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九龍城砦の取り壊しでネズミは逃げたのか?1993〜94年の大量脱走説と衛生環境の実態を徹底検証

水沢 茜 水沢 茜 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
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香港にかつて存在した九龍城砦(九龍城寨)。高層建築が隙間なく連なり、昼間でも日光が届きにくい迷路のような路地には、数万人の住民が暮らしていた。そこには飲食店や食品工場、住宅が密集し、開放された排水溝やゴミ、ネズミの存在も問題になっていた。

とりわけ関心を集めているのが、1993年から1994年にかけて行われた九龍城砦の取り壊しとネズミの関係だ。建物を一斉に解体すれば、長年その内部に生息していた大量のネズミが周辺地域へ逃げ出したのではないか、という疑問が生まれるのも無理はない。

【結論】九龍城砦の取り壊しでネズミは大量に逃げ出したのか?

九龍城取り壊しネズミ

最初に結論を整理すると、九龍城砦には実際にネズミが多数生息しており、解体によって周辺住宅地へ移動する危険性も認識されていた。しかし、取り壊しの際に数え切れないほどのネズミが一斉に街へ逃げ出したという出来事が、確定した歴史的事実として記録されているわけではない。

むしろ注目すべきなのは、解体工事の前に香港政庁の都市服務部門(Urban Services Department)がネズミの駆除対策を実施していた点だ。

2024年11月、英国紙「The Guardian」が掲載した九龍城砦の写真特集では、写真家グレッグ・ジラールとイアン・ランボットの写真集『City of Darkness』に基づき、当時のネズミ事情が紹介された。

その説明によると、九龍城砦の麺工場は床や設備に小麦粉が残りやすく、ネズミにとって格好の生息場所になっていた。地上階では大型の下水系のネズミが見られ、上階では比較的小型の種類も確認されていたという。

加えて、周辺の住宅団地では、最後の解体工事が始まる際にネズミが大量に流出するのではないかという不安があった。これに対し、都市服務部門が殺鼠剤による駆除プログラムを実施し、大量流出を防いだと写真集の説明文は伝えている。

つまり、大量脱走説には実際の衛生問題と周辺住民の懸念という背景がある。ただし、恐れられていた事態と、実際に発生した出来事は区別する必要がある。記録から浮かび上がるのは、ネズミの大量流出が確認されたという話ではなく、それを防ぐための事前対策が行われたという実態だ。

【衛生環境の実態】九龍城砦でネズミが大量発生した背景とは?

九龍城砦でネズミが繁殖しやすかった理由は、単純に建物が古かったからではない。人口密度、食品製造業の集中、排水設備の問題、採光や換気の不足など、複数の環境要因が重なっていた。

約2.7ヘクタールに数万人が暮らした超過密都市

九龍城砦の面積は約2.7ヘクタール。東京ドームよりも小さい敷地に、住宅、商店、診療所、工場などが集中していた。

人口については資料によって違いがある。1987年の調査を基にした約3万3,000人という数字が広く紹介される一方、1986年の人口推計を約4万5,000人とする研究もある。加えて、時期や推計方法によっては約6万人という数字も語られてきた。

約2.7ヘクタールに3万3,000人が暮らしていたと仮定すると、単純計算による人口密度は1平方キロメートル当たり約122万人となる。これは特定の調査時点における確定的な公式人口密度ではないが、異常な人口集中を理解する目安になる。

建物は10階から14階程度の高層住宅が多く、隣接する建物同士が接近し、通路や階段でつながっている場所もあった。地上の路地は狭く、自然光がほとんど届かない場所も少なくなかった。

こうした構造は、ネズミが建物内を移動し、食料や水を得るうえで有利に働いたと考えられる。

下水道や排水溝、ゴミ問題が生んだ繁殖環境

衛生環境については、1986年に九龍城砦を訪れた香港政庁の行政官ゴードン・ジョーンズの証言が重要だ。

香港大学の研究者らが2018年に学術誌『Land Use Policy』で発表した研究では、ジョーンズの回想録が引用されている。彼は地上階の環境について、開放された排水溝や下水、ネズミ、凹凸のある路地、垂れ下がった違法電気配線が存在し、夏場には排水溝からの悪臭に耐え難いほどだったと振り返っている。

この証言は、九龍城砦のネズミ問題が単なる都市伝説ではなかったことを示す具体的な記録の一つだ。

また、当時の住環境では、水道設備も十分ではなかった。2024年のThe Guardianによる写真資料の紹介では、安全な飲料水を得られる政府設置の給水栓は全部で8か所しかなく、そのうち城砦の内部に設置されていたものは1か所だったと説明されている。

水の確保や排水の管理が容易ではない環境では、食品残渣や生活ゴミの処理にも負担がかかる。狭い路地にゴミが残り、食品工場から小麦粉や食材の残りが出る状況は、ネズミの生息に適した条件をつくっていた。

食品工場がネズミの重要な餌場になっていた

九龍城砦は、犯罪や貧困だけで語られる場所ではない。実際には数多くの小規模工場が営業し、魚団子、麺類、衣料品、プラスチック製品などが生産されていた。

特に麺工場では、小麦粉が床や作業台に残りやすかった。写真集『City of Darkness』に掲載された説明によると、工場では一日の終わりに簡単な掃除しか行われないこともあり、粉が残った環境がネズミを引き寄せていた。

ここで重要なのは、ネズミの大量発生を建物の密集だけで説明できないことだ。食品を扱う事業所が住宅と同じ建物群に入り込み、食料の保管や廃棄物の処理が難しい状況にあったことも、繁殖を支える要因だった。

【目撃証言と史料】九龍城砦のネズミはどれほど大きかったのか?

九龍城砦のネズミについては、後年のインターネット上の噂だけでなく、当時の議会記録や行政関係者の回想、写真家の記録にも情報が残っている。

1974年の英国議会記録に残る大型ネズミの証言

興味深い資料が、1974年1月29日の英国議会上院(House of Lords)の議事録だ。

この日の九龍城砦に関する審議では、現地の狭い路地や衛生環境について説明があり、開放された排水溝の中を非常に大きなネズミが走っていたという報告が記録されている。

これは、1993年の取り壊しより約19年前の記録だ。つまり、九龍城砦のネズミ問題は解体直前に突然発生したものではなく、少なくとも1970年代には公的な議論の対象になっていた。

同じ議会記録では、排水設備の改善や清掃、害虫駆除、公共トイレの管理などについても説明されている。九龍城砦の衛生問題は長期間にわたって行政上の課題だった。

1986年の行政官による現地の証言

前述のゴードン・ジョーンズの証言も、ネズミの生息環境を知るうえで重要だ。

彼の回想で特に印象的なのは、地上階と建物内部で生活環境に違いがあったという点である。

地上の路地には排水溝やネズミ、悪臭などの問題があった一方、建物の内部に入り、地上から離れると、環境は改善し、ほかの古い集合住宅と大きく変わらない場所もあったという。

この指摘は、九龍城砦の全住民が常に同じ劣悪な環境で生活していたわけではないことを示している。

ネズミの大きさに関する噂と実際の記録

ネット上では、九龍城砦のネズミについて、猫ほどの大きさだった、建物の上階まで大量に出没していた、といった話が広がることがある。

しかし、史料から確認できるのは、排水溝付近に大型のネズミが存在したことや、地上階と上階で異なる種類のネズミが見られたという情報までだ。

猫ほどの大きさという表現を、すべてのネズミに共通する客観的なサイズとして扱うことはできない。大型個体の目撃と、ネズミ全体が異常に巨大だったという話は別物である。

写真家グレッグ・ジラールとイアン・ランボットが記録した写真は、当時の建物や生活空間を知る貴重な資料だ。特に『City of Darkness』は、建築の異様さだけでなく、そこで暮らした人々の日常や食品工場の実態も伝えている。

【1993〜1994年の解体年表】ネズミの大量流出はどう防がれたのか?

九龍城砦の取り壊しは、1993年に突然始まったわけではない。香港の政治的な事情、住民の移転、補償交渉などを経て、ようやく実現した大規模な事業だった。

1987年1月14日、香港政府は九龍城砦の清拆と跡地の公園化を正式に発表した。その後、住民への補償や移転が進み、1993年3月23日に解体作業が始まった。

香港政府の康楽及文化事務署が公開する公園の歴史資料では、解体完了は1994年4月と記録されている。

主要な出来事を時系列で整理すると、次のようになる。

年月 出来事 ネズミ・衛生問題との関係
1974年 英国議会で九龍城砦の衛生環境が議論される 排水溝に大型ネズミがいたという報告が残る
1984年 英中共同声明が調印される 香港の将来をめぐる政治的な環境が変化する
1987年1月 香港政府が清拆と公園化を発表 住民の移転と跡地整備の計画が具体化する
1991〜1992年 補償・移転交渉と住民の退去が進む 解体前の環境整理と害虫対策が必要になる
1993年3月23日 解体工事が開始される 周辺地域へのネズミ流出が懸念される
1993〜1994年 建物の本格的な解体が進行 殺鼠剤による駆除プログラムが実施されたと記録される
1994年4月 九龍城砦の解体が完了 跡地の公園整備へ移行する
1995年12月22日 九龍寨城公園が正式開園 旧城砦の遺構を保存した公園として再生する
解体前に行われたネズミ対策

取り壊しに際して重要だったのが、建物を壊す前にネズミの個体数を減らすことだった。

ネズミは人間の生活圏に適応する動物であり、建物の取り壊しによって巣や餌場を失えば、周辺の住宅や商業施設へ移動する可能性がある。

実際、九龍城砦の近隣に住む人々が大量流出を懸念していたことは、『City of Darkness』の記録から読み取れる。

これに対して、香港政府の都市服務部門は殺鼠剤を使った駆除プログラムを実施した。The Guardianが2024年に紹介した写真集の説明では、この取り組みは成功し、周辺地域が恐れていたネズミの大量流出を防いだとされている。

ただし、駆除されたネズミの正確な数や、すべての個体が駆除されたかどうかを示す統計は、この記録からは分からない。

したがって、解体時のネズミの行方については、次のように整理するのが妥当だ。

  • 解体前からネズミが多数生息していた。
  • 工事によって周辺地域へ移動することが懸念されていた。
  • 行政による殺鼠剤を使った駆除対策が実施された。
  • 記録上は、大量流出を防ぐことに成功したと説明されている。
  • 駆除数や個体ごとの行方を示す詳細な記録は明らかになっていない。

つまり、九龍城砦の解体でネズミが一斉に逃げ出したというイメージよりも、解体前から周辺への影響を想定し、行政が対策を進めていたという歴史の方が実態に近い。

【取り壊しの理由】なぜ香港政府は九龍城砦を解体したのか?

九龍城砦が取り壊された理由は、ネズミの大量発生だけではない。衛生、建築、防災、都市計画、政治的な事情が複雑に絡み合っていた。

英中間で複雑化した行政上の問題

九龍城砦の歴史は1847年、清朝が軍事拠点として建設したことに始まる。

1898年に新界が英国へ99年間租借された際も、九龍城砦の扱いは複雑だった。1899年には英国軍が進駐し、清朝の官吏や兵士が退去。その後、行政上の空白が生まれ、戦後には不法建築が急増していった。

第二次世界大戦中、日本軍の占領下で城壁が撤去され、石材は近隣の啓徳空港の拡張に使われた。戦後は難民や移住者が流入し、建物が次々と増築された。

英国と中国の間で管轄権をめぐる問題が続いたため、通常の都市計画や建築規制が十分に適用されない状態が長く続いた。

1984年の英中共同声明によって香港返還への道筋が定まると、九龍城砦の特殊な行政問題も整理されることになった。1987年の取り壊し決定は、こうした政治的背景と深く関係している。

衛生・火災・建築上の危険性

建物の過密状態は、火災や救急対応の面でも問題だった。

細い路地には消防車などの大型車両が入りにくく、建物内には複雑な配線や配管が張り巡らされていた。自然光や換気が十分に確保できない場所もあり、開放された排水溝や不十分な衛生設備も課題になっていた。

また、建築規制が十分に機能しない状態で建物が増築されていたため、都市全体を安全に維持することは難しかった。

ただし、九龍城砦のすべての建物が直ちに倒壊する危険を抱えていたという理解も正確ではない。2018年の香港大学研究者らによる論文では、城砦の建築物や住宅内部の品質について、一般的なイメージを修正する分析が行われている。

建物の密集による都市環境の問題と、個々の住宅の構造や居住性は分けて考える必要があるということだ。

住民の立ち退きと補償の経緯

取り壊し決定後、香港政府は住民や事業者への補償と移転を進めた。

香港政府の1991年版年鑑によると、政府は対象となる住民約2万8,300人と、約900の商業事業者に対して移転・補償の提示を終えていた。このうち約2万5,450人と520の事業者が政府の提示を受け入れて移転し、支払われた現金補償は約24億香港ドルに達していた。

移転は一度に終わったわけではなく、段階的に進められた。1991年にはまだ交渉が残る世帯があり、1992年には最後まで残った住民の退去が進められた。

一方、住民にとって九龍城砦は単なる危険な建物群ではなかった。そこには長年の生活、仕事、商売、人間関係が存在していた。

家族経営の工場や小さな飲食店、安価な住宅を必要とする人々にとって、九龍城砦は生活を成立させる場所でもあった。取り壊しは衛生環境を改善する一方で、そこで築かれた地域社会を解体する出来事でもあった。

【解体前の写真と現在】九龍城砦の跡地はどうなった?

九龍城砦の取り壊し前の姿を知るうえで重要なのが、写真家グレッグ・ジラールとイアン・ランボットが撮影した記録だ。

1980年代から1990年代初頭にかけて撮影された写真には、隙間なく並ぶ高層住宅、薄暗い路地、むき出しの配管、無数の電線、食品工場、屋上で遊ぶ子どもたちなどが写っている。

これらは、単に不気味な廃墟を記録したものではない。ネズミや衛生問題と隣り合わせだった生活と同時に、そこで働き、子どもを育て、地域を形成していた住民の姿も残している。

写真集『City of Darkness』は、九龍城砦の歴史を視覚的に理解するための代表的な資料の一つだ。

現在の跡地は九龍寨城公園

2026年現在、九龍城砦があった場所は、香港の九龍城区にある九龍寨城公園(Kowloon Walled City Park)として整備されている。

香港政府の康楽及文化事務署の公式資料によると、解体工事は1994年4月に完了し、公園の建設は同年5月に始まった。工事は1995年8月に完成し、同年12月22日に正式開園している。

公園の面積は約3万1,000平方メートル。清朝初期の江南庭園様式を取り入れ、池や中国式の建築物を配置した落ち着いた空間になっている。

特に注目したいのが、九龍城砦の歴史を伝える建築遺構だ。

かつて行政機能を担った衙門(ヤーメン)は保存・修復され、公園内の展示施設として歴史を伝えている。また、解体中に発見された南門の石碑も保存された。

これらの遺構は1996年に歴史的建造物として指定されている。

かつてネズミや排水問題が語られた過密都市は、現在では緑豊かな公園へと姿を変えた。かつての建物の大部分は失われたものの、残された遺構と写真資料によって、当時の街の記憶は受け継がれている。

【噂と史実を比較】九龍城砦のネズミに関する誤解を整理

九龍城砦のネズミについては、実際の記録に基づく話と、後年のイメージによって誇張された話が混在している。重要な論点を整理すると次のようになる。

  • 「九龍城砦にはネズミが大量にいた」:史料や行政官の証言、写真集の説明によって裏付けられている。
  • 「ネズミはすべて巨大だった」:大型個体の報告はあるが、すべてのネズミが巨大だったという証拠はない。
  • 「取り壊しでネズミが一斉に街へ逃げ出した」:大量流出への懸念は実在したが、駆除対策が実施され、大量流出を防いだという記録がある。
  • 「九龍城砦には行政サービスが一切なかった」:行政上の空白はあったが、清掃、害虫駆除、給水などの行政対応も行われていた。
  • 「住民は全員、劣悪な環境で暮らしていた」:路地と住宅内部では環境に差があり、住民の生活実態も一様ではなかった。

九龍城砦の歴史を理解する際には、都市の衛生問題と、住民の生活や地域社会の実態を同時に見ることが欠かせない。

【九龍城取り壊しとネズミ】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:九龍城砦を取り壊したとき、ネズミは大量に逃げ出したのですか?
A1:周辺住民が大量流出を心配していたことは記録されている。ただし、The Guardianが2024年に紹介した『City of Darkness』の説明では、香港政府の都市服務部門による殺鼠剤を使った駆除対策が成功し、大量流出を防いだとされている。

Q2:九龍城砦のネズミは本当に大きかったのですか?
A2:1974年の英国議会上院の記録には、排水溝に非常に大きなネズミがいたという報告が残っている。また、写真集の説明では地上階に大型の下水系ネズミ、上階には小型のネズミが見られたとされる。ただし、猫ほどの大きさだったという話を一般化できる統計はない。

Q3:九龍城砦の解体はいつ始まり、いつ終わったのですか?
A3:解体工事は1993年3月23日に始まり、1994年4月に完了した。その後、跡地に九龍寨城公園が建設され、1995年12月22日に正式開園した。現在は衙門や南門の遺構を見学できる歴史公園になっている。

【プロの結論】

まとめ:九龍城砦の取り壊しとネズミ問題から見える歴史的な実態

九龍城砦の取り壊しとネズミの関係を整理すると、重要なのは「ネズミがいたかどうか」だけではない。

実際にネズミは生息していた。1974年の英国議会記録、1986年の行政官の証言、写真家の記録は、下水や排水溝、食品工場などにネズミが存在したことを示している。

しかし、1993年から1994年の解体工事で、ネズミが一斉に周辺へ逃げ出したという話は、確認された歴史的事実とは異なる。解体前には近隣住民が大量流出を懸念し、行政は殺鼠剤を用いた駆除プログラムを実施していた。

ここに九龍城砦の歴史を理解するうえでの重要な視点がある。九龍城砦は単なる無秩序なスラムではなく、複雑な政治的背景の中で形成され、住民の工夫や経済活動によって維持されていた生活空間だった。

衛生環境の改善や防災上の問題から取り壊しが進められた一方、そこには地域社会の喪失という側面もあった。

ネズミの大量発生と解体時の大量脱走という話は、事実と懸念、そして後年の都市伝説が混ざりやすいテーマだ。歴史を正確に理解するには、行政記録、議会資料、写真集、研究論文を照らし合わせ、実際に確認された出来事を区別することが欠かせない。

1994年に姿を消した九龍城砦は、現在の九龍寨城公園にその一部を残している。そこに保存された遺構と写真資料は、ネズミの噂だけでは語り尽くせない、かつての香港の都市生活を今に伝えている。

主な参考資料・出典

- 香港特別行政区政府・康楽及文化事務署「九龍寨城公園の歴史」
- 香港政府『Hong Kong Yearbook 1991』
- 香港大学研究者らによる2018年の学術論文『Quality of life in a “high-rise lawless slum”: A study of the “Kowloon Walled City”』
- 英国議会上院議事録(1974年1月29日)
- The Guardian(2024年11月19日、写真集『City of Darkness』の記録を紹介)
- Atlas Obscura(2020年1月6日、九龍城砦の歴史と住民移転・解体の経緯)

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水沢 茜
デジタルマーケター 水沢 茜
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アイドルと音楽シーンを担当。公式サイトのスケジュール、リリース情報、本人の発表を照合してから構成しています。

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