2026年現在、安治川親方は日本相撲協会に所属する年寄であり、安治川部屋の師匠を務めています。本名は杉野森竜児。1978年10月3日生まれ、青森県西津軽郡深浦町の出身です。
日本相撲協会の年寄プロフィールでも、安治川竜児の名前で登録され、所属部屋は安治川となっています。
現在の活動を整理すると、主な役割は次の3つです。
- 師匠としての力士育成: 弟子の稽古、生活、相撲技術の向上を支える。
- 相撲部屋の運営: 力士が競技に集中できる環境を整える。
- 相撲文化の普及: 地域交流や異文化交流を通じて相撲の魅力を伝える。
安治川部屋の所在地は東京都江東区石島4-1です。日本相撲協会の公式部屋紹介にも、師匠として安治川竜児の名前が掲載されています。
安治川部屋を独立して創設した理由安治川親方が独立したのは2022年12月1日です。
それまでは伊勢ヶ濱部屋に所属する部屋付き親方として活動していましたが、日本相撲協会の理事会で独立が承認され、東京都江東区に安治川部屋を新設しました。
その後、2023年6月16日に正式な部屋開きを実施しています。
部屋の建物は4階建てで、稽古場やちゃんこ場、大部屋などを設け、弟子たちが相撲に専念できる環境を整えました。
特に興味深いのは、稽古場の様子をモニターで見返せる仕組みです。早稲田大学大学院でスポーツ科学やスポーツマネジメントについて学んだ経験が、部屋づくりにも反映されていることがうかがえます。
【2019年の引退と安治川襲名】現役から親方への転身を時系列で整理

安美錦が現役を引退したのは、2019年7月場所です。
引退の直接的なきっかけは、名古屋場所2日目に負った右膝のけがでした。
当時40歳だった安美錦は十両11枚目。翌場所の幕下陥落が見込まれる状況でもあり、長年にわたるけがとの闘いを経て、土俵を去る決断をしました。
安治川襲名はいつ決まった?日本相撲協会は2019年7月17日、理事会で安美錦の引退と年寄「安治川」の襲名を承認しました。
つまり、安治川襲名は引退後に時間を置いて決まったものではなく、引退と同時に親方としての新しいキャリアが始まったということです。
安治川という名前には、本人にとって特別な意味もありました。
安美錦が入門した当時、現在の伊勢ヶ濱部屋は安治川部屋という名称でした。自らが相撲人生をスタートさせた部屋の名前を受け継ぎ、今度は師匠として新しい部屋を築くことになったのです。
安美錦の経歴・転換点を一覧で確認日本相撲協会の公式プロフィール、早稲田大学の公表資料、報道記録をもとに整理。
この年表から見えてくるのは、安美錦が引退後すぐに部屋を独立させたわけではないという点です。
引退後に大学院で学び、指導者としての知識を身につけ、その後に独立を実現しています。現役時代の経験だけに頼らず、相撲部屋の運営を学び直してから新しい挑戦に踏み出した経緯が特徴的です。
【安美錦の現役時代の戦績】関脇まで上り詰めた技巧派の実力
安美錦は、平成から令和にかけて活躍した代表的な技巧派力士です。
大柄な体格を生かした力任せの相撲というより、相手の動きに応じて技を使い分ける取り口で知られました。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、最高位は関脇。生涯戦歴は135場所で907勝908敗55休です。
安美錦の基本プロフィールと主な記録| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 本名 | 杉野森竜児 |
| 生年月日 | 1978年10月3日 |
| 出身地 | 青森県西津軽郡深浦町 |
| 初土俵 | 1997年1月場所 |
| 新十両 | 2000年1月場所 |
| 新入幕 | 2000年7月場所 |
| 新三役 | 2006年11月場所 |
| 最高位 | 関脇 |
| 生涯戦歴 | 907勝908敗55休 |
| 幕内戦歴 | 678勝730敗47休 |
| 三賞受賞 | 計12回 |
| 金星 | 8個 |
| 引退場所 | 2019年7月場所 |
安美錦の現役時代を象徴する数字が、三賞受賞12回という実績です。
内訳は次のとおりです。
12回
三賞の合計受賞回数
殊勲賞
上位力士を破るなどの活躍
4回
敢闘賞
場所を通じた健闘を評価
2回
技能賞
優れた技術や取り口を評価
6回
加えて、横綱から奪った金星は8個です。
対戦した横綱には貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、鶴竜らが含まれます。
三賞12回という記録は、単に長く現役を続けただけでは達成できません。上位陣と対戦する地位を維持しながら、相手の特徴を読み、技術で勝負できる力を持ち続けたことの証明です。
安美錦の相撲はなぜ「業師」と呼ばれたのか安美錦の得意技は右四つ・寄りです。
しかし、彼の魅力は基本的な型だけではありませんでした。
相手の重心や組み手を見極め、上手投げ、下手投げ、引き落としなどを織り交ぜる柔軟さが特徴でした。
特に上位力士との対戦では、相手の力を正面から受け止めるのではなく、タイミングや体の向きを利用する相撲が持ち味でした。
体格やパワーだけでは勝てない相手にも、技術と判断力で対抗する。その姿勢が「業師」という評価につながっています。
また、金星8個という記録も見逃せません。横綱を相手に勝つには、単なる技術だけでなく、相手の得意な展開を避ける判断力も必要です。
安美錦は、こうした経験を長年積み重ねてきた力士でした。
【安美錦の怪我と復帰の経緯】何度も土俵に戻った不屈の力士人生
安美錦の現役生活を語るうえで欠かせないのが、けがとの闘いです。
22年半に及ぶ土俵人生では、膝やアキレス腱などを負傷し、何度も休場やリハビリを経験しました。
そのなかでも特に大きな転機となったのが、2016年の左アキレス腱断裂です。
2014年には両膝の状態が悪化2014年7月場所では小結として3勝12敗に終わりました。
前年に部分断裂していた左膝の前十字靱帯の状態が悪化し、右膝にも古傷を抱えていたため、両膝の状態が深刻になっていました。
しかし、治療やリハビリを経て復調します。
同年9月場所では10勝を挙げ、約4年半ぶりとなる技能賞を受賞しました。
2016年5月、左アキレス腱を断裂大きな試練となったのは2016年5月場所です。
2日目の栃ノ心との対戦で左アキレス腱を断裂。手術を受けることになりました。
当時37歳。一般的に力士としてはベテランと呼ばれる年齢で、復帰までの道のりは簡単ではありません。
それでも安美錦は再起を目指しました。
同年9月場所には十両10枚目で土俵に復帰。そこから徐々に番付を上げていきます。
そして2017年11月場所、39歳0カ月で幕内に復帰しました。
この場所では8勝を挙げて勝ち越し、敢闘賞も獲得しています。
最後の引退につながった右膝の負傷復活後も現役を続けた安美錦でしたが、2019年7月場所2日目に右膝を負傷します。
当時は十両11枚目。40歳という年齢に加え、今後の番付低下も見込まれる状況でした。
長年にわたってけがを乗り越えてきた安美錦にとっても、最後の決断となりました。
重要なのは、安美錦がけがを理由に早期に引退した力士ではないという点です。
大きな負傷を経験しても復帰し、幕内に戻り、三賞まで獲得しています。
その経験は、現在の指導者としての考え方にもつながっています。
弟子たちにとっても、強くなることだけでなく、長い力士人生をどう築いていくかを考えるうえで、師匠自身の経験は大きな教材になるはずです。
【安治川部屋の2026年最新情報】安青錦を中心とする所属力士
2026年の安治川部屋で最も注目を集めている力士は、ウクライナ出身の大関・安青錦です。
安青錦は2023年9月場所に初土俵を踏み、2024年11月場所に新十両、2025年3月場所に新入幕を果たしました。
その後、2025年11月場所で幕内初優勝を達成し、2026年1月場所に新大関となりました。
日本相撲協会の2026年11月場所時点のプロフィールでも、安青錦は安治川部屋所属の東大関として掲載されています。
安青錦と安美錦親方の関係安青錦が安治川部屋に入門した経緯も興味深いものです。
2026年2月6日、フジテレビ系の番組「ぽかぽか」に安青錦と安治川親方が出演しました。
日刊スポーツの報道によると、親方は当初、安青錦の入門を断ろうと考えていたそうです。
当時の部屋には日本人の弟子が1人しかおらず、外国人力士を受け入れることによる部屋内のバランスを考えていたためです。
しかし、実際に本人と会って話すうちに考えが変わりました。
日本語が十分にできなかった当時の安青錦が、一生懸命に自分の思いを伝えようとする姿勢に心を動かされたと報じられています。
当初は体重も100キロに満たず、将来の大関昇進を想定していたわけではなかったといいます。
このエピソードから分かるのは、安美錦親方が入門時点の完成度だけでなく、本人の意欲や人柄にも目を向けていたことです。
2026年11月場所の安治川部屋所属力士一覧安治川部屋の公式ホームページと日本相撲協会の部屋紹介に掲載されている、2026年11月場所の所属力士は次のとおりです。
| 力士名 | 番付 | 出身地 |
|---|---|---|
| 安青錦 | 東大関 | ウクライナ |
| 安響 | 東幕下20枚目 | 青森県 |
| 安大翔 | 西幕下28枚目 | 宮城県 |
| 川副 | 東三段目20枚目 | 熊本県 |
| 安強羅 | 東三段目40枚目 | 岐阜県 |
| 安琉海 | 西三段目61枚目 | 沖縄県 |
| 安寿真 | 西序二段27枚目 | 青森県 |
| 安氣乃山 | 東序ノ口10枚目 | 三重県 |
| 安櫻 | 西序ノ口17枚目 | 青森県 |
2026年11月場所の部屋公式掲載情報。番付は場所ごとに変動します。
この顔ぶれを見ると、安治川部屋は大関だけでなく、幕下以下の若い力士も育成していることが分かります。
特に幕下には安響や安大翔がおり、今後の関取昇進が期待される存在です。
大関が誕生したことは部屋にとって大きな成果ですが、師匠の仕事は一人のスター力士を育てることだけではありません。
序ノ口から幕下まで、それぞれの段階にいる弟子が自分の目標を持ち、成長できる環境をつくることも重要です。
安治川部屋の今後を見る際には、安青錦の成績だけでなく、下位番付の力士がどのように番付を上げていくかにも注目したいところです。
【安美錦親方の指導方針】早稲田大学大学院で学んだ新しい相撲部屋運営
安治川親方の指導者としての特徴を理解するうえで重要なのが、早稲田大学大学院での学びです。
2021年4月、安治川親方は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の修士課程に入学しました。
現役引退後に、相撲部屋の運営やスポーツマネジメントについて学び、2022年に修了しています。
加えて、修士論文のテーマは「相撲部屋におけるおかみさんの役割について」でした。
相撲の技術そのものだけではなく、部屋を運営するための組織や生活環境にも関心を持って研究していたことが分かります。
安治川部屋が掲げる3つの柱安治川部屋の公式ホームページでは、部屋の教育理念として3つの柱が掲げられています。
一、感謝する姿勢
家族、支援者、仲間など、多くの人の支えによって力士生活が成り立っていることを理解し、土俵に立てることへの感謝を大切にする。
二、学び続ける意欲
相撲の稽古だけでなく、学業や資格取得などにも目を向け、引退後の人生にもつながる学びを後押しする。
三、社会貢献する心
地域交流、子どもたちとの交流、異文化交流などを通じて、相撲を社会に広めていく。
この3つの柱には、安美錦親方自身の経験が反映されています。
現役時代は、けがによって思うように相撲が取れない時期もありました。そうした経験を通じて、力士の人生は勝敗だけで決まるものではないと実感してきたはずです。
そのため、安治川部屋では相撲の強さだけでなく、人間としての成長や将来への準備も重視しています。
学業や資格取得も後押しする方針特に注目したいのが、学び続ける意欲を教育理念に含めている点です。
相撲界では、現役引退後に親方や指導者になる道がある一方、すべての力士がその道に進めるわけではありません。
現役生活を終えた後の進路を考えることは、力士にとって重要な課題です。
安治川親方は自身が大学院で学んだ経験を踏まえ、弟子にも高校・大学への進学や資格取得などの可能性を広げたいとしています。
これは、従来の相撲部屋の教育に、現代的なキャリア形成の考え方を加えたものです。
稽古場の環境にも工夫2023年の部屋開きに関する日刊スポーツの報道では、稽古場を1階に設け、弟子たちが相撲に集中できる環境づくりに力を入れたことが紹介されています。
また、稽古をモニターで振り返れる仕組みも設けられています。
こうした設備は、感覚だけに頼らず、自分の動きを映像で確認する機会を生みます。
現役時代に多彩な技を使いこなした安美錦だからこそ、弟子たちにも自分の相撲を客観的に見る習慣を身につけてほしいという考えにつながるのでしょう。
早稲田大学とのつながりも継続2024年7月には、安治川親方が会長を務める早稲田大学の卒業生組織「稲門相撲會」が設立されました。
早稲田大学競技スポーツセンターの2024年9月の紹介記事でも、この活動が取り上げられています。
現役引退後に大学院で学んだ経験を、自身の知識として蓄えるだけでなく、大学相撲との交流や後進への支援にもつなげているわけです。
こうした活動は、相撲部屋の枠を越えた相撲界への貢献という意味でも注目されます。
【プロの結論】安美錦親方の評価は現役実績と育成理念の両面で見る
安美錦親方を評価する際、現役時代の907勝や三賞12回という数字だけに注目するのは十分ではありません。
指導者としての現在を理解するには、次の3つの視点が重要です。
1. 技術を伝えられる指導者であること
関脇まで上り詰め、横綱から8個の金星を獲得した経験は、弟子にとって貴重な財産です。
相手の力を利用する技術や、状況に応じた判断力は、長年の実戦経験があってこそ伝えられるものです。
2. けがを乗り越えた経験があること
安美錦は左アキレス腱断裂から幕内復帰を果たしました。
この経験は、故障した力士の気持ちや復帰までの苦労を理解するうえで、大きな強みになります。
3. 相撲以外の学びも重視していること
早稲田大学大学院での研究や、安治川部屋の教育理念には、力士の人生全体を考える姿勢が表れています。
相撲の勝敗だけでなく、学業、社会性、将来の進路まで視野に入れている点は、安治川親方の指導者としての個性です。
特に安青錦のような急成長する力士が現れたことで、安治川部屋の育成環境にも関心が集まっています。
ただし、一人の大関の誕生だけで指導方針のすべてを評価することはできません。幕下以下の力士の成長や、長期的な関取育成の実績も含めて見ていく必要があります。
【安美錦親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:安美錦親方は現在、何をしていますか?
安治川親方として東京都江東区の安治川部屋を率いています。弟子の指導、相撲部屋の運営、相撲文化の普及などに取り組んでいます。
Q2:安美錦はなぜ2019年に引退したのですか?
2019年7月場所2日目に右膝を負傷したことが直接のきっかけです。40歳で長年のけがも抱えており、現役生活に区切りをつけました。
Q3:安美錦の生涯戦歴は何勝ですか?
日本相撲協会の公式プロフィールによると、907勝908敗55休です。最高位は関脇で、三賞は殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回の合計12回です。
Q4:安治川親方はいつ安治川部屋を創設しましたか?
2022年12月1日に伊勢ヶ濱部屋から独立し、安治川部屋を新設しました。2023年6月16日に正式な部屋開きを行っています。
Q5:安青錦は安治川部屋所属ですか?
はい。ウクライナ出身の安青錦は安治川部屋所属です。2025年11月場所で幕内初優勝を果たし、2026年には大関に昇進しました。2026年11月場所の番付では東大関です。
Q6:安美錦親方は早稲田大学大学院を卒業していますか?
はい。2021年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、2022年に修了しています。修士論文のテーマは「相撲部屋におけるおかみさんの役割について」でした。
安美錦親方は、2019年7月に現役を引退し、年寄・安治川を襲名しました。
現役時代の生涯戦歴は907勝908敗55休。関脇まで昇進し、三賞12回、金星8個という実績を残した技巧派力士です。
その後、早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、2022年に安治川部屋を独立創設。2023年の部屋開きを経て、現在は師匠として弟子の育成に力を注いでいます。
2026年の安治川部屋では、安青錦が大関として活躍する一方、幕下以下の若手力士も日々稽古に励んでいます。
安治川親方が掲げる「感謝する姿勢」「学び続ける意欲」「社会貢献する心」という3つの柱は、単に強い力士を育てるだけではなく、相撲を通じて人間として成長することを目指すものです。
今後の注目点は、安青錦に続く関取の誕生、若手力士の番付上昇、そして安治川部屋がどのような独自の育成環境を築いていくかです。
現役時代に何度もけがから立ち上がった安美錦。その経験と大学院で得た知識を生かした指導が、これからの相撲界にどのような力士を送り出すのか、引き続き注目されます。