M字開脚が生まれた背景には、撮影スタッフからのポーズの指示と、インリン自身の表現上の工夫があった。
2026年10月31日深夜放送の『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』では、博多大吉から「誰かが言ったんですか、こういうポーズしろって」と質問されたインリンが、当時の撮影を振り返った。
本人の説明によると、撮影現場で求められたのは「格好良くしゃがむ」というポーズだった。しかし、普通にしゃがむだけでは難しい。そこで彼女は、脚を閉じるよりも開いたほうが格好良く、強そうに見えるのではないかと考えた。
脚を開いたらかっこいいよね、強そうと思って。閉じるよりはと思って開いて。
この判断が、後にインリンの代名詞となるポーズにつながった。
重要なのは、撮影スタッフから完成形を指定されたわけではなく、インリン自身がその場で表現を工夫した点だ。
2023年12月の週プレNEWSのインタビューでも、本人は撮影中にカメラマンのクラタノフから「しゃがんでみて」と言われたことを回想している。
つまり、M字開脚の誕生には、撮影者の発想とインリン自身の判断が組み合わさっていた。
当時のグラビアでは異例だった大胆なポージング2026年8月の双葉社「THE CHANGE」のインタビューで、インリンは当時のグラビア界についても語っている。
当時は、内股のポーズを取る女性グラビアアイドルが多く、上品さや癒やし系の雰囲気が好まれていたという。
それに対してインリンが目指したのは、誰も簡単には真似できない女性像だった。
単に肌を露出するだけではなく、脚の角度や表情、衣装まで含めて、強さを感じさせるビジュアルを作ろうとしていた。
後年の文春オンラインのインタビューでも、本人は当初のグラビアについて、男性向けの写真を狙ったのではなく、女性の自立や強さをイメージしていたと説明している。
この視点を踏まえると、M字開脚は単なる刺激的なポーズではなく、インリンが自分の表現を確立する過程で生まれたものだった。
【由来を解説】M字開脚と名付けたのは週刊プレイボーイ

M字開脚という言葉を最初に広めたのは、インリン本人ではない。
本人の2026年8月のインタビューによると、『週刊プレイボーイ』がグラビアに「インリン、M字開脚!」というキャッチコピーを付けたことが大きな転機になった。
インリンは、その誌面をコンビニの雑誌コーナーで見て初めて言葉を知ったという。
最初は「M字開脚」が何を意味するのか分からなかったものの、両脚の形を見て、アルファベットのMに似ていると理解したと振り返っている。
なぜインリンの名前と結び付いたのか『週刊プレイボーイ』でキャッチコピーが付けられた後、他の雑誌も同じポーズを取り上げるようになった。
その結果、M字開脚という言葉とインリンのイメージが強く結び付いていった。
本人も2022年の文春オンラインのインタビューで、週プレがキャッチフレーズを付けた後、他誌でも同じ名称が使われ、いつの間にか定番になったと説明している。
さらに2023年の週プレNEWSでは、次のような趣旨を語っている。
- M字開脚という言葉は週プレが付けてくれた。
- 自分以外のグラビアアイドルも、脚を開くポーズをしていた。
- M字開脚とインリンのイメージが結び付いたことで、他の人が同じポーズを使いにくくなった面もあった。
- ポーズの名称について商標を取得しているわけではない。
ここで押さえたいのは、ポーズを考えた人と、名称を定着させた人の役割が異なることだ。
ポーズの原型を作ったのは撮影現場でのインリンの工夫であり、M字開脚という名称を広めたのは週刊プレイボーイだった。
この二つが重なったことで、単なる撮影ポーズがタレントの代名詞へと変わっていった。
【関係者・年表】クラタノフとの撮影が生んだ独自の世界観
M字開脚の誕生を語るうえで欠かせない人物が、カメラマンのクラタノフだ。
週プレNEWSの2023年のインタビューでは、インリンはクラタノフとの作品撮りが日本で活動するきっかけだったと話している。
仕事が忙しくなった後も撮影関係は続き、雑誌の撮影だけでなく、二人で撮りためた作品が写真集などに掲載されることも多かったという。
クラタノフとの撮影エピソード当時の撮影は、一般的なグラビアのイメージとはかなり異なっていた。
クラタノフが選ぶロケーションは、南国の海や明るいリゾートではなく、古いラブホテルや廃墟など、独特の雰囲気を持つ場所が中心だった。
インリンは、ラスベガスの豪華なホテルで撮影してみたいと希望したこともあったが、実際に連れて行かれるのはボロボロの廃墟だったと笑いながら振り返っている。
高いヒールを履いて足場の悪い場所を歩いたり、壊れた便器を使った撮影に抵抗を感じたりと、撮影の裏側は決して華やかではなかった。
衣装やヘアメイクも、クラタノフとの二人きりの撮影では自分で用意することが多かったという。
こうした現場での積み重ねが、インリン独自のグラビア表現を形作っていった。
主な関係者と出来事の整理| 人物・媒体 | 関係・役割 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| インリン | ポーズの発案者 | 脚を開いて強さを表現 |
| クラタノフ | 撮影カメラマン | 初期の作品撮りを支えた |
| 週刊プレイボーイ | 名称の普及 | M字開脚のキャッチコピーを掲載 |
| ハリプ | カメラマン | 元クラタノフ。2023年の週プレ取材で写真家として紹介 |
| 野村誠一 | 2025年の撮影担当 | 『BACK TO THE M』の撮影を担当 |
| テレビ東京 | 2026年の出演番組 | 『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』で誕生秘話を紹介 |
なお、ハリプとクラタノフは週プレNEWSの表記で「ハリプ(元クラタノフ)」と紹介されている。同一の撮影関係者として扱うのが適切だ。
【経歴と転換点】インリン・オブ・ジョイトイから現在まで
インリンは1976年2月15日、台湾・台北市生まれ。
10歳から東京で生活し、中国語、台湾語、日本語を話すトライリンガルとして活動してきた。
2000年代にはグラビアを中心に人気を獲得し、バラエティー番組やプロレス関連の活動にも進出。旧芸名のインリン・オブ・ジョイトイとしても広く知られた。
公式プロフィールによると、2008年に日本人男性と結婚。2016年3月にはJOYTOYを脱退し、インリンとしてソロ活動を開始している。
主な経歴と活動の変化| 時期 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1976年 | 台湾・台北市で誕生 | 公式プロフィール掲載 |
| 10歳 | 東京での生活を開始 | 日本語を習得 |
| 2000年代 | グラビアで大ブレイク | M字開脚が代名詞に |
| 2008年 | 日本人男性と結婚 | 家庭生活の転換点 |
| 2010年 | 第1子となる長男を出産 | 3児の母への第一歩 |
| 2013年 | 男女の双子を出産 | 子どもは合計3人に |
| 2016年3月 | JOYTOYを脱退 | インリン名義でソロ活動 |
| 2023年6月 | 写真集を発売 | 14年ぶりの写真集 |
| 2025年9月 | 『BACK TO THE M』発売 | 49歳でグラビアに再挑戦 |
| 2026年9月 | ABEMAに出演 | 台湾での生活や子育てを紹介 |
| 2026年10月 | テレビ東京に出演 | M字開脚の誕生秘話を回想 |
特に注目したいのは、結婚や出産を経ても芸能活動との接点を失わなかったことだ。
グラビアから離れていた時期も、インリンは自分の活動を完全に否定したわけではない。過去の実績を大切にしながら、新しいライフステージに合わせた仕事を選んできた。
【2025年の復帰】49歳の『BACK TO THE M』で再びM字開脚
インリンのグラビア活動を語るうえで、2025年9月29日発売のデジタル写真集『BACK TO THE M』は外せない。
小学館から発売された『週刊ポスト』のデジタル写真集で、撮影を担当したのは写真家の野村誠一。
49歳でのグラビア再挑戦は、かつてのファンだけでなく、新たな世代にもインリンの名前を届ける機会になった。
なぜ再びグラビアに挑戦したのか2025年9月のABEMA密着企画「NO MAKE」で、インリンは復帰の理由を率直に語っている。
母親としてじゃなく、やっぱり女性でいたいので。
3人の子どもを育てる日常では、学校や塾への送迎、家事など、母親としての役割が中心になる。
その生活の中で、撮影は自分自身を取り戻す時間にもなったという。
単に若い頃の姿を再現したかったわけではない。母親としての自分とは別に、一人の女性、表現者としての自分を大切にしたいという思いがあった。
49歳のM字開脚は以前と同じだったのか本人は2026年2月の文春オンラインのインタビューで、股関節が硬くなったため、以前ほど脚が開かなくなったと明かしている。
撮影は約2年半ぶりで、最初は感覚を取り戻すまで戸惑いもあったという。
また、2025年の撮影では、かつて28歳の頃に写真集を撮影した野村誠一との再会も実現した。
ABEMAの密着映像では、スタッフも本人もM字の形をどう作るか記憶が曖昧になっていたことや、180度の開脚が難しくなっていたことが紹介された。
それでも、撮影者の工夫と本人の経験によって、再びM字の撮影を完成させた。
ここには、若さをそのまま再現するのではなく、年齢を重ねた現在の自分で表現を続ける姿勢が表れている。
【2026年最新】インリンは現在台湾在住!3児の母としての暮らし
2026年11月2日現在、インリンは50歳。
公式プロフィールでは、台湾・台北市出身で、3人の子どもの母であることが紹介されている。
2026年10月31日深夜のテレビ東京系『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』では、松岡昌宏と博多大吉を相手に、現在の台湾での暮らしについても語った。
台湾に移住した理由は夫の希望だった番組でインリンは、結婚して長男が生まれた後、台湾に戻った経緯を説明した。
夫は日本人だが、台湾を気に入り、夫のほうから台湾で暮らしたいと言い始めたという。
一方、インリン自身は当時、日本にいたい気持ちが強かった。
帰国する際には空港で号泣したと明かしており、現在の台湾生活に至るまでには本人なりの葛藤もあったことが分かる。
現在は台湾・台北を生活の拠点にしており、日本との往来も続けている。
長男は日本の高校に通っている2026年の番組で特に注目されたのが、長男の近況だ。
インリンによると、長男は高校生で、日本の学校に通っている。寮生活を送っており、インリンも日本に来た際には寮の片付けなどを手伝っているという。
台湾に住みながら、日本で学ぶ長男をサポートする生活は、母親としての現在を象徴するエピソードだ。
また、2026年9月にはABEMA『愛のハイエナ season6』にも出演。
長女から恋愛相談を受けることがあると明かし、母親として子どもたちの成長を見守る姿も紹介された。
2026年の主な活動- 9月8日: ABEMA『愛のハイエナ season6』にゲスト出演。
- 10月31日深夜: テレビ東京『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』にゲスト出演。
- 11月1日: 番組出演での発言をスポーツ紙などが報道。
グラビアで活躍した過去だけでなく、台湾での生活や子育て、日本での仕事を両立させている現在の姿も、2026年のインリンを理解するうえで要点だ。
【プロの結論】インリンのM字開脚が今も語り継がれる3つの理由
インリンのM字開脚が長く記憶されている背景には、単に大胆なポーズだったというだけでは説明できない要素がある。
1. 本人の発想から生まれた独自性脚を閉じると優しく見えるが、開くことで強さを表現できる。
この本人の判断が、当時の主流だったグラビアの表現とは異なる印象を作り出した。
2. 週刊プレイボーイによるネーミング効果ポーズにM字開脚という分かりやすい名前が付いたことで、写真そのものだけでなく、言葉としても認知されるようになった。
視覚的なインパクトと短く覚えやすい名称が結び付いたことは、メディア上でのブランド形成という観点でも興味深い。
3. 本人のキャラクターと表現が一致していたインリンはグラビアだけでなく、バラエティー番組やプロレス関連の活動でも独自のキャラクターを発揮してきた。
M字開脚という象徴的なポーズが、その強いキャラクターを視覚的に伝える役割を果たしていた。
加えて、2025年のグラビア復帰では、49歳の自分にできる表現を模索した。
過去の栄光をそのまま繰り返すのではなく、現在の身体や生活に合わせて新しい表現に挑戦したことも、長く活動を続ける理由の一つだ。
情報を見極める際は、ポーズの発案者、名称を付けた媒体、撮影を担当した人物を分けて考えることが大切だ。 この3者の役割を混同すると、誕生秘話の理解を誤ってしまう。
【よくある質問】インリンのM字開脚に関するFAQ
Q1:インリンのM字開脚は誰が考えたの?
A1:撮影現場でインリン自身が考えたポーズです。しゃがむよう求められた際、脚を開いたほうが格好良く、強そうに見えると判断したことが始まりです。
Q2:M字開脚という名前を付けたのは誰?
A2:『週刊プレイボーイ』です。インリン本人も、発売された雑誌を見て初めてキャッチコピーを知ったと話しています。
Q3:クラタノフとは誰?
A3:インリンの初期のグラビア活動を支えたカメラマンです。本人は、クラタノフとの作品撮りが日本で活動するきっかけだったと振り返っています。2023年の週プレNEWSでは、ハリプ(元クラタノフ)として紹介されています。
Q4:インリンは2026年現在何歳?
A4:1976年2月15日生まれの50歳です。
Q5:インリンは現在どこに住んでいる?
A5:台湾・台北が生活の拠点です。2026年のテレビ出演では、長男が日本の高校に通っているため、日本と台湾を行き来していることも明かしました。
Q6:インリンは現在もグラビア活動をしている?
A6:2025年9月に『BACK TO THE M』を発売し、49歳でグラビアに再挑戦しました。2026年もテレビ出演など芸能活動を続けています。
インリンのM字開脚は、撮影現場での本人のアイデアから生まれ、『週刊プレイボーイ』のキャッチコピーによって広く知られるようになった。
その背景には、カメラマンのクラタノフとの作品作りや、当時のグラビア界の主流とは異なる強い女性像を表現しようとした本人の姿勢があった。
2025年には49歳で『BACK TO THE M』を発売。2026年には『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』で誕生秘話を改めて語り、台湾での現在の暮らしも紹介された。
かつてのグラビア界を象徴する存在でありながら、現在は3児の母として生活し、50歳になっても自分らしい芸能活動を続けている。
M字開脚が伝説となった最大の理由は、刺激的なポーズだけではない。本人の発想、撮影現場の創造性、メディアによる言葉の力が重なり、一人のタレントを象徴する文化的なイメージにまで成長したことにある。
主な確認資料:テレビ東京公式番組情報、インリン公式プロフィール、週プレNEWS、双葉社 THE CHANGE、文春オンライン、日刊スポーツ、スポーツニッポン、ABEMA TIMES。