竹島問題とは、島根県隠岐の島町に属する竹島(韓国名・独島〈トクト〉)の領有権をめぐり、日本と韓国がそれぞれ異なる歴史認識と国際法上の根拠を主張している外交問題です。江戸時代の島の利用、1905年の島根県編入、1952年の李承晩ライン設定、サンフランシスコ平和条約の解釈など、複数の歴史的出来事が複雑に関係しています。
2026年11月現在も、韓国が竹島を実効支配する一方、日本政府は領有権を主張し、外交ルートを通じて抗議を続けています。2026年4月に公表された外交青書2026、同年8月の韓国軍による軍事訓練、海洋調査をめぐる抗議など、直近の動きを踏まえながら、両国の主張、国際司法裁判所(ICJ)への付託が実現しない理由まで整理します。
【基本を理解】竹島問題とは?竹島と独島の違い・地理的特徴を解説

最初に理解しておきたいのは、日本が使用する「竹島」と韓国が使用する「独島」は、別々の島を意味するものではないという点です。
日本政府は「竹島」、韓国政府は「独島」と呼んでいます。英語では「Liancourt Rocks(リアンクール岩礁)」という名称も使われます。これは、1849年に周辺を航行したフランスの捕鯨船リアンクール号に由来する呼称です。
竹島は日本海に位置する小さな群島で、主に東島(女島)と西島(男島)の2つの島と、周辺にある数十の岩礁から構成されています。
外務省の公表資料によると、所在地は島根県隠岐の島町で、隠岐諸島から北西約158キロメートル、総面積は約0.20平方キロメートルです。韓国の鬱陵島からは約88キロメートルの位置にあります。
島そのものは小規模ですが、周辺海域の漁業資源や海洋権益、領海・排他的経済水域(EEZ)との関係から、地政学的にも重要な場所となっています。
なぜ日本では竹島、韓国では独島と呼ぶのか名称の違いには、それぞれの国が持つ歴史的な認識が反映されています。
日本側では、1905年の島根県編入に際して、現在の島を正式に「竹島」と命名しました。それ以前の日本の文献では、現在の竹島が「松島」と呼ばれ、現在の鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた時期があります。
この名称の入れ替わりには、18世紀後半以降、欧米の探検家による測量や地図作成の影響で、鬱陵島の位置や呼称に混乱が生じた歴史が関係しています。
一方、韓国では「独島」という名称が定着しており、韓国政府は古文献や1900年の大韓帝国勅令第41号などを領有権の根拠として挙げています。
つまり、名称の違いは単なる翻訳の問題ではありません。両国がどの時代の記録を重視し、どのような歴史的経緯を領有権の根拠と考えているかを理解する入口でもあります。
竹島問題が重要視される理由竹島の面積だけを見ると、非常に小さな島にすぎません。しかし、領土問題は土地の広さだけで決まるものではありません。
主な争点は次の3つです。
- 領土主権:どちらの国が歴史的・国際法的に正当な領有権を持つのか。
- 海洋権益:周辺海域の漁業資源や海洋調査、EEZをめぐる権利をどう扱うのか。
- 国家主権と歴史認識:日本の近代史や韓国の植民地支配の記憶と、どのように結びついているのか。
特に韓国では、独島は単なる地理的な島ではなく、日本による植民地支配の歴史と結びついた主権の象徴として扱われています。日本では、歴史的資料と国際法に基づく領土問題として位置づけられています。
【歴史と経緯】竹島問題の年表を1905年・1952年・戦後に分けて整理
竹島問題の歴史を理解するには、1905年だけを切り取るのではなく、それ以前の島の利用状況、明治期の領土編入、第二次世界大戦後の国際秩序という3つの時代を分けて考える必要があります。
江戸時代:日本人による鬱陵島・竹島周辺の利用日本政府の説明によると、1618年、鳥取藩を通じて米子の商人である大谷甚吉と村川市兵衛が、江戸幕府から鬱陵島への渡海免許を受けました。1625年とする説もあります。
両家は交代で鬱陵島へ渡り、アワビの採取やアシカ猟などを行っていました。その航路上にあった現在の竹島も、船の停泊地や漁猟の場所として利用されていたとされています。
日本政府は、このような利用実績や幕府公認の活動を根拠に、遅くとも17世紀半ばには竹島に対する領有権を確立していたと説明しています。
一方、1693年から1696年にかけて発生した元禄竹島一件では、鬱陵島への渡航をめぐって江戸幕府と朝鮮王朝の間で交渉が行われました。1696年、幕府は鬱陵島への渡航を禁止しました。
この出来事について、日本政府は現在の竹島への渡航まで禁止されたわけではないと説明しています。韓国側は、当時の交渉や日本の古文書を、自国の領有権を裏付ける歴史的根拠として解釈しています。
1877年:太政官指令をめぐる解釈の相違明治時代の1877年には、太政官が内務省に対して「竹島外一島」に関する指令を出しました。
韓国政府は、この指令に登場する「竹島」と「外一島」が鬱陵島と現在の竹島を指すと解釈しています。そのため、明治政府自身が現在の竹島を日本の領土ではないと認識していた証拠だと主張しています。
これに対し、日本政府側は、当時の島名や地理認識には混乱があり、この指令が現在の竹島の領有権を否定したものではないという立場です。
歴史資料を読む際には、同じ「竹島」という文字でも、現在の竹島を意味するとは限らない点が重要です。
1900年:大韓帝国勅令第41号1900年10月27日、大韓帝国は勅令第41号を官報に掲載しました。
この勅令は、鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に変更するとともに、鬱島郡の管轄区域について規定したものです。
韓国政府は、勅令第2条に登場する「石島」が現在の独島を意味すると主張しています。この解釈に基づき、1905年の日本による編入より前に、大韓帝国が行政的に独島を管轄していたと説明しています。
日本政府は、「石島」が現在の竹島であることを示す明確な根拠がないと反論しています。また、仮に石島が竹島を指していたとしても、当時の大韓帝国による実効的な統治を示す証拠が確認できないという立場です。
1905年:日本政府が竹島を島根県に編入1905年1月28日、日本政府は閣議決定により、現在の竹島を島根県に編入し、「竹島」と命名しました。
背景には、隠岐の島民である中井養三郎による貸下げ願いがありました。中井は1904年9月、アシカ猟事業の安定化などを目的として、政府に島の貸下げと領土編入を願い出ています。
その後、島根県知事は1905年2月22日、島根県告示第40号によって竹島を隠岐島司の所管とすることを公示しました。
日本政府は、この措置を、以前から認識・利用していた島について領有意思を再確認したものと位置づけています。官有地台帳への登録、アシカ猟の許可、使用料の徴収なども、行政権を継続的に行使していた証拠として挙げています。
これに対し、韓国政府は、1905年の編入が日露戦争期の軍事的な事情と日本の朝鮮半島への侵略過程に関連して行われたと主張しています。韓国側は、1905年の編入そのものが韓国の主権を侵害する違法な措置だったという立場です。
竹島問題の重要年表主要な出来事を時系列で整理すると、次のようになります。
| 年代・日付 | 出来事 | 竹島問題との関係 |
|---|---|---|
| 1618年 | 大谷・村川両家が鬱陵島への渡海免許を取得 | 日本政府が江戸時代の利用実績として重視する出来事 |
| 1693~1696年 | 元禄竹島一件 | 鬱陵島への渡航をめぐり、日朝間で交渉が行われた |
| 1877年 | 太政官指令 | 「竹島外一島」の意味について日韓の解釈が分かれる |
| 1900年10月27日 | 大韓帝国勅令第41号 | 韓国は「石島」を独島と解釈し、行政管轄の根拠とする |
| 1905年1月28日 | 日本政府が閣議決定 | 竹島を島根県に編入し、領有意思を再確認 |
| 1905年2月22日 | 島根県告示第40号 | 竹島を隠岐島司の所管とすることを公示 |
| 1951年9月8日 | サンフランシスコ平和条約署名 | 戦後の日本の領土処理に関する条約上の争点が生まれる |
| 1952年1月18日 | 李承晩ライン設定 | 韓国が海洋主権宣言に基づいて竹島をライン内に含める |
| 1952年4月28日 | サンフランシスコ平和条約発効 | 日本の主権回復。竹島の帰属について日韓の対立が続く |
| 1954年 | 韓国沿岸警備隊が駐留 | 韓国による実効支配が定着していく |
| 1954年・1962年 | 日本がICJ付託を提案 | 韓国は両提案を拒否 |
| 1965年 | 日韓国交正常化 | 国交は正常化したが、竹島問題は未解決のまま残る |
| 2012年8月 | 李明博大統領が竹島に上陸 | 日本がICJ付託を再提案。韓国は拒否 |
| 2025年7月・12月 | 韓国軍が竹島関連の軍事訓練を実施 | 日本政府が外交ルートで抗議 |
| 2026年8月6日 | 韓国軍が竹島関連の軍事訓練を実施 | 日本政府が改めて強く抗議 |
この年表から分かるのは、竹島問題が1905年に突然始まったわけではなく、江戸時代の利用記録、明治期の行政文書、戦後の条約、1950年代の実効支配という複数の段階を経て現在に至っていることです。
【両国の主張を比較】竹島の領有権をめぐる日本と韓国の根拠
竹島問題を理解するうえで、最も重要なのが日本と韓国の主張の違いです。
両国は同じ歴史的資料や条約を取り上げながら、その意味を異なる方向から解釈しています。
日本の主張:歴史的な利用と1905年以降の行政権行使日本政府は、竹島が歴史的事実と国際法の両面から日本固有の領土であると主張しています。
主な根拠は次のとおりです。
- 江戸時代の利用実績:大谷・村川両家が幕府の許可を得て鬱陵島へ渡航し、現在の竹島も航路や漁猟の場所として利用していた。
- 17世紀半ばまでの領有権確立:幕府公認の利用や当時の資料から、竹島の領有権は確立していたという立場。
- 1905年の島根県編入:閣議決定によって島根県に編入し、領有意思を明確にした。
- 行政権の継続的な行使:官有地登録、漁業許可、使用料徴収などを行っていた。
- サンフランシスコ平和条約:日本が放棄する朝鮮の島々に竹島が明記されなかったことを重視する。
また、日本政府は韓国による1950年代以降の占拠を不法占拠と位置づけ、国際法に基づく平和的解決を求めています。
韓国の主張:古文献・勅令・日本の植民地支配との関係韓国政府は、独島が歴史的・地理的・国際法的に韓国固有の領土であるという立場を取っています。
韓国側が重視する根拠には、次のものがあります。
- 古文献の記述:朝鮮時代の文献に登場する于山島などが、現在の独島を指しているという解釈。
- 1877年の太政官指令:日本政府が鬱陵島と独島を日本の領域外と認識していたとする解釈。
- 1900年の勅令第41号:鬱島郡の管轄区域に記された石島が独島であるという主張。
- 1906年の沈興澤郡守の報告:「本郡所属独島」という記述を、韓国側の行政的認識を示す資料として重視する。
- 日本の植民地支配の歴史:1905年の編入を、韓国の主権を侵害する日本の侵略過程の一部と位置づける。
韓国政府は、独島について領有権紛争そのものが存在しないという立場です。そのため、日本との外交交渉や国際司法裁判所での司法的解決の対象にはならないとしています。
日本と韓国の主張を比較すると何が違うのか両国の主張を比較すると、争点は単純に「どちらの国から近いか」という問題ではないことが分かります。
- 日本は、17世紀からの利用と1905年以降の行政権行使を重視する。
- 韓国は、1900年以前の歴史的認識や勅令、植民地支配期の政治的背景を重視する。
- 日本は1952年以降の韓国による支配を不法占拠と捉える。
- 韓国は独島に対する主権の行使であり、領有権の回復であると捉える。
特に重要なのは、韓国が現実に島を管理しているという事実と、国際法上の領有権が正当かどうかという問題を区別することです。実効支配の存在だけで、過去の領有権の争いが自動的に解決するわけではありません。
両国の政府見解は、それぞれの外務省が公開している公式資料で確認できます。
【戦後の最大の争点】李承晩ラインとサンフランシスコ平和条約の関係
竹島問題が現在の形になるうえで、第二次世界大戦後の国際秩序は極めて重要な意味を持っています。
1951年:サンフランシスコ平和条約に竹島が明記されなかった1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約が署名されました。同条約は、第二次世界大戦後の日本の領土処理や、連合国との戦争状態の終結を定めた重要な国際条約です。
第2条(a)では、日本が朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄すると規定しています。
しかし、ここには竹島や独島という名称が直接記載されていません。
この条文の解釈をめぐって、日本と韓国の主張が分かれています。
日本側が重視するラスク書簡条約の起草過程では、韓国政府が米国に対し、日本が放棄する地域に独島などを追加するよう求めていました。
これに対し、1951年8月、米国のラスク極東担当国務次官補は、韓国側の要請を受け入れない旨を梁駐米韓国大使に伝えました。
いわゆるラスク書簡では、米国政府が竹島について、朝鮮の一部として扱われたことはなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にあったと認識していたことが示されています。
日本政府は、この外交文書を、サンフランシスコ平和条約において竹島が日本の領土として扱われたことを裏付ける重要な根拠としています。
ただし、ラスク書簡は米国政府の外交文書であり、サンフランシスコ平和条約の条文そのものではありません。米国の当時の認識と、条約の文言が持つ法的意味は、区別して検討する必要があります。
韓国側は条約に記載されなかったことをどう解釈するのか韓国政府は、サンフランシスコ平和条約に独島の名称が明記されていないことを、韓国領ではないという意味に解釈すべきではないと主張しています。
第2条(a)に記載された済州島、巨文島、鬱陵島は、韓国に属する多数の島の例示であり、列挙されなかった島がすべて日本に残るという意味ではないという解釈です。
さらに韓国側は、1943年のカイロ宣言や、連合国最高司令官総司令部によるSCAPIN第677号なども根拠に挙げています。
特にSCAPIN第677号は、戦後の日本の行政上の範囲から竹島を除外する取り扱いを示した文書として、韓国側が重視するものです。
日本政府は、同文書には領土帰属の最終決定を示すものではないという趣旨の留保があると説明し、最終的な領土処理はサンフランシスコ平和条約に基づいて判断すべきだとしています。
このように、条約の文言だけでなく、起草過程の外交文書や戦後の行政措置をどのように評価するかが、現在も重要な争点となっています。
1952年:李承晩ラインが設定された背景1952年1月18日、韓国の初代大統領・李承晩は、海洋主権宣言を発表し、いわゆる「李承晩ライン」を設定しました。
このラインは、韓国が周辺海域における漁業管轄権などを主張するために設定したもので、竹島もその内側に含まれていました。
当時、サンフランシスコ平和条約はまだ発効していません。発効日は同年4月28日です。
日本政府は、李承晩ラインの一方的な設定に抗議しました。1953年には竹島周辺で海上保安庁巡視船への銃撃事件も発生し、1954年6月には韓国沿岸警備隊の駐留が始まりました。
これにより、韓国側による竹島の実効支配が定着していきます。
日本政府は一連の行為を不法占拠と位置づけていますが、韓国側は自国の領土に対する正当な主権行使であると説明しています。
【国際法とICJ】なぜ日本の国際司法裁判所への提案は実現しないのか
竹島問題の解決策として、しばしば取り上げられるのが国際司法裁判所(ICJ)です。
国際司法裁判所は、国家間の法的紛争を国際法に基づいて判断する国連の主要司法機関です。領土問題についても、当事国が裁判所の管轄権を認める条件が整えば、審理と判決が可能です。
日本がICJへの付託を提案した3つの時期日本政府は、竹島問題を平和的に解決するため、これまで3回にわたって韓国側にICJへの付託を提案しています。
- 1954年9月:日本政府が口上書でICJへの付託を提案。同年10月、韓国が拒否。
- 1962年3月:日韓外相会談で、小坂善太郎外相が崔徳新韓国外務部長官に付託を提案。韓国は受け入れず。
- 2012年8月:李明博大統領の竹島上陸を受け、日本政府が改めて提案。同月、韓国が拒否。
2012年の提案は、韓国の歴代大統領として初めて李明博大統領が竹島に上陸したことを受けて行われました。
日本政府は、領土問題を武力や一方的な行為で解決するのではなく、国際法に基づいて解決する姿勢を示しています。
韓国がICJ付託を拒否する理由韓国政府が付託を拒否する根本的な理由は、独島について領有権紛争が存在しないという立場を取っているためです。
韓国政府は、独島は歴史的にも地理的にも国際法上も韓国固有の領土であり、領有権を司法手続きで証明する必要はないと説明しています。
1954年の提案に対しても、日本の主張を前提とした国際裁判には応じる必要がないという趣旨の立場を示しました。
つまり、日本は領有権をめぐる国際紛争として裁判による解決を求める一方、韓国はそもそも紛争の存在を認めないため、司法手続きの入口で意見が一致していません。
ICJは一方の国だけで裁判を始められるのかここには、国際司法裁判所の制度上の重要な仕組みがあります。
ICJの国家間訴訟では、原則として当事国が裁判所の管轄権を受け入れている必要があります。
同意の方法には、特定の紛争について両国が合意する特別合意、条約に定められた管轄条項、選択条項受諾宣言などがあります。
日本政府は1958年以来、一定の条件の下でICJの強制管轄権を受け入れています。しかし、韓国は同じ立場を取っていません。
そのため、日本が一方的に提訴を行っても、竹島問題について韓国の同意などに基づく管轄権が成立しない限り、裁判を開始することはできません。
この点は、ICJ自身も国家の同意を管轄権の基本原則として説明しています。
国際法で判断する場合、何が重要になるのか領土問題では、単に歴史的に島の存在を知っていたという事実だけでなく、国家がどのような権限を行使していたか、どのような法的根拠を持っていたかなどが検討されます。
具体的には、次のような論点が重要です。
- 歴史的な認識:古文献や地図に島がどのように記録されているか。
- 国家による権限行使:行政、漁業許可、土地管理などの国家活動が存在したか。
- 国際条約:戦後の領土処理を定めた条約が何を規定しているか。
- 実効支配:国家が実際に島を管理している状況と、その管理が始まった経緯。
- 抗議や黙認の状況:他国が領有権の主張や行政行為に対してどのような対応を取ってきたか。
また、国際法上、ある島が特定の国に近いという地理的な事情だけで、その国の領土と決まるわけではありません。日本政府もパルマス島事件やリギタン島・シパダン島事件などの国際判例を引用し、地理的近接性だけでは領有権の根拠にならないと説明しています。
竹島問題で本質的に問われるのは、距離の近さではなく、歴史的資料、国家の権限行使、条約、戦後の経緯を総合的にどう評価するかという点です。
【2026年最新】竹島問題の現在と外交青書2026・軍事訓練の動向
2026年11月1日現在、竹島問題に領有権をめぐる最終的な司法判断はなく、韓国による実効支配と日本政府による領有権の主張が続いています。
外交青書2026が示した日本政府の基本姿勢外務省は2026年4月10日、令和8年版外交青書、いわゆる外交青書2026を公表しました。
この青書は主として2025年1月から12月までの国際情勢と日本外交の取り組みをまとめたものです。
竹島問題については、韓国が警備隊を常駐させるなどして竹島を不法占拠しているという日本政府の従来の立場を改めて示しています。
また、2025年に竹島やその周辺で韓国軍による軍事訓練が実施され、日本政府がその都度抗議したことも記載されています。
加えて、1954年、1962年、2012年のICJ付託提案がいずれも韓国側に拒否されたことを説明し、今後も国際法に基づく平和的解決に向けて外交努力を続ける方針を示しました。
なお、外交青書2026は2025年の出来事を中心にまとめた資料です。2026年8月以降の出来事は、青書公表後の追加動向として確認する必要があります。
2025年:韓国軍による軍事訓練と日本の抗議2025年には、竹島に関係する韓国軍の軍事訓練が複数回実施されました。
外務省の発表によると、2025年7月17日、韓国軍が竹島に関する訓練を実施したことを受け、日本政府は韓国側に強く抗議しました。
加えて、同年12月23日に実施された訓練についても、12月24日に日本政府が抗議しています。
これらの訓練は韓国が独島周辺の防衛を目的として実施するものですが、日本政府は竹島の領有権に関する立場から受け入れられないとしています。
2026年8月:韓国軍の訓練をめぐり日本が抗議2026年8月6日、韓国軍は竹島に関する軍事訓練を実施しました。
韓国のKBS WORLDなどの報道によると、韓国軍は同年初めてとなる独島防衛訓練を非公開で実施しました。韓国では、こうした訓練は「東海領土守護訓練」と呼ばれ、通常は年2回実施されています。
日本の外務省は同日、金井正彰アジア大洋州局長から駐日韓国大使館の李相烈次席公使に対し、また在韓国日本大使館の中條一夫次席公使から韓国外交部の李珉璟アジア太平洋局長に対し、それぞれ強く抗議しました。
島根県も同日、知事コメントを公表し、韓国軍による訓練を遺憾とする立場を表明しました。
この動きは、竹島問題が歴史的な領土論争だけでなく、現在進行形の安全保障・外交問題でもあることを示しています。
2026年8月:竹島周辺の海洋調査をめぐる対立軍事訓練の翌日である2026年8月7日には、竹島西側の日本のEEZ内で、韓国の海洋調査船による調査活動が確認されたと報じられました。
TBS NEWS DIGの報道によると、韓国の調査船がワイヤのようなものを海中に投入していることが確認され、日本政府は事前の同意なく調査が行われたとして韓国側に抗議しました。
海洋調査は、島そのものの領有権とは異なる論点を含みます。海域の管轄権や調査活動の法的根拠が問われるため、竹島周辺では領土問題と海洋権益問題が重なっています。
2026年8月:日本の防衛白書にも韓国が抗議2026年8月4日に公表された日本の2026年版防衛白書も、日韓間の新たな外交的応酬につながりました。
韓国政府は、防衛白書に独島を日本固有の領土とする記述があることに抗議し、撤回を要求しました。韓国外交部は在韓日本大使館の中條一夫総括公使を呼び出して抗議しています。
日本側が領有権を主張する公式文書を公表するたびに、韓国側が抗議するという構図は、外交上の定例的な対立として続いています。
2026年10月:隠岐の島町から政府への要望2026年10月22日には、竹島領土権確立隠岐期成同盟会の池田高世偉会長(隠岐の島町長)らが、藤井一博外務大臣政務官を表敬訪問しました。
外務省の公表資料によると、この訪問では竹島の領有権や周辺海域の漁業秩序の早期確立に関する要望書が手渡されました。
外務政務官は、これまでの政府の取り組みを説明するとともに、今後も情勢や事情を踏まえて適切に対応する考えを示しました。
島根県や隠岐地域にとって、竹島問題は外交上の論点にとどまらず、漁業や地域の歴史、領土教育にも関係する問題です。
2026年11月現在の主な動きを
- 4月10日:外交青書2026を公表。日本政府の従来の領有権主張と平和的解決方針を明記。
- 8月4日:2026年版防衛白書をめぐり、韓国政府が日本に抗議。
- 8月6日:韓国軍が竹島関連の訓練を実施。日本政府が抗議。
- 8月7日:竹島周辺のEEZで韓国調査船の活動が確認されたとして、日本政府が抗議。
- 10月22日:隠岐の島町長らが外務大臣政務官に要望書を提出。
現状では、韓国による実効支配、日本政府による継続的な抗議、国際司法裁判所への付託が実現していないという3つの状況に大きな変化はありません。
【問題の本質】竹島問題が2026年になっても解決しない5つの理由
竹島問題が長期間にわたって解決しない理由は、単に日本と韓国の外交関係が悪いからではありません。歴史認識、国際法、現実の統治、国内世論、司法制度という複数の要因が重なっています。
1. 両国が異なる歴史的出発点を重視している日本は江戸時代の利用実績や1905年の編入、行政権の行使を重視しています。
韓国は古文献、1900年の勅令第41号、1905年当時の日本の朝鮮半島への進出などを重視しています。
同じ歴史的な出来事でも、その意味について両国の解釈が異なるため、共通の歴史認識を形成することが難しくなっています。
2. 植民地支配の歴史と結びついている韓国にとって独島は、日本による朝鮮半島の植民地支配と切り離しにくい問題です。
特に1905年は、日露戦争の最中であり、日本が韓国に対する政治的・軍事的影響力を強めていた時期でした。
韓国側は、この時期の竹島編入を植民地支配の一環として理解しています。一方、日本政府は、1905年の編入はそれ以前から確立していた領有権の再確認であり、韓国から領土を奪ったものではないと主張しています。
そのため、竹島問題は歴史的な領土問題であると同時に、日韓の歴史認識問題でもあります。
3. 韓国の実効支配が長期間続いている現在、竹島には韓国側の警備体制や施設が存在し、韓国が現実の管理を担っています。
日本政府はこの状態を不法占拠と位置づけていますが、韓国政府は自国の領土に対する正当な行政・警備活動と説明しています。
現実の管理状況が長く固定化しているため、外交的な抗議だけでは現状を変えることが難しくなっています。
4. ICJによる司法解決には韓国の同意が必要になる国際司法裁判所に提訴するという選択肢はありますが、竹島問題について韓国の同意などに基づく管轄権が成立しなければ、審理を進められません。
韓国は独島に領有権紛争は存在しないという立場を維持しているため、裁判による解決に応じていません。
これが、1954年から現在まで司法的解決が実現していない大きな制度上の理由です。
5. 国内世論と国家の象徴としての意味が大きい日本では竹島問題は領土保全と国際法の問題として扱われています。
韓国では独島が国家主権や歴史的記憶を象徴する存在となっており、政府が領有権の主張を後退させることは政治的にも難しい問題です。
また、両国には安全保障や経済、人的交流などで協力する必要性もあります。竹島問題が他の外交課題に波及することを避けながら、自国の立場を維持するという難しい外交判断が求められています。
2025年には日韓国交正常化60周年を迎え、両国の人的交流や協力が進みました。しかし、交流の拡大と領土問題の解決は必ずしも同じ速度では進みません。外交関係の改善だけで竹島問題が自動的に解決するわけではないのです。
【よくある誤解を検証】竹島問題について知っておきたい判断基準
竹島問題を調べる際には、インターネット上で広まっている説明を、そのまま歴史的事実や国際法上の確定事項として受け取らないことが大切です。
誤解1:韓国に近いから韓国領土になる竹島は鬱陵島から約88キロメートル、隠岐諸島から約158キロメートルの位置にあります。
しかし、国際法上、地理的な近さだけで領有権が決まるわけではありません。歴史的な権原や国家による行政権の行使、条約などを総合的に検討する必要があります。
誤解2:韓国が実効支配しているため、領有権問題はすでに解決している実効支配と国際法上の領有権は、同じ意味ではありません。
韓国が現実に島を管理していることは事実ですが、それだけで国際的な領有権の争いに最終的な決着がついたことにはなりません。
誤解3:サンフランシスコ平和条約に竹島と書かれていないため、日本領だと確定した日本政府は、竹島が日本の放棄する地域に含まれていないことを重要な根拠としています。
一方、韓国政府は、条文に直接記載がなくても韓国の領土に含まれるという解釈をしています。
条約の文言、起草過程、関連外交文書を分けて確認が必要です。
誤解4:日本は一度も国際司法裁判所への提訴を提案していないこれは誤りです。日本は1954年、1962年、2012年の3回、韓国にICJへの付託を提案しています。
ただし、韓国が拒否したため、竹島問題についてICJによる領有権の判決は出ていません。
信頼できる情報を見極めるための5つの基準竹島問題に関するニュースや解説を読む場合は、次の基準で情報を確認すると、事実と各国の主張を区別しやすくなります。
- 発信元を確認する:日本外務省、韓国外交部、内閣官房、国際司法裁判所などの一次資料を優先する。
- 歴史的資料の年代を確認する:古文献の島名が現在の竹島を意味するのか、鬱陵島を意味するのかを確認する。
- 政府の主張と確定した事実を分ける:「日本政府は主張する」「韓国政府は説明する」という形で立場を区別する。
- 条約本文と外交文書を区別する:サンフランシスコ平和条約の規定とラスク書簡のような関連文書は、法的な位置づけが異なる。
- 最新の日付を確認する:過去の外交青書やニュースだけでなく、2026年の外務省発表や外交上の抗議も確認する。
【竹島問題とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹島問題とは簡単にいうと何ですか?
A1:島根県の竹島(韓国名・独島)の領有権をめぐる日本と韓国の対立です。日本は歴史的資料や1905年の島根県編入、戦後の条約などを根拠に自国領と主張し、韓国は古文献や1900年の勅令第41号などを根拠に自国領と主張しています。
Q2:竹島と独島は違う島ですか?
A2:違う島ではありません。日本が「竹島」、韓国が「独島」と呼んでいる同じ群島です。英語ではリアンクール岩礁とも呼ばれます。
Q3:竹島は現在どちらの国が実効支配していますか?
A3:2026年11月現在、韓国が実効支配しています。韓国側が警備や施設の管理を行っていますが、日本政府はこれを不法占拠と位置づけ、領有権を主張し続けています。
Q4:1905年の島根県編入はなぜ重要なのですか?
A4:日本政府が1月28日の閣議決定と2月22日の島根県告示第40号によって、現在の竹島を正式に島根県に編入したためです。日本は領有意思の再確認と説明していますが、韓国は植民地支配の過程で行われた違法な編入と主張しています。
Q5:1952年の李承晩ラインとは何ですか?
A5:韓国の李承晩大統領が1952年1月18日に設定した海洋境界線です。韓国は周辺海域の漁業管轄権などを主張し、竹島もライン内に含めました。日本は一方的な設定に抗議しました。
Q6:サンフランシスコ平和条約で竹島の帰属は決まりましたか?
A6:条約第2条(a)には、韓国に対して放棄する地域として済州島、巨文島、鬱陵島などが記載されていますが、竹島の名称は直接記載されていません。日本と韓国は、この条文と起草過程の外交文書を異なる形で解釈しており、現在も争点となっています。
Q7:なぜ竹島問題は国際司法裁判所で裁判にならないのですか?
A7:ICJが国家間の紛争を審理するには、原則として当事国の同意などに基づく管轄権が必要だからです。日本は3回付託を提案しましたが、韓国は拒否しています。
Q8:2026年に竹島問題で新しい動きはありましたか?
A8:2026年4月の外交青書公表後、8月6日の韓国軍による軍事訓練、8月7日の海洋調査をめぐる抗議、8月4日の防衛白書に対する韓国の抗議などがありました。10月22日には隠岐の島町長らが日本政府に領有権や漁業秩序に関する要望書を提出しています。
竹島問題とは、日本と韓国が同じ島に対して異なる歴史認識と国際法上の根拠を主張している、長期的な領土問題です。
1905年の島根県編入、1952年の李承晩ライン、サンフランシスコ平和条約の解釈、1954年以降の韓国による実効支配など、複数の出来事が現在の対立につながっています。
日本政府は江戸時代からの利用実績や行政権行使、戦後の条約を根拠に領有権を主張しています。一方、韓国政府は古文献、大韓帝国勅令第41号、日本の植民地支配の歴史などを根拠に独島の領有権を主張しています。
2026年現在も、韓国による実効支配は続いており、日本政府は軍事訓練や海洋調査などに対して外交ルートで抗議しています。外交青書2026でも、ICJへの付託を含めた平和的解決に向けた取り組みを続ける方針が示されています。
【プロの結論】竹島問題を理解するために押さえるべき3つの視点第一に、歴史的な出来事を年代順に理解すること。1905年だけを切り取っても問題の全体像は見えません。江戸時代の利用、1877年の太政官指令、1900年の勅令第41号、戦後の条約まで連続して確認する必要があります。
第二に、実効支配と法的な領有権を混同しないこと。韓国が島を現実に管理していることと、国際法上の領有権がどちらに帰属するかは別の論点です。どちらか一方だけを見ても、問題の全体像は理解できません。
第三に、2026年の外交動向を歴史問題と切り離さずに見ること。軍事訓練、海洋調査、防衛白書、外交青書などの動きは、竹島問題が現在も日韓関係に影響を与えていることを示しています。
今後の焦点は、両国が自国の立場を維持しながら、どのように国際法に基づく平和的な解決の道筋を見いだすかです。歴史的な主張と現在の外交上の事実を区別して理解することが、竹島問題を正確に捉えるための出発点になります。