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【尼神インターの解散はいつ?】2007年の結成から2024年3月末までの歩み

園田 薫 園田 薫 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

尼神インターは、誠子と渚が吉本興業の養成所であるNSC大阪校30期生として出会い、2007年9月に結成した女性お笑いコンビだ。

コンビ名の「尼神」は、2人の出身地である兵庫県の尼崎と神戸に由来する。誠子が演じる自信満々な女性キャラクターに対し、渚が関西弁で鋭くツッコむスタイルが特徴だった。

結成当初から賞レースで頭角を現す

2人は大阪の劇場を中心に経験を積み、2011年には第32回ABCお笑い新人グランプリの新人賞を受賞。2014年には大阪の若手芸人ランキングで女性コンビとして初めて「キラメン7」に入り、2015年には「オールザッツ漫才2015」のフットカットバトルで優勝した。

全国的な知名度を高めるきっかけの一つとなったのが、M-1グランプリ2015での準決勝進出だ。

その後もテレビや劇場で活動し、誠子のキャラクターと渚の独特な存在感を生かしたコンビとして認知されていった。

2024年3月28日に解散を正式発表

解散発表は突然だった。

2024年3月28日、吉本興業が公式サイトで解散を公表。解散日は同月末日とされた。

弊社所属 尼神インターは2024年3月末日をもちまして、コンビを解散することになりましたのでご報告します。

誠子と渚はそれぞれの道を歩んでいくことになりました。

発表では、誠子とのマネジメント契約を終了し、渚は引き続き吉本興業所属で活動すると説明された。

つまり、コンビの解散と同時に、2人の所属事務所も分かれることになったのである。

【解散理由の真相】渚が切り出した時期と誠子が明かした本音

尼神インター

尼神インターの解散理由を理解するうえで重要なのが、2025年7月に公開されたフジテレビ系「めざましmedia」の誠子へのインタビューだ。

ここでは、解散発表の約1年半後に、当事者である誠子が当時の状況を詳しく振り返っている。

解散を切り出したのは渚だった

誠子によると、解散の話が出たのは2023年12月。

翌年のコンビ活動について、誠子、渚、現場マネージャー、チーフマネージャーの4人で話し合っていた際、渚が突然「解散したいです」と伝えたという。

誠子は、当時すでに次の単独ライブのネタを考えており、今後もコンビで活動していくつもりだったため、大きな驚きを感じたと振り返っている。

本人の説明では、解散を告げられた際には「え、ちょっとドッキリ?」と思ったほどだった。

渚は具体的な解散理由を説明しなかった

特に注目したいのは、誠子がインタビューで明かした次の内容だ。

正直、渚は理由を言わなかったんですよ。私も聞かなかったです。

これは解散理由を考えるうえで、非常に重要な証言である。

誠子は、渚が長年コンビを優先してきたことに思いを巡らせていた。

15年間の活動では、ネタ作りを含めて渚が「誠子が決めて」「誠子に任せるわ」と任せてくれることが多かったという。

誠子は、渚にも個人として挑戦したいことがあり、コンビを優先してきたことへの葛藤があったのではないかと考えていた。

ただし、これは誠子自身の受け止め方であり、渚本人から理由を聞いて確認したものではない。

誠子は約3分間泣いた後、解散を受け入れた

解散の話を聞いた直後、誠子は楽屋でマネージャーの前で約3分間泣いたという。

しかし、その後は比較的早く気持ちを切り替えた。

誠子が語ったのは、相方の意思を尊重したいという思いだった。

漫才は2人で作り上げるものだ。片方が続けたいと願っていても、もう片方が解散を望めば、以前と同じ形で活動を続けることは難しい。

誠子は、渚が辞めたいと思った時点で、尼神インターとして最高のパフォーマンスを出すことはできないと考えたという。

この発言から読み取れるのは、解散を単なる対立の結果としてではなく、長年活動してきた相方の意思を受け止めた決断として捉えていたことだ。

不仲説は本当だったのか?

解散発表後、インターネット上では不仲説や方向性の違いをめぐる話題が広がった。

確かに、2人は仕事上のパートナーであり、必ずしもプライベートまで一緒に過ごす関係ではなかった。

しかし、私生活での距離感と、仕事上の信頼関係は別の問題である。

誠子は2025年のインタビューで、渚との個人的な連絡は現在取っていないと説明する一方、渚のYouTubeチャンネルを見ているとも話している。

また、渚に対する応援の気持ちも語っている。

したがって、現時点で「大喧嘩が原因だった」「決定的なトラブルで絶縁した」と断定するだけの根拠はない。

解散のきっかけは渚からの申し出だったが、具体的な理由は本人が公表していない。 これが公開されている証言から整理できる真相だ。

【2人の経歴と関係性】結成から解散後までを年表で比較

尼神インターの歴史を整理すると、2人が同じコンビで活動していた時期と、解散後にそれぞれの個性を伸ばしている時期がはっきり分かる。

時期 誠子 渚・ナ酒渚
2007年9月 NSC大阪校30期生としてコンビ結成 同左
2011年 ABCお笑い新人グランプリ新人賞 同賞の受賞
2015年 M-1グランプリ準決勝進出 同左
2015年12月 オールザッツ漫才優勝 同左
2023年12月 渚から解散の申し出を受ける 解散を切り出す
2024年3月28日 解散と吉本退所を発表 解散と吉本所属継続を発表
2024年3月31日 フリー芸人としての活動へ ピン芸人として活動へ
2024年7月 フリーで活動 ナ酒渚に改名
2025年 ライブや演劇企画などに挑戦 テレビ・ラジオ・YouTubeなどで活動
2026年 京都移住、ラジオ番組のレギュラー出演 吉本所属を継続、テレビ・ラジオ出演

この年表で見逃せないのは、解散後も2人が芸人を続けている点だ。

誠子は個人事業としての活動領域を広げ、渚は吉本興業の所属を維持しながら、ピン芸人として新しい名前で活動している。

コンビはなくなったものの、2人とも芸能活動を辞めたわけではない。

【誠子の吉本興業退社理由】なぜフリー芸人を選んだのか?

誠子の吉本興業退社についても、解散理由と同じくらい関心を集めている。

実際、誠子は2025年7月の「めざましmedia」のインタビューで、退社を決断した経緯を詳しく説明している。

19歳から所属した吉本興業を離れる決断

誠子は高校3年生の冬に初めてM-1グランプリを見て、漫才をやりたいと思ったという。

その後、大学に合格していたにもかかわらず、芸人の道を選択。19歳で吉本興業に所属した。

本人にとって吉本興業は、芸人としてのキャリアを築いてきた場所であり、家族のように感じるほど愛着のある存在だった。

それでも退社を選んだ理由は、自分にとって大きな挑戦をしたかったからだという。

誠子は、吉本興業に所属したままピン芸人になる選択肢も提示されていたと明かしている。

しかし、長年の芸歴や事務所の支援を活用すれば、比較的スムーズにライブ活動を続けられる可能性があった。

それでは、自分が求める挑戦にならないと感じたのだ。

フリー転身は仕事がゼロになる厳しいスタートだった

誠子はインタビューで、フリーになった直後について次のように語っている。

ちゃんとゼロになりました!(笑)やばいやばいってなって。予想はしていたんですけど、いざなくなると、まじで焦りました。

仕事がなくなった誠子は、無料で始められるSpotifyのラジオ番組など、自分でできるコンテンツを模索した。

加えて、ライブを開催する際には、劇場への連絡、会場の確保、音響や進行スタッフの手配、チケット価格の設定、収支管理まで、自分で対応する必要があったという。

以前は事務所のスタッフが担っていた仕事を、自分で一から学ぶことになった。

この経験について誠子は、吉本興業のスタッフが仕事の裏側でどれほど多くの調整をしていたのか、退社後に深く理解できるようになったと振り返っている。

フリー転身後は演劇・ライブ・ブランド事業にも挑戦

誠子は漫才だけに活動を限定していない。

2025年7月には、自ら企画書を書いて劇場に持ち込み、即興お笑い演劇「A塚商事」を主催した。

令和ロマンの髙比良くるま、さらば青春の光、しずるなど、複数の芸人がゲストとして参加した公演だ。

また、料理イベントやライフスタイルブランド「merci」のプロデュースにも取り組んでいる。

重要なのは、吉本興業を離れたからといって、芸人を辞めたわけではないことだ。

むしろ、自分がやりたい企画を自ら立ち上げ、出演者やスタッフを集める側へと活動の幅を広げている。

【誠子の現在2026】京都移住後の暮らしと芸人活動

2026年11月最新

2026年の誠子を語るうえで大きな転機となったのが、京都への移住だ。

20代からの夢だった京都暮らしを実現

2025年11月24日、誠子は自身のSNSで、2026年春に東京を離れて京都に移住することを発表した。

京都に住むことは、20代の頃から思い描いていた夢だったという。

本人は、いつか実現したいと思っていたことを先延ばしにせず、人生の新しいスタートとして実行することを決めたと説明している。

また、移住後も芸人としての活動を続けることを明言した。

2026年7月には、京都の京町家で暮らしていることをSNSで公開。趣のある和室や生活空間が紹介され、京都での新生活が話題になった。

同年9月には、俳優の樋口日奈が京都の自宅を訪れたこともSNSで報告している。

2026年はラジオ番組のレギュラーにも就任

京都移住後の活動で特に注目したいのが、ラジオへの出演だ。

2026年4月1日から、KBS京都ラジオの昼のワイド番組「となりの森谷さん」で水曜パートナーを担当することになった。

加えて、ラジオ関西の番組「Clip」では、2026年10月5日から月曜レギュラーパーソナリティーに就任。

放送は毎週月曜日の午後1時から4時までで、タケモトコウジとともに生放送を担当している。

ラジオ関西の番組改編発表では、誠子が地元・兵庫で仕事をする喜びを語ったコメントも紹介された。

これは、東京を離れて京都に移住した後も、関西圏で新たな仕事を獲得していることを示す動きだ。

フリー芸人3年目も新しい仕事を募集

2026年9月25日には、自身のXで仕事の依頼を呼びかけた。

誠子は、夢を実現するため、やりたいライブを開催するために、冒険のような仕事に挑戦したいという意向を投稿している。

フリー芸人として仕事を自分で獲得し、活動を組み立てていく姿勢は、2024年の退社時から一貫している。

2026年11月現在の誠子は、京都での生活を楽しみながら、ラジオ、ライブ、企画、ブランド関連など複数の分野に取り組むフリー芸人だ。

【ナ酒渚の現在2026】改名理由と吉本興業での活動を解説

2026年11月最新

一方、元相方の渚は、吉本興業に所属したままピン芸人として活動している。

2024年7月に発表した芸名は、ナ酒渚(なさけなぎさ)。

単なる名前の変更ではなく、尼神インター解散後の新しい芸人活動を象徴するものだった。

ナ酒渚への改名理由は「酒」「画数」「情け」の3つ

改名のきっかけは、2024年5月に出演したテレビ東京系「あちこちオードリー」での発言だった。

渚は、コンビ解散後に単独で活動するにあたり、「渚」という名前だけでは誰を指すのか分かりにくく、いつまでも「元尼神インターの渚」と説明されることに悩んでいた。

そこで、以前からの名前を生かしつつ、新しい芸名に変更することを検討した。

2024年7月26日、TBSラジオ「渚のキャッ火ラジオ」で新芸名を発表した。

名前に込められた意味は次のとおり。

名前の要素 改名の理由
ナ ガンバレルーヤの2人から「ナーさん」と呼ばれていたこと
酒 お酒が好きなこと
渚 以前からの芸名を残したかったこと
画数 名前の縁起も考慮したこと
情け 「ナ酒」の読みから「情」を連想させる言葉遊び

特に面白いのが、「情け」という言葉を使った本人らしいボケだ。

ナ酒渚は、解散して1人になったからこそ「情けくれや!」と言えると説明している。

また、改名には前のコンビのイメージから離れ、自分自身の活動を新しく更新していきたいという思いも込められていた。

2026年も吉本興業所属で活動を継続

ナ酒渚は解散後も吉本興業に所属している。

吉本興業のタレントプロフィールにもナ酒渚の名前が掲載されており、芸人としての活動を続けていることが確認できる。

2026年にはテレビ出演も続いている。

WEBザテレビジョンの出演情報では、7月のテレビ東京「昼めし旅」、9月のフジテレビ「ネプリーグ」などが確認できる。

加えて、10月4日には「大改造!!劇的ビフォーアフター」への出演情報も掲載された。

TBSラジオでも単独パーソナリティーに挑戦

ナ酒渚の現在を象徴する活動の一つが、ラジオだ。

TBSラジオでは「関プレス presents 渚のキャッ火ラジオ」に出演。

2026年10月29日にも放送が確認でき、木曜日の午後11時30分から深夜0時までの番組として案内されている。

番組紹介では、吉本興業所属の芸人・ナ酒渚が単独パーソナリティーに挑戦し、独特のテンポと関西弁でトークを展開すると説明されている。

また、YouTubeチャンネル「渚のいっぷくチャンネル」も活動の一つだ。

誠子が2025年のインタビューで、解散後もナ酒渚のYouTubeを見ていると話していたことも興味深い。

2人が以前のようなコンビ活動に戻ったという事実はないが、それぞれの場所で芸人として歩み続けている。

【プロの結論】尼神インターの解散から見える2人のキャリア戦略

尼神インターの解散を考える際、注目すべきなのは、解散後の2人の活動スタイルが大きく異なることだ。

誠子は、事務所を離れて活動の自由度を高める代わりに、仕事の獲得からライブの運営まで自分で担う道を選んだ。

一方のナ酒渚は、吉本興業との関係を維持しながら、芸名を変え、ピン芸人として新しいキャラクターを確立している。

この違いは、芸人としての成功に一つの正解があるわけではないことを示している。

2人の選択を比較すると見えてくること
比較項目 誠子 ナ酒渚
所属形態 フリー 吉本興業所属
活動の中心 ライブ・ラジオ・企画 テレビ・ラジオ・YouTube
芸名 誠子 ナ酒渚
生活拠点 京都 公表情報で詳細は特定できない
活動方針 自ら企画を立ち上げる 所属環境を生かして個人活動
2026年の注目点 京都移住とラジオのレギュラー TBSラジオとテレビ出演

ここから分かるのは、コンビ解散後のキャリア形成には複数の道があるということだ。

事務所を離れて挑戦する方法もあれば、所属事務所のサポートを受けながら個人の知名度を高める方法もある。

どちらが正しいという話ではない。

解散の真相を見極める3つの判断基準

尼神インターに関する情報を調べる際には、次の3点を押さえておきたい。

1. 吉本興業の公式発表と本人の証言を分けること。 公式発表は解散日と契約関係を説明したものであり、解散の具体的理由までは明らかにしていない。
2. 誠子の推測を渚本人の発言として扱わないこと。 渚が個人の目標を優先したかったのではないかという説明は、誠子自身の受け止め方である。
3. 解散と芸能界引退を混同しないこと。 2人とも芸人を続けており、2026年もテレビやラジオなどで活動している。

尼神インターは解散したが、2人の芸人としてのキャリアが終わったわけではない。

むしろ、解散を機に、それぞれが自分の名前で活動する新しい段階に入ったと考えるのが自然だ。

【尼神インターの現在に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:尼神インターはいつ解散しましたか?

A1:2024年3月31日をもって解散しました。吉本興業が正式発表したのは2024年3月28日です。

Q2:尼神インターの解散理由は何ですか?

A2:解散を切り出したのは渚です。誠子によると、2023年12月に翌年の活動を話し合う場で解散を告げられました。渚本人から具体的な理由は説明されなかったと誠子が明かしています。

Q3:誠子はなぜ吉本興業を退社したのですか?

A3:解散を新しい挑戦の機会と捉え、19歳から所属していた吉本興業を離れてゼロからフリー芸人として活動したいと考えたためです。

Q4:誠子は2026年現在どこに住んでいますか?

A4:2026年春に京都へ移住しました。以前からの夢だった京町家での生活を始め、関西を拠点に芸人活動を続けています。

Q5:ナ酒渚は吉本興業を辞めたのですか?

A5:いいえ。尼神インターの解散後も吉本興業に所属しています。2026年もテレビやTBSラジオなどで活動しています。

Q6:渚がナ酒渚に改名した理由は何ですか?

A6:旧芸名の渚を残しながら、お酒好きであること、画数、周囲から「ナーさん」と呼ばれていたことなどを考慮して決めました。「情け」という言葉を使ったユーモアも込められています。

Q7:尼神インターが再結成する可能性はありますか?

A7:2026年11月現在、再結成の公式発表はありません。2人はそれぞれの芸名で個人活動を続けています。

尼神インターは、2007年9月に結成され、賞レースやテレビ番組で活躍した女性お笑いコンビだった。

2024年3月末の解散は突然の発表として受け止められたが、誠子が後に語った経緯からは、渚の意思を尊重し、それぞれが新しい人生に進む決断だったことが分かる。

2026年11月現在、誠子は吉本興業を退社してフリー芸人となり、京都での生活をスタート。KBS京都ラジオやラジオ関西でレギュラーを務めるなど、関西での活動も広げている。

ナ酒渚は吉本興業に所属し、テレビやラジオへの出演を継続。改名によって新しい個人ブランドを築きながら、芸人としての存在感を示している。

2人の現在を理解するために大切なのは、解散という一つの出来事だけで、その後の関係や活動を決めつけないことだ。

尼神インターというコンビはなくなった。しかし、誠子とナ酒渚という2人の芸人の物語は、2026年もそれぞれの場所で続いている。

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