出典:山本由伸本人のインタビュー、備前市公式年表
山本由伸の高校進学について、特に興味深いのは、本人が高校を選んだ経緯を具体的に語っていることです。
2022年に公開された漫画『ダイヤのA actⅡ』の連載300回記念インタビューで、山本選手は岡山県を離れて宮崎県の都城高校へ進んだ理由を明かしています。
そのきっかけは、中学時代に所属していた野球チームの1学年上の先輩でした。その先輩が都城高校へ進学し、山本選手自身も先輩に憧れていたところ、都城高校から声をかけられたと説明しています。
さらに注目したいのは、当時の山本選手が投手として誘われたわけではなかったという点です。中学時代の主なポジションは内野手で、守備を評価されて高校から誘われたと本人が振り返っています。
つまり、現在の世界的な投手としてのキャリアは、最初から投手一本で進んできたものではありませんでした。内野手としての評価をきっかけに高校へ進学し、その後、投手としての才能を開花させたという経緯があります。
高校1年生では三塁手としてプレー山本選手は都城高校入学当初、すぐにエースとして活躍していたわけではありません。
日本野球機構(NPB)が掲載した高校時代の転機に関する記事によると、入学時の球速は120km/h台前半。監督はキャッチボールを見て投手として育てたいと考えたものの、すぐに公式戦で投手を任せられる段階ではありませんでした。
そこで、まずは野手として起用され、1年生の夏の大会後に投手へ専念することになります。
2025年のオールスター前日会見でも、山本選手は高校1年生のときに三塁を守っていたことや、夏の大会後に投手になるよう告げられた当時の心境を振り返っています。
本人にとって、投手への転向は決して最初から予定されていたものではありませんでした。高校入学後の環境と指導者の判断が、その後の野球人生を大きく変えたのです。
【高校時代の実績】151km/hとノーヒットノーランで評価急上昇

出典:NPB、日本経済新聞社系スポーツ報道、日刊スポーツなど
投手に専念した山本選手は、短期間で急成長を遂げました。
特に注目されたのが、高校2年生の時期です。球速は150km/hを超え、県内の強豪校を相手に圧倒的な投球を披露。地方大会での実績がプロのスカウトの目に留まるようになりました。
2015年の新人大会でノーヒットノーラン2015年9月、山本選手は第63回宮崎県高等学校新人野球大会の決勝で鵬翔高校と対戦しました。
この試合で達成したのが、ノーヒットノーランです。相手打線に安打を許さず、チームを優勝へ導きました。
備前市の公式年表にも、この優勝とノーヒットノーランの記録が掲載されています。
加えて、同年秋の宮崎県大会では宮崎海洋高校を相手に、5回参考記録ながら完全試合を達成。安打だけでなく走者も許さない投球を見せました。
この時期には最速151km/hを記録しており、単なる将来有望な高校生ではなく、プロ入りを具体的に検討される存在になっていました。
3年生の夏には12球団20人のスカウトが視察2016年7月16日、宮崎大会2回戦で都城高校は延岡学園と対戦しました。
山本選手はこの試合で11奪三振の力投を披露。最速149km/hの直球と高速スプリットを使い分け、都城高校の7対3の勝利に貢献しました。
日刊スポーツの当時の報道によると、この試合にはプロ12球団から約20人のスカウトが集まり、山本選手の投球を視察していました。
ここで重要なのは、甲子園に出場していなくても、プロの評価はすでに高かったという事実です。
高校野球の全国大会に出場することと、プロのスカウトから評価されることは同じではありません。山本選手は地方大会で実力を示し、全国の球団から注目されていました。
ここで、山本由伸選手の高校時代からMLBでの活躍までを時系列で整理します。
高校時代の実績とプロ入り後の成長を並べると、どの時期に投手として飛躍したのかが分かりやすくなります。
出典:備前市公式年表、NPB、日刊スポーツ、MLB公式選手データ。
この年表から見えてくるのは、山本選手が高校時代に完成された投手だったわけではないということです。
内野手から投手へ転向し、2年生で150km/hを超える球速を記録。その後、オリックスで投球技術と身体の使い方を磨き、NPBの頂点からMLBの頂点へと進みました。
【甲子園未出場の真相】最後の夏に何が起きたのか
山本由伸選手の高校時代で、多くの野球ファンが意外に感じるのが、甲子園に一度も出場していないという事実です。
2016年の夏、都城高校は甲子園出場を目指して宮崎大会に臨みました。初戦の延岡学園戦を突破し、チームへの期待は高まっていました。
2016年7月19日、宮崎商業との3回戦都城高校の次の相手は宮崎商業でした。
この試合では、山本選手が序盤から好投。4回まで被安打3、奪三振7、無失点と相手打線を抑えました。
しかし、5回に宮崎商業が2点を先制。相手投手の黒木一選手も好投を続け、都城打線は得点を奪えませんでした。
最終スコアは宮崎商業2対0都城。都城高校は3回戦で敗退し、山本選手の高校最後の夏が終わりました。
最後の打席まで諦めなかった山本由伸女性自身が2025年に掲載した恩師や同級生への取材記事では、山本選手が高校最後の夏を迎える前、監督やチームメートと甲子園を目指していた様子が紹介されています。
記事によると、チームの結束を高めるためのミーティングで、山本選手は監督を甲子園へ連れていきたいという思いを涙ながらに伝えたといいます。
そして宮崎商業との試合では、9回2死の最後の打席で二塁ゴロを放ち、一塁へ頭から飛び込む姿を見せました。
結果はアウト。試合終了のサイレンとともに、都城高校の夏は終わりました。
このエピソードは、現在の冷静で落ち着いたマウンド上の姿からは想像しにくい、高校時代の山本選手の情熱を伝えています。
甲子園に出られなかったことはプロ入りに影響した?甲子園出場経験がないことは、高校時代の全国的な知名度という点では影響した可能性があります。
ただし、ドラフトで4位指名だった理由を甲子園未出場だけに結びつけることはできません。
当時のスカウトは地方大会の投球内容や球速、変化球、将来性などを評価していました。実際、2016年の宮崎大会には12球団約20人のスカウトが集まっています。
したがって、甲子園未出場だから実力が評価されなかったという説明は正確ではありません。
山本選手のケースは、全国大会の実績がなくても、地方大会でのパフォーマンスがプロへの道を開くことを示しています。
【高校時代の発言とネットの反応】炎上や噂の真相を検証
山本由伸選手の高校時代については、甲子園未出場、投手への転向、ドラフト4位という経歴が注目され、さまざまな疑問が検索されています。
一方で、高校時代の不祥事や大規模な炎上騒動が選手としての経歴を左右したという事実は、主要な報道や公的な記録からは確認できません。
ネット上で関心を集める主な論点山本選手の高校時代について、特に関心が集まりやすいテーマは次のとおりです。
- 甲子園に出ていないのに、なぜメジャーリーグのスターになれたのか
- 高校時代から150km/hを超えていたのか
- もともと投手だったのか、それとも野手だったのか
- ドラフト4位という評価は低すぎたのではないか
- 宮崎県まで進学した理由は何だったのか
これらの疑問は、実際の経歴や本人のインタビューを確認すると整理できます。
噂と事実の比較| よくある疑問・噂 | 確認できる事実 |
|---|---|
| 高校時代に甲子園で活躍した | 春夏ともに出場経験なし |
| 高校入学時からエースだった | 入学当初は内野手。1年夏の大会後に投手専念 |
| 高校時代は無名だった | 地方大会でプロ12球団のスカウトが視察 |
| 高校時代にノーヒットノーランを達成した | 2015年の新人大会決勝で達成 |
| 高校時代に大きな炎上騒動があった | 主要報道で確認できる代表的な騒動はない |
| ドラフト4位だから評価が低かった | 4位指名は事実だが、地方大会で高い評価を受けていた |
特に誤解しやすいのが、「甲子園未出場=プロから注目されていなかった」という考え方です。
実際には、山本選手は高校3年生の夏に12球団約20人のスカウトが見守る試合で好投しています。甲子園という舞台に立てなかったことと、プロからの評価は切り離して考える必要があります。
本人が振り返った高校野球の厳しさ2025年7月、山本選手はMLBオールスター前の会見で、高校時代の練習についても語っています。
特に印象的なのは、キャッチボールの後から練習終了までランニングメニューが続くほど、走る練習が多かったという思い出です。
当時は打撃練習が好きだったため、走り続ける練習に不満を感じることもあったそうです。しかし、本人は高校野球で経験した厳しい練習が無駄ではなかったと振り返っています。
加えて、投内連係やフィールディングといった基礎練習が、プロになった現在のプレーにも生きていると説明しました。
この発言は、高校時代の経験を単なる精神論ではなく、技術面の成長につなげて考えている点で興味深いものです。
【プロの結論】都城高校時代が山本由伸の投手人生を変えた理由
山本由伸選手の高校時代を分析するうえで重要なのは、単に球速が速かったことやノーヒットノーランを達成したことだけではありません。
本質的な要点は、内野手から投手へ転向した後、自分の課題を理解し、成長の機会をつかんだことです。
1. 投手としてのスタートが遅かったからこその成長中学時代の主なポジションは内野手で、高校入学時も投手として完成されていたわけではありません。
しかし、投手としての適性を見抜いた指導者の存在と、本人の努力によって実力を伸ばしていきました。
高校2年生で151km/hに到達した成長は、競技経験の早さだけで選手の将来が決まらないことを示しています。
2. プロ入り後に投球フォームを改善した山本選手の成長は高校時代で終わっていません。
2022年のマガポケベースのインタビューでは、プロ1年目に先発登板後の腕の張りや回復の問題を感じ、外部トレーナーに相談して投球フォームを大きく変更した経験を語っています。
フォームの変更は球団側も心配するほど大胆なものだったといいます。
ここから分かるのは、山本選手が従来のやり方に固執せず、身体の使い方そのものを見直してきたことです。
高校時代の厳しい練習で培った基礎に、プロ入り後の科学的な身体操作やフォーム改善が加わったことが、長期的な成長につながったと考えられます。
3. 2026年もMLBで結果を残している2026年11月1日時点で、MLB公式選手データに掲載されている山本選手のレギュラーシーズン成績は次のとおりです。
ロサンゼルス・ドジャース/背番号18
14勝
9敗
2.53
防御率
185.0
投球回
182
奪三振
WHIP
0.87
出典:MLB公式2026年レギュラーシーズン成績。
2025年にはワールドシリーズMVPを獲得。MLB公式の表彰記録にも2025年の受賞が掲載されています。
また、2026年も14勝、防御率2.53、185イニングという成績を残し、ドジャースの先発ローテーションを支えました。
高校時代に甲子園へ出場できなかった選手が、世界最高峰の舞台でワールドシリーズMVPに輝き、翌年も安定した成績を残している。この経歴そのものが、山本選手のキャリアの大きな特徴です。
高校時代の経歴から学べる選手評価のポイント山本選手の歩みから、野球選手の能力を評価する際には、次の3点が重要だと分かります。
第一に、全国大会への出場歴だけで評価しないこと。 地方大会での投球内容や、スカウトの評価も重要な判断材料になります。
第二に、選手の成長過程を見ること。 高校入学時の球速やポジションだけでは、その後の可能性を判断できません。
第三に、プロ入り後の改善力を重視すること。 高校時代に身につけた基礎を土台に、投球フォームや身体の使い方を見直せる選手は、さらに成長する可能性があります。
山本由伸の高校時代は、甲子園出場歴だけでは測れない選手の価値を考えるうえで、非常に分かりやすい実例です。
【山本由伸の高校に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:山本由伸の出身高校はどこですか?
A1:宮崎県の都城高等学校です。岡山県備前市出身で、中学時代の先輩に憧れたことなどが進学のきっかけになりました。
Q2:山本由伸は高校時代に甲子園へ出場しましたか?
A2:春のセンバツ、夏の選手権ともに出場していません。高校3年生の2016年夏、宮崎大会3回戦で宮崎商業に0対2で敗れました。
Q3:山本由伸の高校時代の最速球速は何km/hですか?
A3:最速151km/hです。高校2年生の時期には150km/hを超える投球を披露し、プロのスカウトから注目されました。
Q4:高校時代にノーヒットノーランを達成していますか?
A4:はい。2015年の宮崎県高校新人野球大会決勝、鵬翔高校戦で達成しています。また、同年秋の宮崎県大会では5回参考記録の完全試合も記録しました。
Q5:山本由伸は高校時代から投手だったのですか?
A5:中学時代の主なポジションは内野手でした。高校1年生の夏までは三塁手としてプレーし、その大会後に投手へ専念しました。
Q6:山本由伸は高校卒業後、どの球団に入りましたか?
A6:2016年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから4位指名を受けました。その後、日本球界で実績を重ね、2024年にドジャースでMLBデビューしました。
Q7:2026年現在、山本由伸はどこでプレーしていますか?
A7:ロサンゼルス・ドジャースに所属しています。2026年のレギュラーシーズンは14勝9敗、防御率2.53、182奪三振を記録しています。
山本由伸の出身高校は、宮崎県の都城高等学校です。
岡山県備前市から宮崎県へ進学した山本選手は、高校入学当初から投手として完成されていたわけではありません。内野手としてスタートし、1年生の夏以降に投手へ専念。その後、2年生で151km/hを記録し、ノーヒットノーランや完全試合を達成しました。
高校最後の夏は宮崎商業に0対2で敗れ、甲子園出場の夢は実現しませんでした。しかし、地方大会での投球はプロのスカウトから高く評価され、2016年にはオリックスからドラフト4位で指名されます。
その後の活躍は誰もが知るところです。NPBで3年連続投手四冠と沢村賞を達成し、MLB移籍後は2025年のワールドシリーズMVPを獲得。2026年もドジャースの主力投手として結果を残しています。
山本由伸の高校時代を知ると、甲子園出場の有無だけでは選手の可能性を測れないことがよく分かります。都城高校での経験、投手への転向、悔しい敗戦、そしてプロ入り後の絶え間ない改善。その積み重ねこそが、世界的なエースを生み出した原点だったのです。
今後もMLBでどのような記録を積み重ねていくのか、そして都城高校から続く成長の物語がどこまで続くのか、引き続き注目したいところです。