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稀勢の里寛の現在は?二所ノ関親方の指導方針と2026年の活動、大の里育成の全貌

園田 薫 園田 薫 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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2026年現在、元第72代横綱・稀勢の里寛は、日本相撲協会の年寄・二所ノ関親方として、茨城県阿見町の二所ノ関部屋を率いている。現役時代に幕内優勝2回、生涯戦歴800勝496敗97休を記録した名横綱は、2019年1月の現役引退を経て、現在は次世代の横綱を育てる師匠へと立場を変えた。弟子には第75代横綱・大の里がおり、師匠と弟子という新たな関係も大きな注目を集めている。

稀勢の里の現在を知るうえで重要なのは、単に元横綱が相撲部屋を経営しているという事実だけではない。二所ノ関親方は、伝統的な相撲の稽古に科学的なトレーニングやスポーツビジネスの考え方を取り入れ、力士の育成環境そのものを変えようとしている。2026年8月には大の里の夏巡業での稽古を視察し、9月には部屋や出稽古先での直接指導も報じられた。さらに10月には秋巡業の運営に携わる姿も紹介されている。現役時代のけがとの闘いを経験した師匠が、どのような考えで弟子を育てているのか。その歩みと現在の活動を整理する。

【2026年最新】稀勢の里寛の現在は二所ノ関親方!部屋での仕事と活動を解説

稀勢の里寛

稀勢の里寛は現在、二所ノ関部屋の師匠として、力士の育成、稽古の管理、部屋の運営、地域との交流など幅広い仕事を担っている。

日本相撲協会の公式プロフィールでも、二所ノ関親方の本名は萩原寛、出身地は茨城県、現役時代の四股名は稀勢の里と紹介されている。二所ノ関部屋の所在地は茨城県稲敷郡阿見町荒川本郷。現役時代に活躍した茨城県を拠点に、後進の育成に取り組んでいる。

2026年10月にも秋巡業の準備に参加

2026年の活動を知るうえで注目したいのが、10月6日に掲載されたスポニチアネックスの元横綱・稀勢の里コラムだ。

同コラムでは、二所ノ関親方が秋巡業初日の茨城県つくば市巡業で、先発親方として地元の主催者らと準備作業に入ったことが紹介された。巡業の開催には、力士の稽古だけでなく、会場や地元関係者との調整も必要になる。親方として相撲興行の運営にも携わっていることが分かる。

同コラムでは、新弟子が相撲教習所で半年間にわたって基礎を学ぶ仕組みについても解説している。現役時代の経験を振り返りながら、相撲界に入ったばかりの若手が何を身につけるべきかを伝える内容だ。

2026年6月には大洗町で部屋初の交流合宿

2026年6月21日には、二所ノ関部屋が茨城県大洗町で交流合宿を開催した。大洗町の公式発表によると、特設土俵での公開稽古や住民との交流、二所ノ関親方と力士によるトークショーなどが行われた。

デイリースポーツの報道では、当日は約1600人が観覧に訪れたという。二所ノ関親方は、部屋の認知度を茨城県南部だけでなく県央地域にも広げたいという考えを示していた。

こうした活動からは、稀勢の里が相撲部屋を単なる力士の生活拠点ではなく、地域に根差した交流の場として育てようとしていることがうかがえる。

【現役時代の経歴】茨城県牛久市出身から第72代横綱になるまで

稀勢の里寛は1986年7月3日生まれ、茨城県牛久市出身。本名は萩原寛で、15歳で鳴戸部屋に入門した。

2002年3月場所で初土俵を踏み、2004年5月場所で新十両、同年11月場所で新入幕を果たした。若くして幕内に上がった稀勢の里は、恵まれた体格と左四つを生かした力強い相撲で存在感を高めていった。

2012年に大関昇進、2017年に横綱昇進

2012年1月場所で大関に昇進。横綱・白鵬をはじめとする強豪と競いながら、長く上位で活躍した。

特に2010年11月の九州場所で、当時63連勝中だった白鵬を破った一番は、稀勢の里の実力を象徴する取組として知られている。2016年には年間最多勝を獲得し、優勝がない年でありながら69勝を挙げる安定感を見せた。

そして2017年1月場所で初の幕内優勝。日本出身力士としては約19年ぶりとなる横綱昇進への期待が高まり、同年3月場所から第72代横綱に昇進した。

新横綱として迎えた2017年3月場所では、横綱・日馬富士との取組で左上腕部や左胸部を負傷。それでも千秋楽まで土俵に立ち、大関・照ノ富士との本割と優勝決定戦を制して、2場所連続となる幕内優勝を果たした。

2019年1月、けがとの闘いを経て引退

横綱昇進後の稀勢の里を苦しめたのが、2017年春場所で負った左上腕部と左大胸筋のけがだった。

日本相撲協会が公表した診断書では、左大胸筋損傷や左上腕二頭筋損傷が確認されている。けがを抱えながら出場した後も、十分な状態に戻すことは難しく、横綱在位中には長期休場が続いた。

2019年1月場所では進退を懸けて土俵に上がったものの、初日から3連敗。1月16日、師匠の田子ノ浦親方を通じて現役引退が発表された。

引退会見で稀勢の里は、横綱として期待に応えられなかった悔しさを語る一方、自身の土俵人生について次のように述べている。

「私の土俵人生において、一片の悔いもございません」

この言葉は、横綱としての結果だけでなく、最後まで土俵に立ち続けた本人の覚悟を表している。日本相撲協会は同日、引退と年寄・荒磯の襲名を承認した。

【生涯戦歴を徹底整理】幕内優勝2回と左四つの強さは何が特別だったのか

日本相撲協会の公式記録によると、稀勢の里の生涯戦歴は800勝496敗97休(101場所)。幕内戦歴は714勝453敗97休(85場所)で、幕内優勝は2回だ。

横綱としての在位は2017年3月場所から2019年1月場所までの12場所。横綱在位中の成績は36勝36敗97休となっている。

休場数だけを見ると短命横綱という評価につながりやすいが、大関時代まで含めた戦績には別の側面がある。大関として31場所を務め、332勝133敗を記録。2016年には年間最多勝にも輝いた。横綱昇進前の安定した強さは、稀勢の里のキャリアを語るうえで欠かせない。

稀勢の里のプロフィール・戦績一覧
項目・時期 内容 注目ポイント・関係
1986年7月3日 茨城県牛久市生まれ 本名は萩原寛
2002年3月 初土俵 鳴戸部屋に入門
2004年11月 新入幕 四股名は稀勢の里
2012年1月 大関昇進 上位で長く活躍
2017年1月 幕内初優勝 日本出身横綱への期待が高まる
2017年3月 第72代横綱に昇進・幕内優勝 2場所連続優勝を達成
2019年1月 現役引退・荒磯襲名 後進の指導者へ転身
2021年12月24日 二所ノ関襲名が承認 荒磯親方から名跡変更
2022年1月 二所ノ関部屋として活動 師匠として本格的に部屋を率いる
2026年 大の里の指導・巡業運営・地域交流 次世代育成と部屋運営を両立
得意技は左四つ・寄り・突き

日本相撲協会の公式プロフィールに記載されている得意技は、左四つ・寄り・突きだ。

左四つとは、相手のまわしを取る際に左手を差し手とする組み方。相手との組み手争いを制し、左から有利な形をつくって前に出る相撲につながる。

稀勢の里の魅力は、単に体格の大きさや力の強さだけではなかった。相手に十分な体勢をつくらせず、自分の得意な組み手に持ち込んで寄り切る展開に持ち込む技術があった。

2010年に白鵬の連勝を63で止めた一番も、相手の攻めに対応しながら前に出て勝機をつかんだ取組として記憶されている。

現役時代に身につけた組み手や体の使い方は、現在の指導にも生かせる財産だ。特に、相手の力を受け止めるだけでなく、自分から攻める意識を持たせる指導は、2026年の大の里への助言にも表れている。

【荒磯親方から二所ノ関親方へ】名跡変更の理由と部屋の歴史

稀勢の里を調べる際に混乱しやすいのが、「荒磯親方」と「二所ノ関親方」という2つの呼び名だ。

どちらも同じ人物を指すが、年寄名跡の変更によって呼び名が変わったものである。

2019年の引退後は荒磯親方に

2019年1月16日の引退と同時に、日本相撲協会は稀勢の里の年寄・荒磯襲名を承認した。引退後は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、2019年9月には引退相撲も行われた。

その後、2021年8月に田子ノ浦部屋から独立して荒磯部屋を創設。現役時代の経験を踏まえた独自の指導と部屋運営を進めることになった。

2021年12月に二所ノ関を襲名

転機となったのは2021年12月24日だ。日本相撲協会の理事会発表によって、荒磯親方だった萩原寛が年寄・二所ノ関を襲名することが承認された。

これに伴い、従来の二所ノ関親方だった元大関・若嶋津は年寄・荒磯を襲名。年寄名跡の継承と部屋の継承・名称変更が行われた。

2022年1月場所から、荒磯部屋は二所ノ関部屋へと名称を変更。茨城県阿見町に新たな部屋の施設を整備し、稀勢の里は伝統ある二所ノ関の名跡を継ぐ師匠となった。

ここで押さえておきたいのは、二所ノ関という名前が稀勢の里の現役時代の四股名ではなく、引退後に襲名した年寄名跡だという点だ。現在は「稀勢の里」よりも「二所ノ関親方」という呼び名が正式な立場を示している。

【二所ノ関親方の指導方針】伝統と科学的な稽古を組み合わせる理由

二所ノ関部屋の公式ホームページに掲載されている親方の挨拶には、指導者としての考え方が明確に示されている。

目指しているのは、ファンに愛される力士と、けがに強い力士の育成だ。そのために、大相撲の伝統を大切にしながら、科学的な稽古やスポーツビジネスの手法を導入している。

土俵を2面設置し、稽古の効率を高める

公式ホームページで紹介されている特徴的な取り組みが、部屋に土俵を2面用意するという環境整備だ。

通常の稽古では、力士の人数や取組の順番によって待ち時間が生まれる。複数の土俵を活用することで、力士が待ち続ける時間を減らし、稽古の効率を高める狙いがある。

これは単純に練習量を増やすという話ではない。限られた時間の中で、力士それぞれが必要な稽古を積めるようにする環境づくりだ。

けがに強い力士を育てるという考え方

二所ノ関親方が掲げる「怪我に強い力士を育てる」という方針には、現役時代の経験も重なる。

稀勢の里は横綱昇進後、左上腕部や大胸筋の負傷によって長期休場を経験した。けがを抱えながら土俵に立ち続けたものの、最終的には引退を決断している。

その経験を経た師匠が、力士の育成で身体の使い方や稽古環境を重視するのは自然な流れだ。公式に掲げる科学的な稽古の導入も、伝統的な練習だけに頼らず、選手の身体を長期的に守るという視点につながっている。

相撲部屋の運営にもスポーツビジネスの発想

二所ノ関部屋の公式説明では、親方の役割は弟子の発掘や育成だけではなく、床山・行司などの職種のマネジメント、ファンや支援者の獲得まで含むとされている。

部屋の幟や看板への企業名・支援者名の掲示、後援会の募集、地域の学校と連携した相撲教室なども、こうした考え方に基づく取り組みだ。

相撲部屋を持続的に運営するには、強い力士を育てるだけでなく、地域や企業、ファンとの関係を築く必要がある。二所ノ関親方は、その仕組みづくりにも力を注いでいる。

【大の里との師弟関係】二所ノ関親方はどのように横綱を育てているのか

二所ノ関親方の指導力を語るうえで欠かせない存在が、弟子の第75代横綱・大の里だ。

二所ノ関部屋の公式力士紹介でも、大の里は同部屋所属の横綱として掲載されている。元横綱の師匠が、現役の横綱を育てているという関係は、部屋の看板を象徴するものになっている。

2026年8月、夏巡業で大の里の稽古を視察

2026年8月27日、茨城県水戸市で行われた夏巡業では、大の里が幕内力士らと11番取って10勝1敗を記録した。

二所ノ関親方も部屋から視察に訪れ、稽古内容を確認。翌28日のつくばみらい市での巡業でも大の里の稽古を見守り、スマートフォンで取組を撮影しながら助言する姿が日刊スポーツで報じられた。

単に勝敗だけを見るのではなく、動きや相手との距離、技の入り方を確認しながら指導している点が印象的だ。

9月の稽古では「受けすぎるなよ」と助言

2026年9月2日には、二所ノ関部屋で大の里が幕下力士を相手に15番の稽古を行った。

共同通信の報道によると、二所ノ関親方は守勢に回った大の里に対して「受けすぎるなよ」と声をかけた。加えて、師匠は攻める意識を持つことが相撲の内容を変えるという考えを示している。

9月9日の出稽古でも、師匠は大の里の体のバランスや前傾姿勢の角度について修正点を指摘した。大の里が苦手な形や改善すべき動作を具体的に伝えていることが分かる。

これは、現役時代に左四つを武器としてきた稀勢の里が、自分の型をそのまま弟子に押しつけるのではなく、弟子の体格や取り口に合わせて指導していることを示すエピソードでもある。

師匠の経験を弟子の成長に生かす

大の里は右差しからの攻めを持ち味とする力士であり、稀勢の里の左四つとは得意な組み手が異なる。

そのため、指導の中心は自分と同じ相撲を取らせることではない。大の里が持つ強みを伸ばしながら、立ち合いの角度や体のバランス、攻めの意識などを修正していくことにある。

この違いは、親方としての力量を見るうえで重要だ。優れた現役力士が必ずしも優れた指導者になるとは限らない。自分の経験を客観視し、弟子の特性に合わせて伝えられるかどうかが、育成の成否を左右する。

【プロの結論】稀勢の里の現在を理解する3つの視点とよくある誤解

稀勢の里寛の現在を正しく理解するには、現役時代の成績だけで評価しないことが大切だ。

誤解1:稀勢の里は現在も現役力士なのか

稀勢の里は2019年1月に引退している。現在は力士として土俵に上がる立場ではなく、二所ノ関親方として弟子を育てる側にいる。

誤解2:荒磯親方と二所ノ関親方は別人なのか

別人ではない。荒磯親方は2019年の引退後に襲名した年寄名跡で、2021年12月に二所ノ関へ変更された。現在の二所ノ関親方が元横綱・稀勢の里である。

誤解3:幕内優勝は1回だけなのか

幕内優勝は2回だ。2017年1月場所に初優勝し、続く3月場所でも優勝した。日本相撲協会の歴代横綱プロフィールにも優勝2回と記載されている。

【プロの結論】評価すべきなのは横綱時代の成績だけではない

稀勢の里のキャリアには、横綱としての栄光と、けがによる苦難の両方がある。横綱在位12場所、36勝36敗97休という数字だけを取り上げれば、横綱として十分な成績を残せなかったという評価も成り立つ。

しかし、大関時代の332勝133敗や年間最多勝、幕内優勝2回、生涯800勝という実績を合わせて見ると、長期間にわたり相撲界の第一線で戦った力士だったことが分かる。

加えて、引退後は部屋の経営、若手育成、地域との連携に取り組み、2026年には大の里の指導や巡業運営にも関わっている。評価の基準を現役時代の勝敗だけに限定するのではなく、引退後にどのような相撲界への貢献を続けているかまで広げる必要がある。

稀勢の里の現在を追う読者にとっては、次の3点を区別すると情報を整理しやすい。

  • 現役時代の実績:日本相撲協会の公式プロフィールで優勝回数や生涯戦歴を確認する。
  • 現在の役職:年寄名跡は二所ノ関であり、二所ノ関部屋の師匠を務めている。
  • 最新の活動:部屋の公式発信、自治体の開催報告、報道各社の2026年の稽古・巡業報道を確認する。

【稀勢の里寛の現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:稀勢の里は2026年現在、何をしているのですか?
A1:二所ノ関親方として二所ノ関部屋を率い、力士の育成や稽古の指導、部屋の運営、地方巡業や地域交流などに携わっている。2026年10月には秋巡業の先発親方として、つくば市巡業の準備に参加したことが報じられた。

Q2:稀勢の里はいつ引退しましたか?
A2:2019年1月16日に現役引退を発表した。引退後は年寄・荒磯を襲名し、後進の指導にあたった。

Q3:稀勢の里の幕内優勝回数と生涯戦歴は?
A3:幕内優勝は2回。生涯戦歴は800勝496敗97休(101場所)、幕内戦歴は714勝453敗97休(85場所)となっている。

Q4:荒磯親方と二所ノ関親方は同じ人ですか?
A4:同じ人物だ。元横綱・稀勢の里は引退時に荒磯を襲名し、2021年12月24日に二所ノ関へ名跡を変更した。

Q5:二所ノ関親方の弟子には大の里がいるのですか?
A5:いる。第75代横綱・大の里は二所ノ関部屋所属で、二所ノ関親方が師匠を務めている。2026年も巡業や部屋で直接稽古を見守り、技術面の助言を行っている。

Q6:稀勢の里の得意技は何ですか?
A6:日本相撲協会の公式プロフィールによると、得意技は左四つ・寄り・突き。左四つから相手を組み止め、前に出る力強い相撲が持ち味だった。

稀勢の里寛は、第72代横綱として幕内優勝2回、生涯戦歴800勝496敗97休という記録を残し、2019年1月に現役を引退した。その後、荒磯親方を経て2021年12月に二所ノ関を襲名し、現在は茨城県阿見町の二所ノ関部屋を率いている。

2026年の活動を見ると、大の里への直接指導、地方巡業の準備、茨城県内での交流合宿など、師匠としての仕事は多岐にわたる。伝統を守るだけではなく、科学的な稽古や部屋の運営方法を取り入れている点も特徴的だ。

特に注目したいのは、けがに苦しんだ自身の経験を、次世代の力士の育成にどう生かしているかという点である。大の里の得意な取り口を尊重しながら、身体の使い方や攻める意識を具体的に指導する姿には、現役時代とは異なる親方としての成長が見える。

稀勢の里の物語は、2019年の引退で終わったわけではない。第72代横綱として積み重ねた経験を次の世代へ伝え、二所ノ関部屋から新たな強豪力士を育てていくことが、現在の大きな使命となっている。今後は大の里のさらなる成長とともに、二所ノ関部屋がどのような力士を送り出していくのかにも注目したい。

主な事実確認資料

- 日本相撲協会「第72代横綱 稀勢の里 寛」「力士プロフィール」
- 日本相撲協会「二所ノ関部屋」「令和3年12月24日 理事会発表事項」
- 二所ノ関部屋公式ホームページ「部屋について」
- 大洗町公式ホームページ「二所ノ関部屋交流合宿 in 大洗」
- 共同通信、日刊スポーツ、スポニチアネックス、デイリースポーツの2026年報道。

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