重岡大毅さんは、WEST.のメンバーとしての明るいキャラクターや、俳優として見せる繊細な演技で幅広い世代から支持されています。そんな重岡さんは、子どもの頃どのような少年だったのでしょうか。実は本人の過去のインタビューには、幼稚園時代に大工を目指していた話、小学5・6年生のサッカー経験、父親に迎えに来てもらった思い出など、意外なエピソードが残されています。
STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールや、2015年の『Myojo』掲載インタビュー、ORICON NEWSなどの本人取材をたどると、頑固で泣き虫、少しひねくれたところもありながら、家族との関係を大切にしてきた少年時代が見えてきます。2026年現在34歳となった重岡さんの人柄を理解する手がかりとして、幼少期から中学時代までを振り返ります。
【幼少期の素顔】重岡大毅はどんな子どもだった?頑固で泣き虫な少年時代

重岡大毅さんの子ども時代を知るうえで重要なのが、『Myojo』2015年2月号に掲載された1万字ロングインタビュー「僕がJr.だったころ」です。
このインタビューでは、本人が幼少期の性格や家族との関係、小学生時代の行動について率直に振り返っています。
姉と同じものを欲しがる頑固な性格重岡さんによると、幼い頃はかなり頑固な子どもだったそうです。
3歳年上のお姉さんがいた重岡さんは、おもちゃや食べ物についても、お姉さんと同じものを欲しがっていたと振り返っています。
自分だけ違うものを与えられるより、姉と同じものを選びたい。そんなこだわりが幼い頃からあったようです。
一方で、気が強いだけの少年ではありませんでした。
本人は、口げんかで負けたときなどに我慢できず、すぐ泣いてしまうほどの泣き虫だったとも語っています。
つまり、頑固さと繊細さが同居していたのが、幼少期の重岡さんの特徴です。
いたずら好きで、人と違うことに憧れていた小学生時代の重岡さんには、少し変わった行動もありました。
インタビューでは、草を口にくわえてシーソーに寝転んでいたことを明かしています。
大人が食後につまようじをくわえている姿を格好いいと感じ、自分も真似してみたかったのだそうです。
周囲の子どもたちと同じように無邪気に遊ぶよりも、少し違ったことをしてみたい。そんな独特の美意識を持っていたことがうかがえます。
ただし、本人はこの行動を振り返り、自分の中の黒歴史として笑っています。
また、友達と一緒にいたずらをするときも、自分から先頭に立つより、誰かの行動に乗っかることが多かったそうです。
本人は当時の自分を「スネ夫タイプ」と表現しています。
現在の明るく自由奔放な印象だけでは想像しにくい、少し内向的で周囲の反応を気にする少年だったことも分かります。
【幼稚園時代の将来の夢】重岡大毅が大工になりたかった理由とは?
重岡大毅さんの幼少期エピソードで、とりわけ印象的なのが幼稚園時代の将来の夢です。
本人は『Myojo』の1万字インタビューで、小さい頃に何になりたかったのかを尋ねられ、友達の影響でサッカー選手になりたいと言っていたことや、幼稚園時代に大工になりたいと話していたことを明かしました。
「大毅」と「大工」の響きが似ていた重岡さんが大工になりたいと思った理由は、非常にユニークです。
自分の名前である「大毅」と、職業の「大工」の響きが似ていることから、大工になろうと考えたのだそうです。
名前の語感から将来の職業を決めるという、幼稚園児らしい発想が印象に残ります。
この話から分かるのは、当時の重岡さんが特定の職業に強い憧れを抱いていたわけではなかったということです。
本人も、将来なりたいものが明確に決まっていたわけではなく、友達がサッカー選手になりたいと言えば自分もそう答えるなど、周囲の影響を受けやすかったと振り返っています。
幼少期の夢から見える素直さとユーモア大工になりたいという話は、単なる面白エピソードとして片付けられない部分もあります。
幼い子どもが自分の名前と職業の響きを結びつけて夢を語る姿には、発想の柔軟さや、言葉を楽しむ感覚が表れています。
また、現在の重岡さんはテレビやインタビューでも、場を和ませるような発言やユーモアを見せています。
幼少期のエピソードと現在のキャラクターを単純に結びつけることはできませんが、本人が昔から人と違うことに興味を持ち、独特の感覚を楽しんでいたことは興味深い点です。
【小学生から中学時代】サッカークラブで活動した後、テニス部へ
重岡大毅さんは、小学生時代にサッカークラブに所属していました。
『Myojo』2015年2月号のロングインタビューでは、小学5・6年生の頃にサッカークラブに入っていたことを本人が明かしています。
小学5・6年生はサッカーに親しんでいた重岡さんは、中学校に進学したらサッカー部に入るつもりだったと話しています。
小学生時代にサッカークラブで活動していた経験があり、当初は中学校でもサッカーを続けるイメージを持っていたようです。
ただし、実際に入部したのはサッカー部ではありませんでした。
『テニスの王子様』がきっかけでテニス部へ中学進学の時期に、漫画やアニメで人気を集めていた『テニスの王子様』の影響もあり、周囲の友人たちがテニス部に入るようになったそうです。
重岡さんもその流れに乗り、当初の予定を変更してテニス部に入部しました。
ところが、部活動は長続きしませんでした。
本人の説明によると、練習よりも先輩たちとふざける雰囲気が強く、先輩たちが辞めていったこともあって、最終的には自分たちも退部したそうです。
その後は家でテレビゲームをする時間が増えたと振り返っています。
中学時代は周囲に流されやすい一面もこのエピソードで興味深いのは、本人が当時の自分を「流されやすかった」と分析している点です。
サッカーを続けるつもりだったにもかかわらず、友達の動きに合わせてテニス部を選んだことは、その象徴的な出来事です。
また、異性の目を意識して格好をつけていたこともインタビューで明かしています。
帰り道で女子生徒の前を通る際、急に走り出して忙しそうに見せ、通り過ぎると再び歩いていたという、本人にとっては少し恥ずかしい思い出もあります。
現在の堂々としたステージ上の姿とは違う、思春期らしい自意識の強さが感じられるエピソードです。
【父親・母親との家族エピソード】重岡大毅を支えた家族の存在
重岡大毅さんの幼少期を語るうえで、父親と母親の存在も欠かせません。
2016年5月にORICON NEWSで公開されたインタビューでは、父親への思いや、母親との性格の違いについて本人が語っています。
父親は寡黙で頼りがいのある存在重岡さんは、自分の父親について、口数は多くないものの、頼りがいのある人物だと説明しています。
幼い頃に父親へ口答えした際、ひどく泣かされた記憶もあるそうです。
その経験もあってか、父親は自分にとって絶対的に強い存在であり、何歳になってもかなわない相手だと話しています。
親子の力関係をユーモラスに語りながらも、父親に対する尊敬の気持ちが伝わる発言です。
小学5年生の頃、父親が迎えに来てくれた思い出もう一つ印象的なのが、塾帰りのエピソードです。
小学5年生頃、塾から自宅まで歩いて10分ほどの道のりが、ある日とても怖く感じられたことがあったそうです。
そこで重岡さんは、自宅に電話をかけ、知らない男性がついてきていると伝えました。
実際には本人が怖さからついた嘘だったと、インタビューで振り返っています。
連絡を受けた父親は、数分のうちに走って迎えに来てくれたそうです。
この話からは、子ども時代の重岡さんの怖がりな一面だけでなく、困ったときに頼れる父親がそばにいたことも分かります。
2016年のORICON NEWSの取材で語った父親像とも重なるエピソードです。
母親はおしゃべり好きで、重岡さんにも影響父親とは対照的に、母親については非常によく話すタイプだと紹介しています。
重岡さん自身も、自分がよくしゃべるようになったのは母親の影響かもしれないと語っています。
また、ジャニーズ事務所への応募をめぐるエピソードにも母親が登場します。
中学2年生の頃、友人に誘われて履歴書を送った重岡さんは、親には応募したことを伝えていませんでした。
その後、書類審査の合格通知がFAXで届き、母親がそれを見つけて本人に知らせたそうです。
本人は最初、二次審査に行くつもりはないと話していたものの、周囲に勧められて挑戦することになりました。
家族と本人の関係を整理| 関係者 | 本人が語ったエピソード | 分かること |
|---|---|---|
| 父親 | 小学5年生頃、塾帰りに怖くなった際、迎えに来てくれた | 寡黙で頼りがいのある存在 |
| 母親 | おしゃべり好きで、応募書類の合格通知を本人に伝えた | 会話好きな性格への影響がうかがえる |
| 姉 | 3歳年上。幼少期は姉と同じおもちゃや食べ物を欲しがった | 姉の存在が幼い頃の生活に身近だった |
| WEST.のメンバー | 2015年のインタビューで7人での活動への思いを語った | 成長後の大切な仲間として関係を築いている |
家族のエピソードを振り返ると、重岡さんの少年時代には、厳しさと温かさの両方を持つ家庭環境があったことがうかがえます。
【兵庫県川西市出身】重岡大毅の地元と芸能界入りまでの道のり
重岡大毅さんは、1992年8月26日生まれ。STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでは、出身地は兵庫県と紹介されています。
加えて、2026年9月13日のFM802『OSAKAN HOT 100』の番組ブログでは、重岡さんが兵庫県川西市出身であることが紹介されました。
川西市で過ごした少年時代川西市は兵庫県南東部に位置する街です。
重岡さんは、幼稚園から小学校、中学校へと成長する時期を兵庫県で過ごしました。
小学5・6年生のサッカークラブや、中学時代の部活動など、本人のインタビューからは地元で過ごした日常の断片を知ることができます。
なお、公式プロフィールで公表されている出身地は兵庫県までであり、学校名などの細かな学歴情報とは区別して考える必要があります。
中学2年生で芸能界への入り口に立つ重岡さんが芸能界へ進むきっかけになったのは、中学2年生の頃です。
2016年11月のMedery.のインタビューでは、友人から誘われ、一緒に履歴書を送った経緯を明かしています。
当時は芸能界への強い憧れがあったわけではなく、友人と一緒に応募するという流れだったそうです。
しかし、興味深いことに、履歴書に添える写真の写りが気になり、自宅で書類を開けて、夜中に一人で証明写真を撮り直して差し替えたと話しています。
表向きにはそれほど乗り気ではないように振る舞いながら、内心では自分への期待もあったのでしょう。
14歳の冬、初めて経験したステージ重岡さんは2006年10月8日に芸能活動の道へ進み、14歳の冬には関ジャニ∞のライブで初めてステージに立ったと、本人がインタビューで振り返っています。
それまで普通の中学生として生活していた少年にとって、観客の前で踊る経験は大きな転機になりました。
本人は初めてステージに立った際、遊園地に行ったようなワクワクする感覚があったと話しています。
その後、ステージに立つことへの意欲が高まり、仕事が生活の中心になっていったそうです。
幼稚園時代には大工、小学生時代にはサッカー、中学生時代には友人に誘われて芸能界へ。
将来の目標が明確でなかった少年が、自分の情熱を注げる場所を見つけていく過程は、重岡さんの人生を理解するうえで要点です。
【現在の人柄との共通点】子ども時代の性格はWEST.での活動にもつながる?
重岡さんの幼少期を知ると、現在の明るいキャラクターとの共通点も見えてきます。
もちろん、子ども時代の性格だけで現在の人格が決まるわけではありません。しかし、本人が語った過去と現在のインタビューを比較すると、興味深い特徴があります。
人を笑わせることが好きな性格2016年のMedery.のインタビューで、重岡さんは人を笑わせることが好きだと話しています。
注目を集めること以上に、周囲の人が笑ってくれることがうれしいという趣旨の発言もありました。
これは、子ども時代のいたずら好きな一面と重なる部分があります。
周囲の反応を楽しみ、人とコミュニケーションを取ることが好きという性質は、現在のバラエティーやグループ活動でも魅力の一つになっています。
WEST.のメンバーとの関係重岡さんはWEST.のメンバーとして、桐山照史さん、中間淳太さん、神山智洋さん、藤井流星さん、濵田崇裕さん、小瀧望さんと活動しています。
2015年の『Myojo』のロングインタビューでは、グループが7人でデビューすることへの思いや、メンバーと一緒に活動できることへの気持ちも語っていました。
幼少期には周囲に流されやすかったと振り返っていた重岡さんですが、成長後はグループの仲間との関係について、自分の考えを率直に語るようになっています。
幼少期のエピソードから見える3つの特徴重岡さんの子ども時代を整理すると、次の3点が浮かび上がります。
1. 感情表現が豊か
幼い頃は泣き虫で、口げんかに負けると涙を流してしまうこともありました。感情を素直に表す一面があったようです。
2. 周囲の影響を受けやすい
サッカー選手や大工になりたいという夢も、友人や名前の響きがきっかけでした。自分一人で将来を決めるより、周囲との関係の中で興味を見つけていくタイプだったと考えられます。
3. 人を楽しませる感覚があった
いたずらや少し変わった行動を好み、現在も人を笑わせることが好きだと語っています。
このように、幼少期のエピソードは現在の重岡さんの魅力を考えるうえでも興味深い材料になります。
ネット上で混同されやすい情報と事実重岡さんの幼少期について調べる際には、いくつか区別しておきたいポイントがあります。
- 幼稚園時代の大工の夢は、本人がインタビューで語ったエピソード。
- サッカー経験は小学5・6年生のサッカークラブへの所属であり、プロ選手を目指して本格的に活動していたという意味ではない。
- 中学時代はサッカー部ではなくテニス部に入部したが、途中で退部している。
- 出身地について、STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールは兵庫県と記載。川西市については2026年のFM802番組ブログでも紹介されている。
- 父親や母親については、本人が語った性格や思い出が中心であり、詳細な職業や個人情報まで公表されているわけではない。
こうした区別をしておくと、本人の実際の発言と、後から広まった情報を混同せずに済みます。
【重岡大毅の幼少期】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:重岡大毅は幼稚園時代、将来何になりたかった?
A1:幼稚園時代には大工になりたいと話していたそうです。本人によると、自分の名前の「大毅」と「大工」の響きが似ていたことが理由でした。
Q2:重岡大毅は小学生時代にサッカーをしていた?
A2:はい。『Myojo』2015年2月号のロングインタビューで、小学5・6年生の頃にサッカークラブに所属していたと明かしています。
Q3:重岡大毅の父親はどんな人?
A3:本人は、父親を寡黙で頼りがいのある存在だと語っています。小学5年生頃には、怖い思いをして電話した際、父親が走って迎えに来てくれた思い出もあります。
Q4:重岡大毅の出身地はどこ?
A4:STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでは兵庫県出身とされています。2026年9月のFM802の番組ブログでは、兵庫県川西市出身と紹介されています。
Q5:重岡大毅は子どもの頃から芸能人を目指していた?
A5:最初から芸能界を目指していたわけではありません。中学2年生の頃、友人に誘われて履歴書を送り、オーディションを受けたことが芸能活動のきっかけになりました。
Q6:重岡大毅は子どもの頃、どんな性格だった?
A6:本人のインタビューによると、頑固で泣き虫、いたずら好きな一面がありました。また、周囲の友人に影響されやすく、人と違うことを格好いいと感じていたそうです。
重岡大毅さんの幼少期を振り返ると、現在の明るく親しみやすいキャラクターとは少し違う、頑固で泣き虫、そして周囲の目を気にする少年の姿が浮かび上がります。
幼稚園時代には名前の響きから大工を夢見て、小学5・6年生ではサッカークラブに所属。中学時代にはテニス部を経験し、友人の誘いをきっかけに芸能界への道を歩み始めました。
また、父親が怖がる息子を迎えに来てくれた思い出や、母親の話好きな性格から影響を受けたという発言など、家族との関係も印象的です。
特に注目したいのは、幼少期には将来の夢が明確ではなかった重岡さんが、14歳の冬に初めてステージに立ったことで、夢中になれるものを見つけたという点です。
現在はWEST.のメンバーとして音楽活動を続ける一方、俳優としても数々の作品に出演しています。
大工になりたいと話していた幼稚園児が、やがて多くの人を楽しませる存在になった。その歩みを知ると、現在の重岡大毅さんの笑顔やサービス精神が、より魅力的に感じられるのと考えられます。
主な参考資料
- STARTO ENTERTAINMENT「重岡大毅 公式プロフィール」
- 『Myojo』2015年2月号「僕がJr.だったころ」重岡大毅1万字ロングインタビュー
- ORICON NEWS(2016年5月13日)重岡大毅インタビュー
- Medery.(2016年11月7日)『溺れるナイフ』重岡大毅インタビュー
- FM802『OSAKAN HOT 100』番組ブログ(2026年9月13日)