テレビ朝日の報道番組で長年活躍してきたニュースキャスター、渡辺宜嗣さん。『ニュースステーション』での久米宏さんとの共演や、『スーパーJチャンネル』のメインキャスターとして知られていますが、2026年現在はどのような活動を続けているのでしょうか。
渡辺宜嗣さんは1954年12月19日生まれ、愛知県名古屋市出身。1977年にテレビ朝日に入社し、2014年の定年退職後も専属キャスターとして活動を継続しました。2023年にはフリーランスに転身しています。2026年1月には久米宏さんの追悼企画に出演し、長年の共演を振り返りました。現在もBS朝日『朝まで生テレビ!』の番組進行を担当しています。
【プロフィール】渡辺宜嗣の年齢・生年月日・出身地・学歴を紹介

渡辺宜嗣さんは、テレビ朝日の報道を長年支えてきたベテランアナウンサーです。ニュースを正確に伝えるだけでなく、現場取材や討論番組の進行など、幅広い分野で経験を積んできました。
渡辺宜嗣の基本プロフィール生年月日は1954年12月19日。2026年11月1日時点では71歳です。誕生日を迎える同年12月19日に72歳になります。
出身地は愛知県名古屋市。名古屋城に近い名古屋市西区の四間道周辺で育ちました。実家は祖父の代から続く建具屋で、父親も職人気質の人物だったことを、2019年の東京新聞のインタビューで明かしています。
学歴は明治大学卒業。大学卒業後の1977年4月、テレビ朝日に入社しました。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 渡辺宜嗣(わたなべ・のりつぐ) |
| 生年月日 | 1954年12月19日 |
| 年齢 | 71歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 愛知県名古屋市 |
| 学歴 | 明治大学卒業 |
| 職業 | フリーアナウンサー・ニュースキャスター |
| テレビ朝日入社 | 1977年 |
| 定年退職 | 2014年 |
| フリー転身 | 2023年 |
| 代表的な出演番組 | 『ニュースステーション』『スーパーJチャンネル』『朝まで生テレビ!』 |
渡辺さんがアナウンサーを志すようになった背景には、ラジオとの出会いがありました。テレビ朝日の2024年のインタビューでは、大学時代や入社当時の経験を振り返っています。
1977年の入社時には、古舘伊知郎さん、佐々木正洋さん、南美希子さんら、後に各分野で活躍するアナウンサーたちと同期でした。同年はテレビ朝日がモスクワオリンピックの独占放送権を獲得した時期でもあり、スポーツ中継を担う人材が必要とされていました。
渡辺さんも入社後、大相撲やゴルフ、ボクシングなどの中継を経験。ニュースだけに特化したキャリアではなく、スポーツ実況や情報番組の現場取材を通じて、アナウンサーとしての基礎を築きました。
【経歴・年表】テレビ朝日入社からニュースステーションまで
渡辺宜嗣さんのキャリアを語るうえで欠かせないのが、テレビ朝日で過ごした47年間です。スポーツ中継、深夜の情報番組、ニュース番組、討論番組と、担当領域を広げてきました。
『トゥナイト』で鍛えられた現場取材力1980年に始まった深夜の情報番組『トゥナイト』は、渡辺さん自身がアナウンサー人生の原点として挙げている番組です。
政治経済、事件事故、芸能など、取材対象は多岐にわたりました。現場へ出向き、取材相手の話を聞き、そこで見つけた情報を自分の言葉にして伝える。この経験が、後の報道キャスターとしての土台になりました。
テレビ朝日の2024年7月7日放送『はい!テレビ朝日です』では、当時の取材について次のように語っています。
「取材っていうのは、そのリポーター、その人の『言葉探しの旅』だと思っているんです」
取材対象を自分の目で見て、相手の言葉を聞き、伝えるべき表現を探す。この考え方は、渡辺さんが長年にわたって現場取材を続けてきた理由をよく表しています。
『ニュースステーション』で久米宏と共演1985年10月に始まった『ニュースステーション』では、リポーターやキャスター、久米宏さんの代役などを担当しました。
番組に関わった期間は約17年間。久米さんの個性的なニュースの伝え方と、現場から情報を届ける渡辺さんの存在が、番組を支えていました。
当初、渡辺さんはニュース番組を積極的に希望していたわけではありませんでした。しかし、番組を通じてニュースを伝える意義や面白さを実感するようになったと、2024年のテレビ朝日のインタビューで振り返っています。
渡辺宜嗣の主な経歴一覧| 時期 | 出来事・出演番組 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1977年 | テレビ朝日入社 | スポーツ実況などを担当 |
| 1980年 | 『トゥナイト』 | 深夜の情報番組で現場取材を経験 |
| 1985年 | 『ニュースステーション』 | 久米宏さんと共演。リポーターなどを担当 |
| 1987年 | 『朝まで生テレビ!』 | 番組開始当初から進行を担当 |
| 2010年 | 『スーパーJチャンネル』 | メインキャスターに就任 |
| 2014年 | テレビ朝日を定年退職 | 専属キャスターとして活動を継続 |
| 2020年 | 『スーパーJチャンネル』の役割変更 | メインキャスターからコメンテーター兼スペシャルリポーターへ |
| 2023年 | フリーランスに転身 | テレビ朝日専属キャスターとしての時期を経て独立 |
| 2026年1月 | 『報道ステーション』 | 久米宏さんの追悼企画に出演 |
| 2026年11月 | BS朝日『朝まで生テレビ!』 | 番組進行として公式出演者欄に掲載 |
【降板の真相】渡辺宜嗣がスーパーJチャンネルを離れた理由
渡辺宜嗣さんについて検索すると、「スーパーJチャンネルを降板した」「テレビから姿を消した」といった疑問が見られます。
実際には、2020年にメインキャスターを交代した後も、一定期間は同番組への出演を続けていました。
2020年9月まで約10年間メインキャスターを担当渡辺さんは2010年から『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを担当しました。夕方のニュース番組の顔として、日々のニュースや社会問題を伝え続けました。
2014年12月にテレビ朝日を定年退職した後も、専属キャスターとして同番組のメインキャスターを継続。定年を迎えても報道の現場に立ち続けたことは、渡辺さんのキャリアの大きな特徴です。
2020年10月からはコメンテーター兼スペシャルリポーター2020年7月30日、テレビ朝日は同年10月の番組改編でメインキャスターを小松靖アナウンサーに交代すると発表しました。
ただし、この時点で渡辺さんが番組から完全に降板したわけではありません。2020年10月以降は、コメンテーター兼スペシャルリポーターとして出演することになりました。
当時の報道によると、渡辺さんは視聴者への感謝を示すとともに、65歳からの新しい挑戦についてコメントしています。
その後、2023年9月に同番組での出演を終えました。
降板とフリー転身は別の出来事ここで押さえておきたいのは、2020年のメインキャスター交代と2023年のフリー転身は、別々の出来事だということです。
2020年は番組内での役割が変わった時期であり、2023年はテレビ朝日の専属キャスターとしての働き方からフリーランスへ移った時期です。
したがって、「2020年にテレビ朝日を退社した」「スーパーJチャンネルを降板すると同時にフリーになった」という理解は正確ではありません。
【2026年最新】渡辺宜嗣の現在の出演番組と活動実態
2026年11月現在、渡辺宜嗣さんはフリーアナウンサーとして活動しています。現在の出演状況を確認するうえで重要なのが、BS朝日で放送されている『朝まで生テレビ!』です。
『朝まで生テレビ!』で番組進行を担当渡辺さんは1987年の番組開始当初から『朝まで生テレビ!』に関わってきました。司会の田原総一朗さんとともに、長年にわたって討論番組の進行を担っています。
2026年11月時点のBS朝日公式番組ページでも、出演者として渡辺宜嗣さんの名前が掲載されています。司会は田原総一朗さん、番組進行は渡辺宜嗣さんと下平さやかさんです。
また、2026年4月から番組は事前収録の1時間番組に変更されました。地上波時代の深夜生放送とは放送形式が変わっていますが、渡辺さんは引き続き番組進行を担当しています。
BS朝日の公式ページでは、次回放送として2026年11月29日(日)午後7時からの放送予定も掲載されています。
2023年のフリー転身で働き方が変化2014年の定年退職後、渡辺さんはテレビ朝日の専属キャスターとして活動していました。そして2023年にフリーランスへ転身しました。
テレビ朝日の2024年7月7日放送『はい!テレビ朝日です』では、フリーアナウンサーとして紹介されています。同番組では、1977年の入社から2023年の独立までの経歴も整理されました。
同インタビューでは、70代を迎えるにあたっての考えや、今後挑戦したい番組についても語っています。特に興味深いのは、高齢者が出演者やスタッフを担うニュース番組を作ってみたいという構想です。
長年、幅広い世代に向けてニュースを届けてきた渡辺さんが、年齢を重ねた人々自身の視点をニュースに取り入れようとしている点は注目されます。
街歩きや新聞の切り抜きも継続同じインタビューでは、仕事以外の過ごし方についても紹介されました。
家にいる時間が増えたことから、妻と一緒に街を歩き、昼食を楽しみながら周辺を散策するようになったと話しています。
また、ニュースに関する新聞の切り抜きも続けているとのことです。デジタル化が進む放送業界にあっても、紙面を読み込み、自分の手で資料を整理する姿勢は変わっていません。
こうした情報収集の習慣は、長年ニュースを伝えてきたキャスターならではの仕事への向き合い方を示しています。
【2026年1月】久米宏さんの追悼で渡辺宜嗣が語った思い
2026年の渡辺宜嗣さんに関する大きな話題の一つが、久米宏さんの訃報と追悼出演です。
久米宏さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で亡くなりました。1985年に始まった『ニュースステーション』の初代メインキャスターとして、日本のテレビ報道に大きな影響を与えた人物です。
1月13日の『報道ステーション』に出演2026年1月13日、テレビ朝日系『報道ステーション』では、前身番組『ニュースステーション』を振り返る追悼企画が放送されました。
この企画に出演したのが、久米さんと約17年間にわたって番組で共演した渡辺宜嗣さんです。
番組では『ニュースステーション』時代のオープニング映像や音楽が使用され、久米さんの報道に対する姿勢や番組の歴史が振り返られました。
久米宏から教わった「肩書きを外す」という考え方渡辺さんは、久米さんから最初に言われた言葉として、アナウンサーという肩書きを外して番組に参加してほしいという趣旨の助言を紹介しました。
ニュースをアナウンサーという職業上の立場だけで見るのではなく、一人の人間としてどう受け止めるのか。これは渡辺さんの報道観にも影響を与えた考え方です。
久米さんについて、政治家や企業経営者、芸能人、スポーツ選手などを肩書きだけで判断せず、人間としてどうなのかを見ていた人物だったと振り返りました。
「本当にまた会いたい」と涙ながらに追悼久米さんの功績について語る場面では、渡辺さんは感極まり、目を赤くして声を詰まらせました。
スポーツニッポンの2026年1月13日の報道によると、渡辺さんは次のように語っています。
「本当にまた…会いたいですね。すぐにでも会いたいです」
加えて、1985年に『ニュースステーション』が始まってから、後継番組『報道ステーション』へと続く報道番組の歴史にも触れました。
久米さんが築いた番組のスタートから40年にわたってニュース番組が続いていることを、渡辺さんは大きな功績として挙げています。
この追悼出演は、単なる過去の共演者としてのコメントではありません。番組の立ち上げから現場を知る人物だからこそ語れる、テレビ報道の歴史と師弟関係の重みが伝わる場面でした。
【家族・父親・弟】渡辺宜嗣の生い立ちと家族との関係
渡辺宜嗣さんについては、アナウンサーとしての経歴だけでなく、父親や弟との関係にも関心が集まっています。
父親は名古屋で建具屋を営んでいた職人2019年9月の東京新聞のインタビューで、渡辺さんは名古屋で過ごした幼少期と父親について語っています。
実家は祖父の代から続く建具屋で、父親は職人気質の人物でした。子どもの頃には、人を大切にすること、裏切らないこと、うそをつかないことを繰り返し教えられたといいます。
父親は当初、息子がアナウンサーを目指すことに対して、必ずしも賛成ではありませんでした。しかし、最終的には家業を継ぐよう強制せず、本人の進みたい道を尊重しました。
その理由について渡辺さんは、父親自身が若い頃に新聞記者になりたいという夢を持っていたことを、後年の父子旅行で知ったと明かしています。
家業を継ぐことよりも、息子には自分の望む人生を歩んでほしいという思いがあったのではないかと、渡辺さんは振り返っています。
5歳下の弟との関係渡辺さんには5歳年下の弟がいます。2019年の東京新聞のインタビューでは、両親が亡くなった後の弟との生活や、自身が担っているサポートについても話していました。
弟は東京ではなく、長年暮らしてきた名古屋に残ることを希望したため、渡辺さんは弟と相談しながら名古屋市内のグループホームを探したといいます。
当時のインタビューでは、月に1回ほど名古屋へ帰り、弟と公園を散歩したり、ドライブを楽しんだりしていることも明かしていました。
テレビでは冷静にニュースを伝える渡辺さんですが、家族との関係では、離れて暮らしていても継続的に向き合う姿勢がうかがえます。
妻との生活についてもテレビ朝日の番組で言及2024年のテレビ朝日のインタビューでは、妻と一緒に街歩きを楽しむ日常についても語っています。
一方、子どもの有無や詳細な家族構成については、本人の公開プロフィールや今回確認できるインタビューで十分な情報が示されていません。家族に関する情報は、本人が公に語った範囲で理解するのが適切です。
【プロの結論】渡辺宜嗣の現在から見えるベテランキャスターの価値
渡辺宜嗣さんのキャリアを振り返ると、単に長くテレビに出演してきたアナウンサーというだけでは説明できない特徴があります。
現場取材とスタジオ進行の両方を経験している渡辺さんの強みは、情報番組の現場取材から大型報道番組のキャスター、長時間討論番組の進行まで、異なる形式の仕事を経験してきたことです。
『トゥナイト』では現場に出て情報を集め、『ニュースステーション』では久米宏さんとともにニュースを伝え、『朝まで生テレビ!』では多様な意見が交わされる場を進行してきました。
それぞれの番組で求められる能力は異なります。現場では取材対象を理解する観察力、ニュース番組では情報を整理して伝える力、討論番組では論点を把握して話の流れを整える力が必要です。
この複数の経験が、渡辺さんの長年にわたる活動を支えてきたと考えられます。
定年退職後も活動を続けたキャリアの意味2014年の定年退職は、渡辺さんにとってテレビの仕事を終えるタイミングではありませんでした。その後もテレビ朝日の専属キャスターとして活動し、2023年にはフリーランスへと働き方を変えています。
注目したいのは、定年退職、番組内での役割変更、フリー転身という3つの転換点です。
これらは必ずしも一つの出来事によって生じたものではありません。放送局の人事制度、番組改編、本人のキャリア選択など、異なる要素が重なっています。
また、2026年には『朝まで生テレビ!』の放送形式自体も変更されました。長時間の深夜生放送から事前収録の短時間番組へ移行する中で、渡辺さんは番組進行を継続しています。
テレビの視聴環境や番組の制作方法が変わっても、進行役として蓄積してきた経験が求められている点は、ベテランキャスターの存在価値を考えるうえで興味深いところです。
渡辺宜嗣の現在を判断するときの3つのポイントネット上で現在の活動を調べる際は、次の3点を区別すると情報を整理しやすくなります。
- 2014年:テレビ朝日の定年退職。専属キャスターとして活動は継続。
- 2020年:『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを交代。番組からの完全降板ではなく、コメンテーター兼スペシャルリポーターとして出演。
- 2023年:フリーランスに転身。現在はBS朝日『朝まで生テレビ!』の番組進行を担当。
この3つの時期を混同しないことが、渡辺さんの現在を正しく理解するための判断基準になります。
【よくある質問】渡辺宜嗣の現在・年齢・経歴に関するFAQ
Q1:渡辺宜嗣は2026年現在、何歳ですか?
A1:1954年12月19日生まれです。2026年11月現在は71歳で、2026年12月19日に72歳になります。
Q2:渡辺宜嗣は現在、どの番組に出演していますか?
A2:2026年11月現在、BS朝日『朝まで生テレビ!』の番組進行を担当しています。BS朝日の公式出演者欄にも名前が掲載されています。
Q3:渡辺宜嗣はなぜスーパーJチャンネルを降板したのですか?
A3:2020年10月の番組改編でメインキャスターを交代しました。ただし、その後もコメンテーター兼スペシャルリポーターとして出演し、2023年9月に番組出演を終えています。
Q4:渡辺宜嗣はいつテレビ朝日を退職しましたか?
A4:2014年12月に定年退職しました。ただし、退職後もテレビ朝日の専属キャスターとして活動し、2023年にフリーランスへ転身しています。
Q5:渡辺宜嗣と久米宏の関係は?
A5:1985年に始まった『ニュースステーション』で共演し、渡辺さんは約17年間にわたって番組に関わりました。2026年1月13日の『報道ステーション』の追悼企画では、久米さんとの思い出や教えを語りました。
Q6:渡辺宜嗣の出身大学はどこですか?
A6:明治大学です。1977年に大学を卒業後、テレビ朝日に入社しました。
渡辺宜嗣さんは、1977年のテレビ朝日入社から長年にわたり、スポーツ中継、情報番組、報道番組、討論番組で活躍してきました。
2014年に定年退職した後も専属キャスターとして活動し、2020年には『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを交代。2023年にはフリーランスへ転身しました。
2026年11月現在は、BS朝日『朝まで生テレビ!』の番組進行を担当しています。加えて、同年1月には『報道ステーション』の久米宏さん追悼企画に出演し、約17年間にわたる共演の記憶を語りました。
渡辺さんのキャリアを通して見えてくるのは、年齢や所属先が変わっても、ニュースを伝える仕事への関心を持ち続けている姿です。
テレビ朝日の2024年のインタビューで語った、高齢者自身が出演するニュース番組への構想も印象的です。長年の報道経験を生かし、これからどのような形で社会や視聴者と関わっていくのか、今後の活動にも注目が集まります。
主な根拠資料: テレビ朝日公式インタビュー、BS朝日番組公式情報、東京新聞、スポーツニッポンなど。