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【最後のステージ】亡くなる約7か月前、車いすで立った京都の舞台

園田 薫 園田 薫 • 更新: • 公開: • 読了約 10 分
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はしださんの最後のステージとなったのは、2017年4月23日に京都市内で開かれた音楽イベント「京都フォーク・デイズ・ライブ」でした。

長年の闘病によって車いすでの生活を送っていたはしださんですが、この日は盟友きたやまおさむさんからの誘いを受けて出演。スポニチの報道によると、約20分間で4曲を披露しました。

日刊スポーツによれば、高校時代の仲間と結成した最初のバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」の仲間たちとも、このステージで音楽をともにしました。

長く公の舞台から遠ざかっていたはしださんにとって、京都の仲間たちと音楽を共有したこの時間は、最後のライブ出演となりました。

最後のステージで見せた音楽への思い

当時の報道では、共演者や関係者が、車いす姿ながらも元気そうな様子だったと振り返っています。

しかし、その翌月の5月には急性骨髄性白血病と診断されます。最後のステージからわずか1か月ほどで、新たな病気との闘いが始まったのです。

加えて、亡くなる約10日前にも、音楽にまつわる印象的な出来事がありました。

2017年12月6日付のデイリースポーツによると、かつてのバンド仲間が入院中のはしださんを見舞い、楽曲「祇園の鳥居」をギターで演奏しました。

演奏を聴いたはしださんは、ベッドの上でギターを手に取り、自ら弾き始めたといいます。かなり衰弱していた時期だったこともあり、看護師が驚くほどの出来事として紹介されました。

最後のライブ出演は4月でしたが、音楽との関わりがそこで完全に途絶えたわけではありません。亡くなる直前まで、ギターと音楽が本人の生活に深く結び付いていたことを伝えるエピソードです。

通夜では愛用のギターや手書きの歌詞カードが飾られ、「風」「花嫁」「悲しくてやりきれない」などの楽曲が流されました。はしださんの音楽人生を象徴するような音楽葬となりました。

【音楽人生と代表曲】ザ・フォーク・クルセダーズから「風」「花嫁」へ

はしだのりひこ死因

はしだのりひこさんは、パーキンソン病との闘病だけで語られる人物ではありません。1960年代後半から1970年代にかけて、日本のフォークソングを広く浸透させた音楽家の一人です。

本名は端田宣彦。1945年1月7日に京都市で生まれ、同志社大学在学中から音楽活動を始めました。

ザ・フォーク・クルセダーズへの参加

1967年、はしださんはザ・フォーク・クルセダーズに参加しました。

きたやまおさむさん、加藤和彦さんらとともに活動し、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるグループの一員として注目を集めます。

同グループは1968年に解散。その後も、はしださんは新たなグループを結成し、作曲家・歌手として活動を続けました。

「風」と「花嫁」はどのように生まれたのか

1968年には、杉田二郎さんらと「はしだのりひことシューベルツ」を結成。翌1969年には、代表曲の一つとなる「風」が大ヒットしました。

さらに1970年には「はしだのりひことクライマックス」を結成。1971年に発表した「花嫁」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦にも初出場しています。

「風」は北山修さんが詞を手掛け、はしださんのメロディーメーカーとしての才能を印象付けた作品です。「花嫁」もまた、当時のフォークソングを代表する楽曲として長く親しまれています。

この二つの作品は、はしださんが異なるグループで活動しながら、音楽家として存在感を発揮したことを示しています。

代表的な経歴・作品の整理
時期 活動・作品 実績 1945年 京都市で誕生 本名・端田宣彦 1967年 ザ・フォーク・クルセダーズ グループに参加 1968年 シューベルツ結成 新たな音楽活動へ 1969年 「風」 代表的なヒット曲 1970年 クライマックス結成 新グループで活動 1971年 「花嫁」 NHK紅白歌合戦に初出場 2017年 音楽活動と闘病 12月2日、72歳で逝去

出典:デイリースポーツの略歴、スポニチの訃報、CDジャーナルのアーティストプロフィール。

はしださんの魅力は、グループを移りながらも音楽活動を継続し、それぞれの時代に印象的な作品を残したことにあります。

「帰って来たヨッパライ」や「悲しくてやりきれない」で知られるフォークル時代、「風」で知られるシューベルツ時代、そして「花嫁」で紅白に出場したクライマックス時代。それぞれの作品を振り返ることで、はしださんが日本のフォークソングに残した足跡が見えてきます。

ユニバーサルミュージックも2017年12月2日に公式サイトで訃報を掲載し、ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーとして追悼しています。

【情報の検証】はしだのりひこの死因をめぐる誤解と事実

はしださんの死因については、複数の病名や異なる発症時期が報じられたことから、情報が混同されやすくなっています。特に注意したいのは、最初の訃報と、その後に明らかになった闘病の詳細を区別することです。

確認したい情報 報道・確認できる内容 死因 当時の主要報道ではパーキンソン病と伝えられた 白血病 2017年5月に急性骨髄性白血病と診断 二つの病気の関係 異なる疾患。直接的な因果関係があったとの公表はない パーキンソン病の期間 初期報道では約10年前、通夜での長女の説明では約20年前 最後のステージ 2017年4月23日の京都の音楽イベント 最後の演奏 亡くなる約10日前にも入院先でギターを演奏したと報道

特に、死亡時の病名と、亡くなるまでに患っていた病気を混同しないことが大切です。白血病の診断は事実ですが、報道された死因を白血病に置き換える根拠にはなりません。

また、約10年前と約20年前という発症時期の違いについても、最初の報道と、通夜での家族の詳細な説明に差があったと整理できます。

情報を見極める際は、訃報直後の見出しだけで判断せず、2017年12月5日の通夜報道や、その後に掲載された病状の経過報告まで確認が必要です。

【はしだのりひこの死因】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:はしだのりひこの直接の死因はパーキンソン病ですか?

A1:はい。2017年12月2日の訃報では、パーキンソン病のため亡くなったとスポニチや日刊スポーツなどが報じています。ただし、晩年には急性骨髄性白血病も患っており、二つの病気が重なった闘病生活を送っていました。

Q2:はしだのりひこが急性骨髄性白血病と診断されたのはいつですか?

A2:2017年5月です。4月の最後のステージを終えた後に診断され、本人は抗がん剤治療を選択しました。白血病の症状はいったん落ち着いたものの、10月ごろに再び症状が現れ、10月下旬から緩和ケア病棟へ移ったと報じられています。

Q3:はしだのりひこの享年と本名は?

A3:享年72歳です。本名は端田宣彦(はしだ・のぶひこ)。1945年1月7日に京都市で生まれ、2017年12月2日に京都市内の病院で亡くなりました。

はしだのりひこさんは、2017年12月2日午前1時16分、72歳で亡くなりました。当時の報道で伝えられた死因はパーキンソン病です。

一方で、約20年前からパーキンソン病と闘い、晩年には急性骨髄性白血病も発症していました。2017年5月に白血病と診断され、抗がん剤治療を受けたものの、病状は再び悪化。10月下旬から緩和ケア病棟で過ごすことになりました。

それでも、亡くなる約7か月前には車いす姿で最後のステージに立ち、亡くなる約10日前にもギターを手にして演奏したと伝えられています。

「風」「花嫁」「帰って来たヨッパライ」などの名曲は、現在も日本のフォークソングを語るうえで欠かせない作品です。

はしださんの死因を正しく理解するには、パーキンソン病と急性骨髄性白血病を区別しながら、二つの病気と向き合った晩年の経過を見る必要があります。そして、その人生を振り返るとき、病気だけでなく、最後まで音楽とともに歩んだ一人の音楽家としての姿も忘れてはなりません。

主な参考資料:日刊スポーツ(2017年12月3日・5日・13日)、デイリースポーツ(2017年12月2日・3日・5日・6日)、スポニチ(2017年12月2日・3日)、ユニバーサルミュージック公式訃報、国立がん研究センター「がん情報サービス」、難病情報センター「パーキンソン病」。

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