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上野の西郷隆盛像を徹底解説!1898年建立の理由・作者・ツンとアクセス【2026年最新】

如月 七海 如月 七海 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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東京・上野公園の入口近くに立つ「上野の西郷さん」。犬を連れ、浴衣姿で堂々と立つ西郷隆盛の銅像は、上野を代表する観光スポットであり、待ち合わせ場所としても長年親しまれてきました。しかし、なぜ西郷隆盛の銅像が上野にあるのか、誰が制作したのか、隣にいる犬の名前は何なのかまで知っている人は意外に多くありません。

実は、この銅像が完成したのは1898年(明治31年)12月18日。人物像を中心に制作したのは彫刻家・高村光雲、犬の像を手掛けたのは後藤貞行です。加えて、設置場所には戊辰戦争の上野戦争や彰義隊との歴史的な関係が深く関わっています。2026年の最新観光情報を踏まえ、建立までの経緯、浴衣姿の理由、愛犬ツンの正体、像の高さや上野駅からのアクセスまで詳しく解説します。

【上野西郷隆盛像とは?場所・建立1898年の歴史を解説】

上野西郷隆盛像
上野公園の入口近くに立つ東京の代表的な銅像

上野西郷隆盛像は、東京都台東区上野公園1番地にある西郷隆盛の銅像です。上野恩賜公園の南東側、上野駅や不忍池に近い場所に設置されており、地元では親しみを込めて「上野の西郷さん」と呼ばれています。

像が立っている場所は、上野公園内の山王台広場。周囲には商業施設や公園の散策路があり、駅からのアクセスが良いため、観光客が立ち寄りやすいスポットです。

東京都台東区の公式観光情報によると、この銅像は西郷隆盛の明治維新における功績をたたえるため、旧友らによって1898年に建立されました。

単なる歴史上の人物の記念碑ではなく、明治時代の人々が西郷をどのように評価し、後世に伝えようとしたのかを示す文化的な遺産でもあります。

1898年12月18日に除幕式を実施

西郷隆盛像の建立計画が持ち上がったのは、1890年(明治23年)ごろです。西南戦争で亡くなった西郷の名誉が回復されたことを背景に、彼を慕う人々が銅像建立を計画しました。

1893年(明治26年)ごろから募金運動が進められ、寄付金をもとに制作が進行。最終的に1898年12月18日、上野公園で除幕式が行われました。

この建立計画には鹿児島県出身の樺山資紀らが発起人として関わっています。東京藝術大学の藝大アートプラザが紹介する建立経緯によれば、募金には明治天皇からも金一封が寄せられたとされています。

西郷は1877年の西南戦争で政府軍と戦い、敗れて亡くなりました。当初は朝敵とされた人物が、わずか数十年後には東京の公園に巨大な銅像を建立されるまでに評価を変えたことは、明治日本の政治と社会の変化を象徴する出来事でもあります。

【なぜ上野にある?上野戦争・彰義隊との意外な関係】

当初の建立候補地は皇居周辺だった

西郷隆盛の銅像が上野に建てられた理由には、明治維新と戊辰戦争の歴史が深く関係しています。

建立を計画した人々は、西郷が明治維新の功臣であり、勝海舟との交渉を通じて江戸城の無血開城にも貢献したことから、当初は宮城前広場、現在の皇居周辺に銅像を設置する構想を持っていました。

しかし、西郷は西南戦争で明治政府に反旗を翻した人物でもあります。1889年(明治22年)の大赦によって名誉が回復された後も、政府関係者や社会の一部には反感が残っていました。

そのため、皇居の正門近くに銅像を建てることには異論があり、計画は変更されます。

上野戦争で薩摩軍が戦った土地だった

上野が建立地として選ばれた大きな理由は、1868年(慶応4年)の上野戦争です。

戊辰戦争の一環として発生した上野戦争では、旧幕府側の彰義隊と新政府軍が上野の寛永寺周辺で激突しました。彰義隊は徳川慶喜を支持し、旧幕府勢力を守ろうとした部隊です。

一方、新政府軍には薩摩藩の兵士が参加しており、西郷隆盛と関係の深い薩摩軍も黒門口で激しい戦闘を繰り広げました。

つまり、上野は西郷にとって無関係な場所ではありません。明治新政府の成立過程で、薩摩軍が戦った歴史的な土地だったのです。

東京都江戸東京博物館の図書室が公開するレファレンス資料では、発起人の一人である樺山資紀の伝記をもとに、設置場所の決定過程が紹介されています。

当初は上野のどの場所に設置するかについても議論があり、三枚橋付近、不忍池のほとり、陸軍陣地があった場所などが候補に挙がりました。最終的に現在の山王台付近に決まったとされています。

彰義隊の墓が銅像のすぐ後方にある

上野を訪れた際にぜひ確認したいのが、西郷隆盛像の後方にある彰義隊の墓です。

東京都台東区の公式観光情報によると、彰義隊の戦死者を供養する墓碑は上野公園内にあり、旧幕臣の山岡鉄舟が「戦死之墓」と揮毫しています。

この場所には、上野戦争で命を落とした旧幕府側の人々を弔う歴史が残っています。

興味深いのは、新政府軍側の中心人物であった西郷の銅像と、かつてその軍と戦った彰義隊の慰霊碑が、同じ公園内の近い場所に存在していることです。

現在は多くの観光客が写真を撮る穏やかな場所ですが、かつては激しい戦闘が行われた歴史的な空間でもあります。銅像の背景まで知ると、上野公園の景色の見え方が変わってきます。

【西郷隆盛像の作者は誰?高村光雲・後藤貞行・岡崎雪声の関係】

人物像の中心的な制作担当は高村光雲

上野の西郷隆盛像の作者として知られているのが、彫刻家の高村光雲(たかむらこううん)です。

光雲は江戸時代の伝統的な木彫技術を受け継ぎながら、西洋の写実表現も取り入れた近代日本を代表する彫刻家です。

東京・浅草に生まれ、仏師のもとで彫刻技術を磨きました。明治時代には東京美術学校で教鞭を執り、後進の育成にも貢献しています。

代表作には、東京国立博物館所蔵の重要文化財「老猿」があります。シカゴ万国博覧会に出品された作品としても知られています。

上野の西郷隆盛像では、光雲が制作の中心的役割を担いました。ただし、銅像全体を一人で完成させたわけではありません。東京美術学校を中心とした複数の専門家が参加した共同制作です。

犬のツンを制作したのは後藤貞行

西郷の隣に立つ犬の像を制作した人物は、彫刻家の後藤貞行(ごとうさだゆき)です。

後藤は高村光雲から木彫を学び、動物彫刻、とりわけ馬の表現を得意としていました。

もともと軍馬の研究に携わった経歴を持ち、動物の骨格や筋肉、動作を細かく観察することに長けていた人物です。皇居外苑の楠木正成像における馬の制作にも携わっています。

犬の像についても、単なる装飾としてではなく、動物の特徴を表現する専門家として後藤が担当しました。

鋳造を担当した岡崎雪声も重要な人物

制作に関わったもう一人の重要人物が、鋳金家の岡崎雪声(おかざきせっせい)です。

岡崎は東京美術学校で鋳造技術を教えていた人物で、西郷隆盛像の銅像としての完成に重要な役割を果たしました。

東京藝術大学の藝大アートプラザによれば、制作では木彫による原型づくり、動物部分の彫刻、鋳造という専門的な工程が分担されています。

人物像の作者だけに注目すると見落としがちですが、実際には複数の職人・芸術家の技術が結集した作品なのです。

西郷隆盛像をめぐる人物・制作関係一覧
人物・関係者 担当・関係 主な特徴
西郷隆盛 銅像のモデル 明治維新の指導者。薩摩藩出身の政治家・軍人。
高村光雲 人物像の制作主任 近代日本を代表する彫刻家。東京美術学校で後進を指導。
後藤貞行 犬の像の制作 動物彫刻に優れた技術を持つ彫刻家。馬の表現も得意。
岡崎雪声 銅像の鋳造 東京美術学校の鋳金家。鋳造技術を担当。
樺山資紀 建立発起人の一人 鹿児島県出身。銅像建立と設置場所の決定に関与。
明治天皇 募金への協力 建立資金に金一封を寄せたと紹介されている。

こうした役割分担を知ると、西郷隆盛像は単なる有名彫刻家の作品ではなく、人物表現、動物彫刻、鋳造技術を組み合わせて完成した明治期の記念碑であることが分かります。

【西郷隆盛像はなぜ浴衣姿?犬の名前ツンと兎狩りの真相】

軍服姿ではなく和装になった政治的背景

上野の西郷隆盛像を初めて見た人が驚くのが、その服装です。

西郷は明治政府の要職を務め、陸軍大将にもなった人物ですが、上野の銅像では軍服を着ていません。浴衣姿、あるいは着流しの和装として親しまれている姿です。

この服装には、建立当時の政治的な事情が関係しています。

当初は軍服姿の騎馬像や軍装姿の像が構想されていました。しかし、西郷は西南戦争で明治政府に反旗を翻し、一度は朝敵とされた人物です。名誉が回復された後も、軍服姿で顕彰することには反対意見がありました。

衆議院の憲政記念館が発行した「憲政だより 時計塔」の銅像解説でも、当初の軍服姿の騎馬像構想と、朝敵とされた経歴が問題視されて和服姿へ変更された経緯が紹介されています。

その結果、現在の銅像は軍人としての威厳を前面に押し出すのではなく、日常的な和装で犬を連れた西郷の姿になりました。

この表現は、西郷を政治的・軍事的な功績だけで評価するのではなく、人間味のある人物として後世に伝えようとした顕彰のあり方とも結び付いています。

犬の名前は薩摩犬のツン

西郷隆盛像の隣にいる犬の名前はツンです。

ツンは西郷がかわいがっていた薩摩犬として知られています。西郷は犬好きだったことで知られ、狩猟を趣味としていました。

東京藝術大学の藝大アートプラザの解説では、ツンは西郷のお気に入りの犬であり、像の犬もこの愛犬をモデルにしたものと紹介されています。

また、ツンを表現した犬の像を制作したのが、動物彫刻を得意とした後藤貞行です。人物像を担当した高村光雲とは異なる彫刻家が犬の部分を制作したという点も、この作品の特徴です。

実は犬の散歩ではなくウサギ狩りに向かう姿

西郷隆盛像は、犬と一緒に散歩しているように見える可能性があります。しかし、実際に表現されているのはツンを連れてウサギ狩りに出かける姿です。

よく観察すると、西郷の腰には狩猟に使う道具が表現されています。

薩摩犬は狩猟に関係の深い犬種であり、イノシシ猟などにも活躍したとされています。西郷にとって犬は単なる愛玩動物ではなく、狩猟をともにする存在でもありました。

また、銅像のツンは、実際の西郷の体格と比較すると小さく感じられますが、これは薩摩犬の体格的な特徴にも関係しています。

現在の銅像を鑑賞する際には、西郷の表情だけでなく、犬の耳の形、足の位置、腰回りの狩猟道具にも注目すると、制作時に込められた表現をより深く楽しめます。

【西郷隆盛像の高さは3.7m!2026年に見たい見どころ】

身長370.1cmの迫力ある銅像

上野の西郷隆盛像は、近くで見ると想像以上の大きさがあります。

東京都建設局の上野恩賜公園公式ホームページによると、像の身長は370.1cm。胸囲は256.7cm、足のサイズは55.1cmです。

台東区公式観光情報でも高さ約3.7m、胸囲約2.6mと紹介されています。

一般的な成人の身長を大きく上回るサイズであり、少し離れた場所からでも存在感があります。

2026年に注目したい3つの見どころ

1. 西郷隆盛の自然な立ち姿

軍服や正装ではなく、和装で堂々と立つ姿が最大の特徴です。政治家や軍人としての肩書きよりも、一人の人間としての西郷を感じさせる表現になっています。

2. 愛犬ツンの細かな造形

西郷の足元に立つツンは、人物像とは異なる専門家によって制作されました。犬の表情や立ち姿を近くで観察すると、後藤貞行の動物彫刻の技術が伝わってきます。

3. 山王台広場と上野の歴史的景観

像が立つ山王台広場は、上野公園の南東側に位置する見晴らしのよい場所です。南側には上野広小路方面が広がり、周辺の街並みと一緒に銅像を眺められます。

また、背後には彰義隊の墓があり、上野戦争の歴史をたどる散策にも適しています。

写真撮影なら人物と犬を一緒に収める

記念写真を撮影する場合は、西郷の全身とツンの姿が同じ画面に収まる位置を探すのがおすすめです。

人物だけを大きく撮ると犬の存在に気付きにくくなります。少し距離を取って撮影すると、銅像全体の構図や高さも伝わりやすくなります。

春は周辺の桜や新緑、秋は紅葉とともに撮影する楽しみもあります。上野公園には美術館や博物館、上野動物園なども集まっているため、散策コースの最初や最後に立ち寄るのにも便利です。

2026年現在も、台東区の公式観光情報や東京都の公園案内で紹介されている、上野を代表する無料の観光スポットです。

【上野西郷隆盛像へのアクセス!上野駅・京成上野駅から徒歩何分?】

基本情報と所在地

西郷隆盛像は上野公園の入口近くにあり、複数の鉄道路線からアクセスできます。

所在地:東京都台東区上野公園1

台東区公式観光情報では、JR上野駅から徒歩約1分、京成上野駅からも徒歩約1分と案内されています。

JR上野駅からの行き方

JR上野駅を利用する場合は、不忍口方面から向かうと分かりやすいルートです。

駅を出て上野公園の入口方面へ進み、西郷隆盛像のある山王台広場を目指します。駅から近いため、初めて訪れる観光客でも比較的迷いにくい場所です。

JR上野駅の不忍口側にある商業施設UENO3153は、西郷銅像前に位置しています。施設の屋上部分と山王台広場がつながっているため、駅側から広場へ向かう際の目印にもなります。

京成上野駅からの行き方

京成上野駅からは、上野公園方面へ進めば徒歩約1分で到着できます。

京成電鉄を利用して成田空港方面から移動する旅行者にとっても便利な立地です。

東京都の観光公式サイトGO TOKYOでも、京成上野駅から徒歩1分と案内されています。

2026年の見学時間・料金

西郷隆盛像は屋外に設置された銅像で、通常の見学に入場料は必要ありません。

2026年9月更新の東京都建設局の上野恩賜公園公式案内では、公園の開園時間は午前5時から午後11時までとされています。GO TOKYOの観光案内でも、見学時間の目安は5時から23時、料金は無料と掲載されています。

ただし、季節や時期、施設の管理状況によって利用条件が変わる可能性があります。夜間の見学や特別な事情がある日の訪問では、最新の公園案内を確認しておくと安心です。

なお、上野駅側から山王台広場へ向かう場合、周辺商業施設のエレベーターを利用できるルートも国立国会図書館の案内で紹介されています。利用可能時間は施設側の営業状況によって異なるため、移動に配慮が必要な場合は事前確認がおすすめです。

【上野西郷隆盛像に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:上野の西郷隆盛像を作ったのは誰ですか?
A1:人物像の制作を中心的に担当したのは彫刻家の高村光雲です。犬のツンは後藤貞行が制作し、銅像の鋳造には岡崎雪声が携わりました。

Q2:西郷隆盛像はなぜ上野に建てられたのですか?
A2:戊辰戦争の上野戦争で、西郷率いる薩摩軍が彰義隊と戦った歴史的な土地だったためです。当初は皇居周辺も候補でしたが、政治的な事情などから上野が選ばれました。

Q3:西郷隆盛像の犬の名前は何ですか?
A3:犬の名前はツンです。西郷隆盛がかわいがっていた薩摩犬として知られています。犬の彫刻は後藤貞行が担当しました。

Q4:西郷隆盛像の高さは何メートルですか?
A4:東京都建設局の公式案内によると、像の身長は370.1cm、約3.7mです。胸囲は256.7cm、足のサイズは55.1cmです。

Q5:西郷隆盛像は浴衣姿なのですか?
A5:一般には浴衣姿として親しまれています。建立計画では軍服姿も構想されましたが、西南戦争で政府に反旗を翻した経歴などが影響し、最終的に和装姿の像になりました。

Q6:西郷隆盛像はどこにありますか?
A6:東京都台東区上野公園1番地、上野恩賜公園内の山王台広場にあります。上野駅や不忍池に近い場所です。

Q7:上野駅から西郷隆盛像までは何分ですか?
A7:台東区公式観光情報によると、JR上野駅から徒歩約1分、京成上野駅からも徒歩約1分です。

上野の西郷隆盛像は、1898年12月18日に除幕された明治時代の銅像です。人物像の制作を中心的に担ったのは高村光雲、犬のツンを制作したのは後藤貞行、鋳造には岡崎雪声が携わりました。

上野に建てられた理由には、戊辰戦争の上野戦争で西郷率いる薩摩軍が戦った歴史的背景があります。当初は皇居周辺への建立も構想されましたが、政治的な事情などを経て、現在の山王台広場に落ち着きました。

浴衣姿に見える和装、愛犬ツンを連れた姿、約3.7mという大きさには、それぞれ建立当時の政治的事情や西郷の人物像、彫刻家たちの技術が反映されています。

2026年現在も、上野駅・京成上野駅から徒歩約1分というアクセスの良さと、無料で見学できる手軽さは変わらない魅力です。

観光で訪れる際には、銅像の写真を撮るだけでなく、背後にある彰義隊の墓にも足を運んでみてください。新政府軍と旧幕府軍という異なる立場の歴史が、同じ上野の地に残されていることに気付くはずです。

西郷隆盛像は、明治維新の英雄を記念するだけの銅像ではありません。政治的な評価の変化、芸術家たちの共同制作、そして上野戦争の記憶を現在に伝える、東京の貴重な歴史的スポットです。

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如月 七海

スポーツ報道9年。連盟の公式記録、試合結果、会見の書き起こしで数値と経歴を確認しています。

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