての立場を守りながら、医療、福祉、文化、国際親善など幅広い領域に関わってこられたことが分かります。その中でも、母子愛育会と日本赤十字社での活動は、特に大きな柱でした。
注目すべきなのは、両団体への関与が一時的なものではなかったことです。母子愛育会の総裁を約62年間、日本赤十字社の名誉副総裁を約71年間務められました。異なる組織で長期間にわたり活動を支えたことは、百合子さまの公的な歩みを特徴づけています。
また、災害救護演習の視察、赤十字病院への訪問、裁縫奉仕など、実際の活動現場に関わっていたことも重要です。肩書だけではなく、医療従事者、福祉関係者、地域のボランティアなど、社会を支える人々と接点を持ち続けられました。
夫の研究活動を支えたことも、百合子さまの生涯を理解するうえで欠かせません。古代オリエント史の研究に取り組む崇仁親王を支え、海外調査や文化交流にも同行されました。皇族の公務と学術的な活動を支える役割が、三笠宮家の特色の一つを形づくっていたと考えられます。
加えて、戦時下の結婚、空襲、戦後の子育て、夫や3人の息子との死別など、百合子さまの人生には日本社会の大きな変化と家族の歴史が重なっています。101年という長い生涯を通して、皇室が社会とどのように関わってきたかを知ることができます。
百合子さまの功績を評価する際には、単に「皇室最高齢だった」という長寿の記録だけでなく、母子保健と赤十字活動への長年の貢献、そして社会福祉を支える人々との継続的な関わりに注目することが大切です。
【三笠宮妃百合子さま】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三笠宮妃百合子さまの生年月日はいつですか? A1:1923年(大正12年)6月4日です。高木正得の次女として生まれ、2024年11月15日に101歳で薨去されました。
Q2:三笠宮妃百合子さまの死因は何ですか? A2:宮内庁が公表した死因は老衰です。2024年3月から脳梗塞の症状や誤嚥性肺炎のため入院されていましたが、同年11月15日午前6時32分に101歳で薨去されました。
Q3:三笠宮妃百合子さまには何人の子供がいましたか? A3:3男2女の計5人です。長女は甯子さま、長男は寬仁親王、次男は宜仁親王(桂宮)、次女は容子さま、三男は憲仁親王(高円宮)です。
Q4:三笠宮妃百合子さまは母子愛育会で何をされていたのですか? A4:1948年4月から2010年9月まで、恩賜財団母子愛育会の総裁を務められました。約62年間にわたり、母子の健康と福祉の向上、地域の子育て支援活動などを支援されました。
Q5:三笠宮妃百合子さまの葬儀はいつ行われましたか? A5:2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地で斂葬の儀が営まれました。喪主は孫の彬子女王が務められ、百合子さまは夫の三笠宮崇仁親王と同じ墓所に納骨されました。
Q6:三笠宮妃百合子さまは2026年現在もご存命ですか? A6:いいえ。2024年11月15日に101歳で薨去されています。2026年現在は、宮内庁や日本赤十字社などの公式記録を通じて、その経歴や社会貢献を確認できます。
三笠宮妃百合子さまは、1923年6月4日に高木正得の次女として誕生し、1941年10月22日に三笠宮崇仁親王と結婚されました。3男2女を育てながら、皇族としての公務に加え、母子愛育会や日本赤十字社の活動に長年取り組まれました。
母子愛育会の総裁を約62年間、日本赤十字社の名誉副総裁を約71年間務められたことは、百合子さまの社会貢献を示す代表的な記録です。医療、母子保健、災害救護、国際親善など、活動の範囲は多岐にわたりました。
2024年11月15日、101歳で老衰のため薨去され、同月26日に豊島岡墓地で斂葬の儀が営まれました。2026年現在、百合子さまの生涯を振り返る際には、長寿の記録だけでなく、戦前から令和まで続いた社会福祉への貢献に目を向けることが重要です。
その歩みは、皇室が社会と関わる役割や、長期的な福祉活動が持つ意義を考えるうえで、今後も受け継がれていく歴史的な記録です。
主な参考資料
- 宮内庁「三笠宮家」「天皇ご一家のご日程」
- 内閣総理大臣謹話(2024年11月15日)
- 衆議院議長謹話(2024年11月15日)
- 社会福祉法人恩賜財団母子愛育会「母子愛育会の歩み」
- 日本赤十字社「赤十字NEWS」2024年12月号
- nippon.com「三笠宮妃百合子さまご逝去 101歳、皇族最高齢」