ホーム 芸能人プロフィール・現在 今いくよ・くるよの現在は?2015年と2024年の訃報、伝説の漫才と功績を徹底解説

今いくよ・くるよの現在は?2015年と2024年の訃報、伝説の漫才と功績を徹底解説

朝倉 仁 朝倉 仁 • 更新: • 公開: • 読了約 23 分
目次

2026年現在、女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の二人は、すでにこの世を去っています。細身で華やかなメークが印象的だった今いくよさんは2015年5月28日、そして派手な衣装と「どやさ!」のギャグで親しまれた今くるよさんは2024年5月27日に逝去しました。高校時代からの同級生として出会い、1970年代から長年にわたって上方漫才を盛り上げた二人。1980年代の漫才ブームを代表する存在であり、女性芸人の活躍の道を切り開いた先駆者でもあります。

二人の死去を伝えた吉本興業の公式発表、上方演芸資料館の記録、後輩芸人の証言などをたどると、単なる人気漫才コンビという枠には収まらない功績が見えてきます。結成の経緯、「どやさ」の由来、胃がんと膵がんによる闘病、受賞歴、中川家との交流、そして2025年の追悼公演まで、2026年11月時点の情報をもとに二人の歩みを振り返ります。

【今いくよ・くるよとは?】二人はどんな漫才コンビだったのか

今いくよくるよ

今いくよ・くるよは、京都出身の女性漫才コンビです。

二人の最大の特徴は、対照的な外見と、それを笑いに変えるテンポのよい掛け合いでした。

今いくよさんは、細身の体型、濃いメーク、つけまつげがトレードマーク。一方の今くるよさんは、ふくよかな体型と華やかで派手な衣装が印象的でした。

二人は自分たちの体型やファッションを隠すのではなく、積極的に漫才の題材に取り入れました。

恋愛、結婚願望、流行のファッション、美容など、女性の日常に身近な話題を中心に、互いの外見や行動を突っ込み合うスタイルで人気を集めます。

特に、くるよさんのお腹をポンとたたく動作や「どやさ!」という決めぜりふは、コンビを象徴する芸として全国的に知られるようになりました。

1980年代の漫才ブームを代表する女性コンビ

1980年代の漫才ブームでは、多くの男性コンビがテレビを中心に活躍しました。そのなかで、いくよ・くるよは女性二人による本格的な漫才で存在感を示しました。

単に女性であることを売りにしたのではありません。

漫才の構成、言葉の応酬、間の取り方、舞台上での存在感を磨き、実力で観客を笑わせてきたコンビです。

吉本興業の公式訃報でも、二人について、1980年代の漫才ブームで一世を風靡し、その後も女性漫才師のパイオニアとして劇場、テレビ、CM、映画など多方面で活躍したと紹介されています。

この評価は、二人の芸歴を振り返るうえで要点です。

二人の芸風を比較すると?
項目 今いくよ 今くるよ
本名 里谷正子 酒井スエ子
出身 京都市 京都市
舞台での印象 細身、濃いメーク、つけまつげ ふくよかな体型、派手な衣装
主な持ち味 軽快なツッコミとテンポ 大胆なリアクションと身体表現
代表的な特徴 華やかなメーク 「どやさ!」
師匠 今喜多代ら 今喜多代ら
逝去 2015年5月28日 2024年5月27日

二人の魅力は、個々のキャラクターだけでは完成しませんでした。

細身とふくよか、落ち着いた掛け合いと大胆な動き、ツッコミとリアクション。対照的な要素を組み合わせることで、二人でしか成立しない漫才を作り上げていたのです。

【結成の経緯】高校のソフトボール部から漫才界のスターへ

今いくよ・くるよの関係は、芸能界に入ってから始まったものではありません。

二人は高校時代の同級生で、同じソフトボール部に所属していました。京都で学生時代を過ごし、卒業後は会社員として働いていた時期もあります。

大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」の人物紹介によると、二人が漫才を始めるきっかけとなったのは、OLとして働いていた頃にオーディションを受けたことでした。

1970年に今喜多代へ弟子入り

二人は1970年、島田洋之介・今喜多代のもとに弟子入りしました。

師匠の今喜多代は女性漫才師として活躍した人物です。女性が漫才の世界でプロとして活動することが現在ほど一般的ではなかった時代に、二人は本格的に芸を学び始めました。

なお、活動開始時期については、1970年を弟子入り・コンビ結成の起点とする公式資料がある一方、報道資料では1973年の初舞台が紹介されています。

そのため、1970年の入門と1973年の初舞台を分けて理解すると、二人の芸歴が整理しやすくなります。

1980年のテレビ出演が全国区への転機に

大阪府立上方演芸資料館の記録には、二人の知名度が大きく上昇した転機についても記されています。

コンビ結成から約10年が経過した1980年5月、初めて出演した民放テレビ番組で大きな反響を獲得しました。

出演前には、これで受けなければ最後という趣旨の厳しい条件を伝えられていたものの、本番では観客から大きな笑いが起こりました。

その後、テレビ出演の依頼が相次ぎ、全国的な知名度を獲得していきます。

このエピソードからも、二人が一夜にして突然売れたのではなく、長い下積みを経て評価されたことが分かります。

今いくよ・くるよの評価を知るうえで欠かせないのが、数々の受賞歴です。

漫才師としての実績だけでなく、関西の演芸文化に貢献した人物としても高く評価されています。

今いくよ・くるよの主要年表
年 出来事 内容・意義
1970年 師匠に弟子入り 島田洋之介・今喜多代に入門
1973年 初舞台 コンビとして本格的に活動
1980年 テレビ出演で注目 全国区への転機
1981年 上方お笑い大賞 金賞受賞
第2回 花王名人大賞 最優秀新人賞受賞
1984年 上方漫才大賞 大賞受賞
1986年 上方お笑い大賞 大賞受賞
2015年5月28日 今いくよ逝去 胃がんのため67歳で死去
2022年4月 最後の舞台 吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」
2023年 上方演芸の殿堂入り 第26回の殿堂入り名人に選出
2024年5月27日 今くるよ逝去 膵がんのため死去
2025年3月3日 追悼公演 なんばグランド花月で開催
2026年 功績の継承 資料館や追悼記録などに二人の芸が残る

※受賞年は吉本興業の公式発表および大阪市の受賞記録を基準に、主要な実績を整理しています。花王名人大賞の最優秀新人賞は第2回の受賞です。

花王名人大賞の最優秀新人賞が示す実力

花王名人大賞の最優秀新人賞は、二人が若手時代から高く評価されていたことを示す実績です。

加えて、1981年には上方お笑い大賞の金賞、1984年には上方漫才大賞の大賞を受賞しました。

上方漫才大賞は関西の漫才界における代表的な賞の一つです。

新人としての評価にとどまらず、長年の活動によって実力派の漫才コンビとして認められたことが分かります。

その後も1986年の上方お笑い大賞大賞など、複数の賞を獲得しています。

2023年、第26回上方演芸の殿堂入り

二人の功績を象徴する出来事が、2023年の第26回上方演芸の殿堂入りです。

大阪府立上方演芸資料館が選考するこの制度は、上方演芸の発展に大きく貢献し、広く親しまれ、後進の目標となる演芸人を顕彰するものです。

2023年7月27日の表彰式では、今いくよ・くるよと桂吉朝さんが殿堂入り名人に選ばれました。

この表彰は、二人が長年にわたって関西の演芸文化を支えたことへの評価です。

また、二人は同賞の歴代殿堂入り名人の100人目という節目にもあたりました。

くるよさんから寄せられたメッセージには、天国にいるいくよさんも受賞を喜んでいると思うという趣旨の言葉が盛り込まれていました。

相方を亡くした後も、二人で積み重ねてきた芸が評価されたことを象徴する出来事でした。

【どやさの由来】今くるよの代名詞になったギャグはどう生まれた?

今くるよさんを語るとき、欠かせないのが「どやさ!」です。

この言葉は、単なる決めぜりふではありません。くるよさんの表情や動き、舞台上でのサービス精神と結びついた、独自の芸として成長しました。

「どやさ」は京都で使われる言葉

「どやさ」は、京都で使われる「どうよ」「どうだ」といった意味合いを持つ言葉です。

くるよさんは、この言葉を独特の表情や身ぶりと組み合わせて使いました。

両手を顔の前で交互に前後させる動作や、お腹をポンとたたくしぐさが特徴的で、登場時のあいさつにも、漫才の途中のリアクションにも取り入れられました。

日刊スポーツの2024年5月31日の報道では、くるよさんが自身のお腹をたたいたところ大きな笑いが起き、その後も観客に喜んでもらうために続けたことが、代名詞的なギャグに成長した経緯として紹介されています。

つまり、「どやさ」は最初から完成された決めぜりふとして存在したのではなく、観客とのやり取りのなかで磨かれた芸だったのです。

「どやさ」が長く愛された理由

くるよさんの「どやさ」が幅広い世代に知られるようになった理由は、言葉と動作が一体になっていたことです。

漫才の内容を細かく知らなくても、身ぶりを見れば誰の芸なのかが分かる。言葉を聞けば、くるよさんの明るいキャラクターが思い浮かぶ。

こうした視覚的・聴覚的な分かりやすさは、テレビとの相性も抜群でした。

また、くるよさんは舞台上で自分の体型や衣装を積極的に笑いに変えていました。

自分自身を表現の中心に置き、観客に楽しんでもらうことを優先する。その姿勢が「どやさ」という短い言葉に凝縮されていたのです。

2024年の葬儀でも、参列した芸人仲間たちが最後に「どやさ」を連呼して見送ったと報じられています。

悲しみのなかでも笑いを忘れない。くるよさんらしい別れの光景として、多くの人の記憶に残りました。

【病気と死去の真相】今いくよは胃がん、今くるよは膵がん

二人の訃報については、病名や亡くなった日付を正確に知りたいという検索も多く見られます。

今いくよさんと今くるよさんは、異なる病気で亡くなりました。

今いくよは2015年5月28日に胃がんで逝去

今いくよさんは、2015年5月28日午後5時58分、胃がんのため大阪府内の病院で亡くなりました。67歳でした。

本名は里谷正子さんです。

2014年9月に胃がんであることが判明し、治療のために休養に入りました。

その後、同年12月に京都のよしもと祇園花月で舞台復帰を果たしています。

闘病中も芸人としての活動を続ける意欲を見せており、2015年5月11日には大阪・なんばグランド花月の舞台にも出演していました。

日刊スポーツなどの報道によると、亡くなる約2週間前まで舞台に立っていたことになります。

闘病を公表してからも、観客の前に立つことを大切にしていた姿がうかがえます。

今くるよは2024年5月27日に膵がんで逝去

今くるよさんは、2024年5月27日、膵がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。

吉本興業が訃報を発表したのは翌日の5月28日です。

本名は酒井スエ子さん。吉本興業の公式発表では年齢は非公表とされましたが、主要報道各社は76歳と伝えています。

くるよさんの逝去は、相方のいくよさんが亡くなってから約9年後のことでした。

特に注目されたのは、いくよさんの命日が5月28日であり、くるよさんがその前日の5月27日に亡くなったという事実です。

二人は高校時代からの同級生であり、長年にわたって舞台をともにしてきた間柄でした。

そのため、命日が1日違いだったことは、多くの芸人仲間やファンにとって深く心に残る出来事となりました。

二人の最後の舞台はいつだった?

今くるよさんの最後の舞台は、2022年4月の吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」でした。

なんばグランド花月で開催されたこの公演では、車椅子で登場し、久しぶりのNGKの舞台で「どやさ!」を披露したと報じられています。

この出演を最後に、舞台での活動は途絶えました。

吉本興業の公式訃報でも、この公演が最後の舞台だったと説明されています。

【中川家との交流と後輩への影響】女性芸人の道を切り開いた二人

今いくよ・くるよの功績は、受賞歴やテレビ出演だけではありません。

後輩芸人との交流や、女性芸人が活動を続けやすい環境づくりにも大きな影響を残しました。

中川家との交流は深かった

今くるよさんと中川家の剛さん・礼二さんは、長年にわたって親しい交流がありました。

2015年にいくよさんが亡くなった後、くるよさんは中川家と3人でユニット活動を行ったこともあります。

2024年5月31日、ニッポン放送のラジオ番組「中川家 ザ・ラジオショー」では、剛さんと礼二さんが二人との思い出を語りました。

東京進出前の中川家が、桂文枝さん、西川きよしさん、今いくよ・くるよさんらとラジオ番組で共演していた時期がありました。

当時、まだ若かった中川家の二人は、先輩芸人に囲まれ、仕事の現場で緊張していたといいます。

その際、いくよさんとくるよさんは、仕事が終わると焼き鳥店に連れていくなど、後輩を気遣っていました。

また、二人は後輩に独特のニックネームを付けることでも知られていました。

礼二さんには「北大路欣也」、剛さんには「ジョージ・クルーニー」という愛称を付けていたというエピソードも報じられています。

中川家にとって、二人は単なる共演者ではなく、芸人としての成長を見守ってくれた恩人だったのです。

女性芸人の先駆者としての功績

いくよ・くるよの存在を語る際、忘れてはならないのが、女性芸人を取り巻く環境です。

二人が活動を始めた1970年代から1980年代は、漫才界で男性芸人の存在感が大きかった時代でした。

女性二人で本格的な漫才を続け、全国的な人気を得ることは簡単ではありませんでした。

しかし、二人は女性であることを理由に活動の幅を狭めることなく、テレビや劇場で実績を積み重ねました。

2025年3月の追悼公演では、後輩のシルクさんが、女性芸人が歩んできた道の厳しさに触れ、二人がその道を切り開いてくれたことへの感謝を語っています。

また、後輩の女性芸人たちからは、結婚や出産をしても仕事を続けてよいという考え方を二人が伝えていたというエピソードも紹介されました。

これは非常に重要な功績です。

芸人として売れることだけではなく、女性が仕事と生活を両立しながら芸能活動を続けることを肯定する姿勢を示していたからです。

1997年から続いた「ひな祭りの会」

二人の後輩への愛情を象徴するのが、毎年3月3日に開かれていた女性芸人の親睦会です。

FANY Magazineの2025年の追悼公演レポートによると、この会は1997年から2019年まで、28年間にわたって毎年開催されました。

若手からベテランまで女性芸人が集まり、食事をしながら交流する場でした。

単なる食事会ではありません。

先輩と後輩が気軽に話し、仕事の悩みや芸人としての経験を共有できる機会でもありました。

こうしたつながりが、女性芸人同士の横の関係を育てていったのです。

二人が亡くなった後、この伝統は追悼公演という形で再び注目されることになります。

2025年3月3日「どやさの日」の追悼公演

2025年3月3日、大阪・なんばグランド花月で、二人をしのぶ追悼公演「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」が開催されました。

公演の冒頭を飾ったのは中川家です。

剛さんがいくよさん、礼二さんがくるよさんに扮し、二人の漫才を再現しました。

加えて、西川きよしさん、ザ・ぼんち、ハイヒール、シルクさん、なるみさん、チュートリアルなど、世代を超えた芸人が集まりました。

会場のロビーには、二人が生前に着用していた衣装やつけまつげなども展示されました。

舞台上の漫才だけではなく、後輩たちとの思い出や、二人の人柄を伝える催しとなったのです。

BSよしもとでも、追悼公演の特別番組が2025年5月28日に放送されました。

こうした取り組みは、二人の芸を懐かしむだけでなく、次の世代へ伝えるための文化的な記録としても意味を持っています。

【2026年最新】今いくよ・くるよの現在と二人の功績はどう残っている?

2026年11月現在、今いくよさんと今くるよさんは、どちらも亡くなっています。

したがって、コンビとしての新しい舞台出演や活動再開はありません。

一方、二人の芸や功績は、吉本興業の公式記録、上方演芸資料館の殿堂入り記録、追悼番組や後輩芸人の証言を通じて受け継がれています。

ワッハ上方に残る公式記録

大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」では、今いくよ・くるよが第26回上方演芸の殿堂入り名人として紹介されています。

人物紹介には、二人の出会い、漫才を始めた経緯、全国的な人気を獲得した背景、受賞歴などが記録されています。

同館は上方演芸の保存と振興を目的とする施設で、過去の演芸番組を楽しめる映像・音声視聴ブースも設けています。

2026年10月7日から2027年3月7日までは、開館30周年を記念した企画展示も開催されています。

この企画展示自体は上方演芸全般を扱うもので、二人だけの個別展ではありません。ただし、演芸文化を保存し、後世へ伝える施設に二人の記録が残されていることは、功績を知るうえで重要です。

2026年に振り返りたい二人の本当の功績

今いくよ・くるよの功績は、次の3点に整理できます。

1. 女性漫才師の可能性を広げたこと

男性中心だった漫才界で、女性二人のコンビとして全国的な人気を獲得しました。女性芸人が長く活動を続けるための先例を作った存在です。

2. 個性を生かした漫才を確立したこと

二人は外見やファッションの違いを隠すのではなく、笑いの中心に置きました。身体的な特徴、衣装、身ぶり、言葉を組み合わせた独自の芸風は、テレビ時代にも強い印象を残しました。

3. 後輩を支える文化を育てたこと

中川家などの後輩との交流、女性芸人の親睦会、舞台衣装や食事を後輩に提供する気遣いなど、芸以外の部分でも大きな影響を残しました。

吉本興業の公式訃報にも、後輩に靴やスーツをプレゼントしたり、食事をごちそうしたりする二人の姿が紹介されています。

芸を教えるだけでなく、後輩が安心して活動できる環境を作ることも、二人が大切にしていたことでした。

【よくある質問】今いくよ・くるよに関するFAQ

Q1:今いくよ・くるよは現在も活動していますか?

A1:二人とも亡くなっており、コンビとしての活動は終了しています。今いくよさんは2015年5月28日、今くるよさんは2024年5月27日に逝去しました。二人の漫才は追悼番組や資料館の記録などを通じて受け継がれています。

Q2:今いくよさんの死因は何ですか?

A2:胃がんです。2014年9月に胃がんを公表して休養し、同年12月に舞台復帰しましたが、2015年5月28日に67歳で亡くなりました。

Q3:今くるよさんの死因は何ですか?

A3:膵がんです。2024年5月27日に大阪市内の病院で亡くなりました。吉本興業が翌28日に公式発表しています。

Q4:「どやさ」はどういう意味ですか?

A4:京都で使われる「どうよ」「どうだ」といった意味合いの言葉です。今くるよさんが独特の身ぶりやお腹をたたく動作とともに使い、代表的なギャグとして定着しました。

Q5:今いくよ・くるよの師匠は誰ですか?

A5:島田洋之介・今喜多代です。二人は1970年に弟子入りし、漫才の道を歩み始めました。

Q6:今いくよ・くるよの代表的な受賞歴は何ですか?

A6:上方お笑い大賞金賞、花王名人大賞最優秀新人賞、上方漫才大賞大賞などです。さらに2023年には第26回上方演芸の殿堂入りを果たしています。

Q7:中川家と今くるよさんにはどのような関係がありましたか?

A7:中川家の剛さん・礼二さんは、今いくよ・くるよを先輩として慕っていました。いくよさんの死後には、くるよさんと3人でユニット活動も行っています。2025年の追悼公演では、中川家が二人の漫才を再現しました。

今いくよ・くるよは、京都の高校時代から続く友情を土台に、漫才界で大きな足跡を残した女性コンビです。

1970年の弟子入りから始まった芸人人生は、1980年代の漫才ブームで大きく花開きました。

今いくよさんは2015年に胃がんで、今くるよさんは2024年に膵がんで亡くなりました。しかし、二人が築いた漫才の価値は、二人の逝去によって失われたわけではありません。

上方漫才大賞や花王名人大賞などの受賞歴、2023年の第26回上方演芸の殿堂入り、そして2025年の追悼公演は、その功績が現在も高く評価されていることを示しています。

特に注目したいのは、二人が後輩芸人に与えた影響です。

中川家との交流や、長年続いた女性芸人のひな祭りの会からは、二人が舞台の外でも多くの人に慕われていたことが伝わってきます。

今くるよさんの「どやさ!」は、単なる流行語ではありません。観客を楽しませたいというサービス精神と、二人が長年築いてきた漫才の歴史を象徴する言葉です。

2026年現在、二人の新しい漫才を見ることはできません。それでも、後輩たちによる再現、追悼番組、上方演芸資料館に残る記録を通して、その笑いに触れることはできます。

今いくよ・くるよが残した最大の功績は、女性漫才師として成功したことだけではなく、笑いを通じて後輩の道を広げ、人と人とのつながりまで残したことにあるのです。

同じカテゴリの記事

朝倉 仁
トレンドリサーチャー 朝倉 仁
プロフィールを見る →

全記事の校閲を担当。人名・日付・数字の整合性を確認し、断定できない内容は表現を弱めて掲載します。

おすすめの関連記事