高田みづえさんの旦那は、大相撲の元大関・若嶋津として知られる日高六男(ひだか・むつお)さんです。2人は1985年9月27日に結婚し、高田さんは人気絶頂のなかで歌手活動を引退。その後は約32年間、相撲部屋のおかみとして夫と弟子たちを支えてきました。
しかし、2026年3月15日、若嶋津さんは肺炎のため69歳で亡くなりました。そして同年8月25日、高田さんはNHK「うたコン」に出演し、11年ぶりにテレビで歌声を披露。さらに10月24日には、ニッポン放送のラジオ番組にも41年ぶりに生出演しています。
【結婚相手は誰?】高田みづえの旦那・若嶋津六夫の本名とプロフィール

高田みづえさんの夫は、現役時代に「南海の黒ひょう」の愛称で人気を集めた元大関・若嶋津です。
本名は日高六男(ひだか・むつお)。四股名の若嶋津六夫として知られ、引退後は年寄・松ケ根、さらに二所ノ関親方として相撲界に携わりました。
若嶋津六夫の基本プロフィール- 四股名:若嶋津六夫
- 本名:日高六男
- 生年月日:1957年1月12日
- 出身地:鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)
- 最高位:大関
- 所属部屋:二子山部屋
- 得意技:左四つ、上手投げ、吊り
- 幕内優勝:2回
- 生涯戦歴:515勝330敗21休
- 没年月日:2026年3月15日
- 享年:69歳
これらの基本情報は日本相撲協会の歴代大関プロフィールや、2026年3月の訃報報道に記載されています。
2026年3月15日、肺炎のため69歳で死去2026年3月15日、大相撲の元大関・若嶋津こと日高六男さんが、千葉県内の病院で亡くなりました。
スポーツニッポンの報道によると、死亡時刻は午前11時34分。死因は肺炎で、享年69歳でした。
日高さんは前年夏ごろから体調を崩して入院していたとされます。家族に見守られながら最期を迎えたことも報じられました。
妻のみづえさんは、夫への思いを「親方には、ありがとうという気持ちです」と語っています。
また、日刊スポーツの報道では、亡くなる朝まで意識があり、周囲に感謝の言葉を伝えていたことも紹介されました。
葬儀では妻のみづえさんが喪主を務め、長年連れ添った夫を見送りました。
【馴れ初めを初告白】高田みづえと若嶋津は新聞の対談で出会った
2人の出会いは、芸能人と力士の華やかな交際発表から始まったわけではありません。
きっかけは、新聞社による取材と対談でした。
2026年10月24日放送のニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に出演した高田さんは、若嶋津さんとの出会いについて、当時の様子を振り返っています。
「新聞の取材でした。対談でした」
高田さんによると、当時は仕事が非常に忙しく、月に1回休めるかどうかというスケジュールだったそうです。その合間に仕事として取材に出向きました。
初対面は大相撲の支度部屋当時は現在とは異なり、取材で力士の支度部屋に入ることができました。
高田さんが初めて若嶋津さんと顔を合わせたのは、まさにその支度部屋。若嶋津さんが床山に髪を結ってもらっている最中だったといいます。
そこで「高田みづえです」と自己紹介すると、若嶋津さんは顔を真っ赤にしたそうです。
高田さんは、その反応に驚きながらも、体の大きな力士が見せた純情な一面に好印象を持ったと振り返りました。
実は若嶋津さんは、以前から高田さんのファンだったことも後に明らかになっています。
地方巡業と電話が育んだ交際若嶋津さんは力士という職業柄、地方巡業や地方場所で自宅を離れることが少なくありませんでした。
そのため、交際中は直接会うよりも電話で話す時間が多かったといいます。
高田さんは10月24日のラジオ出演で、若嶋津さんについて、電話で話していると本当に優しく、自分にないものをたくさん教えてくれる人だったと回想しています。
同じ鹿児島県出身という共通点も、2人の距離を縮める要素になりました。
華やかな芸能界で活躍する歌手と、厳しい勝負の世界に生きる大関。異なる環境に身を置きながら、互いの人柄に惹かれていったことが、2人の関係の出発点でした。
1985年9月27日に結婚!人気絶頂での決断2人は1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日に東京都内のホテルニューオータニで結婚式を挙げました。
当時の若嶋津さんは大関として人気を集め、高田さんも歌手として絶頂期にありました。
結婚披露宴には約1500人が出席。テレビ朝日系列で生中継された披露宴は高い注目を集め、日刊ゲンダイによると視聴率は30.2%を記録しました。
当時の芸能界と大相撲を代表する人気者同士の結婚は、昭和を象徴する大型カップルの誕生として話題になったのです。
【元大関の実績】若嶋津の相撲人生と高田みづえとの夫婦の歩み
若嶋津さんは、単に有名歌手の夫というだけの人物ではありません。現役時代には大関まで上り詰め、幕内優勝2回を達成した実力者でした。
「南海の黒ひょう」と呼ばれた俊敏な力士1957年、鹿児島県の種子島に生まれた若嶋津さんは、1975年3月場所で二子山部屋から初土俵を踏みました。
初代若乃花が師匠を務める名門で力を磨き、1980年3月場所で新十両、1981年1月場所で新入幕を果たします。
若嶋津さんの特徴は、188センチの体格を生かしながらも、俊敏でスピード感のある相撲を取ることでした。
浅黒い肌と軽快な動きから「南海の黒ひょう」と呼ばれ、女性ファンからも高い人気を集めました。
1983年1月場所には大関へ昇進。1984年には春場所で14勝1敗、名古屋場所では15戦全勝という圧倒的な成績を残し、2度の幕内最高優勝を達成しました。
若嶋津の主な経歴・夫婦の年表| 年月 | 出来事 | 人物・夫婦への影響 |
|---|---|---|
| 1975年3月 | 二子山部屋から初土俵 | 若嶋津の力士人生が始まる |
| 1983年1月 | 大関に昇進 | 大相撲の人気力士として活躍 |
| 1984年 | 幕内優勝2回 | 全勝優勝も達成 |
| 1985年9月27日 | 高田みづえさんと結婚 | 高田さんは同年に歌手引退 |
| 1987年7月 | 現役引退 | 年寄・松ケ根を襲名 |
| 1990年2月 | 松ケ根部屋を創設 | 高田さんがおかみとして支える |
| 2014年12月 | 二所ノ関を襲名 | 部屋の名称も二所ノ関部屋に変更 |
| 2017年10月 | 路上で倒れ、頭部の手術を受ける | 長期の療養・リハビリ生活へ |
| 2022年1月 | 親方の定年 | 高田さんがおかみを卒業 |
| 2026年3月15日 | 肺炎のため69歳で死去 | 約41年の結婚生活に別れ |
| 2026年8月25日 | 高田さんがNHK「うたコン」に出演 | 11年ぶりにテレビで歌唱 |
| 2026年10月24日 | ニッポン放送に生出演 | 夫との出会いや現在の心境を語る |
※日本相撲協会の公式プロフィール、スポーツニッポンなどの報道、本人が出演したラジオ番組の公開内容をもとに整理しています。
1987年に引退、親方として後進を育成現役生活の終盤には、軽量や内臓疾患などの問題に苦しみ、1987年7月場所中に引退しました。
引退後は年寄・松ケ根を襲名し、1990年2月には二子山部屋から独立して松ケ根部屋を創設します。
その後も指導者として実績を積み、2014年には日本相撲協会の理事に就任。同年12月1日には年寄・二所ノ関を襲名し、松ケ根部屋を二所ノ関部屋へと改称しました。
親方としては小結・松鳳山ら7人の関取を育てています。
若嶋津さんの人生は、現役時代の優勝実績だけでなく、引退後も相撲界を支え続けた指導者としての歩みにも特徴がありました。
【歌手引退の理由】高田みづえが夫を支え、相撲部屋のおかみになった32年間
高田みづえさんは、1977年にシングル「硝子坂」でデビューしました。
伸びやかな歌声と確かな歌唱力で人気を獲得し、「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」「潮騒のメロディー」などの楽曲をヒットさせます。
日本レコード大賞では金賞を2度受賞し、NHK紅白歌合戦にも7回出場。1980年代を代表する女性歌手の一人でした。
なぜ人気絶頂で芸能界を引退したのか高田さんが芸能界を引退したのは、1985年。若嶋津さんとの結婚を機に、約8年間の歌手生活に終止符を打ちました。
突然の引退には驚きの声もありましたが、2026年8月25日のNHK「うたコン」出演時、高田さんは当時の決断について率直な思いを明かしています。
ずっと歌手になりたいと憧れていたため、引退に迷いがなかったわけではないものの、若嶋津さんと出会い、愛情が勝ったという趣旨の説明をしました。
この発言からは、歌手としての夢を諦めたという単純な話ではなく、自らの人生の新しい選択として結婚を受け入れた姿が見えてきます。
実際、引退後も歌への思いが完全に消えたわけではありませんでした。
1990年から相撲部屋のおかみとして奮闘1990年2月、夫が松ケ根部屋を創設すると、高田さんは相撲部屋のおかみとして新しい生活をスタートさせました。
華やかな芸能界から一転、日常の中心となったのは、力士たちの生活や部屋の運営を支える仕事です。
おかみの役割は、単に食事を用意したり、来客を迎えたりするだけではありません。
弟子の家族との連絡、生活面の相談、部屋の行事、後援者への対応など、相撲部屋を維持するための幅広い仕事があります。
Number Webの2022年のインタビューでは、松ケ根部屋の創設当初、弟子3人と元力士のマネージャーからスタートしたことが紹介されています。
高田さん自身も、当初は元歌手という肩書が注目されることを気にしていたと振り返っています。
そのうえで、相撲部屋の裏方に徹しようと決め、弟子やその家族を支える役割を担っていきました。
32年間で100人を超える弟子たちと過ごす2026年8月のスポニチ取材で、高田さんはおかみ時代について、決して楽しいことばかりではなかったものの、延べ100人を超える弟子たちと過ごせたことが楽しかったと語っています。
また、当時の弟子たちとは、おかみを卒業した後も連絡を取り合っていると明かしました。
このエピソードは、高田さんが単に有名人の妻として部屋にいたのではなく、長年にわたり相撲部屋の人間関係を支えてきたことを示しています。
歌手としての知名度を持ちながらも、表舞台から距離を置いて裏方に徹した32年間。高田さんの人生を語るうえで、見逃せない時間です。
【2022年におかみ卒業】松ケ根部屋から二所ノ関部屋への変遷
高田みづえさんが相撲部屋のおかみを卒業したのは、2022年1月です。
この出来事には、夫の若嶋津さんが日本相撲協会の定年を迎えたことが関係しています。
若嶋津の定年は2022年1月11日若嶋津さんは1957年1月12日生まれ。2022年1月に65歳となり、日本相撲協会の定年を迎えました。
これに先立つ2021年12月には、元横綱・稀勢の里の荒磯親方との名跡交換が行われています。
旧二所ノ関部屋は放駒親方(元関脇・玉乃島)が継承し、若嶋津さんは2022年1月11日に定年を迎えた後、参与として協会に残りました。
そして2022年の初場所を終えたタイミングで、高田さんも約32年間続けてきたおかみの仕事を卒業しました。
松ケ根部屋と二所ノ関部屋はどう変わった?部屋の名称は、若嶋津さんの親方としての歩みに合わせて変化しています。
- 1990年:松ケ根部屋を創設。
- 2014年:年寄・二所ノ関を襲名し、部屋名を二所ノ関部屋へ変更。
- 2021年12月:荒磯親方との名跡交換。旧二所ノ関部屋は放駒親方が継承。
- 2022年1月:若嶋津さんが65歳で定年を迎え、高田さんもおかみを卒業。
- 2023年7月:若嶋津さんが日本相撲協会を退職。
ここで注意したいのは、2022年の高田さんのおかみ卒業と、2023年の若嶋津さんの協会退職は別の出来事だという点です。
2022年1月に親方としての定年を迎えた後も、若嶋津さんは参与として協会に残り、2023年7月に正式に退職しました。
また、2014年に若嶋津さんが継承した二所ノ関の名跡と、その後の二所ノ関部屋の継承を混同しないことも大切です。
高田さんのおかみ卒業は、夫婦の関係が終わったことを意味するものではありません。相撲部屋の運営体制が変わったことに伴う、長年の役割の節目でした。
【2026年最新】若嶋津の死去から高田みづえの11年ぶり歌唱まで
2026年は、高田みづえさんにとって人生の大きな転換点となりました。
長年連れ添った夫を亡くした一方で、歌手としての自分と向き合い、再びテレビやラジオの場に姿を見せるようになったからです。
2017年の事故から約8年半に及ぶ介護生活若嶋津さんは2017年10月19日、千葉県船橋市内の路上で倒れているところを発見されました。
頭部を強く打ち、病院で緊急手術を受け、一時は意識不明の状態になりました。その後は回復に向かいましたが、療養とリハビリを続ける生活となりました。
高田さんは夫に寄り添い、長期間にわたって介護を続けてきました。
2026年8月のスポニチ報道では、その期間は約8年半に及んだとされています。
夫の死後、高田さんは「うたコン」で、最後の方にも枕元でデビュー曲の「硝子坂」を流すと、夫が口ずさむように唇を動かしていたと明かしました。
歌は2人を結びつけた出会いのきっかけであり、最期の時間にも夫婦をつなぐ存在だったのです。
2026年8月25日「うたコン」で11年ぶりに歌声を披露2026年8月25日、高田さんはNHK総合の音楽番組「うたコン」に出演しました。
番組の企画名は「高田みづえ 一夜限りの復活SP」。
披露したのは、1977年のデビュー曲「硝子坂」と、サザンオールスターズの楽曲をカバーした大ヒット曲「私はピアノ」です。
テレビで歌声を披露するのは11年ぶり。2015年のNHK「思い出のメロディー」以来の歌唱として大きな注目を集めました。
出演を決めたのは、若嶋津さんの四十九日法要を終えた頃に、かつてのマネージャーを通じて出演の話を聞いたことがきっかけだったと報じられています。
夫を亡くし、これからの人生を考えていた時期に届いたオファー。高田さんは新しい一歩を踏み出してみたいという思いから、出演を決断しました。
番組では岩崎宏美さん、榊原郁恵さんもゲスト出演し、歌手時代の思い出を語りました。
2026年10月24日、ニッポン放送に41年ぶりに出演2026年10月24日には、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に生出演しました。
1985年の引退後、同局への出演は実に41年ぶりです。
番組では若嶋津さんとの出会いや交際時代の思い出、歌手としてデビューした頃のエピソードなどを語りました。
放送後の取材では、今後の歌手活動についても質問を受けています。
高田さんは故郷の鹿児島が大好きで、地元の人たちが喜ぶことを何かできたらという思いを語りました。一方、歌手としての完全復帰については、まだ気持ちが追いついていない様子も見せています。
「今はまだ、皆さんがそうやって言ってくださる言葉が逆に、私にとっては怖いです」
日刊スポーツの10月24日の報道によると、高田さんは現在の暮らしについて、心地よく幸せな日々を過ごしているという趣旨の心境も明かしました。
したがって、2026年11月1日時点で、歌手活動の全面的な再開が決定したわけではありません。8月のテレビ出演と10月のラジオ出演は、あくまで大きな節目となる出演として受け止めるのが適切です。
【子供は何人?】高田みづえと若嶋津の家族・娘アイリの現在
高田みづえさんと若嶋津さんの間には、1男1女の2人の子供がいます。
そのうち長女は、モデルや女優として活動するアイリさんです。
長女アイリは結婚し、母親に長女のアイリさんは、2021年10月に俳優の春山翔さんとの結婚を発表しました。
その後、2024年4月には第1子となる女児を出産したことを公表しています。
さらに2026年2月24日には、第2子の妊娠を自身のSNSで発表しました。
アイリさんは妊娠を報告した際、母親である高田さんにも支えてもらったことを明かしています。
高田さんにとっては、娘の出産や育児を見守る立場になり、孫の成長を楽しむ新しい家族の時間も生まれています。
長男など家族のプライベートは公表範囲に限られる夫婦には長男もいますが、長女アイリさんと比べて公の場に登場する機会は限られています。
家族の詳細なプロフィールや日常生活については、本人や家族が公表した範囲を超えて語られていません。
高田さん自身も長年、相撲部屋の裏方として家族と弟子たちを支えてきた人物です。家族のプライバシーを尊重しながら、公開された情報を中心に見守ることが大切です。
【プロの結論】高田みづえの人生から見える夫婦の絆と2026年以降の活動
高田みづえさんと若嶋津さんの関係を振り返ると、2人の人生は単なる芸能人と力士の結婚という枠には収まりません。
1985年の結婚を機に高田さんは歌手を引退し、1990年からは相撲部屋のおかみとして夫の仕事を支えました。
その後、夫が2017年に倒れてからは介護生活が始まり、2022年にはおかみを卒業。そして2026年3月、長年連れ添った夫を見送りました。
それでも、夫との出会いのきっかけだった歌が、2026年8月の「うたコン」で再び高田さんの人生の中心に戻ってきました。
誤解しやすい3つのポイント- 若嶋津さんの本名:日高六男。若嶋津六夫は四股名であり、別人ではありません。
- おかみ卒業の時期:2022年1月。夫婦関係の解消ではなく、相撲部屋の世代交代と親方の定年に伴うものです。
- 2026年の歌手復帰:8月に11年ぶりのテレビ歌唱を実現しましたが、全面的な歌手活動再開は決まっていません。
特に重要なのは、2026年8月の歌番組出演を、そのまま本格的な芸能界復帰と解釈しないことです。10月のラジオ出演でも、高田さんは完全復帰に対して慎重な気持ちを示しています。
一夜限りの歌唱と、継続的な歌手活動は別のものです。今後の活動を判断する際は、本人の発言や正式な出演発表を基準にする必要があります。
【高田みづえの旦那】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえの旦那は誰ですか?
A1:大相撲の元大関・若嶋津です。本名は日高六男さんで、1985年9月27日に高田みづえさんと結婚しました。2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなっています。
Q2:高田みづえと若嶋津の馴れ初めは何ですか?
A2:新聞社の取材による対談がきっかけです。大相撲の支度部屋で初めて顔を合わせ、その後、電話などを通じて親交を深めました。2026年10月24日のニッポン放送の番組で、高田さん本人が出会いを振り返っています。
Q3:若嶋津の死因は何ですか?
A3:2026年3月15日、肺炎のため千葉県内の病院で亡くなりました。享年69歳です。前年夏から体調を崩して入院していたことも報じられています。
Q4:高田みづえはなぜ歌手を引退したのですか?
A4:1985年に若嶋津さんと結婚したことを機に引退しました。2026年8月の「うたコン」では、歌手になる夢への思いはあったものの、夫との出会いによって愛情が勝ったという趣旨の心境を明かしています。
Q5:高田みづえは現在、何をしていますか?
A5:2026年1月現在ではなく、同年11月1日時点では、2026年8月にNHK「うたコン」、10月にニッポン放送のラジオ番組へ出演しています。ただし、歌手としての本格復帰は未定で、本人も慎重な姿勢を示しています。
Q6:高田みづえと若嶋津の子供は何人ですか?
A6:1男1女の2人です。長女のアイリさんはモデル・女優として活動しており、2024年に第1子を出産。2026年2月には第2子の妊娠を発表しています。
Q7:高田みづえがおかみを卒業したのはいつですか?
A7:2022年1月です。若嶋津さんが65歳で定年を迎えたことに伴い、約32年間続けた相撲部屋のおかみの仕事を卒業しました。
高田みづえさんの旦那は、元大関・若嶋津こと日高六男さんです。
1985年9月27日に結婚した2人は、歌手と力士という異なる世界で活躍しながら、約41年間にわたって夫婦として歩んできました。
高田さんは人気絶頂で歌手を引退し、1990年から2022年まで約32年間、相撲部屋のおかみとして夫と弟子たちを支えました。
2017年の夫の負傷後には長期の介護生活を送り、2026年3月15日に若嶋津さんを見送りました。
その後、8月25日のNHK「うたコン」で11年ぶりに歌声を披露し、10月24日には41年ぶりにニッポン放送へ出演。夫との出会いや人生を振り返りながら、新しい一歩を踏み出しています。
2026年11月現在、全面的な歌手復帰は未定です。しかし、かつての代表曲「硝子坂」や「私はピアノ」を通じて、再び高田みづえという歌手に関心が集まっていることは確かです。
夫婦の歴史を知ると、2026年の歌番組出演は単なる懐かしの復活ではなく、長い人生をともに歩んだ夫への思いと、自分自身の原点に向き合う大切な機会だったことが伝わってきます。
主な確認資料: 日本相撲協会公式プロフィール、Number Web、スポーツニッポン、日刊スポーツ、ニッポン放送、テイチクエンタテインメント、オリコン、テレビ朝日。