大相撲史上、規格外の巨体で知られた力士が大露羅(おおろら)敏です。身長191センチ、体重292.6キロという驚異的な体格を誇り、2018年には元大関・小錦の記録を上回る歴代最重量級の記録を残しました。一方、最高位は幕下43枚目。体重の大きさと番付上の実績が必ずしも一致しなかったことも、彼の相撲人生を語るうえで欠かせない特徴です。
2018年9月に引退した大露羅は、その後、故郷のロシア・ブリヤート共和国に戻り、約100キロの減量にも成功しました。2026年現在はどこで何をしているのでしょうか。日本相撲協会の公式プロフィール、現役時代の報道、ロシアの地元メディアによる近年の取材をもとに、本名や経歴、引退理由、引退後の生活まで詳しく整理します。
【大露羅はどんな力士だった?本名・身長・体重など公式プロフィールを紹介】

大露羅は、ロシア連邦ブリヤート共和国出身の元大相撲力士です。日本相撲協会の公式プロフィールには、四股名を「大露羅 敏(おおろら さとし)」、本名を「ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェ」と記載しています。
日本での力士生活は約18年半。10代で来日し、35歳で引退するまで日本の相撲界で活動しました。日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている基本情報は次のとおりです。
- 四股名:大露羅 敏(おおろら さとし)
- 本名:ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェ
- 生年月日:1983年4月26日
- 出身地:ロシア・ブリヤート
- 身長:191.0センチ
- 体重:292.6キロ
- 所属部屋:山響部屋
- 得意技:左四つ・寄り
- 初土俵:2000年3月場所
- 最高位:幕下43枚目
- 引退場所:2018年9月場所
大露羅の本名はアナトーリ・ミハハノフ。ロシアのブリヤート共和国にあるザイグラエヴォ出身です。ブリヤートはモンゴルに近い地域で、独自の文化や伝統を持っています。
本人が2025年12月に地元紙「アギンスカヤ・プラウダ」のインタビューで語ったところによると、16歳のときに日本語学校で学ぶためサンクトペテルブルクへ移り、その後、日本の相撲界に進みました。
日本での四股名「大露羅」は、ロシアのイメージを感じさせる名前です。ロシアの現地インタビューでは、オーロラや北の光を意味する名前として紹介されています。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、出身地はロシア・ブリヤートと記載されています。日本人力士とは異なる文化的背景を持ちながら、日本の相撲部屋で長い年月を過ごした人物でした。
191センチ・292.6キロという規格外の体格大露羅を有名にした最大の特徴は、何といってもその体格です。
身長191センチに対して体重292.6キロ。一般的な成人男性の体重と比べても、想像を超える数字です。しかも、この数値は単なるプロフィール上の推定ではありません。2018年8月27日に両国国技館で行われた大相撲の健康診断で実際に計測された記録です。
日刊スポーツの2018年8月27日付報道によれば、大露羅は自身が持っていた歴代最重量記録をさらに4.6キロ更新しました。
入門当初の体重は約193キロ。そこから現役生活のなかで約100キロ増加し、最終的に292.6キロという数字に到達しました。
この体格は、彼の存在を一目で認識させる強烈な個性であり、現役時代の大相撲を象徴する記録の一つとなっています。
【大露羅と小錦の体重比較!大相撲歴代最重量力士ランキング】
大露羅の体重を語る際、必ず比較対象になるのが元大関・小錦です。小錦も大相撲史に残る巨漢力士として知られ、長年にわたって重量記録の象徴的な存在でした。
大露羅は2017年8月の健康診断で288キロを記録。それまで小錦の285キロと報じられていた記録を上回り、歴代最重量力士として注目されました。
そして2018年8月には292.6キロまで記録を伸ばします。小錦の記録を超えた後も、さらに体重を更新していたのです。
大露羅・小錦・山本山の体重を比較日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された数値を基準に、代表的な重量力士を比較します。
- 1位相当・大露羅:292.6キロ、身長191センチ、最高位は幕下43枚目。
- 比較対象・小錦:275.0キロ、身長184センチ、最高位は大関。
- 比較対象・山本山:266.0キロ、身長189センチ、最高位は前頭9枚目。
公式プロフィールの掲載体重で比較すると、大露羅は小錦より17.6キロ重く、山本山より26.6キロ重い計算です。
なお、小錦については公式プロフィールの275キロと、過去の健康診断の最高記録として報道された285キロという異なる数字があります。プロフィール掲載値と過去の最高計測値は、区別して見る必要があります。
体重だけなら小錦を上回るが、番付は大きく異なる興味深いのは、体重と番付の関係です。
小錦は大関まで昇進し、幕内優勝を3回達成しました。山本山も幕内で相撲を取った経験があります。それに対して大露羅の最高位は幕下43枚目でした。
つまり、体重ランキングと力士としての番付ランキングは別物です。大露羅は体格の記録で歴史に名を残しましたが、番付上では関取に到達していません。
この違いを理解すると、彼がどのような力士だったのかが、より立体的に見えてきます。
【北の湖部屋から山響部屋へ!大露羅の経歴と力士時代】
大露羅の相撲人生を語るうえで欠かせない人物が、元横綱・北の湖親方です。
大露羅は北の湖親方に見いだされ、北の湖部屋に入門しました。初土俵は2000年3月場所。日本相撲協会の公式記録では、当時16歳で土俵に上がっています。
その後、師匠の北の湖親方が2015年11月に亡くなり、所属部屋は山響部屋となりました。大露羅は北の湖親方の付き人を長く務め、師匠との深い関係でも知られていました。
大露羅と関係者・所属部屋の関係一覧| 人物・組織 | 大露羅との関係 | 確認できる経緯・役割 |
|---|---|---|
| 北の湖親方 | 師匠・入門のきっかけ | 大露羅を見いだして北の湖部屋に迎え入れた。長年、付き人として師匠を支えた。 |
| 山響部屋 | 引退時の所属部屋 | 北の湖部屋から続く系譜の部屋。大露羅は山響部屋所属として現役を終えた。 |
| 小錦 | 体重記録の比較対象 | 従来の重量記録を持っていた元大関。大露羅が2017年にその記録を更新した。 |
| 山本山 | 重量級力士の比較対象 | 身長189センチ、公式プロフィール体重266キロの元幕内力士。 |
| アナトーリ・ミハハノフ | 大露羅本人 | ロシア・ブリヤート共和国出身。日本では大露羅敏の四股名で活動した。 |
大露羅の最高位は幕下43枚目です。2011年11月場所に東幕下43枚目まで昇進しました。
大相撲には序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内という番付の階層があります。幕下の上に十両があり、十両以上の力士が関取と呼ばれます。
大露羅は幕下まで昇進したものの、十両への昇進は果たせませんでした。292.6キロという体重の記録と、最高位幕下43枚目という経歴が並ぶ点は、彼の相撲人生を特徴づけています。
大相撲.jpの戦歴データによると、生涯成績は376勝382敗12休、111場所。勝ち星だけでなく、長期間にわたって土俵に上がり続けたことも注目すべき実績です。
得意技は左四つと寄り。単に体重を相手に預けるだけではなく、組んで相手を土俵際まで運ぶ相撲を得意としていました。
【大露羅の引退理由は?北の湖親方との約束と35歳での決断】
大露羅が現役引退を表明したのは、2018年9月21日です。秋場所13日目、両国国技館で引退を発表しました。当時35歳でした。
デイリースポーツの報道によれば、引退を決めた背景には、長年師匠として慕った北の湖親方との約束がありました。
北の湖親方の定年まで頑張るという約束大露羅は北の湖親方を単なる師匠ではなく、父親のように慕っていました。
来日して間もない時期に祖国の父を亡くした際、大露羅は北の湖親方に「オヤジ」と呼んでもよいか尋ねたといいます。親方から了承を得て以来、親しみを込めてそう呼んでいました。
デイリースポーツの2018年9月21日付記事では、北の湖親方が存命なら65歳の定年を迎える時期まで現役を続けると約束していたことが紹介されています。
「北の湖部屋に入れたのは一番良かった。一番感謝している」
これは引退を表明した際に大露羅が語った言葉です。師匠への感謝が、彼の力士人生を振り返る際の大きなテーマになっていました。
年齢とプロスポーツの負担も引退の背景に引退理由は師匠との約束だけではありません。
2020年7月にスポーツ・エクスプレスが掲載した本人インタビューでは、大露羅自身がプロスポーツの厳しさや相撲部屋の厳格な上下関係、早朝からの稽古が年齢とともに負担になっていたことを説明しています。
本人は、35歳で現役生活を終えたことについて、競技生活に区切りをつけ、新しい人生を始める判断だったと振り返っています。
また、2018年秋場所では6連敗の後、最後の七番相撲で三段目の樹龍を寄り切って勝利しました。最後の取組を白星で終え、花束を受け取り、仲間たちから祝福されて土俵を去っています。
体重292.6キロという記録を残した直後の引退でしたが、単純に体重が理由で引退したわけではありません。年齢、競技生活の負担、師匠との約束などが重なった決断だったのです。
【大露羅の引退後の生活と減量!190キロまで痩せた理由】
2018年9月の引退後、大露羅は日本を離れ、故郷のブリヤート共和国に戻りました。日本で約19年間過ごした後、新しい人生を母国でスタートさせたのです。
引退後に大きな話題となったのが、約100キロに及ぶ減量でした。
292.6キロから188〜190キロへ。100キロ以上の減量に成功現役時代の大露羅にとって、体重は相撲を取るための大きな要素でした。しかし、引退後はその体格を維持する必要がなくなりました。
本人はスポーツ・エクスプレスの2020年7月のインタビューで、体重を188キロまで落としたと説明しています。現役時代の292.6キロと比較すると、約104.6キロの減量です。
また、2020年には本人のSNSで190キロになったとする報告も伝えられました。検索されることの多い「大露羅の引退後の体重190キロ」という情報は、この時期の本人発信やインタビューに基づくものです。
減量に取り組んだ方法について、本人は次のように説明しています。
- 食事の見直し:一度に大量に食べる習慣を改め、少量を複数回に分けて食べる。
- ウォーキング:日常的に歩く時間を増やし、有酸素運動を取り入れる。
- 軽い運動:ストレッチや身体への負担を抑えたトレーニングを行う。
- 生活習慣の改善:食事の量や内容を意識し、継続的に身体を動かす。
2022年のブリヤートの地元メディア「ブリャート・ウネン」のインタビューでは、1日18〜20キロ歩くことや、朝の体操、冷水を浴びる習慣についても語っています。
ただし、これらは本人が当時の生活について話した内容です。現在の減量方法や体重を示す最新の医学的データではありません。
2026年現在は何をしている?ブリヤートでの新しい生活2026年11月時点で確認できる大露羅の近況は、現役時代とは大きく異なります。
引退後は故郷のブリヤートを生活の拠点とし、事業や知的能力を鍛えるトレーナーなど、さまざまな仕事を経験してきました。
2025年10月の地元紙「Номер один」のインタビューでは、ネットワークビジネスや個人事業などに取り組んだ経験を紹介。知的能力を鍛えるトレーナーとして活動した時期もあり、イベントの司会という新しい仕事にも挑戦していると語っています。
加えて、2024年にはイリーナさんと結婚したことが地元メディアで報じられました。2025年のインタビューでは、妻と一緒に運動や散歩を楽しむ生活についても紹介されています。
2025年8月には、ウラン・ウデの共和国救急病院の患者評議会議長に就任したことも報道されました。地域社会に関わる活動にも参加していることが分かります。
2026年の最新報道で分かった活動2026年に入ってからも、ブリヤートでの活動が複数報じられています。
- 2026年2月:地元メディア「МКウラン・ウデ」が、Telegramでブログを始めたことを紹介。ブリヤート各地を訪問し、地域の自然や文化について発信している。
- 2026年2月:ブリヤートの格闘家タガル・ナムサラエフに相撲の基本を教える合同練習を実施。相撲とMMAの技術交流が行われた。
- 2026年3月:氷の張った水場で冷水を浴びる様子をブログに投稿。地元メディアがその習慣を取り上げた。
- 2026年4月:43歳の誕生日を迎え、ブログで祝福への感謝を発信。地元メディアは地域社会での活動も紹介した。
- 2026年8月:ウラン・ウデで開催された国際イベントに関連し、来訪者にブリヤート料理ブーザの食べ方を紹介する場面が報じられた。
こうした報道からは、引退後も地域の人々との交流を大切にし、相撲で培った知名度や経験を生かして活動している姿が見えてきます。
現在の体重は190キロなのか、それとも300キロなのかここは検索情報を読む際に注意したい部分です。
190キロ前後という数字は、2020年に本人が公表・説明した体重です。2026年現在の体重として、そのまま使用することはできません。
一方、2026年3月の地元メディアの記事には「300キロ」という表現も登場します。しかし、同記事が説明しているのは2018年の最高体重約293キロであり、2026年に新たに計量したという記録ではありません。
2025年から2026年にかけての近況報道では、活動や生活の様子は紹介されていますが、本人による新しい公式体重の発表は確認できません。
したがって、2026年現在の体重を190キロ、215キロ、300キロなどと断定することはできません。確実に区別できるのは、現役時代の最高体重292.6キロと、2020年に本人が報告した188〜190キロという数字です。
【大露羅の相撲は強かった?最重量記録と番付の意外な関係】
大露羅について調べると、「歴代最重量なのに、なぜ最高位が幕下43枚目なのか」という疑問を持つ人も少なくありません。
この疑問を解く鍵は、相撲が単純な体重勝負ではないという点にあります。
体重が重いだけでは勝てない大相撲の難しさ相撲では、体重だけでなく、立ち合いの鋭さ、足腰の強さ、重心の安定、相手の動きに対応する技術が必要です。
特に大露羅ほどの巨体になると、自分の身体を素早く動かすこと自体が大きな課題になります。相手が小柄でも、低い姿勢から素早く動かれれば、体重差だけでは優位を維持できません。
本人も2020年のインタビューで、小柄な相手との取組は難しかったと振り返っています。身体が大きいことによる強みがある一方、相手の動きに対応する難しさも感じていたようです。
また、本人は取組で相手に大きな負担をかけてしまうことへの責任感についても語っています。体格が大きいからこそ、力の使い方や相手への配慮も求められていたのです。
大露羅が残した本当の功績大露羅の功績は、幕内優勝や三賞といった一般的な競技実績だけでは測れません。
日本相撲協会の公式プロフィールに残る292.6キロという数字は、彼の名前とともに相撲史に記録されています。また、ロシア出身の力士として日本の伝統的な相撲部屋に入り、約19年間にわたって土俵に立ち続けた経歴も特徴的です。
加えて、北の湖親方との関係を大切にし、師匠との約束を意識しながら現役生活を終えたというエピソードは、彼の人柄を伝える重要な要素です。
【プロの結論】体重記録と競技成績を分けて評価する大露羅を評価する際には、次の3点を分けて考える必要があります。
- 身体的な記録:292.6キロという歴代最重量級の記録。
- 競技上の実績:最高位幕下43枚目、生涯376勝という実際の戦歴。
- 人物としての歩み:北の湖親方との関係、約19年間の日本での生活、引退後の減量と故郷での再出発。
この3つを一緒に見ることで、大露羅は単なる「体重が重かった力士」ではなく、相撲界で独自の存在感を残した人物として理解できます。
体重の記録は彼の象徴ですが、それだけが大露羅の価値ではありません。異国で長く相撲を続け、引退後も新しい仕事や地域活動に取り組んでいることこそ、もう一つの重要な側面です。
【大露羅に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:大露羅の本名は何ですか?
A1:ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェです。ロシアのブリヤート共和国出身で、日本では大露羅敏(おおろら・さとし)という四股名で活動しました。
Q2:大露羅の最高体重と最高位は?
A2:最高体重は292.6キロ、最高位は幕下43枚目です。2018年8月の健康診断で292.6キロを記録しました。最高位は2011年11月場所の東幕下43枚目です。
Q3:大露羅はなぜ引退したのですか?
A3:2018年9月、35歳で引退しました。北の湖親方との約束を果たしたことに加え、プロスポーツの負担や年齢による生活の変化も背景にありました。最後の取組は勝利で締めくくっています。
Q4:大露羅は引退後に何キロまで痩せましたか?
A4:2020年の本人インタビューでは188キロと説明されています。別の本人発信では約190キロという数字も報じられ、現役時代から100キロ以上の減量に成功しました。
Q5:大露羅は2026年現在どこで何をしていますか?
A5:ロシアのブリヤート共和国を拠点に生活しています。イベントの司会や地域活動、ブログでの情報発信などに取り組んでいる様子が2026年の地元メディアで報じられています。現在の正確な体重は公表されていません。
大露羅敏は、身長191センチ、体重292.6キロという規格外の体格で知られた元大相撲力士です。2000年3月場所に初土俵を踏み、北の湖部屋から山響部屋へと所属を移しながら、約19年間にわたって日本で相撲を取り続けました。
最高位は幕下43枚目。番付では大関や幕内に届かなかったものの、2018年8月に計測した292.6キロは、彼を相撲史に残す大きな記録となりました。
引退の背景には、師匠・北の湖親方との約束や、35歳という年齢、プロスポーツの厳しさがありました。その後は故郷のブリヤート共和国へ戻り、約100キロの減量を達成。2026年には地域活動やイベント出演、ブログなどを通じて新しい人生を歩んでいます。
2026年現在の体重については、過去の190キロという数字や現役時代の292.6キロを、そのまま現在の数値として扱わないことが大切です。
大露羅の歩みを振り返ると、相撲の記録だけでなく、師匠との絆、異国での長い競技生活、引退後の挑戦という複数の側面が浮かび上がります。292.6キロという数字は、彼の人生の一つの到達点であり、その後も続く人生のすべてを表すものではありません。
主な根拠資料・照合先