元サッカー日本代表で、鹿島アントラーズの黄金期を支えた本田泰人(ほんだ・やすと)さん。現役時代はボランチとしてチームを統率し、長年キャプテンを務めたことから「Mr.アントラーズ」の愛称でも知られています。1969年6月25日生まれで、2026年11月現在は57歳です。
2006年の現役引退後は、サッカー解説やクラブ運営、育成年代の指導などに活動の幅を広げています。現在は故郷の福岡県北九州市を拠点に、次世代のサッカー選手を育てる活動にも取り組んでいます。一方、私生活ではタレントの高岡由美子さんとの結婚・離婚をはじめ、3度の結婚歴が報じられてきました。
【2026年最新】本田泰人は現在何をしている?育成年代の指導が活動の中心

2026年現在の本田泰人さんは、現役時代の経験を次世代に伝えるサッカー指導者として活動しています。
所属先のIKU株式会社が公開しているアスリート紹介によると、本田さんは地元の北九州市から日本代表や世界で活躍できる選手を育てたいという思いを持ち、NPO法人FOOT FIELD JAPANのサッカークラブを設立。監督として選手の育成に携わっています。
鹿島アントラーズの公式サイトに掲載されているプロフィールでも、小学生から高校生までを対象に、育成年代を中心とした幅広い指導活動を行っていると紹介されています。
かつてJリーグの舞台で戦い、日本代表として国際試合を経験した人物が、今度は指導者として若い選手たちと向き合っているわけです。
北九州から日本代表選手を育てるという目標本田さんが育成に力を注ぐ背景には、故郷への思いがあります。
2021年のスポーツ総合誌『Number』のインタビューでは、北九州から日本代表選手を輩出したいという目標を語っていました。当時は地元でクラブチーム「FUT6(フットセイス)」を運営し、子どもたちの指導に取り組んでいました。
同インタビューでは、以前は月に1回程度、一定期間だけ地元に戻って指導していたものの、それでは子どもたちの成長を継続的に見守るには限界があると考え、福岡に活動拠点を移した経緯も紹介されています。
現役時代のように自ら試合に出場する立場から、選手の成長を長期的に支える立場へ。現在の本田さんにとって、育成はセカンドキャリアの中心的なテーマになっています。
2026年現在の活動を整理| 活動分野 | 内容 | 確認できる情報 |
|---|---|---|
| サッカー指導 | 小学生から高校生までの育成年代を指導 | 鹿島アントラーズ公式プロフィール |
| クラブ運営 | NPO法人FOOT FIELD JAPANのクラブで監督を務める | IKU株式会社の所属紹介 |
| サッカー普及 | 競技の魅力や経験を次世代に伝える活動 | JFA関連の活動歴 |
| 講演・発信 | 現役時代の経験やチームづくりについて発信 | 過去の講演・メディア出演実績 |
なお、2026年の活動について、すべてのイベント日程や指導スケジュールが公開されているわけではありません。現在の所属先の紹介と鹿島アントラーズの公式プロフィールから確認できる中心的な活動は、育成年代のサッカー指導です。
【経歴・年表】帝京高校から本田技研、そして鹿島アントラーズへ
本田泰人さんは1969年6月25日、福岡県北九州市に生まれました。高校サッカーの名門・帝京高校で競技に取り組み、卒業後は本田技研工業のサッカー部へ進みます。
当時の本田技研は、現在のJリーグクラブとは異なる企業スポーツを基盤としたチームでした。本田さんはそこで実績を積み、1992年に鹿島アントラーズへ移籍します。
鹿島への加入は、その後のキャリアを決定づける大きな転機となりました。
本田泰人のプロフィールと主な経歴| 時期 | 出来事 | 主な実績・内容 |
|---|---|---|
| 1969年6月25日 | 誕生 | 福岡県北九州市出身 |
| 1985~1987年ごろ | 帝京高校 | 高校サッカーの名門で競技に取り組む |
| 1988年 | 本田技研に加入 | 現Honda FCにつながるチームでプレー |
| 1992年 | 鹿島アントラーズへ移籍 | ボランチとしてチームを支える |
| 1993年 | Jリーグベストイレブン | 開幕初年度から高い評価を獲得 |
| 1995年 | 日本代表デビュー | 国際Aマッチに出場 |
| 2000年 | 鹿島が国内三冠を達成 | Jリーグ、天皇杯、Jリーグカップを制覇 |
| 2006年 | 現役引退 | 鹿島アントラーズで選手生活を終える |
| 2007年 | Jリーグ功労選手賞 | 長年の競技への貢献が評価される |
| 2010年代以降 | 育成・クラブ運営 | 北九州でのサッカー指導やクラブ運営、町田での強化・スカウト活動など |
| 2026年 | 育成年代の指導 | 北九州市を拠点とした次世代選手の育成 |
この経歴の特徴は、Jリーグ開幕前の企業チームで経験を積んでから、プロリーグの創設期に鹿島へ移籍していることです。
Jリーグが始まった1993年は、日本サッカーが大きく変わった時期でした。本田さんはその黎明期から鹿島の一員としてプレーし、クラブの成長とともに自身のキャリアを築いていきました。
選手としての在籍期間は1992年から2006年まで。Jリーグ開幕後の鹿島を代表する選手の一人として、15年にわたりチームを支えました。
【現役時代の実績】鹿島の主将として築いた「Mr.アントラーズ」の評価
本田泰人さんのサッカー選手としての価値を理解するうえで欠かせないのが、鹿島アントラーズでの役割です。
ポジションはボランチ。守備的MFとして相手の攻撃を止め、味方の攻撃につなげる役割を担いました。得点を量産するフォワードとは異なり、チーム全体のバランスを整えることが求められるポジションです。
J1通算328試合4得点という記録FC町田ゼルビアが2013年に公表した公式プロフィールでは、本田さんのJ1通算成績は328試合出場4得点と記載されています。JリーグデータサイトでもJ1通算328試合という出場記録を確認できます。
328試合という数字は、単に長期間所属したというだけではありません。試合ごとに異なる戦術やチーム事情に対応しながら、長くJ1の舞台に立ち続けたことを示しています。
また、鹿島では長年キャプテンを務めました。『Number』の2021年のインタビュー記事では、11年間キャプテンを務めた経歴が紹介されています。
チームの中心選手としてプレーするだけでなく、選手間の意思疎通や試合中の意思決定を支える役割も担っていたことがうかがえます。
1993年のJリーグベストイレブン本田さんの個人タイトルとして特に重要なのが、1993年のJリーグベストイレブンです。
Jリーグ開幕初年度に選出されたことは、鹿島の選手としてだけでなく、リーグ全体から実力を認められていたことを示す実績です。
加えて、現役引退後の2007年にはJリーグ功労選手賞を受賞しています。選手時代の成績だけでなく、日本サッカーへの貢献も評価された表彰です。
鹿島アントラーズの黄金期と2000年の三冠鹿島アントラーズは2000年、Jリーグ、天皇杯、ヤマザキナビスコカップの国内主要タイトルをすべて獲得し、史上初の国内三冠を達成しました。
日本サッカー協会の「こころのプロジェクト」に掲載された本田さんのプロフィールでも、この2000年の三冠達成が主な実績として紹介されています。
本田さんは、その黄金期を支えたボランチの一人です。守備の安定と中盤の統率は、複数の大会を並行して戦うチームにとって欠かせない要素でした。
「Mr.アントラーズ」という愛称は、こうした長年の貢献やクラブとの結びつきを象徴しています。単なる在籍年数だけではなく、主将としてクラブの文化を支えた存在だったことが、この呼び名の背景にあります。
日本代表としての経歴と出場記録本田さんは1995年に日本代表として国際Aマッチデビューを果たしました。講演者プロフィールなどでは、1997年のワールドカップ・アジア最終予選への出場歴も紹介されています。
ただし、日本代表の通算出場数には掲載資料による違いがあります。日本サッカー協会の「夢先生」プロフィールでは31試合1得点、一方、FC町田ゼルビアの公式プロフィールでは29試合1得点とされています。
いずれの資料でも1得点という記録は共通していますが、試合数は異なります。日本代表歴を調べる際には、参照するプロフィールの集計値を確認することが大切です。
【引退後の活動】解説者・クラブ運営を経てサッカー指導者へ
本田泰人さんは2006年シーズン終了後に現役を引退しました。しかし、サッカー界から完全に離れたわけではありません。
引退後は鹿島アントラーズのアドバイザーを務めたほか、サッカー解説、テレビ出演、フットサル施設や飲食事業など、複数の分野に活動を広げてきました。
鹿島アントラーズのアドバイザーを経験現役引退後、最初に取り組んだ重要な仕事の一つが、古巣・鹿島アントラーズのアドバイザーです。
『Number』の2021年のインタビューによると、引退後は約2年間、鹿島のアドバイザーを務めました。その後もクラブ運営やサッカーに関連する事業に取り組んでいます。
同記事では、アドバイザー契約終了後は鹿島との距離が生まれたことにも触れられています。したがって、現役引退後ずっと鹿島の現職スタッフとして在籍しているという理解は正確ではありません。
2013年にはFC町田ゼルビアの強化・スカウト担当に就任2013年2月、FC町田ゼルビアは本田さんの強化・スカウト担当への就任を公式発表しました。
クラブの発表では、選手時代に培った経験や人脈を生かし、新戦力の発掘やチーム強化に携わることが期待されていました。
同年12月にはシーズン終了に伴う退任が発表されています。選手としてピッチに立つ仕事から、クラブの編成や人材発掘に関わる仕事へと役割を変えた経験でした。
飲食事業やメディア活動にも挑戦2018年の『サッカーキング』のインタビューでは、本田さんはステーキハウス「US6」の経営者として紹介されています。
本人はセカンドキャリアを考えるなかで、サッカー関連の仕事を続けることを第一に考えながらも、新しい事業にも挑戦した経緯を語っています。
現役時代には想像しにくい飲食業への挑戦も、引退後のキャリアを模索する一環でした。フットサル施設の運営なども経験し、スポーツとビジネスの両面で活動してきました。
現在は選手を育てる側へ引退後のさまざまな経験を経て、本田さんが力を注いでいるのが育成年代の指導です。
2021年の『Number』の記事では、北九州で運営するFUT6を中心に活動し、子どもたちの成長を身近で見守ることに手応えを感じている様子が紹介されました。
鹿島の黄金期を経験した元主将が、今度は若い選手に競技の厳しさやチームプレーの大切さを伝える。その経験の継承こそ、現在の活動を理解するうえで要点です。
【妻・結婚歴】高岡由美子との結婚から3度目の結婚まで
本田泰人さんについては、サッカー選手としての経歴だけでなく、結婚や離婚の話題もたびたび報道されてきました。
公表された報道を整理すると、本田さんには3度の結婚歴と2度の離婚歴があります。特に最初の結婚相手であるタレントの高岡由美子さんとの関係は、テレビ番組への夫婦出演などを通じて広く知られるようになりました。
1度目の結婚相手はタレントの高岡由美子本田さんは2000年11月、タレント・モデルとして活動していた高岡由美子さんと結婚しました。高岡さんは女優の高岡早紀さんの妹としても知られています。
2人の間には長女が誕生しました。夫婦でバラエティー番組に出演する機会もあり、番組では夫婦のやり取りが話題になることもありました。
しかし、2009年11月5日に離婚届を提出。約9年間の結婚生活に終止符を打ちました。
離婚をめぐっては、その後の2013年に本田さんがテレビ番組で過去の結婚生活について発言し、高岡さんが自身のブログで異なる見解を示す出来事も報じられています。双方の発信には食い違う部分があり、離婚の原因を一方の発言だけで説明することはできません。
2度目の結婚と2013年の離婚最初の離婚から約2年後の2011年、本田さんは別の一般女性と再婚しました。
ところが、2012年6月に出演した日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』では、夫婦げんかが絶えず、離婚を考えていることを明かしています。
そして2013年8月6日、同番組への出演時に2度目の離婚が成立したことを発表しました。報道によると、離婚は同年5月に成立していたとされています。
離婚の具体的な原因については、本人が弁護士から口外を控えるよう言われていると説明し、詳細を明かしませんでした。
2016年に16歳年下の一般女性と3度目の結婚2016年7月24日、日本テレビ系『行列のできる法律相談所』への出演で、本田さんは3度目の結婚を発表しました。
相手は16歳年下の一般女性で、報道では明子さんと紹介されています。2人は同じ北九州出身で、友人の紹介をきっかけに知り合い、約3年間の交際を経て結婚したと報じられました。
結婚したのは2016年6月で、番組では妻も出演し、2人の出会いや結婚に至った経緯が紹介されました。
2026年現在、この3度目の結婚後に離婚したという確かな公表報道は確認できません。したがって、過去の離婚歴と現在の婚姻状況は分けて理解する必要があります。妻の現在の詳しいプロフィールや夫婦生活についても、公表されている情報は限られています。
本田泰人の結婚歴を時系列で整理| 時期 | 結婚・離婚の内容 | 公表された情報 |
|---|---|---|
| 2000年11月 | 1度目の結婚 | 高岡由美子さんと結婚 |
| 2009年11月 | 1度目の離婚 | 約9年間の結婚生活に終止符 |
| 2011年 | 2度目の結婚 | 一般女性と再婚 |
| 2013年5月 | 2度目の離婚 | 同年8月にテレビ番組で公表 |
| 2016年6月 | 3度目の結婚 | 16歳年下の一般女性・明子さんと結婚 |
| 2026年11月 | 現在の状況 | その後の婚姻状況に関する新たな公表情報は限定的 |
結婚歴を確認する際に注意したいのは、2014年に交際相手がいることをテレビ番組で明かした報道と、2016年の結婚発表を混同しないことです。2016年の報道で、3度目の結婚が正式に紹介されています。
【プロの結論】本田泰人が「Mr.アントラーズ」と呼ばれる本当の理由
本田泰人さんのキャリアを振り返ると、数字だけでは説明しきれない特徴が浮かび上がります。
J1通算328試合4得点という記録は、攻撃的な選手のように得点数で評価するタイプではなかったことを示しています。本田さんの主な役割は、守備的MFとして相手の攻撃を遮断し、チームのバランスを保つことでした。
特に鹿島で長年キャプテンを務めたことは、選手としての評価を考えるうえで重要です。ピッチ上での技術だけでなく、チームの意思統一や競争意識を支える存在だったからこそ、長くクラブの象徴として認識されてきました。
誤解しやすい3つのポイント1. 鹿島だけでプロキャリアを始めたわけではない
本田さんは1988年に本田技研へ加入し、1992年に鹿島アントラーズへ移籍しています。鹿島一筋という表現は、鹿島での長い在籍期間を指すものであり、選手生活のすべてが鹿島だったという意味ではありません。
2. 日本代表の出場数は資料によって異なる
JFAのプロフィールには31試合1得点、FC町田ゼルビアの公式プロフィールには29試合1得点と記載されています。数字を一つだけ取り上げる場合には、どの資料を基準にしたのかを確認する必要があります。
3. 現在も鹿島の現役スタッフというわけではない
本田さんは引退後に鹿島のアドバイザーを務めましたが、その契約は終了しています。2026年現在の所属先や鹿島の公式プロフィールで紹介されている主な活動は、育成年代の指導です。
現役時代から現在までを貫くリーダーシップ本田さんのキャリアで注目したいのは、選手としての成功をそのまま引退後の肩書に置き換えるのではなく、経験を生かして新しい役割を見つけてきた点です。
現役時代は自分がプレーすることでチームに貢献し、引退後はクラブの強化や事業運営を経験。現在は育成年代の選手たちに向き合っています。
特にボランチというポジションは、試合全体を見渡しながら周囲を生かす力が大切です。そこで培った視野や判断力、チーム全体を考える姿勢は、指導者としての経験にもつながる要素です。
「Mr.アントラーズ」という愛称は、過去の栄光だけを示すものではありません。長年クラブを支えた選手が、今度は次世代の選手にサッカーの経験を伝えていることまで含めて、そのキャリアを捉えると理解しやすくなります。
【本田泰人に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:本田泰人は2026年現在、何をしていますか?
A1:北九州市を拠点にサッカー指導者として活動しています。所属先の紹介では、NPO法人FOOT FIELD JAPANのサッカークラブを設立し、監督として育成年代の選手を指導しているとされています。
Q2:本田泰人の現役時代の成績はどれくらいですか?
A2:鹿島アントラーズでのJ1通算成績は328試合4得点です。1993年のJリーグベストイレブン、2007年のJリーグ功労選手賞を受賞しています。
Q3:本田泰人の妻は高岡由美子ですか?
A3:高岡由美子さんは最初の結婚相手です。2000年に結婚し、2009年11月に離婚しました。その後、2011年に再婚して2013年に離婚し、2016年6月には16歳年下の一般女性・明子さんとの3度目の結婚を発表しています。
Q4:本田泰人は日本代表として何試合出場しましたか?
A4:1995年に日本代表デビューを果たし、通算1得点を記録しています。出場数はJFAのプロフィールでは31試合、FC町田ゼルビアの公式プロフィールでは29試合と記載に違いがあります。
Q5:本田泰人がMr.アントラーズと呼ばれる理由は何ですか?
A5:1992年から2006年まで鹿島アントラーズに在籍し、ボランチやキャプテンとして長年チームを支えたためです。クラブの黄金期を築いた中心選手の一人として、ファンから親しまれてきました。
本田泰人さんは、帝京高校、本田技研を経て鹿島アントラーズに加入し、Jリーグ開幕期からクラブの黄金期を支えた元日本代表MFです。
J1通算328試合4得点、1993年のJリーグベストイレブン、2007年のJリーグ功労選手賞など、選手としての実績は明確です。長年キャプテンを務め、「Mr.アントラーズ」と呼ばれたことも、その存在感を物語っています。
引退後は鹿島のアドバイザー、FC町田ゼルビアの強化・スカウト担当、飲食事業などを経験し、現在は北九州市を拠点としたサッカー指導に力を注いでいます。
私生活では高岡由美子さんとの結婚・離婚を含む3度の結婚歴があり、2016年には3度目の結婚を公表しました。ただし、現在の婚姻状況については新たな公表情報が限られています。
2026年の本田泰人さんを理解するうえで大切なのは、現役時代の栄光だけでなく、引退後もサッカーに関わり続けている点です。鹿島で培った経験を次世代の選手に伝え、北九州から新たな才能を育てる。その取り組みは、選手として築いたキャリアの新しい形といえます。
今後は育成年代からどのような選手が育っていくのか。本田さんが掲げる日本代表選手の輩出という目標にも注目が集まります。
編集上の重要な補足: 日本代表出場数については、JFA掲載資料の31試合とFC町田ゼルビア公式プロフィールの29試合を区別して記載しています。また、2026年の現況は所属先と鹿島アントラーズの掲載情報を基準にしています。