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【答えは6回】アポロ計画の月面着陸はいつ誰が成功した?

水沢 茜 水沢 茜 • 更新: • 公開: • 読了約 21 分
目次

NASAの公式記録によると、アポロ計画では1969年から1972年にかけて、有人月面着陸が合計6回実施されました。対象となるのはアポロ11号、12号、14号、15号、16号、17号です。

ここで注意したいのが、アポロ計画の有人飛行11回と、月面着陸6回は別の数字だという点です。有人飛行には月周回飛行や宇宙船の試験飛行も含まれます。アポロ8号は人類初の有人月周回飛行、9号は月着陸船の有人試験、10号は月面着陸の直前段階まで進んだ予行演習でした。

そして、1970年のアポロ13号では月面着陸を予定していたものの、飛行中の事故によって計画を中止しています。したがって、11号から17号までの7つの連続した番号のうち、13号を除いた6つが着陸成功ミッションです。

2026年現在も、アポロ17号が人類最後の有人月面着陸ミッションです。最後の着陸から半世紀以上が経過していることを考えると、1960年代から1970年代初頭にかけて実現した6回の成功が、いかに特別な成果だったかが分かります。

【全6回を一覧で比較】アポロ11号から17号までの日程・乗組員・着陸地点

月面着陸アポロ

6回の月面着陸は、約3年半の間に行われました。最初の11号では着陸と帰還の実証が中心でしたが、後半のミッションでは月面車を使用した広域調査や、地質学的なサンプル採取へと目的が発展しています。

以下はNASAのミッション記録とNASAの宇宙科学データセンター(NSSDC)に基づく一覧です。日付は米国東部時間での月面着陸日を基本としています。日本時間では翌日になる場合があります。

ミッション 月面着陸日 月面活動を行った2人 司令船に残った宇宙飛行士 着陸地点
アポロ11号 1969年7月20日 ニール・アームストロング
バズ・オルドリン
マイケル・コリンズ 静かの海
アポロ12号 1969年11月19日 チャールズ・コンラッド
アラン・ビーン
リチャード・ゴードン 嵐の大洋
アポロ14号 1971年2月5日 アラン・シェパード
エドガー・ミッチェル
スチュアート・ルーサ フラ・マウロ高地
アポロ15号 1971年7月30日 デイヴィッド・スコット
ジェームズ・アーウィン
アルフレッド・ウォーデン ハドリー・アペニン
アポロ16号 1972年4月20日 ジョン・ヤング
チャールズ・デューク
トーマス・マティングリー デカルト高地
アポロ17号 1972年12月11日 ユージン・サーナン
ハリソン・シュミット
ロナルド・エヴァンス タウルス・リットロウ

この表で注目したいのは、3人編成が一貫して維持されていたことです。月面に降りるのは2人で、残る1人は司令船に乗って月周回軌道を維持しながら、地球への帰還に必要な役割を担っていました。

また、11号から17号に進むにつれて、月面での活動内容も変化しました。15号以降は月面車を使った調査が本格化し、着陸地点周辺の地形や岩石をより広範囲に調べられるようになっています。

6回の着陸で月面を歩いた宇宙飛行士は合計12人

アポロ計画で月面に降り立った宇宙飛行士は、各ミッション2人ずつの合計12人です。一方、司令船パイロットとして月周回軌道に残った宇宙飛行士も6人います。

月面に降りなかったからといって、その役割が小さかったわけではありません。司令船パイロットは、月面活動を終えた2人が帰還するための重要な合流地点を維持し、地球へ戻る宇宙船の運用を担当していました。

【アポロ11号の歴史的瞬間】アームストロング、オルドリン、コリンズの役割

アポロ11号は1969年7月16日、フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられました。乗組員はニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3人です。

7月20日、月着陸船イーグルが月面に到達。着陸地点は月の表側にある静かの海でした。司令船コロンビアにはコリンズが残り、アームストロングとオルドリンが月面へ降下しました。

ニール・アームストロングが人類初の月面第一歩を記録

1969年7月20日午後、アームストロング船長は月着陸船から降り、人類で初めて月面に足を踏み入れました。

NASAの記録では、最初の月面歩行は米国東部時間の7月20日午後10時56分ごろ。世界中にテレビ中継されたこの瞬間は、宇宙開発史に残る象徴的な出来事となりました。

なお、ここには日付の違いがあります。米国時間では7月20日ですが、日本時間では1969年7月21日です。日本の読者が資料を比較するときは、時差による日付の違いに注意する必要があります。

アームストロングが最初に降りた理由は、単純な偶然ではありません。船長として着陸操作を担当し、月面への最初の退出も担ったためです。彼は月着陸船の降下時にも、予定地点にあった岩やクレーターを避けながら手動操縦で着陸を成功させています。

バズ・オルドリンは2人目の月面歩行者

月着陸船のパイロットだったバズ・オルドリンは、アームストロングに続いて月面に降りました。

オルドリンは月面で写真撮影や地質調査、サンプル採取、観測装置の設置などを担当しました。月面に立つ2人の写真では、宇宙服を着たオルドリンの姿が印象的に残っています。

アポロ11号では、2人が月面で活動した時間は約21時間半。月面活動そのものは約2時間半で、月の石や土壌を採取したほか、地震計やレーザー反射器などの科学機器も設置しました。

マイケル・コリンズはなぜ月面に降りなかったのか

アポロ11号の3人のうち、マイケル・コリンズだけは月面に降りていません。

コリンズの担当は司令船コロンビアの操縦と管理でした。アームストロングとオルドリンがイーグルで月面に降下している間、コリンズは月周回軌道上で待機。2人が月面活動を終えると、月着陸船の上昇段と合流し、3人で地球への帰還を目指しました。

月面に降りた2人が注目を集める一方、コリンズは月の裏側を飛行している間、地球との通信が一時的に途絶える状況にも置かれていました。3人の任務はそれぞれ異なり、誰か1人が欠けてもミッションの成功は難しかったのです。

アポロ11号は7月24日に太平洋へ着水し、乗組員3人全員が帰還しました。

【サターンVロケットと月着陸船】人類はどのように月へ降りたのか

アポロ計画の成功を支えたのが、巨大なサターンVロケットと、月面専用に設計された月着陸船です。月面着陸は、ロケットを打ち上げてそのまま月へ向かうという単純な仕組みではありません。地球周回軌道、月周回軌道、月面降下、再上昇、地球帰還という複数の段階を経て実現しました。

サターンVロケットは3段式の大型ロケット

サターンVはアポロ計画で使用された3段式ロケットです。NASAの解説によると、各段が燃料を燃焼させて推進力を生み、役目を終えると切り離され、次の段が点火する構造になっています。

第1段は地上から宇宙へ機体を持ち上げる役割、第2段はさらに高度を上げて地球周回軌道に近づける役割、第3段は宇宙船を地球周回軌道へ投入し、月へ向かう軌道に乗せる役割を担いました。

つまり、サターンVは単に大きなロケットだったのではありません。宇宙船を段階的に加速させ、月へ向かうために必要な速度を与える精密な輸送システムだったのです。

月着陸船イーグルは2段構造だった

アポロ11号の月着陸船には「イーグル」という名称が付けられていました。月着陸船は、月面に降りるための降下段と、月面から再び飛び立つための上昇段という2つの部分で構成されていました。

着陸から帰還までの流れは次のとおりです。



地球から月へ移動

サターンVで打ち上げられた司令船・機械船と月着陸船が月へ向かいます。


月周回軌道へ投入

宇宙船は月の周囲を回る軌道に入り、司令船と月着陸船を分離する準備をします。


2人が月面へ降下

船長と月着陸船パイロットが月着陸船に乗り、降下エンジンを使って速度を落としながら着陸します。


月面で科学調査

岩石や土壌の採取、写真撮影、観測装置の設置などを行います。


上昇段で月面を離脱

降下段を月面に残し、上昇段だけで月周回軌道へ戻ります。


司令船とドッキング

月周回軌道に残っていた宇宙飛行士と合流し、採取したサンプルや機材を移します。


地球へ帰還

司令船・機械船で地球へ向かい、最後は司令船が大気圏に再突入して太平洋などに着水します。

この方式の大きな利点は、地球から持ち込む燃料や機材を必要最小限にできることです。月面から宇宙船全体を打ち上げ直す必要がなく、降下段を切り離して上昇段だけを月周回軌道へ戻せました。アポロ11号のミッション記録にも、イーグルの分離、降下、再上昇、コロンビアとのドッキングが詳細に記録されています。

【アポロ13号の事故】なぜ月面着陸に失敗し、どうやって生還したのか

アポロ計画を語るうえで避けて通れないのが、1970年4月に発生したアポロ13号の事故です。13号は当初、アポロ計画で3回目となる月面着陸を目指していました。しかし、飛行中に機械船の酸素タンクが破裂し、月面着陸は中止されます。

乗組員は司令船パイロットのジャック・スワイガート、船長のジム・ラベル、月着陸船パイロットのフレッド・ヘイズの3人。NASAの記録によると、事故発生後は月着陸船アクエリアスを緊急時の生命維持装置として活用し、3人全員が地球へ帰還しました。

事故は1970年4月13日に発生

アポロ13号は1970年4月11日に打ち上げられました。打ち上げから約56時間後、4月13日、機械船の酸素タンク2番に異常が発生します。

NASAの事故記録によると、タンクの圧力低下や電力系統の異常が相次ぎ、宇宙船の電力供給を担う燃料電池にも深刻な影響が及びました。酸素の供給が失われれば、電力の確保や乗組員の生命維持が困難になります。

事故によって機械船の外装パネルが吹き飛び、宇宙船の通常運用は不可能になりました。乗組員と地上管制チームは、月面着陸を諦め、地球へ生還するための計画に切り替えました。

アポロ13号の事故原因は酸素タンクの設計・整備上の問題

事故の原因は、単純な部品の突然の故障ではありません。NASAの事故調査委員会は、酸素タンクの設計上の問題、製造・整備工程、打ち上げ前の試験手順など、複数の要因が重なったと結論づけています。

問題の酸素タンクは、過去の改修や取り扱いの過程で損傷を受けた可能性がありました。加えて、タンク内のヒーターに使用する電圧を変更した際、サーモスタットなどの関連部品が十分に対応できていなかったことが問題になりました。

打ち上げ前の酸素排出作業では、ヒーターに65ボルトの電力を長時間供給することになり、内部の電気系統やテフロン製の絶縁材に深刻な熱損傷が生じたとされています。その後、飛行中に酸素タンク内のファンを作動させた際、損傷した配線などが関係して短絡・発火につながり、タンクの破裂を招いたと調査されています。

事故調査報告書では、設計変更と試験・整備手順の不整合、異常の見落としなどが重なったことが重要な原因として扱われています。

月着陸船アクエリアスが3人の命を救った

事故後、乗組員は司令船オデッセイの電力や酸素が不足するなか、月着陸船アクエリアスへ移りました。もともと月面で2人が活動するために設計された機体でしたが、緊急時には3人を支える生命維持装置として使用されました。

地上の管制チームは、限られた電力や水、酸素をどのように使えば地球まで戻れるかを検討し、乗組員に新しい手順を伝え続けました。月面への着陸は断念したものの、月の周囲を回って地球への帰還軌道に乗せる作戦が採用されました。

そして1970年4月17日、アポロ13号は太平洋に着水。乗組員3人は無事に救出されました。NASAが後年「成功した失敗」として振り返ることもあるこのミッションは、宇宙船の安全設計と緊急対応の重要性を示す事例となっています。

【月面着陸の証拠を検証】写真・月の石・レーザー観測から分かる真相

アポロ計画の月面着陸については、現在でも「本当に人類は月へ行ったのか」「映像は地球上で撮影されたのではないか」といった疑問が検索されています。いわゆるアポロ月面着陸捏造説です。

しかし、月面着陸を裏付けるものは、当時のテレビ映像や写真だけではありません。月から持ち帰られた岩石、月面に設置された観測機器、後年の月周回探査機による撮影、地上からのレーザー測距など、異なる種類の観測結果が相互に整合しています。

1. 月の石と土壌は合計382キログラム

アポロ計画の6回の月面着陸で、宇宙飛行士が地球へ持ち帰った月の岩石や土壌は、合計382キログラムに達します。NASAの集計では、採取された試料は2,196点です。

採取された試料は、岩石だけでなく、砂や細かなレゴリス、地下の状態を調べるためのコア試料など多岐にわたります。これらはNASAの研究施設で保管・管理され、世界各地の研究者による分析に利用されてきました。

2025年1月にNASAが公表した研究紹介でも、アポロ計画で採取された月の試料を再分析することで、月の初期進化や巨大衝突の歴史について新しい知見が得られたと報告されています。

重要なのは、月の石が一度きりの展示物ではなく、半世紀以上にわたって継続的な科学研究に使われていることです。

2. 月周回探査機LROが着陸地点を撮影

NASAの月周回探査機ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)は、月面を高解像度カメラで撮影しています。

2009年以降に取得された画像には、アポロ11号の月着陸船の降下段や、宇宙飛行士が活動した際に残した足跡の軌跡が写っています。加えて、アポロ14号など他の着陸地点でも、月着陸船の残骸や設置された観測機器、宇宙飛行士の移動跡が確認されています。

これは、1969年当時の写真とは独立した、後年の月周回探査機による観測です。地球上の撮影スタジオで映像を作ったという説明だけでは、こうした月面上の物体や軌跡の存在を説明できません。

3. 月面に設置されたレーザー反射器は現在も観測に使われる

アポロ11号、14号、15号では、月面にレーザー反射器が設置されました。これは、地球からレーザーを照射し、反射光が戻るまでの時間を測ることで、地球と月の距離を高精度に計測する装置です。

国際レーザー測距事業(ILRS)の資料によると、アポロ計画で設置された反射器への測距は長期間にわたって続いており、2026年に確認できる観測記録にもそのデータが残っています。

ただし、レーザー反射器だけで有人着陸の全過程が証明されるわけではありません。無人探査機でも反射器を設置できるためです。重要なのは、月面の物体、採取試料、当時の飛行記録、地上からの測距結果など、複数の独立した証拠が同じ結論を示していることです。

4. アポロ月面着陸捏造説でよく挙げられる疑問

捏造説で繰り返し取り上げられるのが、旗の揺れ、写真に星が写っていないこと、影の向きが不自然に見えることです。それぞれには、月面の環境や撮影条件による説明があります。


疑問①:月には風がないのに、なぜアメリカ国旗が揺れているのか?

月面には地球のような大気や風がありません。旗が広がって見えるのは、上端に横向きの金属棒を取り付けていたためです。棒が十分に伸びきらず、布にしわが残ったことも、風になびいているように見える原因になりました。

疑問②:なぜ月面の写真に星が写っていないのか?

宇宙飛行士や月面は太陽光で強く照らされています。撮影時は明るい被写体を適切に写すための露出設定が使用され、暗い星の光は写真に記録されにくくなります。夜空を撮影する場合とは、カメラの露出条件が異なるのです。

疑問③:なぜ写真の影が平行ではないように見えるのか?

写真では、遠近法や月面の起伏によって、平行な光でできた影が異なる方向に伸びているように見える場合があります。写真の一部分だけを切り取って判断するのではなく、地形や撮影位置、太陽の方向を合わせて考える必要があります。


こうした疑問は、写真1枚の印象だけで判断すると誤解が生じやすい分野です。旗の構造やカメラの露出、地形と光の関係を確認し、さらに月面の試料や探査機の観測結果と照らし合わせることが、科学的な検証につながります。

アポロ計画の真相を見極めるための判断基準

月面着陸をめぐる情報を調べる際には、証拠の種類を分けて考えることが有効です。

- 写真・映像:撮影条件や地形、当時の記録と照合する。
- 月の石:採取地点や保管記録、科学分析の成果を確認する。
- 月面探査機の画像:着陸船や観測機器、移動跡などの位置関係を見る。
- レーザー測距:地球から月面の反射器までの距離を継続観測した記録を確認する。
- ミッション記録:NASAの飛行記録や事故調査報告書と照合する。

複数の観測方法が互いに矛盾せず、長期間にわたって再現可能な結果を示しているかどうか。それが、アポロ月面着陸の真相を判断するうえで最も重要な基準です。

【よくある質問】月面着陸アポロ計画に関するFAQ

Q1:アポロ計画で月面着陸に成功したのは何回ですか?
A1:有人月面着陸は合計6回です。アポロ11号、12号、14号、15号、16号、17号が成功しました。月面を歩いた宇宙飛行士は合計12人です。

Q2:人類で初めて月面に降り立ったのは誰ですか?
A2:アポロ11号の船長ニール・アームストロングです。1969年7月20日(米国東部時間)に月面へ降り、続いてバズ・オルドリンが降りました。司令船パイロットのマイケル・コリンズは月周回軌道に残っていました。

Q3:アポロ13号はなぜ月面着陸できなかったのですか?
A3:1970年4月13日、飛行中に機械船の酸素タンク2番が破裂し、電力や酸素の供給に深刻な問題が発生したためです。月面着陸は中止されましたが、月着陸船アクエリアスを緊急の生命維持装置として使い、乗組員3人は4月17日に無事帰還しました。

アポロ計画の有人月面着陸は、1969年のアポロ11号から1972年のアポロ17号まで、合計6回成功しました。月面を歩いた宇宙飛行士は12人。最後の着陸は1972年12月11日のアポロ17号で、2026年現在も人類最後の有人月面着陸として記録されています。

その一方で、アポロ13号は酸素タンクの破裂という重大事故に遭遇し、月面着陸を断念しました。しかし、乗組員と地上管制チームの対応によって3人全員が生還しています。この経験は、宇宙開発における安全設計や危機管理の重要性を示しました。

アポロ計画の価値は、歴史的な月面第一歩だけにあるのではありません。サターンVによる打ち上げ技術、月着陸船による月面降下、月周回軌道でのドッキング、そして382キログラムに及ぶ月の試料の持ち帰りまで、有人宇宙探査に必要な技術と科学的成果を積み重ねたことにあります。

特に、月面着陸を検証する際には、映像や写真だけでなく、月の石、LROの撮影画像、レーザー測距、NASAの飛行記録を総合的に見ることが大切です。個別の写真に対する疑問と、複数の独立した科学的証拠が示す全体像は分けて考える必要があります。

アポロ計画は1972年に幕を閉じましたが、持ち帰られた試料は2026年現在も研究対象であり、当時設置された反射器による観測も続いています。半世紀以上前の月面着陸が、過去の偉業として保存されるだけでなく、現在の月科学を支える研究資産として生き続けていることこそ、アポロ計画が残した大きな遺産です。 (出典: 月 面 着陸 アポロ(Yahoo!ニュース))

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水沢 茜
デジタルマーケター 水沢 茜
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アイドルと音楽シーンを担当。公式サイトのスケジュール、リリース情報、本人の発表を照合してから構成しています。

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