ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 徳井義実の若い頃はどんな姿?20歳の写真とモテ期、M-1優勝までを徹底解説

徳井義実の若い頃はどんな姿?20歳の写真とモテ期、M-1優勝までを徹底解説

朝倉 仁 朝倉 仁 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

お笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実は、若い頃から端正な顔立ちと独特の雰囲気で注目を集めてきた芸人だ。2018年には本人のInstagramで20歳頃の写真が公開され、現在とは異なるファッションや、少し不良っぽいポーズが話題になった。また、本人は過去のインタビューで、人生で最もモテた時期を20代のディスコの黒服時代と振り返っている。

しかし、徳井義実の若い頃は、単に容姿が注目されていた時代ではない。高校1年生で初めて漫才に挑戦し、大学受験の浪人中には河合塾とNSC大阪校を並行。幼なじみの福田充徳と1998年にチュートリアルを結成し、2006年にはM-1グランプリで史上初の完全優勝を達成した。2026年11月現在、51歳となった徳井の歩みを、写真、本人の証言、公式プロフィール、出演歴から振り返る。

【20歳頃の写真を公開】徳井義実の若い頃はワイルドでおしゃれだった?

徳井義実若い頃
2018年に公開された20歳頃の写真が話題に

徳井義実の若い頃の画像として特に知られているのが、2018年3月に本人のInstagramで公開された20歳頃の写真だ。

2018年3月12日付のJ-CASTニュースによると、徳井が写真を投稿したのは同月9日。写真には、ダボッとしたジーンズに黒い半袖シャツを合わせ、胸元を大きく開けた若き日の徳井が写っていた。

首元には黒いスカーフを巻き、カメラに向かって少し鋭い視線を向けている。現在の落ち着いた雰囲気とは違い、当時の若者らしい背伸びしたファッションが印象的だ。

写真の白い縁には「コメどろぼう(首)」という不思議な言葉も書かれていた。写真の隣には、同じように胸元を開けた男性の姿もあり、相方の福田充徳とみられる人物として紹介された。

写真に写る姿は、いわゆる不良風のファッションを意識したものに見える。ただし、これは20歳頃の記念写真であり、見た目だけで実際の素行まで判断することはできない。

現在と比較すると分かるファッションの変化

若い頃の徳井は、黒いシャツやスカーフ、ゆったりしたジーンズなど、当時のストリートファッションを思わせる装いだった。

一方、2021年の男性向けファッション誌『LEON』のインタビューでは、取材現場に飾らない白シャツ姿で現れた様子が紹介されている。以前のような若さを前面に出したスタイルとは異なり、自然体のファッションも似合う大人の男性という印象だ。

徳井の若い頃の写真が現在も検索される理由は、単に昔の顔を見られるからではない。芸人としてテレビで見せる姿と、芸能界に入る前の個人的な青春時代とのギャップが興味を引くのだろう。

【本人が告白】徳井義実の20代はディスコの黒服時代がモテ期だった

人生で一番モテたのは芸能界に入る前

徳井義実の若い頃を語るうえで外せないのが、本人が明かした20代のモテ期だ。

2021年4月25日公開の『LEON』のインタビューでは、車とモテをテーマにした対談の中で、徳井が人生で最もモテた時期について質問を受けている。

その際、徳井は次のように答えた。

「20代の頃。ディスコの黒服時代ですね。」

これは本人が自分の20代を振り返って語った言葉だ。芸能界で人気を獲得してからではなく、芸人として全国的に知られる前の時期を挙げている点が興味深い。

ディスコの黒服とはどんな仕事だったのか

黒服とは、ディスコやナイトクラブなどで働く店舗側のスタッフを指す呼び方だ。接客や店内の運営を支える仕事であり、華やかな夜の空間に身を置く職業でもある。

徳井はこの時代を自身のモテ期として振り返っている。20代の若さに加え、178cmの身長と整った顔立ち、独特の雰囲気も相まって、当時から女性の目を引く存在だったことが想像できる。

ただし、ディスコで働いていたことだけを理由に、具体的な交際人数や人気の規模まで断定することはできない。確認できるのは、本人がその時代を最もモテた時期として記憶しているという点だ。

吉本男前ランキングでも3年連続1位

徳井のルックスに対する評価は、芸人として知名度を上げた後にも表れている。

2003年から2005年まで、徳井は吉本男前ランキングで3年連続1位を獲得し、殿堂入りを果たした。2026年の双葉社『THE CHANGE』のインタビューでも、この実績が紹介されている。

つまり、20代のディスコ時代に本人が感じていたモテ期と、芸人として人気を獲得した時代には、共通して容姿の魅力があった。

ただし、この2つは別々の時期の出来事だ。前者は本人の青春時代の回想であり、後者は芸人としての人気を示すランキング実績である。

【高校時代からNSCへ】徳井義実がお笑い芸人になるまでの意外な道のり

16歳頃、友人との出会いが漫才の原点に

徳井義実のお笑い人生は、高校1年生の頃に始まった。

2026年2月15日公開の双葉社『THE CHANGE』のインタビューで、徳井は高校1年生の頃、辻野という仲の良い友人から漫才に誘われたことを明かしている。

当時の徳井は、お笑い番組を幅広く見る程度だった。一方、友人はネタそのものを細かく観察するほどのお笑い好きだったという。

その友人から「ちょっとやってみようぜ」と誘われ、初めて漫才に挑戦。加えて、ほかのクラスや文化祭でも漫才を披露するようになった。

徳井自身も、この友人との出会いがお笑いの原点になったと振り返っている。高校時代から芸人になることを決めていたわけではなく、最初は身近な友人と面白いことをする楽しさが出発点だった。

河合塾京都校で浪人しながらNSC大阪校13期へ

高校卒業後、徳井は大学進学を目指して受験したものの、合格できずに浪人生活を送ることになった。

当時の進路については、河合塾京都校で勉強しながらNSCにも通ったという経歴が紹介されている。2026年の本人インタビューでも、予備校とNSCを並行していたことが語られている。

吉本興業の公式プロフィールによると、徳井の出身は1994年のNSC大阪校13期生。当時は京都の実家から大阪の養成所へ通っていた。

ただし、本人の2026年の回想によれば、養成所の授業に毎日のように出席していたわけではない。基本的に週4~5回あった授業のうち、友人と週1回程度のネタ見せに参加する生活だったという。

その後、NSCを卒業して友人の瀬戸とコンビを結成。しかし、相方が芸人を辞めたことでコンビは解散することになった。

この時点では、現在のチュートリアルにつながる道はまだ確定していなかった。

花園大学に進学するも4年生で中退

NSC卒業後、徳井は花園大学へ進学した。大学では文学部仏教学科に在籍していたと紹介されている。

大学時代にはアルバイトにも力を入れており、ディスコの黒服として働いていた時期もあった。20代のモテ期として本人が振り返ったのは、この頃の経験だ。

2024年6月29日付のENCOUNTやスポニチの報道によると、徳井は大学4年まで在籍したものの、取得単位数はわずか8単位だったと明かしている。

大学4年生になっても卒業に必要な単位を取得できておらず、最終的には中退。学業よりもアルバイトや自分の興味のある活動に時間を使っていたことがうかがえる。

なお、大学時代にはメルボルンへの短期留学にも参加した経験があり、後年のインタビューでは、異なる文化や価値観に触れた経験についても語っている。

【1998年チュートリアル結成】福田充徳との幼なじみ関係と若手時代

福田充徳とは幼稚園時代からの幼なじみ

現在の相方である福田充徳と徳井義実は、長い付き合いの幼なじみだ。

2021年のMANTANWEBの記事では、2人は5歳で出会い、小学校、中学校、高校も一緒だったと紹介されている。

ただし、徳井が高校時代に最初に漫才を始めた相手は辻野という別の友人だった。また、NSC時代には瀬戸とコンビを組んでいた。福田とは最初からずっとコンビだったわけではない。

1998年、大学4年生でチュートリアルを結成

転機となったのは1998年頃。瀬戸とのコンビが解散した後、福田から「だったら、俺とやらへん?」と声を掛けられた。

福田も当時は大学生で、就職を目前に控えた時期だった。2人は以前から話していたお笑いへの挑戦を改めて考え、オーディションを受けることにした。

2026年2月15日の双葉社のインタビューで、徳井はチュートリアルを結成した当時について、将来の明確な計画があったわけではなく、ただ客前で笑わせたいという気持ちがあったと振り返っている。

吉本興業の公式プロフィールに記載された結成年月は1998年3月。幼なじみ同士のコンビが、ここから本格的に芸人として歩み始めた。

若手時代から賞レースで実力を示す

チュートリアルは結成後、着実に実績を積み重ねていった。

2000年にはABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を獲得。M-1グランプリにも挑戦し、2001年には初めて決勝へ進出した。

しかし、最初から優勝できたわけではない。2005年には決勝5位という結果に終わり、翌年の大会で再び大きな勝負に挑むことになる。

若手時代の徳井は、単にイケメン芸人として人気を得たのではない。漫才のネタを作り、相方と舞台に立ち、賞レースで結果を残すという経験を積み上げていた。

年代ごとの主な出来事を整理すると、次のようになる。

時期 人物・出来事 主な内容・関係性
高校1年生頃 徳井義実・辻野 友人に誘われて初めて漫才に挑戦
1994年 NSC大阪校13期 芸人養成所でネタ作りを学ぶ
大学時代 花園大学 大学に在籍しながらアルバイトなどを経験
1998年3月 徳井義実・福田充徳 チュートリアル結成
2000年 チュートリアル ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
2001年 M-1グランプリ 初の決勝進出
2005年 M-1グランプリ 決勝5位
2006年 M-1グランプリ 664点で優勝、史上初の完全優勝
2026年 徳井義実 51歳。お笑い、俳優業、YouTubeなどで活動

【2006年M-1グランプリ優勝】徳井義実の若手時代から全国区への転機

3,922組の頂点に立ったチュートリアル

徳井義実の芸人人生における最大の転機は、2006年12月24日に開催されたM-1グランプリだ。

M-1グランプリ公式サイトの大会記録によると、2006年大会の参加組数は3,922組。チュートリアルは決勝で664点を獲得し、優勝を果たした。

加えて、この大会は全審査員がチュートリアルに投票するという、M-1史上初の完全優勝として記録されている。

2位はフットボールアワーの640点、3位は麒麟の627点。強豪がそろう決勝で、チュートリアルは圧倒的な評価を得た。

妄想漫才を武器にした独特の世界観

チュートリアルの漫才の魅力は、徳井の独特な発想と、福田のツッコミが生み出すテンポにある。

特に2005年から2006年にかけては、徳井の妄想を膨らませる独特の漫才スタイルが注目された。MANTANWEBの2021年の記事でも、2005年の決勝で独特な世界観の妄想漫才を武器に挑戦したことが紹介されている。

徳井が自由に話を展開し、福田がその内容を受け止めながら的確にツッコむ。この役割分担が、2人の個性を引き出していた。

若い頃から持っていた発想力や観察力が、長年の舞台経験を通じて漫才の技術へと変わっていったのである。

男前芸人から実力派芸人への評価

2003~2005年の吉本男前ランキング3連覇によって、徳井はルックスの面でも高い知名度を獲得していた。

そこに2006年のM-1優勝が加わったことで、単なるイケメン芸人というイメージから、漫才の実力を備えた全国区の芸人へと評価が広がった。

この変化は、徳井のキャリアを考えるうえで重要だ。容姿による注目をきっかけに知名度を得ながら、最終的には賞レースで確かな結果を残したことが、その後のテレビ出演や俳優活動につながっていった。

【2026年現在51歳】徳井義実の若い頃と現在を比較

2026年11月現在の年齢とプロフィール

吉本興業の公式プロフィールによると、徳井義実は1975年4月16日生まれ、京都府京都市出身。2026年11月1日現在は51歳だ。

身長は178cm。趣味にはバレーボール、家電、バイク、カフェ巡り、料理などが挙げられている。

若い頃から注目されてきた外見だけでなく、現在は趣味や創作活動を仕事につなげている点も特徴的だ。

2026年はドラマで地上波連続ドラマ初主演

2026年の大きな仕事の一つが、テレビ大阪のドラマ『令和に官能小説作ってます』だ。

2026年1月7日から放送された同作で、徳井は桃月なしことともに主演を務めた。徳井が演じたのは、官能小説編集部の編集長・玉川丈治。これまでバラエティー番組や映画、ドラマで活動してきた徳井にとって、地上波連続ドラマの初主演という節目になった。

テレビ大阪の番組公式情報によると、同作は全10話で、テレビ大阪とテレビ愛知で放送。DMM TVでの配信やTVerでの見逃し配信にも対応した。

お笑いで培った独特の間や表現力を、俳優としての演技にも生かしている。

YouTubeやオリジナルブランドにも活動を広げる

徳井は自身で撮影や編集を行うYouTubeチャンネル「徳井Video」も展開している。

2025年の『GOETHE』のインタビューでは、キャンプ用品などの商品開発・販売を行うオリジナルブランド「Mystify」についても紹介された。

芸人として舞台やテレビに出演するだけでなく、映像制作や商品企画にも取り組んでいる点は、20代のディスコ勤務時代とは大きく異なる現在の姿だ。

2026年10月にもテレビ番組に出演

2026年10月24日には、関西テレビの『おかべろ』に徳井がゲスト出演した。

番組では、2019年の活動自粛期間を振り返る話題も取り上げられた。日刊スポーツの同日報道によると、徳井は当時、自身の問題を報じる番組を見たことで、同業者にも迷惑をかけてしまったと感じ、それ以降テレビを見なくなったと語っている。

若い頃から順調に見えるキャリアにも、さまざまな転機や困難があった。2026年現在の徳井は、そうした経験を経ながら、芸人としての活動に加えて俳優やクリエイターとしても仕事を続けている。

【プロの結論】徳井義実の若い頃から分かる3つの魅力

1. 若い頃から自分の個性を持っていた

20歳頃の写真に写るファッションや、ディスコの黒服時代のエピソードからは、若い頃から自分なりのスタイルを持っていたことがうかがえる。

その後、芸人として活動するようになっても、独特な発想やファッションへの関心は変わっていない。

2. お笑いを始めたきっかけは身近な友人だった

徳井が高校時代に漫才を始めたのは、友人の誘いがきっかけだった。最初から芸人になるという強い決意があったわけではない。

その後、NSC、大学生活、別の相方とのコンビ解散を経験し、福田とのチュートリアル結成へと進んだ。こうした回り道が、現在の芸人としての個性を形作った。

3. ルックスだけでなく漫才の実力が評価を決定づけた

吉本男前ランキングで3年連続1位を獲得したことは、徳井の外見的な魅力を示している。一方、2006年のM-1完全優勝は、漫才師としての実力を示す客観的な実績だ。

若い頃の写真だけを見て徳井の魅力を判断するのではなく、高校時代の漫才、NSCでの経験、福田とのコンビ結成、M-1優勝までの過程を合わせて見ることで、その人物像がより立体的になる。

徳井義実の若い頃を知りたい人にとって、特に注目したいのは、本人の証言と公式記録が一致するエピソードだ。20歳頃の写真、20代のモテ期、1998年のコンビ結成、2006年の優勝は、それぞれ異なる角度から彼の人生を知る手がかりになる。

【徳井義実の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:徳井義実の20歳頃の写真はいつ公開された?
A1:2018年3月9日に本人のInstagramで公開された。黒い半袖シャツ、胸元を開けたスタイル、黒いスカーフが特徴的な写真で、J-CASTニュースが同月12日に紹介した。

Q2:徳井義実が一番モテたのはいつ?
A2:本人は2021年の『LEON』のインタビューで、20代のディスコの黒服時代と回答している。また、2003~2005年には吉本男前ランキングで3年連続1位となった。

Q3:徳井義実は高校時代から芸人を目指していた?
A3:高校1年生頃、友人の辻野に誘われて漫才を始めたのが原点。最初から芸人になると決めていたわけではなく、文化祭などで漫才を楽しんでいた。

Q4:徳井義実の出身大学はどこ?
A4:花園大学文学部仏教学科に進学したが、卒業せずに中退した。大学4年まで在籍し、取得単位数は8単位だったと本人がテレビ番組で明かしている。

Q5:チュートリアルはいつ結成された?
A5:1998年3月。幼なじみの福田充徳と結成した。2人は幼稚園時代からの付き合いで、小中高も一緒だった。

Q6:徳井義実は2026年現在何歳?
A6:1975年4月16日生まれで、2026年11月1日現在51歳。お笑い活動のほか、俳優業、YouTube、オリジナルブランドの商品開発などにも取り組んでいる。

徳井義実の若い頃を振り返ると、20歳頃のワイルドな写真や、本人が語ったディスコの黒服時代のモテ期が印象に残る。しかし、その裏側には、高校時代の漫才との出会い、浪人生活、NSC大阪校13期での経験、花園大学への進学と中退、そして福田充徳とのチュートリアル結成という道のりがあった。

1998年の結成から8年後、2006年のM-1グランプリで史上初の完全優勝を達成。吉本男前ランキングでの実績と漫才師としての実力を兼ね備えた存在になった。

2026年11月現在、51歳となった徳井は、バラエティー番組やドラマへの出演に加え、YouTubeや商品開発にも活動を広げている。

若い頃と現在を比較すると、ファッションや活動領域には変化がある。しかし、高校時代から続く面白いことへの関心や、自分の発想を形にする姿勢は、現在の仕事にもつながっている。

20歳頃の写真だけでは分からない、徳井義実という人物の魅力。それは、モテ芸人としての華やかさと、長年にわたって笑いを追求してきた職人としての一面が共存していることにある。

同じカテゴリの記事

朝倉 仁
トレンドリサーチャー 朝倉 仁
プロフィールを見る →

全記事の校閲を担当。人名・日付・数字の整合性を確認し、断定できない内容は表現を弱めて掲載します。

おすすめの関連記事