アンデルセンの『赤い靴』は、貧しい孤児の少女カーレンが、美しい赤い靴に心を奪われ、やがて逃れられない運命に巻き込まれていく創作童話です。原題はデンマーク語の「De røde Skoe」。1845年4月7日に出版された作品で、単なる虚栄心への戒めにとどまらず、信仰、貧困、社会的な身分、女性の身体と欲望など、複数のテーマを含んでいます。
この作品には、もう一つ興味深い背景があります。主人公カーレンのモデルは、アンデルセンの異父姉カーレン・マリーだったという説です。東京理科大学の中丸禎子による論考にも登場するこの説は、どのような資料に支えられているのでしょうか。1845年の初版本、アンデルセンの自伝的記憶、異父姉の実際の生涯を照らし合わせながら、物語の結末と成立背景まで整理します。
【作品の基本情報】赤い靴童話は1845年に出版されたアンデルセンの創作童話

『赤い靴』は、デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)が執筆した文学的な創作童話です。
昔から口承されてきた民話をそのまま採録した作品ではありません。アンデルセン自身の経験や当時の社会、宗教的な価値観、民間伝承のモチーフなどを組み合わせて作られています。
原題は「De røde Skoe」原題はデンマーク語の「De røde Skoe」です。現在のデンマーク語表記では「De røde sko」とされます。
日本語では『赤い靴』『赤いくつ』『孤児カーレンと赤い靴』『みなし子カーレンと赤い靴』など、翻訳や出版形態によって題名に違いがあります。
主人公の名前も、原語のKarenをカレン、カーレンなどと表記する違いがあります。本記事では日本語での作品紹介に多く見られるカーレンという表記を使用します。
1845年4月7日に『新童話集Ⅰ-3』として出版デンマーク王立図書館が公開するアンデルセン作品の校訂版によると、『赤い靴』は1845年4月7日に初めて印刷されました。
収録先は『Nye Eventyr. Første Bind. Tredie Samling. 1845』です。日本語では『新童話集 第一巻 第三集』に相当し、検索時に使われる「新童話集Ⅰ-3」はこの出版形態を指しています。
この第三集には『赤い靴』以外にも、次の作品が収録されています。
- 『妖精の丘』(Elverhøi)
- 『赤い靴』(De røde Skoe)
- 『高跳び競争』(Springfyrene)
- 『羊飼いの娘と煙突掃除人』(Hyrdinden og Skorsteensfeieren)
- 『ホルガー・ダンスク』(Holger Danske)
出版元はコペンハーゲンのC.A. Reitzelです。1845年4月の初出版という日付は、デンマーク語の校訂資料でも確認できます。
したがって、作品の成立時期を調べる際には、後世の絵本の刊行年と、アンデルセンが原作を発表した1845年を区別することが大切です。
【あらすじ】主人公カーレンと赤い靴に隠された悲劇
物語の主人公は、貧しい家庭で育った少女カーレンです。母親を亡くした孤児であり、物語は彼女が赤い靴を手に入れるところから動き始めます。
1.母親の葬儀の日に手に入れた最初の赤い靴幼いカーレンは非常に貧しく、夏は裸足、冬は大きな木靴を履いて生活していました。木靴によって足が赤く傷つくほど、厳しい暮らしを送っています。
そんな彼女をかわいそうに思った靴屋の老婆が、古い赤い布を使って小さな靴を作ってくれました。
ところが、その靴を初めて履いた日は、母親の葬儀の日でした。喪服にふさわしい靴ではありませんでしたが、カーレンにはほかに履けるものがありません。彼女は赤い靴を履いて母親の棺の後ろを歩きます。
その姿を見た裕福な老婦人は、少女を不憫に思い、自分の家に引き取ることにしました。
2.裕福な老婦人によって焼かれた赤い靴老婦人のもとで暮らすことになったカーレンは、きちんとした衣服や教育を与えられ、以前より恵まれた生活を送るようになります。
しかし、老婦人はカーレンが履いていた赤い布靴を気に入りませんでした。見栄えの悪い靴だと考え、燃やしてしまいます。
カーレンにとって、その靴は単なる履物ではありません。母親の葬儀の日に履いた思い出の品であり、自分を助けてくれた人の善意が込められたものでした。
それでも少女は、新しい生活の中で、次第に美しい靴への憧れを強めていきます。
3.堅信礼に履いていった美しい赤い靴やがてカーレンは、キリスト教徒としての節目となる堅信礼を迎えます。
この日のために老婦人は黒い靴を用意するつもりでしたが、カーレンは自分の好みで美しい赤いモロッコ革の靴を手に入れます。
老婦人は目が悪く、靴の色に気づきませんでした。そのため、カーレンは赤い靴を履いたまま堅信礼に出席します。
ところが、厳粛な宗教儀式の最中も、少女の心は赤い靴の美しさに向けられていました。信仰に集中するべき場面で、靴のことばかり考えてしまったのです。
4.赤い靴が勝手に踊り始めるその後、カーレンは教会の前で赤いひげを生やした不思議な老兵士に出会います。
老兵士は赤い靴を見て、踊るために作られた美しい靴だと声をかけ、靴に触れます。
すると、カーレンの足は自分の意思とは関係なく踊り始めました。最初は少し踊るだけで済みましたが、次第に靴は彼女の意思を支配するようになります。
さらにカーレンは、老婦人が病床に伏しているときにも、看病より舞踏会へ行くことを選んでしまいます。
その結果、赤い靴の呪いはますます強まり、少女は昼も夜も踊り続けなければならなくなりました。
【原作の結末】カーレンの足は切断される?救済までの最後を解説
『赤い靴』の結末は、アンデルセン童話の中でも特に衝撃的な場面として知られています。
子ども向けの絵本や再話では変更されることがありますが、アンデルセンの原作では、カーレンは実際に両足を切断されます。
首切り役人に足を切り落としてもらう踊り続けることに耐えられなくなったカーレンは、首切り役人のもとへ助けを求めに行きます。
彼女は、赤い靴を履いた足を切り落としてほしいと頼みます。
首切り役人はその願いを聞き入れ、カーレンの足を赤い靴ごと切断します。しかし、恐ろしいことに、切り離された足と赤い靴は、それでも踊り続けながら森の中へ消えていきます。
つまり、足を失っただけでは、赤い靴の呪いそのものが消えたわけではありません。
悔い改めたカーレンに訪れる最後の救済足を失ったカーレンは、松葉づえを使いながら生活するようになります。
彼女は自分の行いを悔い、教会に通い、祈りを続けます。以前のように美しい靴や華やかな生活を追い求めるのではなく、信仰と悔い改めに心を向けるようになりました。
やがて天使が現れ、カーレンに赦しを告げます。
物語の最後では、カーレンの心は喜びと安らぎに満たされ、彼女の魂は天へと迎えられます。
原作の結末は、足が元に戻って元気に暮らすという幸福な冒険譚ではありません。身体的な代償を伴いながら、精神的な救済にたどり着く物語です。
日本の絵本では結末が異なる場合もある国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、子ども向けの『赤いくつ』における原作改変についての調査事例が掲載されています。
その調査では、主人公の足を切断しない作品や、切断されても元どおりになる作品などが確認されています。首切り役人や天使が登場しない翻案もあります。
つまり、子どもの頃に読んだ絵本の結末と、アンデルセンの原作の結末が違っていても不思議ではありません。
原作を読んでみたい場合は、単に『赤い靴』というタイトルだけで選ぶのではなく、完訳版なのか、児童向けの再話なのかを確認するとよいでしょう。
【モデルの真相】カーレンのモデルは異父姉カーレン・マリーなのか?
『赤い靴』の背景を調べる読者が特に気になるのが、主人公カーレンのモデルとされる異父姉カーレン・マリーの存在です。
この説は、東京理科大学准教授の中丸禎子が執筆した論考にも登場します。ただし、作品のモデルが実在の異父姉だったと確定する直接証拠があるわけではありません。
異父姉カーレン・マリーとはどのような人物だったのかカーレン・マリー(Karen Marie)は、アンデルセンの母アンネ・マリー・アンダースダッターが、アンデルセンの父と結婚する前にもうけた娘です。
アンデルセンは1805年生まれですが、カーレン・マリーは1799年9月22日に生まれています。母親が同じで父親が異なるため、正確には異父姉にあたります。
デンマークのMuseum Odenseが公開する家族史の研究資料によると、彼女は1846年11月18日にコペンハーゲンで亡くなりました。
彼女の実際の生活は、貧困と労働に深く結びついていました。資料には、他人の洗濯をして生計を立てていたことや、アンデルセンと1842年に再会したことなどが記されています。
アンデルセンは彼女の存在を公的な自伝でほとんど語っておらず、彼女との関係を避けようとした様子も伝えられています。
中丸禎子の論考には何が書かれているのか中丸禎子の論考として参照できるのは、『バレエを踊る人魚姫――「爪先立ち」があらわす異界』です。
この論文は、アンデルセンの『人魚姫』とバレエの歴史、女性の身体、ヨーロッパ文化における足や脚の象徴性などを考察した研究です。『赤い靴』だけを専門的に分析した独立論文ではありません。
その中の「足/脚の文化史」を扱う部分で、中丸は『赤い靴』の主人公のモデルを、アンデルセンの異父姉で私生児として生まれたカーレン・マリーと紹介しています。
加えて、アンデルセンが彼女を退廃、無知、乱交の象徴と見なし、その存在が自分を脅かすことを恐れていたという解釈を示しています。
ここで重要なのは、論文の脚注です。中丸はこの記述の出典として、ジャッキー・ウォルシュレーガーの伝記『Hans Christian Andersen: The Life of a Storyteller』(2000年)の9ページを挙げています。
つまり、中丸の記述は、アンデルセンの伝記研究を踏まえた文学的・伝記的解釈として理解する必要があります。
カーレン・マリーがモデルと考えられる理由このモデル説が生まれる背景には、いくつかの共通点があります。
- 名前の一致:物語の少女Karenと、アンデルセンの異父姉Karen Marieは同じ名前を持つ。
- 家族背景:カーレン・マリーは母親が結婚前に生んだ子どもであり、アンデルセンの家族史における複雑な存在だった。
- 社会的な階層:アンデルセンが名声を高めていく一方、異父姉は貧しい生活を続けていた。
- 伝記上の心理的背景:アンデルセンが姉の存在を気にかけながらも、自身の自伝でほとんど触れていないことが、作品との関連を考える材料になっている。
ただし、同じ名前を持つことだけで、実在の人物が物語の主人公の直接的なモデルだったと断定することはできません。
イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーも作品の成立背景を紹介する中で、カーレン・マリーとの関連に触れていますが、姉への嫌悪や売春を物語に直接反映させたという解釈には、確かな裏付けが乏しいと指摘しています。
特に、カーレン・マリー本人が売春をしていたと事実のように説明するのは適切ではありません。彼女について確認できる生活記録には、洗濯仕事によって生計を立てていたことが含まれています。
モデル説と実際の人物像を比較| 対象 | 関係・確認できる事実 | 読み解く際の注意点 |
|---|---|---|
| アンデルセン | 1805年生まれ。『赤い靴』の作者。 | 自伝的経験が作品に反映された可能性がある。 |
| 物語のカーレン | 貧しい孤児として登場し、赤い靴に執着する。 | 文学作品上の人物であり、実在の人物と同一ではない。 |
| カーレン・マリー | 1799年生まれのアンデルセンの異父姉。1846年没。 | 実際の生活は貧しく、洗濯仕事をしていた。 |
| 中丸禎子 | 論考でカーレン・マリーを主人公のモデルとして紹介。 | 記述の出典はウォルシュレーガーのアンデルセン伝記。 |
| ジャッキー・ウォルシュレーガー | 2000年刊行のアンデルセン伝記の著者。 | モデル説を検討する際の主要な伝記資料の一つ。 |
以上から、カーレン・マリー説には伝記的な背景と一定の論拠があります。しかし、カーレン・マリーの人生そのものを『赤い靴』の筋書きに重ねることはできません。
モデル説は文学的な解釈として興味深いものの、歴史的に証明された事実とは区別して受け止める必要があります。
【成立背景】アンデルセンの実体験と赤い靴の創作に隠された関係
カーレン・マリー説だけでは、『赤い靴』の成立背景を十分に説明できません。実は、アンデルセン自身の子ども時代の記憶にも、作品と深く関係する出来事があります。
アンデルセン自身も靴に心を奪われた経験があったアンデルセンは1805年、デンマークのオーデンセに生まれました。父親は靴職人、母親は洗濯仕事をしていた人物です。
裕福な家庭ではなく、幼少期から経済的に厳しい環境で育ちました。父親は本を読み聞かせたり、芝居の人形劇を作ったりするなど、息子の想像力を育てる存在でもありました。
デンマーク王立図書館の資料によると、アンデルセンは堅信礼の際、新しいブーツを手に入れた経験を自伝に記しています。
そのブーツは歩くたびに音を立てました。彼は教会の人々に新しい靴だと気づいてもらえることを喜んでいましたが、そのために宗教儀式への集中が妨げられたことにも気づいていました。
この記憶は、『赤い靴』でカーレンが堅信礼の最中に靴のことばかり考えている場面と重なります。
作者自身は最初、自伝的な関連を否定していた興味深いのは、アンデルセンが作品と自分の経験との関係を最初から認めていたわけではないことです。
デンマーク語の校訂版『H.C. Andersens Eventyr』の解説によると、1845年6月23日、アンデルセンは伝記作家P.L.メラーに対し、堅信礼での靴の記憶が執筆時に意識されていたとは思わないという趣旨の返答をしています。
ところが、その後、自伝的な回想をまとめる中で、堅信礼の際のブーツの記憶が『赤い靴』を生み出したと説明するようになりました。
この経緯から、作品には作者自身が意識していたかどうかにかかわらず、幼少期の記憶が反映されていた可能性が考えられます。
父親が作った赤い靴にまつわる逸話もう一つ注目されるのが、父親の靴職人としての経験です。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの作品解説では、アンデルセンの父親が裕福な女性から赤い絹を預かり、娘のための舞踏靴を作ったという逸話が紹介されています。
女性は完成した靴に不満を示しました。父親は自分の仕事を否定されたことに反発し、靴を目の前で切り刻んだと伝えられています。
美しい赤い素材、靴職人の仕事、裕福な依頼主と貧しい職人の関係。こうした要素は、作品の赤い靴をめぐる社会的な対立とも響き合います。
民間伝承のモチーフも作品の成立に関係しているデンマーク王立図書館の校訂版解説では、カーレンが踊り続けるという筋立てについて、アンデルセンが1845年2月16日に初演された喜歌劇『Lykkens Blomst』の制作を通じて、リデン・キルステンの伝説から着想を得た可能性にも触れています。
これは、愛をめぐる事情から踊り続けることを強いられ、死に至るという伝説です。
アンデルセンは1845年4月10日の手紙でも、『赤い靴』が古い民間伝承に通じる作品であることを友人に伝えています。
つまり、作品の成立には、少なくとも次のような複数の要素が関わっていたと考えられます。
- 堅信礼で新しい靴に心を奪われた作者自身の記憶
- 父親の靴職人としての経験
- カーレン・マリーをめぐる家族史と伝記的解釈
- 踊り続ける少女を描く民間伝承や伝説のモチーフ
- 19世紀デンマークの宗教観や階級社会
これらを一つの原因にまとめるのではなく、複数の経験や文学的素材が重なった創作童話として捉えると、作品の複雑さが見えてきます。
【作品の読み解き】赤い靴が象徴する虚栄心・欲望・社会的な抑圧
『赤い靴』は、一般的には美しいものへの執着や虚栄心を戒める物語として紹介されます。しかし、物語の展開を丁寧に追うと、赤い靴にはそれ以上の意味が込められています。
赤い靴は最初から悪いものだったのか最初にカーレンが手に入れた赤い靴は、靴屋の老婆が善意から作ってくれたものでした。
その靴は見栄えのよい高級品ではありません。貧しい少女の足を守るための、思いやりが込められた贈り物でした。
ところが、老婦人に引き取られた後、その靴は燃やされてしまいます。その後、カーレンが手に入れるのは、美しく高価な赤い靴です。
同じ赤い靴でも、最初は他人の善意を象徴し、次には自分の欲望や虚栄心を象徴するものへと意味が変わっています。
この対比は、作品を理解するうえで見逃せないポイントです。
靴は自分の意思を失うことの象徴でもあるカーレンは自分の意思で赤い靴を履きます。しかし、物語が進むにつれて、靴が彼女の身体を支配するようになります。
本来、靴は人間が自由に歩くための道具です。それが逆に人間の動きを支配し、どこへ行くかさえ決めてしまう存在になります。
この逆転は、欲望に振り回される人間の姿として読むことができます。
また、身体を自由に動かせなくなるという描写は、本人の意思と社会から求められる規範との衝突としても解釈できます。
宗教と女性の身体に対する19世紀の価値観物語では、赤い靴を履いて教会へ行くことや、堅信礼で靴に気を取られることが、カーレンの過ちとして描かれます。
当時のキリスト教社会では、信仰や礼拝の場にふさわしい服装や振る舞いが重視されていました。華やかな赤い靴は、その規範から外れるものとして扱われています。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの解説も、この作品を虚栄心への警告だけではなく、富裕層の偽善や19世紀デンマークにおける教会の影響力を反映した物語として紹介しています。
加えて、中丸禎子の論考が扱う足や脚の文化史と結びつけると、踊る女性の身体が、欲望や道徳的な逸脱とどのように関連づけられていたかという問題も浮かび上がります。
カーレンの悲劇は、単に美しい靴を欲しがった少女への罰というだけではありません。身体、欲望、宗教的な規範、社会的な身分が複雑に交差する物語なのです。
【プロの結論】赤い靴童話を読むなら原作とモデル説を分けて考える
『赤い靴』を深く理解するためには、物語そのもの、作者の人生、実在した人物の記録を分けて考えることが重要です。
特に、カーレン・マリー説を調べる読者には、次の3つの判断基準をおすすめします。
判断基準1:1845年の原作と現代の絵本を区別する足の切断や天使による救済など、原作には非常に強烈な描写があります。子ども向けの絵本では、これらの場面が変更されることがあります。
原作の内容を知りたい場合は、完訳版やデンマーク語原文に基づく翻訳を選ぶのが適切です。
判断基準2:カーレン・マリー説は伝記的な仮説として扱う中丸禎子の論考には、カーレン・マリーをモデルとする解釈が示されています。しかし、その記述はアンデルセンの伝記研究に基づくもので、作者自身が姉をモデルにしたと明言した証拠を示すものではありません。
また、異父姉の人生を物語のカーレンと完全に同一視することもできません。
判断基準3:作者の実体験と創作上の意味を両方読むアンデルセン自身の堅信礼の記憶は、作品との関連が伝記資料や作者の回想に記録されています。
一方で、カーレン・マリー説や民間伝承との関連は、別の角度から作品を理解する手がかりです。
作者の人生を知ることで作品が読みやすくなる一方、作品のすべてを実在の人物の人生に還元してしまうと、文学としての豊かさを見失います。
原作の物語、作者の回想、異父姉の史実という3つの視点を重ねて読むことが、『赤い靴』を理解する最も有効な方法です。
【赤い靴童話】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:赤い靴童話の主人公の名前は何ですか?
A1:主人公の名前はカーレン(Karen)です。貧しい孤児として登場し、美しい赤い靴に執着する少女として描かれています。
Q2:アンデルセンの赤い靴は何年に出版されましたか?
A2:1845年4月7日です。『Nye Eventyr. Første Bind. Tredie Samling』、日本語でいう『新童話集 第一巻 第三集』に収録されて出版されました。
Q3:赤い靴の原作では本当にカーレンの足が切断されますか?
A3:はい。原作では首切り役人がカーレンの両足を赤い靴ごと切断します。ただし、日本の子ども向け絵本や翻案作品には、足の切断を省略したり、元どおりにしたりするものがあります。
Q4:カーレンのモデルはアンデルセンの異父姉ですか?
A4:異父姉カーレン・マリーがモデルだったという説があります。中丸禎子の論考でも紹介されていますが、直接的なモデル関係が歴史的に証明されたわけではありません。
Q5:カーレン・マリーはどのような人物でしたか?
A5:アンデルセンの母親が結婚前に生んだ娘で、1799年生まれ、1846年没です。貧しい生活を送り、洗濯仕事で生計を立てていたことがデンマークのMuseum Odenseの資料に記されています。
Q6:赤い靴は実話をもとにした童話ですか?
A6:実話をそのまま物語にした作品ではありません。作者自身の堅信礼での靴の記憶、父親の靴職人としての経験、民間伝承のモチーフなどが成立背景として考えられています。
Q7:赤い靴童話の本当のテーマは何ですか?
A7:一般的には虚栄心への戒めとされますが、それだけではありません。信仰、貧困、社会的な身分、女性の身体や欲望など、19世紀の社会的・宗教的価値観を反映した作品でもあります。
アンデルセンの『赤い靴』は、1845年4月7日に出版された創作童話です。貧しい孤児カーレンが赤い靴に執着し、最後には足を切断されながらも、悔い改めによって救済にたどり着くという物語です。
主人公のモデルについては、アンデルセンの異父姉カーレン・マリー説が存在します。中丸禎子の論考でも紹介されているこの説は、作者の家族史や心理的背景を考えるうえで興味深いものです。ただし、姉本人の人生を物語のカーレンと同一視することはできません。
加えて、アンデルセン自身の堅信礼での靴の記憶や、父親の靴職人としての経験、民間伝承との関係を考えると、『赤い靴』は単純な教訓童話ではなく、作者の人生と19世紀の社会を映し出した作品として理解できます。
赤い靴は、最初は貧しい少女への善意の象徴であり、次第に欲望や虚栄心、そして自由を奪う呪いへと変わっていきます。この意味の変化こそが、1845年の原作を読み直す際に注目したい最大のポイントです。
2026年に読み返しても、カーレンの悲劇とアンデルセンの家族史を重ね合わせることで、作品に込められた複雑な人間心理と社会的背景が見えてきます。
主な参照資料・研究資料
- デンマーク王立図書館『H.C. Andersens Eventyr』校訂版・作品解説。
- 中丸禎子「バレエを踊る人魚姫――『爪先立ち』があらわす異界」。
- Museum Odense「H.C. Andersens halvsøster(アンデルセンの異父姉)」。
- Royal Shakespeare Company「History of The Red Shoes」。
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース「アンデルセンの童話『赤いくつ』について」。