「七五三掛」は、初見では「しちごさんかけ」と読んでしまいそうな、全国的にも珍しい名字です。一般的な読み方は「しめかけ」で、名字の資料には「しめがけ」という読みも掲載されています。その背景には、神聖な場所を区切る注連縄(しめなわ)と、山形県鶴岡市に現在も残る七五三掛という地名が深く関係しています。
2026年11月現在、名字由来netに掲載されている推計人数は約320人、全国順位は16,038位です。分布は茨城県古河市と栃木県下都賀郡野木町に集中しています。一方、名字の起源には山形県の地名に由来する説だけでなく、楠木氏の後裔とする中世の伝承もあります。それぞれの歴史的背景をたどると、この珍しい名字が持つ複数の側面が見えてきます。
【読み方の謎】七五三掛は「しめかけ」「しめがけ」のどちらが正しい?

七五三掛の代表的な読み方は「しめかけ」です。名字由来net、日本姓氏語源辞典、人名力、名字辞典などの資料で確認できます。
一方、日本姓氏語源辞典では「しめがけ」も別の読みとして掲載されています。名字由来netでも両方が紹介されており、濁音の有無による読み方の違いが存在します。
「しめかけ」と「しめがけ」の違い両者の違いは、主に「か」と「が」の発音です。「しめかけ」は清音、「しめがけ」は濁音で、後者は連濁による読み方として理解できます。
ただし、名字の読み方は一般的な音韻規則だけで決まるものではありません。同じ漢字でも家系や地域によって読み方が異なることがあり、本人や家族が使用している正式な読み方を優先する必要があります。
なぜ「七五三」を「しめ」と読むのか最大の疑問は、数字の「七五三」をなぜ「しめ」と読むのかという点です。
これは、神社などで見かける「七五三縄(しめなわ)」という表記に関係しています。七五三縄は注連縄の別表記であり、一般的な数字の読み方とは異なる特殊な読み方です。
つまり、七五三掛の「七五三」も、七・五・三という数字をそのまま読むのではなく、注連縄に関係する「しめ」という読みを当てたものと考えられています。
なお、「しちごさんかけ」は漢字を通常の音読みで読んだ場合に生じる誤読であり、一般的な名字の読み方ではありません。
【漢字の由来】七五三縄と注連縄にはどんな関係がある?
七五三掛の由来を理解するには、まず「七五三縄」と「注連縄」の関係を知る必要があります。
注連縄は、神社の神域や神事を行う場所などに張り巡らされる縄です。神聖な場所と外側の空間を区別し、邪気や穢れが入り込まないようにする意味があります。
日本漢字能力検定協会が運営する漢字ペディアでは、七五三縄について、縄の編み目から七・五・三筋のわらの茎を垂らすことが表記の由来として説明されています。
七・五・三という数字が表すもの七五三縄という表記は、注連縄の形状に由来します。縄から垂らす藁の筋を七本、五本、三本とする形式が、漢字表記に反映されているのです。
そのため、七五三縄と注連縄は別々の祭具を意味するのではなく、同じ「しめなわ」を表す異なる漢字表記として理解できます。
「しめる」という言葉と神聖な境界注連縄の「しめ」は、土地や空間を占める、あるいは境界を示すという意味に結び付けて説明されます。
玉川大学教育博物館の解説でも、注連縄の「シメ」は「占める」を意味すると説明されています。縄を張ることで、特定の場所を他の空間と区別するという考え方です。
神社の鳥居や御神木に注連縄が掛けられているのも、そこが通常の場所とは異なる神聖な空間であることを示すためです。
こうした文化的背景を踏まえると、「七五三掛」という名字に含まれる「掛」は、注連を掛けるという行為や、注連縄を掛けた場所との関係を連想させます。
ただし、七五三縄の表記が存在することだけで、すべての七五三掛姓が同じ家系から生まれたと証明されるわけではありません。漢字の語源と個々の家系の成立は、分けて考える必要があります。
【発祥地を調査】山形県鶴岡市七五三掛と羽前国田川郡大網村の関係
七五三掛の名字のルーツとして、特に注目されているのが山形県鶴岡市の七五三掛地区です。
名字由来netでは、現山形県にあたる羽前国田川郡大網村の七五三掛を名字の発祥地として紹介しています。現在の行政区域でいえば、旧朝日村を経て鶴岡市に編入された地域です。
この地域には、名字の由来と結び付く注連寺や注連掛桜という名称が残されています。
弘法大師が注連を桜の木に掛けたという伝承東北農政局が2025年6月に作成した「庄内あさひ地区」事後評価基礎資料には、七五三掛の地名に関する興味深い伝承が記録されています。
その内容は、今から約1200年前、弘法大師が湯殿山を開いた後、山を下りて七五三掛の地に至り、それまで身に着けていた注連を外して桜の木に掛けたというものです。
その桜は「注連掛桜」と呼ばれ、木の下に建立された寺は「注連寺」と名付けられました。そして、この故事が村の名称の由来になったと伝えられています。
これは単なる漢字の語呂合わせではありません。地域に伝わる寺院の由緒と、注連を掛けたという行為が、七五三掛という地名に結び付いているのです。
七五三掛地区は湯殿山信仰の重要な拠点だった七五三掛地区は、庄内地方と内陸部を結ぶ六十里越街道沿いに位置しています。
この街道は古くから湯殿山への参詣路として利用され、室町時代から江戸時代にかけて多くの参詣者が往来しました。
東北農政局の資料によれば、七五三掛地区は注連寺を中心とした宿坊街として栄え、湯殿山の縁年にあたる1733年には15万3千人余りの参詣者でにぎわったという記録が残されています。
また、2010年4月発行の「砂防と治水194号」に掲載された鶴岡市長による報告でも、旧朝日村の七五三掛地区が六十里越街道の要衝として発展した歴史が紹介されています。
こうした背景から、七五三掛は単なる集落名ではなく、出羽三山・湯殿山信仰と関係する歴史的な地域名称としても理解できます。
羽前国田川郡大網村という旧地名について「羽前国田川郡大網村」という名称は、名字由来netが紹介する歴史的な地名表記です。
羽前国は現在の山形県の内陸部・庄内地方を含む旧国名で、田川郡はその中の郡名です。大網は現在の鶴岡市朝日地域に関係する地名として知られています。
明治22年の町村制施行では、大泉村・本郷村・東村が合併して朝日村が成立しました。その後、2005年の市町村合併によって鶴岡市の一部となっています。
したがって、古い名字資料に記載された「羽前国田川郡大網村」と、現在の「山形県鶴岡市七五三掛」は、歴史的な行政区画の変遷を踏まえて読み替える必要があります。
【起源説を比較】七五三掛姓は山形発祥?楠木氏の後裔という伝承も検証
七五三掛姓の由来を調べると、山形県の地名に結び付く説明のほかに、栃木県下都賀郡野木町に伝わる中世の武家に関係した説が見つかります。
重要なのは、名字全体の起源と、特定地域に住む一族の由来を混同しないことです。
七五三掛姓に関する主な説と資料上の位置付け| 手がかり・伝承 | 内容 | 確認できる根拠と位置付け |
|---|---|---|
| 山形県鶴岡市の地名説 | 羽前国田川郡大網村の七五三掛という地名に由来する説。 | 名字由来netが紹介。現在も鶴岡市に七五三掛地区が存在する。 |
| 注連縄・七五三縄説 | 神聖な場所に注連を掛けたことに由来するという説明。 | 漢字ペディアや東北農政局の地域資料が、七五三縄の意味と地域伝承を裏付ける。 |
| 楠木氏・和田氏の伝承 | 楠木七郎と和田五郎が三百騎で山を駆け下りた故事から、七・五・三・掛の字を用いたという説。 | 日本姓氏語源辞典に掲載された野木町野渡の家系に関する伝承。家系全体を裏付ける一次史料は別途必要。 |
| 古河市宮前町の伝承 | 江戸時代には七五三掛姓を称していたという説明。 | 日本姓氏語源辞典に記載。個々の家系の成立時期を示す古文書の確認が必要。 |
日本姓氏語源辞典・人名力では、栃木県下都賀郡野木町野渡における七五三掛姓について、楠木氏の後裔とする伝承を紹介しています。
その内容は、楠木七郎と和田五郎が三百騎で山を駆け下りたという故事に基づき、「七」「五」「三」「掛」の漢字を用いて室町時代に名乗ったというものです。
楠木氏は南北朝時代の歴史と関係する武家として知られています。また、和田五郎という人物名も中世の軍記物などに登場するため、伝承に歴史上の人物や武家の名前が含まれている点は興味深いところです。
しかし、楠木氏の後裔という家系上の主張と、七五三掛という名字が成立した経緯は別々に検証する必要があります。現時点で一般に参照できる名字資料だけでは、楠木氏との血縁や故事の詳細を確定することはできません。
この伝承は、野木町野渡に伝わる家系の由来として扱うのが適切です。山形県の地名由来説を否定するものではありません。
茨城県古河市にも独自の家系の歴史がある茨城県古河市宮前町についても、日本姓氏語源辞典では江戸時代に七五三掛姓を称していたとする説明があります。
古河市は七五三掛姓の分布が特に多い地域です。名字資料の小地域別集計では、宮前町だけでなく松並や静町にも一定数が確認されています。
このことから、現在の七五三掛姓は、山形県の地名に由来する系統だけでなく、関東地方に根付いた複数の家系の歴史も含めて考える必要があります。
同じ名字であっても、すべての人が同じ祖先を持つとは限りません。地名由来、家系伝承、地域での定着という異なる経路が重なっている可能性があります。
【2026年最新】七五三掛姓の全国人数・順位と茨城県・栃木県の分布
七五三掛は、日本の名字の中でも比較的珍しい姓です。
2026年11月に確認できる名字由来netの掲載データでは、全国人数は約320人、全国順位は16,038位となっています。個別ページの最終更新日は2026年10月7日です。
全国の七五三掛姓は約320人名字由来netの推計による都道府県別の人数は、次のようになっています。
- 茨城県:約140人
- 栃木県:約80人
- 東京都:約50人
- 埼玉県:約30人
- 神奈川県:約10人
茨城県と栃木県だけで約220人となり、全国推計の大部分がこの2県に集中していることが分かります。
茨城県古河市と栃木県野木町が二大集積地市区町村別では、茨城県古河市と栃木県下都賀郡野木町が目立ちます。
- 茨城県古河市:約130人
- 栃木県下都賀郡野木町:約60人
- 東京都稲城市:約20人
- 栃木県小山市:約10人
- 茨城県結城市:約10人
古河市では宮前町、松並、静町などに分布が見られます。野木町では野渡が代表的な集積地です。
特に野木町野渡は、名字由来の伝承と分布の両面で重要な場所です。楠木氏の後裔という伝承が紹介されている地域でもあり、七五三掛姓の歴史を考える際に欠かせない手がかりとなっています。
全国順位や人数は公式統計なのかここで注意したいのが、約320人という数字の性質です。
名字由来netなどの民間名字データベースでは、政府統計や全国電話帳データなどを組み合わせて人数を推計しています。これは戸籍上の全国人数を直接集計した公式統計とは異なります。
実際、日本の名字ランキングには複数の民間推計があり、別の名字資料では約300人、全国17,255位という数値も掲載されています。
この違いは、集計時期や使用データ、推計方法の違いによるものです。したがって、2026年の現状を把握する場合は、データの更新日と出典を併記することが大切です。
今回の約320人、16,038位という数字は、2026年10月7日更新の名字由来netの掲載値を基準にしたものです。正確な戸籍上の実人数と同一視することはできません。
【プロの結論】七五三掛の由来を正しく理解するための3つの判断基準
七五三掛という名字を調べると、注連縄、山形県の地名、楠木氏、和田五郎など、さまざまな情報が出てきます。
それらを整理すると、名字の由来を考えるうえで重要なのは、漢字の語源、地名の歴史、個々の家系の伝承を分けて理解することです。
1. 漢字の由来と名字の発祥を混同しない「七五三」が注連縄の別表記であることは、漢字ペディアなどの辞典資料から確認できます。
一方、七五三掛という名字がどの家で最初に成立したのかは、別の問題です。漢字の意味が分かっただけでは、個々の家系の起源まで特定できません。
2. 山形県の地名と関東の家系伝承を区別する山形県鶴岡市の七五三掛地区には、注連掛桜や注連寺に関係する地域伝承があります。
一方、栃木県野木町野渡には楠木氏の後裔という家系伝承があり、茨城県古河市にも江戸時代から続くとされる家系の記録があります。
これらは同じ名字に関係する情報ですが、必ずしも同じ家系の歴史を説明しているわけではありません。
3. 自分の家系を調べるなら古文書と戸籍を確認する七五三掛姓の家系を詳しく調べたい場合は、名字辞典だけでなく、戸籍や除籍謄本、過去帳、墓碑、土地に関する記録などを照合することが有効です。
特に古河市や野木町に先祖が住んでいた場合は、地元の郷土資料や野木町史、地域の寺院・神社に残る記録も調査の手がかりになります。
野木町では『野木町史 歴史編』『野木町史 民俗編』が刊行されており、地域の中世史や村の暮らしを調べるための資料として利用できます。
また、山形県とのつながりを調べる場合は、旧朝日村や大網地区の郷土史、注連寺の由緒なども確認したい資料です。
名字が同じという理由だけで武家の子孫と判断するのではなく、実際の家系資料と地域史を組み合わせることが、最も確かな調査方法です。
七五三掛の由来に関するよくある質問(FAQ)
Q1:七五三掛は何と読みますか?
A1:一般的には「しめかけ」と読みます。名字資料には「しめがけ」という読みも掲載されています。個人の正式な読み方は本人や家族に確認するのが確実です。
Q2:七五三掛という名字は全国に何人いますか?
A2:2026年10月7日更新の名字由来netでは、約320人、全国順位16,038位と推計されています。電話帳などを基にした民間推計であり、戸籍による確定人数ではありません。
Q3:七五三掛の発祥地は山形県ですか?
A3:名字由来netでは、山形県鶴岡市の旧朝日村にあたる七五三掛地区をルーツとして紹介しています。東北農政局の資料にも、弘法大師が注連を桜に掛けたという地域伝承が記録されています。
Q4:七五三縄と注連縄は同じものですか?
A4:はい。同じ「しめなわ」を表す異なる漢字表記です。七五三縄という表記は、縄から七・五・三筋の藁を垂らす形式に由来すると漢字ペディアで説明されています。
Q5:七五三掛は楠木氏の子孫なのですか?
A5:栃木県野木町野渡の七五三掛姓について、楠木氏の後裔とする伝承が名字資料に掲載されています。ただし、名字全体が楠木氏に由来することや、すべての七五三掛家が同じ血筋であることを示すものではありません。
Q6:七五三掛姓が多い地域はどこですか?
A6:2026年の名字由来netの推計では、茨城県が約140人、栃木県が約80人です。市区町村では茨城県古河市が約130人、栃木県下都賀郡野木町が約60人とされています。
七五三掛という名字の読み方は「しめかけ」が代表的で、「しめがけ」という読み方も存在します。その漢字の背景には、七・五・三筋の藁を垂らす注連縄、すなわち七五三縄の文化があります。
地名の手がかりとなるのは、山形県鶴岡市の七五三掛地区です。旧羽前国田川郡大網村に関係する地域であり、弘法大師が注連を桜の木に掛けたという伝承が、注連掛桜や注連寺の名称とともに伝えられています。
一方、栃木県野木町には楠木氏の後裔とする伝承があり、茨城県古河市にも江戸時代から続くとされる家系の歴史があります。名字の由来を一つの説だけで説明することは難しく、地域ごとの歴史を考慮する必要があります。
2026年最新の民間推計では、全国に約320人。茨城県古河市と栃木県野木町を中心に分布する珍しい名字です。
七五三掛という四文字には、神聖な空間を区切る日本の信仰文化、山形県の山岳信仰、そして関東地方に根付いた家系の伝承が重なっています。読み方だけでなく、地名や地域史までたどることで、この名字が持つ歴史的な奥行きが見えてきます。
主な照合資料: 東北農政局「庄内あさひ地区」事後評価基礎資料(2025年6月)、漢字ペディア、名字由来net(2026年10月更新)、日本姓氏語源辞典・人名力、玉川大学教育博物館。