2026年、長年にわたって『ドラえもん』を掲載してきた小学館の漫画雑誌『月刊コロコロコミック』で、一つの大きな節目が訪れた。2026年4月15日発売の5月号をもって、再掲載企画「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」が最終回を迎えたのである。1977年の創刊時から続いてきた両者の関係を知る読者にとって、見逃せないニュースとなった。
しかし、今回終了したのは『ドラえもん』という作品そのものでも、小学館の全雑誌における掲載でもない。2002年から続いてきた過去作品の再掲載枠が終了したというのが正確な内容だ。創刊号での200ページ掲載、大長編シリーズの独占連載、藤子・F・不二雄氏の逝去後の再掲載、そして2026年の最終回まで、その歴史には複数の転換点がある。
この記事では、ドラえもんとコロコロコミックの関係を1977年から2026年まで時系列で整理し、掲載終了の理由、最終回の作品、現在の掲載状況まで詳しく解説する。
【歴史】ドラえもんとコロコロコミックはなぜ深い関係にあるのか?

ドラえもんとコロコロコミックの関係を理解するには、まず両者の出発点を知る必要がある。
実は、ドラえもんの漫画連載が始まったのはコロコロコミックの創刊よりも前だ。藤子・F・不二雄氏が生み出したドラえもんは、1969年12月、小学館の学年誌や幼児誌の1970年1月号から連載をスタートした。
一方、コロコロコミックは1977年に創刊。すでに人気作品となっていたドラえもんを雑誌の大きな看板として迎え入れた。
1977年の創刊号はドラえもんが主役だった1977年4月、小学館は児童向け漫画雑誌『コロコロコミック』を創刊した。
当時のキャッチコピーは「ドラえもんがたっぷり読める雑誌」という趣旨のものだった。
創刊号には、学年誌などで発表されたドラえもんのエピソードをまとめた約200ページが掲載された。加えて、藤子氏の『みきおとミキオ』『バケルくん』なども収録されていた。
明治大学の米沢嘉博記念図書館が公開している資料では、創刊号の誌名よりもドラえもんのロゴが大きく配置されていたことも紹介されている。
つまり、現在のように多彩な人気漫画を掲載する雑誌としての姿が確立する以前、コロコロコミックはドラえもんを中心に据えた漫画雑誌として出発したのだ。
当時、ドラえもんの人気はすでに高く、1977年時点でてんとう虫コミックスの累計発行部数は500万部を突破していた。コロコロコミックの創刊は、こうした作品人気を雑誌という形でさらに広げる試みでもあった。
なお、創刊号は1977年5月15日号の表記で知られているが、創刊されたのは同年4月である。
1979年のアニメ化と雑誌の成長1979年にはテレビ朝日系でテレビアニメ版『ドラえもん』が放送開始。
漫画、テレビアニメ、映画、コミックスという複数のメディアを通じて作品に触れる機会が広がった。
コロコロコミックも1978年に隔月刊化し、1979年には月刊誌へと移行した。
創刊当初のドラえもん中心の誌面から、ホビーやゲーム、少年漫画などを幅広く扱う雑誌へと成長していく過程でも、ドラえもんは重要な看板作品であり続けた。
この時期に築かれた関係が、その後の大長編シリーズや再掲載企画につながっていく。
【作品史】大長編ドラえもんはコロコロコミックから生まれた
コロコロコミックとドラえもんの関係を語るうえで、短編漫画の掲載と同じくらい重要なのが「大長編ドラえもん」シリーズだ。
現在では映画の原作漫画として知られる大長編だが、その連載媒体として中心的な役割を果たしたのがコロコロコミックだった。
1980年「のび太の恐竜」から始まった大長編1980年1月号から、大長編ドラえもんの第1作『のび太の恐竜』が連載された。
同作は1980年1月号から3月号にかけて掲載された作品で、従来の短編とは異なるスケールの大冒険を描いている。
創刊当初のコロコロコミックでは、学年誌などに掲載された短編の再録が中心だったが、『のび太の恐竜』は同誌で初めて掲載されたドラえもんの新作長編として重要な意味を持った。
以降、藤子・F・不二雄氏は映画作品の原作となる大長編を執筆し、コロコロコミックで独占連載していった。
代表的な作品には次のようなものがある。
- 『のび太の恐竜』
- 『のび太の宇宙開拓史』
- 『のび太の大魔境』
- 『のび太の海底鬼岩城』
- 『のび太の魔界大冒険』
- 『のび太の宇宙小戦争』
- 『のび太と鉄人兵団』
- 『のび太の日本誕生』
- 『のび太とアニマル惑星』
- 『のび太と雲の王国』
- 『のび太とブリキの迷宮』
- 『のび太と夢幻三剣士』
- 『のび太の創世日記』
- 『のび太と銀河超特急』
- 『のび太のねじ巻き都市冒険記』
小学館の『藤子・F・不二雄大全集』では、藤子氏が執筆した大長編17作品が全6巻にまとめられている。
なお、上記はシリーズの代表的な作品を抜粋したもので、17作品すべての一覧ではない。
1996年の藤子・F・不二雄氏の逝去と作品の継承大長編シリーズの歴史における大きな転換点は1996年だった。
同年9月号から連載が始まった第17作『のび太のねじ巻き都市冒険記』の執筆途中で、藤子・F・不二雄氏が亡くなった。
その後のエピソードは、藤子氏のアシスタントを務めていたむぎわらしんたろう氏や、映画作品を手がけていた芝山努監督らが、藤子氏の残したアイデアノートをもとに制作した。
その後も藤子プロによる大長編作品の掲載は続いている。
ここで押さえておきたいのは、1996年に終了したのは藤子氏本人による新作の執筆であり、ドラえもんの漫画掲載や大長編の展開がすべて終了したわけではないという点だ。
藤子氏の作品世界を引き継ぎながら、新しい映画や漫画作品へとつなげる仕組みが形成されていったのである。
【再掲載の歴史】2002年の復活から2026年の最終回まで
藤子・F・不二雄氏の逝去後、コロコロコミックでは本人が描いたドラえもんの短編漫画を再び掲載する企画が始まった。
これが、2026年まで続いた「名作劇場 ドラえもん」の原点である。
2002年4月号に「名作劇場 ドラえもん」が登場2002年4月号から、過去に発表されたドラえもんのエピソードを再掲載する企画がスタートした。
これは藤子氏の新作連載ではなく、すでに発表され、コミックスにも収録されている作品を改めて読者に届けるものだった。
当時の子どもたちにとっては、過去の名作に触れる機会となり、以前からの読者にとっては懐かしいエピソードを読み返せる企画となった。
そして2008年8月号から、タイトルが「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」に変更された。
以降、同企画はコロコロコミックの誌面に定着し、長年にわたって続いていく。
再掲載は合計243回に到達2026年4月の掲載終了に際し、小学館は2002年からの再掲載が計243回だったことを明らかにした。
約24年にわたって続いた企画であり、藤子氏の作品を次世代の読者に届ける役割を担ってきた。
ただし、1977年から2026年まで同じ形式の連載が一度も途切れず続いたわけではない。
1977年の創刊時から藤子氏による作品掲載があり、1996年には本人による新作掲載が終了。その後、大長編の継承や2002年からの短編再掲載など、掲載内容と制作体制が変化してきた。
この違いを理解することが、ドラえもんとコロコロコミックの歴史を正確に把握するポイントとなる。
ドラえもんとコロコロコミックの歴代掲載年表| 時期 | 出来事・掲載作品 | 両者の関係 |
|---|---|---|
| 1969年12月 | ドラえもん連載開始 | 小学館の学年誌・幼児誌でスタート |
| 1974年 | てんとう虫コミックス誕生 | ドラえもんの単行本シリーズが展開 |
| 1977年4月 | コロコロコミック創刊 | 創刊号にドラえもん約200ページを掲載 |
| 1980年1月 | のび太の恐竜 | 大長編シリーズの連載開始 |
| 1996年 | 藤子・F・不二雄氏逝去 | 本人による新作掲載が終了 |
| 1996年以降 | 大長編の制作継承 | アシスタントや藤子プロなどが作品を継承 |
| 2002年4月 | 名作劇場 ドラえもん | コミックス収録作品の再掲載が復活 |
| 2008年8月 | 藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん | 企画タイトルを変更 |
| 2026年1月・3月 | 同一作品の重複掲載 | 編集部が制作上の誤りを公表 |
| 2026年4月15日 | 5月号で最終回 | てんとう虫コミックス31巻の作品を掲載 |
この年表から分かるように、コロコロコミックにおけるドラえもんの役割は、創刊時の看板作品、大長編の連載媒体、そして過去の名作を伝える再掲載枠へと変化してきた。
【2026年最新】ドラえもんのコロコロコミック最終回はいつ?最後の作品を解説
2026年の大きなニュースとなったのが、長年続いてきた「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」の掲載終了だ。
最終回が掲載されたのは、2026年4月15日発売の『月刊コロコロコミック』5月号である。
ここで注意したいのは、最終回を迎えたのは4月号ではなく5月号という点だ。発売日は4月15日だが、雑誌の号数は5月号となっている。
最後に掲載されたのは「時門で長~~い一日」最終回を飾った作品は、てんとう虫コミックス第31巻に収録されている「時門で長~~い一日」だった。
このエピソードには、時間の流れを遅くすることができるひみつ道具「時門」が登場する。
時間の進み方を調節できるという発想を軸に、ドラえもんらしい日常の面白さと、ひみつ道具ならではの展開が描かれる作品だ。
最終回に新作エピソードが描き下ろされたわけではない。すでにコミックスで読める過去作品が、再掲載企画の最後の一作として選ばれたのである。
小学館は誌面で最終回を告知し、次のメッセージを掲載した。
「『藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん』は今月号で最終回となります。長い間応援いただき誠にありがとうございました。」
約24年間にわたって続いた再掲載企画は、この作品をもって終了した。
2026年の重複掲載問題とは何だったのか?2026年の掲載終了をめぐっては、もう一つ見逃せない出来事があった。
コロコロコミック編集部は2026年3月17日、2月号と4月号に同じドラえもん作品を掲載してしまったことを公式サイトで謝罪した。
具体的には、1月15日発売の2月号と、3月13日発売の4月号で、「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」の掲載作品が重複していた。
編集部は、この重複について作業上の誤りだったと説明し、読者に謝罪している。
この件は公式に発表された編集上のミスであり、実際に発生した出来事だ。
ただし、重複掲載と4月15日の連載終了を直接結び付ける公式説明は出ていない。したがって、重複掲載が最終回の原因だったと断定することはできない。
重複掲載の謝罪と、掲載終了の決定は、それぞれ別の発表内容として捉える必要がある。
【終了理由を検証】なぜドラえもんはコロコロコミックから姿を消したのか?
今回の掲載終了で最も気になるのが、その理由だろう。
小学館は報道各社の取材に対し、終了理由について「編集部の判断」と説明している。
つまり、公式に確認できる説明は編集部の判断による終了という点までであり、具体的な編集方針や経営上の理由、作品側との契約上の事情などは公表されていない。
掲載終了は作品の人気低下を意味するのか?今回の終了を、そのままドラえもんの人気低下と結び付けるのは適切ではない。
なぜなら、終了したのは新作を継続的に描く連載ではなく、過去のコミックス収録作品を再掲載する企画だからだ。
2002年から2026年までに243回という掲載実績を残したことは、この企画が長期間にわたって雑誌の一枠を担っていたことを示している。
一方、再掲載企画は既存作品を読者に届ける形式であり、オリジナルの新作連載とは性質が異なる。
雑誌の編集方針や掲載枠の再編によって、長年続いた再掲載企画が終了すること自体は考えられる。ただし、それが今回の具体的な決定理由だったと確認されたわけではない。
1977年からの歴史が完全に終わったわけではないもう一つの誤解が、「ドラえもんがコロコロコミックから完全に消えた」という受け止め方だ。
実際には、今回終了したのは月刊コロコロコミック本誌の「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」である。
小学館が2026年4月の取材に回答した時点では、ドラえもんの掲載は次の雑誌でも続いていた。
- 『小学一年生』
- 『てれびくん』
- 『幼稚園』
- 『小学8年生』
- 『コロコロイチバン!』
また、2026年2月20日発売の『コロコロイチバン!』4・5月号では、映画公開記念企画として「大長編ドラえもん のび太の海底鬼岩城」を34ページにわたって掲載している。
つまり、コロコロコミックという雑誌ブランドとの接点や、ドラえもんの漫画・関連企画そのものが一斉に終了したわけではない。
本誌の再掲載枠と、ほかの雑誌での掲載、映画関連の漫画展開は分けて考える必要がある。
【現在の掲載状況】2026年もドラえもんを読める雑誌はある?
2026年のコロコロコミック本誌で再掲載が終了したからといって、紙媒体でドラえもんを読む機会がなくなるわけではない。
小学館は2026年4月時点で、前述の5誌で掲載が続いていると説明している。
それぞれの雑誌には対象読者や誌面構成の違いがあり、ドラえもんの取り上げ方も同一ではない。
コロコロイチバン!では大長編を展開特に注目したいのが『コロコロイチバン!』だ。
2026年2月発売の4・5月号では、映画『ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』の公開に合わせて、大長編の漫画や特別企画が掲載された。
この号では『のび太の海底鬼岩城』の原作漫画を34ページにわたって掲載。映画と漫画の両方から作品を楽しめる構成となっていた。
これは、コロコロコミック本誌の再掲載企画終了後も、ドラえもんとコロコロ系の漫画媒体との関係が続いていることを示す具体例だ。
掲載誌によって作品の役割が違うドラえもんは、もともと複数の小学館雑誌で読者の年齢に合わせた作品を発表してきた漫画である。
1969年の連載開始時点でも、幼児誌や小学館の学年誌で、それぞれ異なる読者層に向けて展開されていた。
そのため、現在の掲載状況を理解するときも、雑誌ごとの役割を区別することが大切だ。
コロコロコミック本誌の名作再掲載が終わったことと、ドラえもんの漫画作品がほかの媒体で読めることは矛盾しない。
今後は各雑誌の最新号の目次や小学館の公式告知を確認することで、実際の掲載作品や連載形式を把握できる。
【プロの結論】ドラえもんとコロコロコミックの歴史から見える3つの重要な事実
今回の掲載終了を理解するうえで、特に押さえておきたい要点は3つある。
第一に、コロコロコミックはドラえもんとともに生まれた雑誌であること。
1977年の創刊号で200ページものドラえもんを掲載した事実は、両者の関係が単なる連載作品と掲載誌の関係を超えていたことを示している。
創刊時からドラえもんが雑誌のブランド形成に大きく関わっていたのだ。
第二に、2002年からの再掲載は藤子・F・不二雄氏の過去作品を次世代へ伝える役割を果たしてきたこと。
藤子氏が1996年に亡くなった後も、作品そのものはコミックスや大長編、映画などを通じて受け継がれてきた。
その中で2002年に始まった名作劇場は、過去の短編を改めて雑誌で読む機会を提供する重要な企画だった。
第三に、2026年の最終回はドラえもん全体の終わりではなく、特定の再掲載企画の終了であること。
この違いを理解していないと、「ドラえもんが連載終了」「コロコロから完全撤退」といった誤った認識につながってしまう。
読者がニュースを見極める際には、次の3点を確認するとよい。
- 終了したのは作品そのものか、特定の雑誌の掲載枠か。
- 新作連載の終了なのか、過去作品の再掲載終了なのか。
- 小学館のほかの雑誌でも掲載が続いているのか。
こうした区別ができれば、長い歴史を持つ漫画作品の掲載終了ニュースを正しく理解できる。
【ドラえもんとコロコロコミック】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ドラえもんはコロコロコミックの何年から掲載されていた?
A1:1977年4月のコロコロコミック創刊時から掲載されている。創刊号には約200ページのドラえもんが収録され、雑誌の看板作品としてスタートした。
Q2:ドラえもんのコロコロコミック最終回は何月号?
A2:2026年5月号が最終回となった。発売日は2026年4月15日で、最後に掲載された作品は「時門で長~~い一日」。てんとう虫コミックス31巻に収録されている。
Q3:ドラえもんがコロコロコミックで掲載終了した理由は?
A3:小学館は終了理由を「編集部の判断」と説明している。具体的な編集上の理由や経営上の背景などは公表されていない。
Q4:2002年からの再掲載は何回続いた?
A4:小学館によると、2002年から2026年までの再掲載は計243回。2008年8月号から「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」のタイトルで掲載されていた。
Q5:ドラえもんは2026年現在、ほかの雑誌でも読める?
A5:小学館は2026年4月時点で、『小学一年生』『てれびくん』『幼稚園』『小学8年生』『コロコロイチバン!』で掲載が続いていると説明している。コロコロコミック本誌の再掲載終了と、作品全体の掲載終了は別の話だ。
ドラえもんとコロコロコミックの関係は、1977年の創刊から始まり、1980年の大長編シリーズ、1996年の藤子・F・不二雄氏の逝去、2002年の名作劇場復活、2008年のタイトル変更を経て、2026年の最終回へとつながってきた。
2026年4月15日発売の5月号で掲載された「時門で長~~い一日」は、2002年から計243回続いた再掲載企画の最後を飾る作品となった。
掲載終了の理由について、小学館が明らかにしているのは編集部の判断という説明までである。2026年初頭の重複掲載問題との直接的な因果関係も公表されていない。
そして何より大切なのは、今回終了したのが「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」という特定の掲載企画だということだ。
創刊号で200ページを飾った作品が、約半世紀を経て一つの掲載枠に区切りを迎えた。その歴史は、単なる長期連載の記録ではない。藤子・F・不二雄氏が生み出した物語を、雑誌、単行本、映画、そして次の世代の読者へと受け渡してきた歩みでもある。
コロコロコミック本誌での再掲載は終了したが、ドラえもんの作品世界が持つ価値は変わらない。今後も小学館の各媒体や映画関連企画を通じて、世代を超えて読み継がれていくことが期待される。
主な事実確認資料: 小学館・コロコロオンライン公式発表、明治大学米沢嘉博記念図書館、MANTANWEB、デイリースポーツ、小学館コミック公式作品情報。