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田中将大と坂本勇人はなぜ再び同僚に?幼なじみの絆と巨人での現在地を徹底解説

水沢 茜 水沢 茜 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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田中将大と坂本勇人。日本プロ野球を代表する二人には、巨人でチームメートになるずっと前から、特別な縁があった。二人が出会ったのは、兵庫県伊丹市の少年野球チーム「昆陽里タイガース」。同じ小学校に通い、野球に打ち込んだ幼なじみだった。

その後、田中は楽天、ニューヨーク・ヤンキースなどを経て日米通算200勝を達成。坂本も読売ジャイアンツの中心選手として長年にわたり活躍した。そして2025年、少年野球時代から約24年を経て、再び同じ球団のユニホームを着ることになった。

2026年シーズンを終えた現在、田中は日米通算204勝、坂本は通算300本塁打という実績を積み重ねている。一方で、両者とも全盛期とは異なる役割を担いながら、2027年シーズンも現役を続ける方針が報じられた。二人の関係と、ベテランとして迎える新たな挑戦を整理する。

【幼なじみの原点】田中将大と坂本勇人は昆陽里タイガースで出会った

田中将大坂本勇人
兵庫県伊丹市で始まった二人の野球人生

田中将大と坂本勇人は、ともに1988年生まれ。出身地は兵庫県伊丹市で、昆陽里小学校に通った同級生だ。

二人が所属したのは、地元の少年野球チーム「昆陽里タイガース」。小学1年生で入団し、小学校時代の6年間を同じチームで過ごした。

特に知られているのが、小学6年生のときに組んだバッテリーだ。当時は坂本が投手、田中が捕手。現在のプロ野球でのポジションとは反対の組み合わせだった。

坂本は内野手として巨人の中心を担い、田中は投手として楽天やヤンキースで実績を積んだ。幼い頃のポジションが、その後のプロ生活では大きく入れ替わったことも興味深い。

坂本が語った田中の少年時代

二人の少年時代については、2025年9月30日の日米通算200勝達成時、坂本自身が懐かしい思い出を語っている。

坂本によれば、田中は小学生の頃から体が大きく、二塁への送球も同年代の選手とは違うレベルだったという。一方、走る速さについては「僕の方が速かった」と笑いながら振り返った。

また、二人は打撃練習でも競い合っていた。坂本によると、田中の打球は飛距離があり、校舎に向かってボールを打ち込むように競争していたという。軟式球だったため、窓ガラスが割れることはなかったというエピソードも残っている。

こうした話から伝わってくるのは、単に同じチームに所属していたという関係以上のものだ。投球、送球、打撃、走力。それぞれの能力を身近で見ながら、互いを意識していた少年時代だった。

親友というより、互いを高めるライバルだった

二人の関係を考えるうえで興味深いのが、少年野球時代の監督を務めた山崎三孝氏の証言だ。

2021年3月の日刊スポーツの取材で、山崎氏は二人の性格や当時の関係を振り返り、田中は練習に真面目に取り組み、坂本とは性格が対照的だったと説明している。

加えて、二人について「親友というよりライバル」という趣旨の評価を残している。

この証言は、現在の二人の関係を理解するうえでも重要だ。幼なじみだから常に一緒に行動するという関係ではなく、同じ目標に向かって競い合い、相手の実力を認めてきた間柄だった。

田中が200勝に到達したとき、坂本が「僕の自慢の1つ」と表現したのも、長年にわたって互いの歩みを見てきたからこその言葉だろう。

【24年ぶりの再結成】巨人で同じチームメートになった経緯

別々の道を歩んだ二人がプロ野球の世界へ

小学校卒業後、二人は野球選手としてそれぞれ別の道を歩んだ。

田中は駒大苫小牧高校へ進学。2006年の高校生ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受けた。

一方、坂本は光星学院高校へ進み、同じ2006年の高校生ドラフトで読売ジャイアンツから1巡目指名を受けた。

2007年にプロ入りすると、田中は楽天のエース候補として頭角を現し、坂本は巨人の若手内野手として一軍に定着。所属球団が異なるため、同じチームの選手として日常的にプレーする機会はなくなった。

ヤンキース時代を経て、田中が巨人に加入

田中は2014年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍。メジャーリーグでは7年間プレーし、78勝を記録した。

日本を離れて世界最高峰の舞台で投げ続けた経験は、田中のキャリアにおける大きな転換点となった。2013年には楽天で24勝0敗という歴史的なシーズンを記録し、チームを日本一へ導いている。

2021年には楽天へ復帰。その後、2024年12月25日に巨人への入団が発表された。楽天を自由契約となった後に選んだ新天地だった。

田中は入団会見で、坂本と同じユニホームを着てプレーできることについて、想像していなかったと語った。会見前夜には坂本に電話し、「よろしくお願いします。いろいろ教えて下さい」と連絡したことも明かしている。

坂本も「こちらこそよろしく。分からないことがあったら聞いて」と返したという。少年野球時代のバッテリーが、今度は巨人の先輩・後輩という立場で再び同じチームに加わった。

24年ぶりという表現には知っておきたい背景がある

2025年の再会は「24年ぶりのチームメート」として報じられた。ただし、二人が24年間まったく同じチームでプレーしていなかったという意味ではない。

2013年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)や2021年の東京五輪では、侍ジャパンのメンバーとして共闘している。東京五輪では日本代表として金メダルを獲得した。

つまり、24年ぶりというのは、昆陽里タイガースで一緒にプレーした少年時代から、同じプロ球団の選手として再び所属をともにするまでの時間を指す。代表チームでの再会と、巨人という所属球団での日常的な共闘は区別して理解したい。

2025年3月2日のオープン戦では、田中が先発し、坂本が三塁を守った。試合後、坂本はジャイアンツのユニホームを着た二人が東京ドームで一緒にプレーすることに「変な感じがしましたね」と笑顔で話している。

【関係性と歩みを一覧】田中将大・坂本勇人の主な出来事と転換点

二人の関係を時系列で整理すると、少年野球からプロ入り、代表での共闘、巨人での再会という流れが見えてくる。

時期 人物・チーム 主な出来事と関係
小学生時代 昆陽里タイガース 兵庫県伊丹市で同級生としてプレー。坂本が投手、田中が捕手のバッテリーを組む。
2006年 高校生ドラフト 田中は楽天、坂本は巨人からともに1巡目指名。
2007年 プロ入り 田中は楽天、坂本は巨人でプロ野球選手としてのキャリアをスタート。
2013年 WBC日本代表 侍ジャパンのメンバーとして共闘。
2014~2020年 田中・ヤンキース 田中がメジャーリーグで7年間プレーし、78勝を記録。
2021年 東京五輪日本代表 ともに侍ジャパンに選出され、金メダルを獲得。
2024年12月 田中・巨人入団 楽天を自由契約となった田中が巨人に加入。坂本と再び同じ球団に。
2025年9月30日 田中・日米通算200勝 巨人での登板で節目を達成。坂本が幼なじみとして祝福。
2026年5月13日 坂本・通算300本塁打 広島戦で逆転サヨナラ3ランを放ち、NPB通算300本塁打を達成。
2026年シーズン終了時 二人の現在地 田中は日米通算204勝、坂本は通算303本塁打。来季の現役続行が報じられる。

この年表で注目したいのは、二人のキャリアが同じ時期に始まりながら、所属球団や海外経験によって異なる道をたどってきた点だ。

田中は投手として日米をまたいで勝利を積み重ね、坂本は巨人生え抜きの内野手として記録を更新してきた。異なる舞台で実績を築いた二人が、再び同じ球団でプレーしていること自体に大きな意味がある。

【田中将大の現在と成績】日米通算200勝から204勝へ

2025年9月30日に日米通算200勝を達成

田中将大にとって大きな節目となったのが、2025年9月30日の中日戦だ。

東京ドームで先発した田中は6回2失点の投球で勝利投手となり、日米通算200勝を達成した。日本野球機構(NPB)は、野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有に続く史上4人目の快挙として紹介している。

この200勝は、楽天時代の実績だけではなく、ヤンキースでの78勝も含めた数字だ。

楽天時代には2013年に24勝0敗を記録。日本一に貢献した後、ヤンキースで7年間プレーし、メジャーリーグでも先発投手として実績を積んだ。

その後、楽天復帰を経て巨人へ移籍。2024年は楽天で一軍登板1試合にとどまるなど苦しい時期を経験したが、新天地で再び200勝の大台に到達した。

坂本が送った祝福の言葉

田中の200勝達成時には、坂本も盟友として祝福した。

「本当におめでとうしかない。米国にも行ってヤンキースでも長くやった。僕らには分からない苦労もしてきたと思う」

これは2025年9月30日付のスポーツニッポンなどが報じた坂本のコメントだ。

さらに坂本は、田中の200勝について「僕の自慢の1つ」とも語った。小学生時代から田中の実力を知っているからこそ、単なる同僚への祝福とは違う重みがある。

2026年シーズンは4勝4敗、防御率3.42

2026年の田中は、巨人の先発投手として13試合に登板した。NPB公式の年度別成績によると、最終成績は以下の通りだ。

  • 登板:13試合
  • 勝敗:4勝4敗
  • 防御率:3.42
  • 投球回:68回1/3
  • 奪三振:49
  • 被安打:74

2026年9月19日の中日戦では、7回4安打1失点と好投。約4か月半ぶりの勝利を挙げ、日米通算204勝に到達した。

これにより、黒田博樹の203勝を上回り、日米通算勝利数で歴代単独2位に浮上。トップのダルビッシュ有が記録する208勝まで、あと4勝に迫っている。

なお、4勝4敗、防御率3.42という数字は2026年の成績だ。2025年は巨人で10試合に登板し、3勝4敗、防御率5.00だった。年度を混同しないことが、田中の復調を評価するうえで重要になる。

2027年も現役続行へ

2026年10月11日、スポーツ報知などは田中が来季も現役を続ける方向であると報じた。球団も経験や戦力面を評価しているとされ、プロ21年目となる2027年シーズンに向かう見通しだ。

今後の注目点は、日米通算208勝への挑戦だけではない。2026年は13試合の登板で68回1/3を投げた。先発として年間を通じてどれだけ登板機会を確保できるかが、さらなる勝利を積み重ねるための鍵となる。

200勝達成後も勝利を重ねて204勝まで到達したことは、田中が記録達成だけを目的にしていないことを示している。プロ21年目も、先発投手としての役割をどこまで果たせるかが焦点だ。

【坂本勇人の現在と成績】打率.175でも代打打率.333の存在感

2026年はプロ初の打率2割未満

坂本勇人は巨人一筋で長年プレーしてきた内野手だ。遊撃手としての高い守備力と打撃力を武器に、数々のタイトルや記録を残してきた。

NPB公式の年度別成績では、2026年シーズンは67試合に出場し、154打数27安打、打率.175、5本塁打、19打点という結果だった。

打率が2割を下回ったのはプロ入り後初めて。かつてレギュラーとして打線の中心を担っていた坂本にとって、数字だけを見れば厳しいシーズンだった。

しかし、2026年の坂本を評価する際には、打率だけで判断できない事情がある。出場機会が限られるなかで、代打としての役割を担う場面が増えていたからだ。

代打打率.333が示す勝負強さ

中日スポーツの2026年10月12日付報道によると、坂本の今季の代打打率は.333。リーグ2位タイの成績だった。

代打としての打率は、シーズン全体の打率とは異なる指標だ。限られた打席で結果を出す必要があり、試合展開や投手との相性、登場するタイミングも影響する。

坂本の場合、シーズン全体の打率は.175でも、代打では.333を記録した。この差は、打者としての能力が完全に失われたわけではなく、役割や出場状況によって結果が変わることを示している。

もちろん、代打成績だけでレギュラー復帰が保証されるわけではない。スタメンとして年間を通じて安定した成績を残せるかは、別の課題として残る。

2026年5月13日、通算300本塁打を達成

坂本にとって2026年シーズンの大きなハイライトが、5月13日の広島戦だった。

福井で行われた試合は延長12回までもつれ込んだ。1点を追う巨人は、1死一、二塁で坂本を打席に送る。坂本は広島の遠藤淳志が投じた初球を捉え、逆転サヨナラ3ランを放った。

この一発がNPB通算300本塁打。史上48人目の達成となった。

プロ初本塁打は2008年4月6日の阪神戦。そこから約18年をかけて到達した大記録だった。

さらに7月17日の中日戦でもサヨナラ3ランを記録。2026年は苦しい打率の一方で、節目の記録や勝負どころでの一打が印象に残るシーズンとなった。

2027年も現役続行、プロ21年目へ

坂本についても、2026年10月11日に来季の現役続行が報じられた。中日スポーツは10月12日付の記事で、球団が坂本の練習意識や精神的な支柱としての役割を評価していると伝えている。

坂本自身は2026年10月11日のDeNAとのクライマックスシリーズ敗戦後、「最後までなかなか力になれなかったシーズンだった。ふがいなかったので、しっかり考えてやっていきます」と語った。

この発言からは、300本塁打という記録を達成しても、本人がシーズン全体の成績に満足していないことがうかがえる。

2027年はプロ21年目。フル出場を前提とした選手起用から、代打や状況に応じた守備出場を含めた役割へと変化していく可能性がある。

坂本にとって重要なのは、過去の実績だけに頼らず、現在のコンディションに合った形でチームに貢献することだ。300本塁打の経験と勝負強さを、どのような場面で発揮するかが注目される。

【プロの結論】二人の関係から見えるベテラン選手の価値と今後

数字だけでは測れない二人の存在感

田中将大と坂本勇人の2026年シーズンを比較すると、異なる課題が浮かび上がる。

田中は204勝という歴史的な実績を持つ一方、シーズンの登板数や投球回を増やすことが課題となる。坂本は300本塁打という大記録を達成した一方、打率の回復とスタメンでの安定した出場が課題だ。

ただし、両者の評価を単純に勝敗や打率だけで決めるのは適切ではない。

田中には日米で培った投球経験があり、先発ローテーションを支える能力に加え、若手投手への助言という役割もある。坂本には長年巨人の中心選手としてプレーしてきた経験と、重要な局面で球場の雰囲気を変えられる存在感がある。

実際、2026年5月に坂本が300本塁打を達成した際、田中は「坂本勇人」とアナウンスされるだけで球場が沸くことに触れ、苦しい状況でも期待される選手だと評価した。

幼なじみでありながら、現在は同じチームの仲間として互いを認めている。その関係は、二人がそれぞれのキャリアで積み重ねてきた実績によって、より深いものになっている。

2027年に注目したい評価ポイント

二人の今後を追う際には、次のような視点で成績を見ると、実際の貢献度を理解しやすい。

  • 田中将大:勝利数だけでなく、先発登板数、投球回、防御率、試合を作る能力に注目する。
  • 坂本勇人:シーズン打率に加え、代打打率、得点圏での打撃、本塁打、守備機会を確認する。
  • 共通点:個人成績だけでなく、若手選手への影響やチーム内で担う役割も評価する。

とりわけ、代打打率.333という坂本の数字は、出場機会の変化を踏まえて見る必要がある。打率.175だけを切り取ると評価を誤りやすい。

田中についても同様だ。日米通算200勝という大記録を達成した後も204勝まで伸ばしており、2027年には208勝という次の目標が視野に入る。シーズンの勝敗だけでなく、どのような投球内容で勝利を重ねるかが重要になる。

二人は同じ1988年生まれで、同じ2007年にプロ入りした。2027年にはともにプロ21年目を迎える。少年野球から始まった縁が、プロ野球のベテランとして新たな段階に入っている。

【田中将大と坂本勇人の関係】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:田中将大と坂本勇人は本当に幼なじみですか?

A1:本当です。二人は兵庫県伊丹市出身の同級生で、小学校時代に昆陽里タイガースで一緒にプレーしました。小学6年生の頃には坂本が投手、田中が捕手としてバッテリーを組んでいました。

Q2:田中将大と坂本勇人が巨人で再会したのはいつですか?

A2:田中が巨人に加入した2024年12月以降です。2025年3月2日のオープン戦では、田中が先発、坂本が三塁手として同じ試合に出場しました。少年野球時代以来、約24年ぶりに同じプロ球団のチームメートとなりました。

Q3:田中将大の日米通算200勝はいつ達成されましたか?

A3:2025年9月30日の中日戦です。巨人の先発として6回2失点で勝利し、史上4人目の日米通算200勝を達成しました。2026年シーズン終了時点では204勝です。

Q4:坂本勇人の2026年の成績はどうでしたか?

A4:NPB公式成績では67試合に出場し、打率.175、5本塁打、19打点でした。一方、代打打率は.333と報じられています。また、5月13日にNPB通算300本塁打を達成しました。

Q5:田中将大と坂本勇人は2027年も現役を続けますか?

A5:2026年10月11日、両者の来季現役続行が報じられました。2027年はともにプロ21年目のシーズンとなる見通しです。来季の契約や具体的な起用方法については、球団の正式発表や今後の報道が注目されます。

田中将大と坂本勇人の関係は、兵庫県伊丹市の昆陽里タイガースで始まった。小学6年生の頃には投手と捕手としてバッテリーを組み、その後は別々の高校、球団でプロ野球選手として成長していった。

田中は楽天とヤンキースで実績を積み、2025年に日米通算200勝、2026年には204勝に到達。坂本は巨人一筋で通算2000安打を達成し、2026年にはNPB通算300本塁打という新たな記録を残した。

2026年の成績だけを見れば、田中には先発登板数の確保、坂本には打率の回復という課題がある。それでも二人は、来季も現役を続ける方向で動いている。

少年時代のライバルが、プロ野球の舞台で再び同じユニホームを着る。そして、それぞれが新しい目標に挑む。二人の物語は、過去の栄光を振り返るだけでは終わらない。

2027年のプロ21年目は、田中にとって日米通算208勝への挑戦、坂本にとって再び打撃で存在感を示すための挑戦となる。昆陽里タイガースから始まった二人の縁が、巨人でどのような新しい歴史を刻むのか。今後もその歩みから目が離せない。

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水沢 茜
デジタルマーケター 水沢 茜
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アイドルと音楽シーンを担当。公式サイトのスケジュール、リリース情報、本人の発表を照合してから構成しています。

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