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名古屋アベック殺人事件とは何が起きたのか?被害者・6人の役割、判決と少年法を徹底解説

園田 薫 園田 薫 • 更新: • 公開: • 読了約 21 分
目次

1988年2月23日から25日にかけて、愛知県と三重県で発生した「名古屋アベック殺人事件」。交際中だった19歳の男性と20歳の女性が、若者6人による強盗や暴行、性的暴行を受けた末に殺害された。犯行に関与した6人のうち5人は事件当時20歳未満であり、少年法の適用や刑事責任のあり方が大きな争点となった。

1989年6月には、犯行時19歳だった主犯格の少年に名古屋地裁が死刑判決を言い渡した。しかし、1996年の名古屋高裁では無期懲役に変更されている。少年5人の家庭裁判所送致と逆送、6人それぞれの刑事責任、出所後の状況など、事件の全体像を裁判記録と報道資料から整理する。

【事件の概要】名古屋アベック殺人事件は1988年2月23〜25日に何が起きたのか

アベック殺人事件

名古屋アベック殺人事件は、1988年(昭和63年)2月23日未明に名古屋市緑区の大高緑地公園で始まった強盗・殺人事件である。

事件名にある「アベック」は、当時の日本で交際中の男女を指す言葉として使われていた。被害者が恋人同士で、公園の駐車場に車を止めていたところを襲われたことから、この名称で広く知られるようになった。

ただし、事件は大高緑地公園での襲撃だけで完結したものではない。加害者6人は、その前にも名古屋港の金城ふ頭付近で別の男女2組を襲撃していた。

事件の基本情報
  • 事件発生期間:1988年2月23日〜25日
  • 主な発生地域:愛知県名古屋市、愛知県長久手町(現在の長久手市)、三重県大山田村(現在の伊賀市)
  • 被害者:野村昭善さん(当時19歳)、末松須弥代さん(当時20歳)
  • 加害者:男女6人
  • 加害者の犯行時年齢:17〜20歳
  • 事件の主な罪名:強盗未遂、強盗致傷、強盗強姦、殺人、死体遺棄など

この事件で特に社会に衝撃を与えたのは、金品を奪う目的で始まった襲撃が、被害者を拘束し続けた末の殺人に発展したことだった。

また、加害者のうち5人が少年だったことから、重大犯罪を犯した未成年者をどこまで少年法によって保護するべきなのかという問題も浮上した。

【被害者の詳細と事件の経緯】2人が襲撃されてから殺害されるまで

犠牲となったのは、野村昭善さんと末松須弥代さん。2人は同じ理容店で働き、交際していた。

野村昭善さんと末松須弥代さんの人物像

野村さんは当時19歳の理容師だった。理容学校で学び、理容師免許を取得しており、将来は父親の理容業を継ぐことも考えていた。

末松さんは当時20歳の理容師見習いだった。仕事を続けながら定時制高校を卒業し、通信教育にも取り組み、理容師免許の取得を目指していた。

2人はそれぞれ仕事と将来の生活を築こうとしていた若者だった。名古屋高裁の判決でも、2人が将来に向けて歩んでいた状況が量刑判断の背景として扱われている。

2月23日未明:金城ふ頭で別の男女も襲撃

事件当日、加害者6人は名古屋市中区のテレビ塔付近に集まり、停車中の車内にいる男女から金品を奪うことを計画した。

最初に向かったのは名古屋港の金城ふ頭付近だった。最初の男女は襲撃を察知して逃走し、警察に助けを求めたため、強盗は未遂に終わった。

しかし、6人は犯行をやめなかった。その後、別の男女を襲い、現金などを奪って2人にけがを負わせた。

この段階ですでに、複数の男女を標的とした強盗行為が続いていた。

2月23日午前4時30分ごろ:大高緑地で野村さんと末松さんを襲撃

6人は愛知県名古屋市緑区の県営大高緑地公園へ移動した。

午前4時30分ごろ、駐車場にいた野村さんと末松さんを襲撃。木刀や鉄パイプなどを使って暴行し、金品を奪った。さらに末松さんは性的暴行の被害を受けた。

被害者2人と加害者側に事前の面識はなかった。深夜の公園で車内にいた若い男女というだけで、襲撃の対象にされた。

その後、加害者らは2人を解放せず、車で連れ回した。強盗や性的暴行の発覚を恐れたことが、事件をさらに重大な犯罪へと発展させていった。

2月24日:野村さんが愛知県長久手町で殺害される

2月24日未明、加害者側の話し合いの中で、野村さんと末松さんを殺害して犯行の発覚を防ぐという計画が進められた。

同日午前4時30分ごろ、野村さんは愛知県長久手町の卯塚公園墓地で殺害された。

名古屋高裁の判決では、殺害の共謀に誰がいつ参加したのかが詳細に検討されている。全員が最初から同じ認識を持っていたわけではなく、各人の関与について個別の判断が行われた。

2月25日:末松さんも三重県の山林で殺害される

野村さんが殺害された後も、末松さんは解放されなかった。

翌25日午前3時ごろ、末松さんは三重県阿山郡大山田村の山林で殺害された。2人の遺体は遺棄された。

このように、事件は2月23日の強盗から始まり、約2日間にわたる拘束と殺害、死体遺棄へと発展した。

【加害者6人の人物像と役割】少年5人と成人男性1人の関係

加害者は男性4人、女性2人の計6人だった。犯行時の年齢は17歳から20歳で、当時の少年法上の少年に該当する者が5人いた。

名古屋高裁の判決によると、6人は名古屋市中区のテレビ塔付近などに集まる若者たちで、当時「テレビ塔族」「噴水族」などと呼ばれる若者集団の周辺にいた。

全員が常に行動を共にする固定的な組織だったわけではない。交友関係の中で集まった6人が、金品を奪う目的の犯行に同調し、重大な犯罪へと進んでいった。

6人の年齢構成と裁判上の位置づけ
加害者の区分 事件当時の年齢 主な関与・裁判結果
主犯格の少年 19歳 強盗計画を提案し、集団を主導。一審死刑、控訴審で無期懲役
男性の共犯者 20歳 襲撃や殺害・遺棄に関与。一審17年、控訴審13年
男性の少年 17歳 殺害などの重大な犯行に関与。一審無期懲役
男性の少年 18歳 強盗や暴行などに関与。懲役13年
女性の少年 17歳 一連の襲撃や拘束などに関与。不定期刑5年以上10年以下
女性の少年 17歳 一連の襲撃や拘束などに関与。不定期刑5年以上10年以下

※上記は事件当時の年齢と裁判結果を整理したもの。実名や現在の居住地など、個人を特定する情報は省略している。

主犯格の19歳少年は何をしたのか

主犯格とされた19歳の少年は、金品を奪うための襲撃を提案し、集団の中心的な立場にあった。

一連の強盗行為だけでなく、被害者2人の殺害にも責任を問われた。一審では死刑判決を受けたが、控訴審では無期懲役に変更された。

ただし、死刑判決が変更されたからといって、裁判所が犯行の重大性を否定したわけではない。名古屋高裁は主犯格としての責任を認めたうえで、犯行時の年齢や更生可能性、殺人に至った経緯などを総合的に判断した。

20歳の男性とほかの少年少女の関与

20歳の男性は、事件当時すでに少年法上の少年ではなかったため、通常の刑事裁判にかけられた。

この男性は一審で懲役17年を言い渡された。しかし、名古屋高裁は野村さん殺害について共謀が成立したとは認めず、その部分について無罪と判断した。一方、末松さん殺害や遺体遺棄などの責任は認め、懲役13年を言い渡した。

ほかの少年少女についても、裁判では単純に「6人全員が同じ責任を負う」という扱いにはならなかった。殺害の共謀に加わった時期、実際の行動、犯行への関与の程度などが個別に検討された。

この点は、事件を理解するうえで見落とせない。集団犯罪であっても、刑事責任は各人の行為と共謀の内容に基づいて判断される。

【裁判と判決】19歳主犯格への死刑判決はなぜ無期懲役に変わったのか

名古屋アベック殺人事件の裁判では、少年法の適用だけでなく、犯行に対する各人の責任や死刑の妥当性が大きな争点になった。

1988年3月:少年5人が家庭裁判所へ送致

捜査の結果、愛知県警は2月27日から28日にかけて6人の身柄を確保した。

その後、20歳の男性は通常の刑事手続に進み、犯行時に20歳未満だった5人は家庭裁判所へ送致された。

名古屋家庭裁判所は少年事件として調査・審判を行った結果、5人について刑事処分が相当と判断。1988年4月14日付で検察官送致、いわゆる逆送を決定したとされる。

同月22日には、少年5人も名古屋地裁で刑事裁判を受けることになった。

1989年6月28日:名古屋地裁が一審判決

1989年6月28日、名古屋地裁は6人全員に有罪判決を言い渡した。

犯行時19歳だった主犯格には死刑が言い渡された。少年事件で死刑判決が出たことは大きな社会的反響を呼んだ。

ほかの5人の判決は、無期懲役、懲役17年、懲役13年、不定期刑5年以上10年以下が2人という内容だった。

当時の報道では、遊ぶ金を得る目的の強盗が殺人へと発展したこと、被害者が長時間にわたって拘束されたこと、犯行の残虐性などが厳しく評価された。

1996年12月16日:名古屋高裁が死刑判決を破棄

控訴審の名古屋高裁は1996年12月16日、一審で死刑を言い渡された主犯格について、死刑を破棄し無期懲役を言い渡した。

また、20歳だった男性についても、一審の懲役17年を破棄し、懲役13年とした。

主犯格の死刑を変更した理由は、少年期の未成熟さや集団心理の影響、殺人に至るまでの経緯、犯行後の反省、更生可能性などを総合的に考慮したことにある。

高裁は犯行の重大性や被害者・遺族の受けた苦痛を軽視していない。一方で、殺人が最初から周到に計画されていたものではなく、強盗後の状況の中で犯行が拡大したことなども量刑判断に反映した。

加えて、20歳の男性については野村さん殺害の共謀が立証されていないとして、その部分を無罪とした。この判断は、共犯者間の責任を一律に扱わないという刑事裁判の原則を示している。

裁判の最終結果

1996年の名古屋高裁判決後、上告は行われず、控訴審の刑が確定した。

したがって、「19歳の主犯格に死刑判決が出た」という情報は正しいものの、最終的に死刑が確定したわけではない。確定した刑は無期懲役である。

【少年法と少年事件の逆送】なぜ5人は家庭裁判所から刑事裁判へ進んだのか

名古屋アベック殺人事件を語るうえで欠かせないのが、少年法と逆送制度の関係である。

1988年当時の少年法では20歳未満が少年だった

現在の日本では民法上の成年年齢は18歳だが、事件当時の少年法では20歳未満が少年として扱われていた。

そのため、犯行時19歳だった主犯格も少年法の対象だった。一方、20歳の男性は少年法上の少年には該当せず、成人と同様の刑事手続を受けた。

ただし、少年であることと、必ず保護処分になることは同じではない。

逆送とは何か

逆送とは、家庭裁判所が少年事件について調査・審判を行った結果、少年院送致や保護観察などの保護処分ではなく、刑事裁判による処罰が相当と判断した場合に、事件を検察官へ送る手続きである。

検察官に逆送された事件は、起訴されれば通常の刑事裁判で審理される。

名古屋アベック殺人事件では、少年5人について家庭裁判所が刑事処分相当と判断したため、逆送が行われた。

19歳でも死刑判決が可能だった理由

少年法上の少年であっても、18歳以上であれば死刑判決の対象になり得る。

当時の少年法では、犯行時18歳未満の少年に死刑を科す場合には、無期刑に変更する仕組みが設けられていた。しかし、犯行時19歳だった主犯格は、この年齢制限によって死刑の対象から除外される立場ではなかった。

そのため、名古屋地裁は19歳の少年に死刑を言い渡すことができた。

2000年改正と2022年改正で少年法はどう変わったか

本事件の発生後、少年事件の刑事処分や被害者保護をめぐる議論は続いた。2000年には少年法の大幅な改正が行われ、2001年4月に施行された。

その重要な変更の一つが、犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件について、原則として検察官送致とする制度の導入だった。

さらに2022年4月1日には、18歳と19歳を「特定少年」とする改正少年法が施行された。

  • 2001年施行の改正:16歳以上による故意の犯罪行為で被害者が死亡した事件について、原則逆送制度を導入。
  • 2022年施行の改正:18歳・19歳を特定少年と位置づけ、一定の重大犯罪について原則逆送対象を拡大。
  • 現在の制度:18歳・19歳にも少年法は適用されるが、逆送後の刑事裁判や推知報道などで17歳以下とは異なる特例がある。

ここで重要なのは、1988年の事件に現在の原則逆送制度をそのまま当てはめないことだ。

名古屋アベック殺人事件で少年5人が逆送されたのは、当時の法律に基づいて家庭裁判所が個別に刑事処分相当と判断したためである。2001年に導入された原則逆送制度とは、法的な仕組みが異なる。

また、少年法は単に少年を軽く処罰するための法律ではない。少年の更生可能性を考慮し、成長や社会復帰を促すことを目的とする制度であり、重大犯罪に対する刑事責任とのバランスが長年議論されてきた。

【犯人6人の現在と事件の社会的影響】出所後の状況はどこまで分かっているのか

事件から38年が経過した2026年、検索されることが多いのが、加害者6人の現在や出所後の生活である。

有期刑を受けた4人の出所状況

2025年2月24日付のデイリー新潮の記事では、事件から15年後の2003年に掲載された「新潮45」の取材内容が紹介されている。

その取材時点では、6人のうち4人がすでに出所していたと報じられている。

一方、無期懲役が確定した2人については、有期刑の受刑者とは異なる服役状況となった。

主犯格は2016年の取材時点で岡山刑務所に服役

デイリー新潮は2021年5月、2016年に掲載された「新潮45」の取材記事を再掲載した。

その記事では、主犯格の男性が岡山刑務所で服役している状況が紹介されている。取材は2016年7月に行われ、当時、事件から約30年が経過していた。

服役中の生活についても取材されており、長期間にわたる刑務所生活の様子が報告されている。

ただし、この2016年の面会取材を2026年現在の状況と同一視することはできない。2025年の記事も過去の取材内容を紹介したものであり、6人全員の最新の収監状況や仮釈放の有無を一括して確認できる公的情報は公表されていない。

したがって、ネット上で見られる「6人全員が出所した」「主犯格がすでに社会復帰した」といった断定的な情報には注意が必要である。

被害者遺族への賠償と事件後の問題

デイリー新潮が紹介した2003年の取材記事では、被害者両家が加害者6人とその家族に対して損害賠償請求の調停を申し立てた経緯も報じられている。

同記事によれば、事件から15年が経過した時点でも、請求額に対する支払いは十分に進んでいなかった。

刑事裁判で刑罰が確定した後も、被害者遺族の苦しみや経済的負担は続く。加害者が社会に戻ることと、被害者側が受けた損害を回復することは、必ずしも同じ速度では進まない。

少年犯罪と厳罰化をめぐる社会的影響

1989年の一審判決は、少年事件における死刑適用という点で大きな反響を呼んだ。

当時の報道では、少年の未成熟さや集団心理をどの程度量刑に反映するべきか、重大犯罪に対して死刑を選択することが妥当なのかという論点が取り上げられた。

控訴審で死刑が無期懲役に変更されたことも、少年の更生可能性と被害の重大性をどのように比較衡量するかという議論を広げた。

ただし、2000年の少年法改正は本事件だけを理由に行われたものではない。少年事件をめぐる社会的な議論や制度上の課題など、複数の要因を背景として進められた改正である。

【プロの結論】この事件から考えるべき3つの問題

名古屋アベック殺人事件には、現在の少年法や刑事司法を考えるうえで重要な論点が残されている。

第一は、集団犯罪における個人の責任である。集団で行動したからといって、全員の関与が同じになるわけではない。名古屋高裁が殺害の共謀時期を個別に検討し、一人の被告人について一部無罪を認めたことは、その重要性を示している。

第二は、少年の更生可能性と被害の重大性の両立である。少年法は更生を重視する一方、被害者の生命や尊厳を奪う重大犯罪については、刑事責任を厳格に問う必要がある。この二つの価値をどう調整するかは、現在も司法制度の課題である。

第三は、刑事裁判の終了と被害者遺族の救済は別の問題だという点である。判決が確定しても、遺族の悲しみや損害が自動的に解消されるわけではない。事件後の賠償や精神的支援、社会復帰をめぐる問題も継続して考える必要がある。

【名古屋アベック殺人事件】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:名古屋アベック殺人事件はいつ、どこで発生しましたか?
A1:1988年2月23日から25日にかけて発生しました。主な現場は愛知県名古屋市の大高緑地公園、長久手町、三重県大山田村です。

Q2:被害者は誰で、何歳でしたか?
A2:被害者は理容師の野村昭善さん(当時19歳)と理容師見習いの末松須弥代さん(当時20歳)です。交際中だった2人は、デート中に襲撃されました。

Q3:加害者6人のうち何人が少年でしたか?
A3:犯行時、5人が20歳未満の少年少女で、残る1人は20歳の男性でした。当時の少年法では20歳未満が少年に該当していました。

Q4:19歳の主犯格は死刑になったのですか?
A4:1989年の名古屋地裁では死刑判決が言い渡されました。しかし、1996年の名古屋高裁で死刑判決は破棄され、無期懲役となりました。その後、上告されず刑が確定しています。

Q5:少年5人はなぜ逆送されたのですか?
A5:家庭裁判所が事件を調査・審判した結果、保護処分ではなく刑事処分が相当と判断したためです。1988年当時の少年法に基づく個別判断であり、2001年施行の原則逆送制度とは区別する必要があります。

Q6:犯人6人は現在どうしていますか?
A6:2003年の取材時点では6人中4人が出所していたと報じられています。また、主犯格については2016年の取材時に岡山刑務所で服役していたことが報道されています。2026年現在の6人全員の状況を確認できる最新の公的情報は公表されていません。

名古屋アベック殺人事件は、1988年2月23〜25日に愛知県と三重県で発生した、少年犯罪史に残る重大事件である。

野村昭善さんと末松須弥代さんという2人の若者が犠牲となり、犯行に関与した6人のうち5人が少年法の対象となった。家庭裁判所による逆送を経て刑事裁判が行われ、19歳の主犯格には一審で死刑判決が言い渡されたものの、控訴審で無期懲役へと変更された。

この事件を理解するうえで重要なのは、死刑判決だけを切り取らないこと、6人それぞれの刑事責任を区別すること、そして少年法の改正前後の制度を混同しないことである。

事件から38年が経過した現在も、被害者遺族の救済、加害者の社会復帰、少年の更生と厳正な処罰のバランスという問題は残されている。

過去の重大事件を振り返る意義は、単に犯人の現在を追うことだけではない。失われた命と遺族の苦しみを忘れず、刑事司法や少年法が果たすべき役割を考え続けることにある。

主な根拠資料

- 名古屋高等裁判所「平成元年(う)第262号判決」(1996年12月16日)。殺害の共謀時期、個別の刑事責任、一審判決の変更を確認するための裁判資料。
- 朝日新聞の1989年6月28日付判決報道・判決要旨。第一審の死刑判決と他の5人への量刑を確認する資料。
- 法務省「少年法改正Q&A」「少年法が変わります!」。逆送制度と特定少年制度の説明。
- 国立国会図書館サーチ「名古屋市大高緑地アベック殺人事件 名古屋高裁判決1996.12.16」。関連判例資料の書誌情報。
- デイリー新潮(2025年2月24日、2021年5月11日)。2003年の出所状況に関する取材紹介と2016年の岡山刑務所での面会取材。

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