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十二代目市川團十郎とは?本名・経歴・1985年の襲名から2013年の逝去、成田屋の継承まで徹底解説

藤森 綾 藤森 綾 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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十二代目市川團十郎(じゅうにだいめ・いちかわ・だんじゅうろう)は、江戸歌舞伎を代表する名門・成田屋の大名跡を継ぎ、歌舞伎十八番を中心に力強く華やかな芸を築いた歌舞伎俳優です。本名は堀越夏雄(ほりこし・なつお)。1946年8月6日に東京で生まれ、1953年に初舞台を踏み、1969年には十代目市川海老蔵、1985年には十二代目市川團十郎を襲名しました。

2013年2月3日に66歳で逝去しましたが、その芸と名跡は長男の十三代目市川團十郎白猿へと受け継がれています。2026年現在、成田屋の公演活動や歌舞伎十八番の上演を通じて、十二代目が守り続けた伝統は次の世代へつながっています。生い立ち、海老蔵時代の歩み、代表作『勧進帳』『助六由縁江戸桜』、家系図、受賞歴、そして息子への継承までを整理します。

【堀越夏雄から十二代目市川團十郎へ】生い立ちと歌舞伎界での歩み

十二代目市川團十郎
1946年生まれ、十一代目市川團十郎の長男として誕生

十二代目市川團十郎は、1946年(昭和21年)8月6日、東京都で誕生しました。本名は堀越夏雄。父は十一代目市川團十郎で、歌舞伎の名門・成田屋の芸を受け継ぐ家に生まれました。

父の十一代目は、九代目市川海老蔵としても知られた名優です。團十郎家は代々、荒事を中心とする豪快な芸で江戸歌舞伎を代表してきました。夏雄は幼い頃から歌舞伎の舞台と深い関わりを持ち、早くから役者としての道を歩み始めます。

1953年、市川夏雄として初舞台

1953年10月、歌舞伎座で上演された『大徳寺』の三法師公を演じ、市川夏雄の名で初舞台を踏みました。

その後、1958年5月には『風薫鞍馬彩(かぜかおるくらまのいろどり)』で牛若丸を勤め、六代目市川新之助を襲名します。市川新之助は團十郎へと続く重要な名跡であり、成田屋の後継者としての歩みを示す名前でもあります。

19歳で父を失い、若くして名門の重責を背負う

十二代目の人生を語るうえで見逃せないのが、少年時代から青年期にかけて経験した家の大きな転換です。

父の十一代目市川團十郎は1962年に團十郎を襲名しましたが、そのわずか数年後に急逝しました。十二代目は当時19歳。名門の後ろ盾を失い、歌舞伎界で自分自身の芸を確立しなければならない立場に置かれました。

歌舞伎俳優名鑑「想い出の名優篇」の人物紹介では、当時の新之助は演技やせりふについて厳しい評価を受けながらも、先輩俳優の指導を真摯に受け止め、課題を一つずつ克服していったと振り返られています。

生まれながらの名門という立場だけで大名跡を継いだわけではありません。長い修業と舞台経験を積み重ね、周囲から役者として認められるまで努力を続けたことが、その後の大きな襲名につながりました。

【1969年の海老蔵襲名から1985年へ】團十郎の名跡を継いだ転換点

1969年、十代目市川海老蔵を襲名

1969年11月、歌舞伎座での公演を機に、六代目市川新之助は十代目市川海老蔵を襲名しました。

襲名披露で重要な役を担ったのが、『助六由縁江戸桜』の助六と『勧進帳』の富樫左衛門です。

海老蔵という名跡は、團十郎へとつながる成田屋の重要な名前です。歌舞伎では、俳優が一つの名前を一生使い続けるとは限りません。芸歴や家の伝統、役者としての成長に応じて名跡を順に継承していきます。

十二代目の場合も、市川夏雄から市川新之助、十代目市川海老蔵へと段階を踏み、團十郎襲名へ向けて芸を磨きました。

1985年4月から6月、三か月にわたる團十郎襲名披露

大きな転換点となったのは、1985年(昭和60年)です。

4月から6月まで歌舞伎座で三か月連続の襲名披露公演が行われ、十代目市川海老蔵は十二代目市川團十郎を襲名しました。

この襲名披露で演じた代表的な役が、『勧進帳』の武蔵坊弁慶、『助六由縁江戸桜』の助六などです。成田屋の伝統を象徴する演目を通じて、新たな團十郎の誕生を披露しました。

さらに同年7月から8月には、ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルスで襲名披露公演を開催。日本俳優協会の記録によれば、海外で襲名披露口上を行ったのは史上初のことでした。

国内の名跡継承を海外にも発信したこの出来事は、十二代目の活動を考えるうえで重要です。歌舞伎の伝統を守るだけでなく、日本の舞台芸術を海外の観客に紹介する役割も担っていました。

十二代目市川團十郎の経歴・年表

主な経歴を時系列で整理すると、次のようになります。

年月 出来事・名跡 主な内容
1946年8月6日 誕生 東京都生まれ。本名は堀越夏雄。
1953年10月 市川夏雄 歌舞伎座『大徳寺』の三法師公で初舞台。
1958年5月 六代目市川新之助 『風薫鞍馬彩』の牛若丸で襲名。
1969年11月 十代目市川海老蔵 『助六由縁江戸桜』の助六、『勧進帳』の富樫を勤めて襲名。
1972年 文化的評価 重要無形文化財「歌舞伎」の保持者として総合認定。
1985年4~6月 十二代目市川團十郎 歌舞伎座で三か月間の襲名披露公演。
1985年7~8月 海外襲名披露 アメリカで襲名披露公演。海外で初の襲名披露口上。
1986年 松尾芸能大賞 第7回松尾芸能大賞を受賞。
1988年 日本芸術院賞 日本芸術院賞を受賞。
2004年 病気療養 白血病の治療を経験。
2007年 国際的評価 フランス芸術文化勲章コマンドゥール、紫綬褒章、菊池寛賞を受ける。
2012年 日本芸術院会員 日本芸術院会員に就任。
2013年2月3日 逝去 肺炎のため66歳で逝去。
2022年11月 十三代目へ継承 長男が十三代目市川團十郎白猿を襲名。
2026年 成田屋の活動継続 十三代目が歌舞伎公演などで家の芸を継承。

この年表から分かるように、十二代目は約30年にわたって團十郎の名を背負い、国内外の舞台に立ち続けました。襲名そのものが到達点ではなく、その名前にふさわしい芸を磨き続けたことが、役者としての大きな特徴です。

【家系図で解説】十一代目から十二代目、長男の十三代目へ続く成田屋

十二代目の父は十一代目市川團十郎

十二代目市川團十郎の家系を理解するには、父と息子の関係を押さえる必要があります。

父は十一代目市川團十郎。十二代目はその長男として生まれました。そして十二代目の長男が、現在の十三代目市川團十郎白猿です。

つまり、父から息子へと團十郎の名跡が受け継がれた関係にあります。

十二代目と十三代目の関係

十二代目の長男は、1977年12月6日生まれの堀越寶世(ほりこし・たかとし)です。幼少期から市川新之助、海老蔵の名跡を継ぎ、2022年11月に十三代目市川團十郎白猿を襲名しました。

父の十二代目が1985年に團十郎を襲名してから、息子が同じ名跡を継ぐまでには37年の時間が流れています。

また、十二代目の逝去は2013年です。息子は父の死後も海老蔵として活動を続け、約9年後に團十郎の名を継ぎました。

成田屋の家系・人物関係一覧
人物・名称 十二代目との関係 主な情報
十一代目市川團十郎 実父 九代目市川海老蔵としても知られる名優。十二代目の父。
十二代目市川團十郎 本人 本名・堀越夏雄。1985年に十二代目を襲名。
十三代目市川團十郎白猿 長男 元・十一代目市川海老蔵。2022年11月に團十郎を襲名。
成田屋 屋号 市川團十郎家の屋号。歌舞伎十八番を家の芸とする。
歌舞伎十八番 家の芸 七代目市川團十郎が1832年に定めた、市川家を代表する演目群。
成田屋という屋号が持つ意味

成田屋は、江戸歌舞伎を代表する市川團十郎家の屋号です。単なる呼び名ではなく、家の歴史や芸風、信仰とのつながりを象徴しています。

市川家と成田山新勝寺との縁は、初代市川團十郎の時代にさかのぼります。成田山への信仰を背景に、不動明王にまつわる芸が生まれ、成田屋という屋号が広まったと伝えられています。

成田山新勝寺と市川家の関係は、成田市観光協会の解説でも紹介されています。團十郎家の芸と成田山への信仰は、長い歴史の中で結びついてきました。

團十郎の名跡は血縁だけでなく芸を受け継ぐもの

歌舞伎の名跡は、一般的な戸籍上の姓や名前とは性格が異なります。長い歴史の中で先代の芸や役柄、家の格式を受け継ぐ象徴として機能してきました。

文化デジタルライブラリーの解説によると、團十郎のような大名跡は、市川新之助や市川海老蔵といった名前を順に経て襲名することが通例です。

そのため、十二代目から十三代目への継承は、単純に名前を変えたという話ではありません。『勧進帳』や『助六』などの重要な演目を含め、成田屋が守ってきた芸の継承という意味を持っています。

【代表作を解説】『勧進帳』の弁慶と『助六』の華やかな芸

代表作1:『勧進帳』の武蔵坊弁慶

十二代目市川團十郎を代表する役として、まず挙げられるのが『勧進帳』の武蔵坊弁慶です。

『勧進帳』は、源義経と弁慶が安宅の関を通過しようとする物語です。義経一行を追う関守の富樫左衛門と弁慶の緊迫したやり取りが、作品の大きな見どころとなっています。

弁慶役には、強靱な身体表現、せりふの力、緊張感を保つ間合い、そして主人を守ろうとする心情を表す繊細さが大切です。

歌舞伎俳優名鑑「想い出の名優篇」では、十二代目の弁慶について、堂々とした風格と強さ、優しさが一体になった芸だったと評価しています。

特に、力強く目を見開く表情の中に温かみがあることが特徴として挙げられています。荒事の豪快さだけに偏らず、人物の人間味を感じさせる弁慶だったという評価です。

代表作2:『助六由縁江戸桜』の助六

もう一つの代表作が、『助六由縁江戸桜』です。

主人公の花川戸助六は、江戸の粋と華やかさを体現する人物です。傘を差し、独特の歩き方やせりふ回しで登場する姿は、歌舞伎を象徴する名場面の一つとして知られています。

助六には、荒事の力強さだけでなく、洗練された身のこなしや江戸前の気風、観客を引きつける華が必要です。

十二代目は1969年の海老蔵襲名時にも助六を演じ、1985年の團十郎襲名披露でも同じ役を勤めました。二度の襲名に深く関わった演目であり、彼の芸歴を象徴する作品です。

代表作3:『暫』『鳴神』『毛抜』などの歌舞伎十八番

十二代目が力を注いだのは、『勧進帳』や『助六』だけではありません。

成田屋の家の芸である歌舞伎十八番にも積極的に取り組みました。

歌舞伎十八番は、七代目市川團十郎が1832年に制定した演目群です。初代や二代目など歴代の團十郎が得意とした芸を集めたもので、荒事を中心とする市川家の芸風を象徴しています。

代表的な演目には、次のような作品があります。

  • 『暫』:悪人の横暴を圧倒的な力で制する豪快な荒事。
  • 『鳴神』:鳴神上人を中心とする、荒事と色気が交錯する作品。
  • 『毛抜』:毛抜が踊り出す不思議な現象をきっかけに事件の真相へ迫る作品。
  • 『景清』:平家の武将・悪七兵衛景清を描く力強い作品。
  • 『外郎売』:早口の長ぜりふが見どころとなる演目。

十二代目は、こうした演目の伝承と再創造に取り組みました。古典を単に保存するのではなく、現代の舞台で観客に伝わる表現として演じ続けた点に、彼の仕事の価値があります。

『義経千本桜』や敵役など、幅広い役柄にも挑戦

十二代目の芸域は、荒事だけに限られません。

成田屋公式プロフィールでは、『義経千本桜』の忠信・知盛・権太の三役、『与話情浮名横櫛』の与三郎なども主な出演作品として紹介されています。

加えて、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、『菅原伝授手習鑑』の松王丸、『絵本太功記』の明智光秀など、重厚な人物を演じる力も評価されていました。

善良な人物だけでなく、敵役にも独特の魅力を発揮したことが、歌舞伎俳優としての幅広さを示しています。

【受賞歴と海外公演】歌舞伎界に残した功績と闘病からの復帰

日本芸術院賞や紫綬褒章など数々の評価

十二代目は、舞台での実績に加えて、芸術文化への貢献でも高い評価を受けました。

日本俳優協会の公式記録や成田屋の経歴紹介によると、主な受賞歴は以下のとおりです。

  • 1986年:第7回松尾芸能大賞。
  • 1988年:日本芸術院賞。
  • 1995年:真山青果賞。
  • 1998年:芸術祭賞優秀賞。
  • 2000年:読売演劇大賞優秀男優賞、真山青果賞大賞。
  • 2007年:フランス芸術文化勲章コマンドゥール、紫綬褒章、第55回菊池寛賞。
  • 2011年:第27回浅草芸能大賞。
  • 2012年:日本芸術院会員に就任。

これらの評価は、伝統歌舞伎の継承だけでなく、幅広い演劇活動や文化への貢献も対象としています。

海外公演で歌舞伎の魅力を発信

十二代目は海外公演にも積極的でした。

1982年のアメリカ公演を皮切りに、1985年のアメリカ襲名披露公演、1988年のオーストラリア公演、1989年のヨーロッパ公演などに参加しています。

さらに2007年3月には、パリ・オペラ座ガルニエ宮での松竹大歌舞伎に出演しました。2009年にはモナコ公演にも参加しています。

特に2007年のパリ・オペラ座公演は、長男の市川海老蔵と共演した舞台としても注目されます。『勧進帳』では、父が弁慶、息子が富樫を演じるという形で、親子が同じ作品に立ちました。

家の芸を父から子へ伝えるだけでなく、海外の舞台で親子が共演したことには、成田屋の伝統を次世代へつなぐ象徴的な意味もありました。

2004年の白血病と舞台復帰

十二代目の人生には、病気という大きな試練もありました。

2004年5月、長男の十一代目市川海老蔵の襲名興行が行われていた時期に、十二代目は白血病を患い、舞台から離れることになります。

NHKの『100年インタビュー』関連報道では、2004年に急性前骨髄球性白血病を発症し、治療を経て舞台に復帰した経緯が紹介されています。

その闘病経験は、2010年刊行の著書『團十郎復活―六十兆の細胞に生かされて』にもまとめられています。

また、歌舞伎俳優名鑑によると、闘病中に『熊谷陣屋』の熊谷直実のその後を描く脚本『黒谷』を執筆し、退院後に舞踊劇として上演しました。三升屋白治という筆名を用いたことも記録されています。

病気を経験した後も舞台への意欲を失わず、歌舞伎の創作や伝承に取り組んだことは、晩年の活動を理解するうえで重要な出来事です。

【2013年2月3日の逝去】十二代目市川團十郎が残したものと十三代目への継承

66歳で逝去、死因は肺炎

十二代目市川團十郎は、2013年(平成25年)2月3日午後9時59分、東京都内の病院で肺炎のため逝去しました。享年66歳でした。

日本俳優協会は翌2月4日に訃報を発表し、本名の堀越夏雄、生年月日、初舞台から襲名までの経歴を公表しています。

当時、十二代目は日本俳優協会の専務理事、伝統歌舞伎保存会の理事を務めていました。日本芸術院会員としても活動しており、歌舞伎界における舞台人としてだけでなく、伝統芸能を支える立場でも重要な役割を担っていました。

2004年に白血病を経験し、復帰後も精力的に舞台に立っていたことから、その逝去は歌舞伎界にとって大きな出来事となりました。

長男は父の死後も海老蔵として活動

十二代目の長男は、当時すでに十一代目市川海老蔵を襲名していました。

父の逝去後も海老蔵として舞台に立ち続け、歌舞伎の伝統を守りながら独自の活動を展開しました。自主公演や新しい舞台企画にも取り組み、古典歌舞伎の魅力を幅広い観客に伝えていきます。

そして2022年11月、歌舞伎座で十三代目市川團十郎白猿を襲名しました。

2013年の父の逝去から約9年を経て、團十郎の大名跡が復活したのです。

十三代目市川團十郎白猿が受け継いだもの

十三代目の襲名は、単なる世代交代ではありません。

父の十二代目が守ってきた『勧進帳』『助六由縁江戸桜』『暫』などの演目、成田屋の荒事、そして團十郎という名前に求められる格式を次の時代に伝える出来事です。

十三代目は、襲名以前から『勧進帳』の弁慶などを演じており、父の芸と家の伝統に触れながら経験を積んできました。

また、十三代目は2022年から2024年10月まで襲名披露興行を行いました。長期間にわたる全国各地での披露公演は、團十郎という名跡が持つ歴史的な重みを改めて示す機会となりました。

2026年最新情報:十三代目が成田屋の芸を継承

2026年11月2日現在、十二代目本人は2013年に逝去しているため、現在の團十郎として舞台に立っているのは長男の十三代目市川團十郎白猿です。

成田屋の公式公演スケジュールでは、2026年11月6日・7日に「市川團十郎 壇ノ浦歌舞伎」、12月2日から25日まで歌舞伎座の「十二月大歌舞伎」が予定されています。

12月の歌舞伎座公演では『身替座禅』『与話情浮名横櫛』が演目として掲載されています。こうした活動は、十二代目の舞台そのものではありませんが、成田屋の芸と名跡が現在も継承されていることを示しています。

なお、2026年の公演情報を十二代目本人の出演情報と混同しないことが大切です。現在の活動主体は十三代目であり、十二代目はその父として、成田屋の歴史に刻まれています。

【プロの結論】十二代目市川團十郎の芸が今も語り継がれる理由

十二代目市川團十郎の評価を考えるとき、単純に襲名歴や受賞歴だけを並べても、その本質は見えてきません。

重要なのは、彼が團十郎という名跡を受け継いだ後、どのような芸を残したかという点です。

1. 荒事の豪快さに人間的な温かみを加えた

市川團十郎家の芸の中心には荒事があります。大きな動き、力強いせりふ、隈取り、見得などによって、英雄や豪傑の存在感を表現する様式です。

十二代目は、その豪快さを前面に出しながら、役柄に人間味や温かさを感じさせる演技でも評価されました。特に『勧進帳』の弁慶に見られる強さと優しさの共存は、彼の芸風を象徴しています。

2. 伝統を守ることと新しい表現を生み出すことを両立した

歌舞伎十八番は、歴代の團十郎が受け継いできた家の芸です。しかし、古い演目を残すだけでは、次の世代にその魅力を伝えることはできません。

十二代目は、古典の役を演じる一方で、海外公演や自主的な舞台活動にも参加しました。パリ・オペラ座での公演などは、歌舞伎が日本国内だけで完結する芸術ではないことを示しています。

3. 名跡を次世代につなぐための土台を残した

十二代目の長男が十三代目團十郎を襲名したことは、家の芸が次の世代へ継承されたことを意味します。

父と息子が『勧進帳』で共演した経験や、息子が幼少期から成田屋の舞台に立ってきた経歴は、その継承を考えるうえで重要です。

歌舞伎の名跡は、名前だけでは成立しません。その名前にふさわしい芸を舞台で示し続けることが必要です。十二代目の功績は、團十郎の名を受け継いだことだけでなく、次の世代がその名を背負えるだけの芸の土台を残したことにあります。

十二代目市川團十郎を知るなら押さえたい3つの判断基準
  • 歌舞伎初心者:まずは『勧進帳』を通じて、弁慶の力強さと人物描写に注目すると、十二代目の芸の魅力を理解しやすい。
  • 成田屋の歴史を知りたい人:市川新之助、海老蔵、團十郎という名跡の変遷と、十一代目から十三代目までの家系を整理すると理解が深まる。
  • 現在の團十郎の活動を知りたい人:十二代目の過去の出演記録と、十三代目の2026年の公演情報を分けて確認することが大切。

この3つの視点を持つと、十二代目の人生を単なる歌舞伎俳優のプロフィールとしてではなく、300年以上の歴史を持つ名跡の継承という大きな流れの中で理解できます。

【十二代目市川團十郎に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:十二代目市川團十郎の本名は何ですか?
A1:本名は堀越夏雄(ほりこし・なつお)です。1946年8月6日に東京都で生まれ、1953年に市川夏雄として初舞台を踏みました。

Q2:十二代目市川團十郎の生年月日と没年月日はいつですか?
A2:1946年8月6日生まれ、2013年2月3日逝去です。肺炎のため東京都内の病院で亡くなり、享年66歳でした。

Q3:十二代目市川團十郎はいつ襲名しましたか?
A3:1985年4月から6月にかけて歌舞伎座で行われた三か月間の襲名披露公演で、十二代目市川團十郎を襲名しました。

Q4:十二代目市川團十郎は、海老蔵時代にどのような名前でしたか?
A4:1969年11月に十代目市川海老蔵を襲名しました。それ以前は六代目市川新之助を名乗っていました。

Q5:十二代目市川團十郎の長男は誰ですか?
A5:長男は十三代目市川團十郎白猿です。十二代目の逝去後も十一代目市川海老蔵として活動し、2022年11月に十三代目を襲名しました。

Q6:十二代目市川團十郎の代表作は何ですか?
A6:代表的な演目は『勧進帳』の武蔵坊弁慶、『助六由縁江戸桜』の助六です。そのほか『暫』『鳴神』『毛抜』『義経千本桜』などにも出演しています。

Q7:十二代目市川團十郎の死因は何ですか?
A7:日本俳優協会の2013年2月4日付の訃報によると、肺炎です。2004年には白血病の治療を経験し、舞台に復帰していました。

Q8:2026年現在、市川團十郎を名乗っているのは誰ですか?
A8:現在は長男の十三代目市川團十郎白猿です。2022年11月に歌舞伎座で襲名し、2026年も成田屋の公演活動を続けています。

十二代目市川團十郎は、1946年に堀越夏雄として生まれ、1953年の初舞台から長い年月をかけて芸を磨いた歌舞伎俳優です。六代目市川新之助、十代目市川海老蔵を経て、1985年に十二代目市川團十郎を襲名しました。

『勧進帳』の弁慶や『助六由縁江戸桜』の助六をはじめとする代表作では、成田屋の伝統である荒事の力強さに、人間味と温かさを加えた芸を見せました。海外公演や数々の受賞歴も、その活動の幅広さを示しています。

2013年2月3日に66歳で逝去しましたが、長男の十三代目市川團十郎白猿が2022年に名跡を継承し、成田屋の芸は現在も続いています。

十二代目市川團十郎の最大の功績は、團十郎という歴史ある名前を受け継ぐだけでなく、その名前にふさわしい芸を磨き、次の世代へ伝える道筋を残したことです。

2026年現在、十三代目の舞台を鑑賞する際にも、父である十二代目がどのような芸を築き、何を受け継いできたのかを知ることで、成田屋の歌舞伎をより深く楽しめます。十二代目の足跡は、歌舞伎の名跡が単なる称号ではなく、芸と歴史を未来へつなぐものであることを今も伝えています。

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